北九州市立大学同窓会兵庫支部

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伊予大洲鵜飼見物

2014-07-27 13:54:01 | まち歩き
第155回7月13日 歩こう会は 四国 伊予大洲鵜飼見物に4人(都留、永翁、安徳、
二宮)が参加した。

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三宮を午前零時前出発明石海峡、鳴門海峡を越え徳島道を通過まずは最初の目的地道後温泉 で朝風呂をあびる。温泉入浴開始の太鼓の音で木戸が開いた。入浴後浴衣でくつろぐ。外は雨が降り出し、肱川の水量が多ければ鵜飼が中 止となるのを心配し、気が気でならない。
大正天皇が入浴された 玉座、夏目漱石の坊ちゃんの間の説明を聞く。




温泉近くのホテルで朝食をとり伊予大洲へ向かった。昼前に旅館に到着。その後「伊予大洲城」を見学。明治時 代の廃藩置県で城が取り壊されていたが、20億円をかけた完全復元の大洲城を見学、二宮氏が寄付した1枚2千円の瓦も葺かれているら しい。大洲市が誇る 「臥龍山荘」はミシュランが星ひとつつけているらしい。一同歳をとったせいかワビ・サビの利いた文化財に興味を 持つよになったようだ。

由来
「蓬來山が龍の 臥す 姿に似ている」ことから加藤泰恒(第3代大洲藩主)が臥龍と命名したといわれている。清流肱川河畔でも優れたこの景勝の地に初 めて庭園を造ったのは、文禄の昔、藤堂高虎の重臣渡辺勘兵衛です。其の後、この地をこよなく愛した泰恒公は吉野の桜、龍田の楓を移植 し、庭に一層の風致を加えました。幕末まで歴代藩主の游賞地でしたが、ことさらに、補修もされず、自然荒れて行くままでした。現在の 山荘は、明治の貿易商 河内寅次郎が10年かけて築いたものです。(臥龍山荘パンフより)


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鵜飼見物前に時間があり薬の神社「少名彦神 社」の世界危機遺産を見に行った。FBにアップされている。そのあ と冨士山(とみすやま)にのぼ
り大洲の街並みを俯瞰する。そのあと、40数年前全国に話 題をまいた「おはなはん」のロケのあった「おはなはん通り」を散 策。オーストリアからの観光客が人力車を楽しんでいた。


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さて本番の鵜飼は肱川の水量が心配でやきもき していたが船頭が船を出すことに決定。のんびり、ゆったり肱川をバスで特別コースまでのぼり、遊覧船で 川を下る、あゆの料理で一満足。鵜匠が操る手綱捌きを数米眼前で見た。 天候が落ち着かず見物客は4艘の船が出ただけでゆったりと見物できた。高速をあまり休まずぶっ飛ばしたので皆疲れてTV「官兵衛」を見ながら眠りにつく。







>翌朝9時すぎ伊予大洲に別れをつげ国道56号線を松山へむかう。途中古い 町並みの残っている「内子」にたちよる。芝居小屋も残っていた



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