北九州市立大学同窓会兵庫支部

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砥峯高原の山焼き

2014-04-28 20:05:54 | 旅行記
4月12日2週間延期された砥峯高原の山焼きを見に行った。2年前にすすきを見に行って以来で山焼きスタートの前草原の枯れ草の中を散策していた。003
草原の上の方から点火され、火の勢いは早く1時間強で90ヘクタールの草原を火が走り、黒い灰を残した。数日経つと新芽がでる。夏草が育ち10月にはススキの高原となる。


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10月歩こう会 六個山

2014-04-25 11:51:53 | 旅行記

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10月歩こう会は箕面の六個山6名参加 阪急箕面駅10時集合 六個とは妙な名前 江戸時代に幕府直轄領で管理が地元の平尾(箕面)西小路、牧落、半町、桜、瀬川の六ヶ村に任されていたことから六個山と呼ばれていた。元は松尾山といい、いまでは身近な市民の森としてしたしまれている。396mの頂上で昼食。比較的険しいところもすくなく楽珍で早めに下山した。

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対馬・博多旅行平成25年7月13日

2014-04-25 10:52:24 | 旅行記
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2013.09.02

対馬・博多旅行

対馬旅行を13日終え、対馬の平間氏の実家の歓待をうけ昼食後平間氏のおいごさんに厳原港まで車で送っていただいた。

13時発のジェットフォイルで壱岐を経由して博多へかえった。夕方一行は博多の名物「屋台」で一杯のみ有名な「山笠」をみて回った。翌日は(追い山」とゆう勇壮なこの山笠をおいかけるシーンをみるべく朝4じ起床。4時半から櫛田神社からかけてくる一団の山笠をみるため町のスポットに待ち構えた。この山笠神事は大きく二つに分けられる。初めてこの山笠を見られる方に歴的史実を知識としてごらんいただきたい。


毎年7月1日から15日に市内10数箇所で公開される(飾り山笠」と後半に登場して博多の男達の血をわかせる「舁き山笠」とがある。この二つはもともと一体のものであった。明治末までは10数mもある高い山笠を引いていたが通信線、電話線が張り巡らされ二つの形態にわかれた。

博多山笠は鎌倉時代の1241年に宋から帰国した聖一国師が博多で疫病がはやっているのを憂慮し人々が担ぐ施餓鬼棚に乗って祈祷水をまいて鎮めたことに始まる。当時は神仏混淆の時代で、悪疫除去の祇園信仰と結びつき山笠の発生をみた。当初人々は山笠を背にゆっくりとひいていたが、1687年の正月二つの流間でちょっとした諍いがありその年の山笠の時後ろの流れがこの際とばかり前の流れを追い越そうと走り出し、驚いた前の流れも負けてはならじと走って評判となり前の山笠を追う「追い山」が生まれたという。博多山笠は国の重要無形民族文化財になっている。  博多祇園山笠振興会

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