日本の真実

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日本の記念すべき日 其の四十三 6月23日 ル・マン24時間耐久レースで日本車が初の総合優勝

2008-06-23 00:03:50 | Weblog
◎マツダ787Bが日本車初、そしてロータリーエンジン(RE)車で唯一の総合優勝(平成3年:1991年)

フランス西部のル・マン市にあるサルト・サーキットで、1923年よりほぼ毎年開催されている、自動車の耐久レース「ル・マン24時間耐久レース」はF1モナコグランプリ、インディアナポリス500マイルレース(インディ500)と並んで、「世界三大レース」と呼ばれています。
マツダは同社が世界で唯一製造しているRE車で、1970~90年代に掛けて、ル・マンに挑みました。1974年に初参戦。1982年には決勝14位で初の完走を果たし、1989年には総合7位、9位、12位という過去最高の成績で、3台完走を果たしました。

1990年、マツダは最新型のRE車であるマツダ787 2台と、前年型のマツダ767B 1台で参戦。FISA(国際自動車スポーツ連盟)のグループCカー(スポーツカー)車両規格改定により、翌1991年より排気量3.5リッターのNA(自然吸気)レシプロエンジン以外のマシンの参戦禁止が決定。ロータリーエンジン車が参戦出来る最後の年でした。
しかし、サルト・サーキットが改修され、長い直線道路で有名だったユーノディエールの2ヶ所にシケイン(半径の小さいコーナー)が設置された為、ストレート重視の設計だったマツダ787は、性能を十分に発揮することが出来ないまま、2台ともリタイアに終わりました。

RE車の参戦はこれで最後と思われましたが、車両規格の改定が1年延期となり、1991年もRE車が参戦出来ることになりました。マツダは前年車を改良した2台のマツダ787Bと、1台のマツダ787で参戦しました。
この年は車両の種類によって、重量、燃費制限が設けられ、マツダ車は制限のあるカテゴリー2に属しました。制限の無いカテゴリー1(3.5リッターNAレシプロエンジン車)は耐久レースの実績が無い為、優勝争いに絡む可能性は無く、カテゴリー2に属する、前年優勝のジャガーXJR12やメルセデスベンツC11が優勝候補と目されていました。マツダ車はRE車がこれまでル・マンでの上位入賞が無かった関係で、ジャガーやメルセデスより軽い重量制限でした。
予選の結果、マツダ車はカーNo.55号の787Bが12位、18号の787Bが17位、56号の787が24位で決勝を迎えました。
6月22日午後4時、レースがスタート。当初はポールポジション(予選1位)を獲得したカテゴリー1のプジョー905がリード。メルセデスベンツC11がそれに続き、ジャガー勢がそれを追う展開となりました。しかし、予想通り、NAエンジン車のプジョーは途中でリタイア。メルセデスベンツC11の1号車がトップに立ちました。
マツダ勢はスポンサーであるレナウンのチャージカラーが施された787B、55号車が午後10時の時点で4位に浮上。全日本F3000で活躍していたフォルカー・バイドラーと、いずれもF1ドライバーであるジョニー・ハーバート、ベルトラン・ガショーの3名が運転するマシンは順調に走行を続け、翌23日朝4時の時点で3位に浮上、更に朝6時の時点で2位に浮上しました。この時点でトップのメルセデスベンツC11-1号車とは4周の差。
ここでチーム監督の大橋孝至はラップタイム(1周あたりの所要時間)を1秒上げるよう55号車に指示。これに対してメルセデスもペースをを上げた為、差は詰まらないまま12時を経過。3位のジャガーは重量と燃費制限によって、ペースアップ出来ず、優勝争いはメルセデスとマツダの2台に絞られました。
午後12時54分、トップのメルセデスベンツC11が突然ピットイン。ラジエーターにトラブルが発生し、白煙を上げるマシンはピットから出ることが出来ません。その間に周回を重ねるマツダ787B55号車。そして午後1時4分、55号車はメルセデスベンツC11を抜いて、遂にトップに立ちました。その後、メルセデスはコースに戻りましたが、結局リタイアに終わりました。
こうして2位以下を大きく引き離した55号車は、その後も危なげなく周回を重ね、スタートから24時間後の午後4時、チェッカーフラッグを受けました。周回数は362周。日本車が初めて総合優勝を決めた瞬間でした。
マツダは同年でル・マンを撤退する予定でしたが、優勝したため、翌1992年もNAエンジン車を作製して出場。急造のマシンでありながら健闘し、総合4位入賞を果たして、この年限りでル・マンを撤退しました。
2008年まで、ル・マンで総合優勝した日本車はこのマツダ787B1台のみで、またRE車としても唯一の総合優勝マシンです。

参考資料
・Mazda History & Collection All Mazda ルマンへの挑戦
http://allmazda.cool.ne.jp/lemans/

(信)