2013.09.02
対馬旅行を13日終え、対馬の平間氏の実家の歓待をうけ昼食後平間氏のおいごさんに厳原港まで車で送っていただいた。
13時発のジェットフォイルで壱岐を経由して博多へかえった。夕方一行は博多の名物「屋台」で一杯のみ有名な「山笠」をみて回った。翌日は(追い山」とゆう勇壮なこの山笠をおいかけるシーンをみるべく朝4じ起床。4時半から櫛田神社からかけてくる一団の山笠をみるため町のスポットに待ち構えた。この山笠神事は大きく二つに分けられる。初めてこの山笠を見られる方に歴的史実を知識としてごらんいただきたい。
毎年7月1日から15日に市内10数箇所で公開される(飾り山笠」と後半に登場して博多の男達の血をわかせる「舁き山笠」とがある。この二つはもともと一体のものであった。明治末までは10数mもある高い山笠を引いていたが通信線、電話線が張り巡らされ二つの形態にわかれた。
博多山笠は鎌倉時代の1241年に宋から帰国した聖一国師が博多で疫病がはやっているのを憂慮し人々が担ぐ施餓鬼棚に乗って祈祷水をまいて鎮めたことに始まる。当時は神仏混淆の時代で、悪疫除去の祇園信仰と結びつき山笠の発生をみた。当初人々は山笠を背にゆっくりとひいていたが、1687年の正月二つの流間でちょっとした諍いがありその年の山笠の時後ろの流れがこの際とばかり前の流れを追い越そうと走り出し、驚いた前の流れも負けてはならじと走って評判となり前の山笠を追う「追い山」が生まれたという。博多山笠は国の重要無形民族文化財になっている。 博多祇園山笠振興会