台風18号の接近の前9月14日5名のメンバーで山口、福岡の名所をたずね、海鮮料理を楽しんだ。新神戸より新幹線で北九州市小倉に到着。レンタカーで関門橋をわたる。湯本温泉ではホテルで入浴。一路「秋芳洞」、「秋吉台」にむかう。ホテルに到着前に松下村塾があり見学。当日の宿は「萩本陣」。
翌朝萩市内をレンタカーでまわる。萩城址をみる。青海島の「通」(かよい)クジラ館をたずねる。昔は捕鯨で栄えたまちだがいまはひっそりとしていた。クジラは保護され捕鯨禁止状態にある。
そこから元乃隅稲成神社の千本鳥居にむかった。アメリカのCNNがノミネートして一躍有名になった。
本州の西のはずれ「角島大橋」は道路が天に向かって見える絶景だが曇りの為その状態に見えなかった。
車はえんえんと走り夕刻下関に到着。
夕食は下関のフグをはじめとする海鮮料理。一同カラオケも楽しむ。
16日朝食は唐戸市場の2階の海鮮専門料理。その後赤間神宮をお参りする。メンバーの一人の出身地門司にわたり和刈公園に登り海峡をみわたすも雨で残念見晴らしが悪かった。
門司のレトロをみて八幡に向かった。高速をはしり若戸大橋をわたる。50年前に開通している。この頃北九州市が5市合併でできた(八幡、戸畑、若松、小倉、門司)。最近人口が減りつつある。
予定のコース巡りがはやくすみ新幹線時刻繰り上げて帰路についた。
山口県訪問団は2017年9月15日この地を訪れた。
青海島の東端い位置する周囲15キロが通である。通には三つの史跡、重要文化財がある。江戸時代から明治の終わりまで古式捕鯨で栄えた町である。当時陸のたたら産業、海のクジラ産業ともいわれ、通 鯨組は1673年長州藩に取り立てられ、明治41年1908年まで235年間にわたって、綱捕り捕鯨を続け、当時四大古式捕鯨基地として
「紀州捕鯨」の太地
「土佐捕鯨」の室戸
「西海捕鯨」の呼子、生月
「長州・北浦捕鯨」の通浦、瀬戸崎(現在の仙崎)、川尻
があり、4番目が一番規模が小さかった。
1846年には通浦はクジラがよく捕れた年である。この年には一日鯨5頭、半年で24頭捕獲した。当時鯨が一頭捕れた時の平均収入は、銀
10貫〈170両)、今の日本円で約3400万円である。しかしながら時代の流れは皮肉である。この年に米国は鯨銃を発明し、西洋各国は日本海近海に鯨油を求めて徹底的に鯨を乱獲した。その後鯨は一頭も寄らなくなった。
毎年7月に行われる「通」クジラ祭りでは当時の勇壮な古式捕鯨の様子がそのまま再現される。(現地通鯨ツーリズム推進協議会のパンフより)