北九州市立大学同窓会兵庫支部

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「虹、つどうべし」 玉岡かおる著

2014-04-30 12:19:29 | 日記・エッセイ・コラム
黒田官兵衛ツアーで三木城址へ行った。今黒田官兵衛でブームであるが三木城の兵糧攻めにあった舞台である。この別所長治をえがいた小説を読んだ。三木城主の辞世の句「今はただ恨みもあらじ諸人の 命にかはる我が身とおもへば」である。作者はこの三木城址の近くで幼少期を過ごしている。


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書は虹のように赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、の七章に分けて構成している。1年10ヶ月に及び続いた[三木の干し殺し]とゆう兵糧攻めに遂に兵士や領民の命と別所長治は命を引き換えた。
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豊臣秀吉が天下統一を果たす12年前、天正6年(1578年)に兵庫県三木市で起きた「三木合戦」。織田信長の中国制圧の命を受けた秀吉が、東播磨を治めていた三木城主・別所長治と対峙した戦いである。ここで大きな活躍を見せるのが秀吉についていた天才軍師・黒田官兵衛である。官兵衛が策略したと伝わる兵糧攻め「三木の干し殺し」で見事勝利。以降「中国大返し」を成功させ天下人への歩みを確実なものにした。



黒田官兵衛ツアー

2014-04-29 12:33:35 | まち歩き
3月26日降りしきる雨の一日を
黒田官兵衛ツアーにくりだした。NHKの大河ドラマで播磨は今年官兵衛ブームで沸いている。軍師・竹中半兵衛の墓を皮切りに三木城址(三木城攻めの舞台)雲龍寺(三木長治の首塚)荘厳寺(官兵衛ゆかり)観音寺(黒田官兵衛の妻光姫が生まれた寺で紙芝居を見た。櫛橋家の居城・志方城跡をみた。






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砥峯高原の山焼き

2014-04-28 20:05:54 | 旅行記
4月12日2週間延期された砥峯高原の山焼きを見に行った。2年前にすすきを見に行って以来で山焼きスタートの前草原の枯れ草の中を散策していた。003
草原の上の方から点火され、火の勢いは早く1時間強で90ヘクタールの草原を火が走り、黒い灰を残した。数日経つと新芽がでる。夏草が育ち10月にはススキの高原となる。


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12月歩こう会 修法ヶ原散策

2014-04-25 13:38:02 | まち歩き

12月歩こう会 例会は 修法ヶ原池から森林植物園朝10時JR元町集合H1312_010_2 H1312_006

メンバー4人とゲスト2人(篠塚親子)は先ず「しんしん」で謝さんにあいさつ豚饅をかう。あつい蒸したてをたべる。諏訪神社は急傾斜で遠慮。50m先のゆるい坂道を通る。渓谷ぞいに灯篭茶屋を通過。猩々池で一休み。

H1312_016 そこから大竜寺は直ぐ近く。修法ヶ原池はちらほらハイカーが来ていた。安徳さん持参のガスコンロと3基でおでんを加熱。メンバーの持ってきた熱燗の日本酒であたたまる。急に雲がわき、さっきまでの陽光が姿をくらます。昼食後予定通り森林公園に向けて出発。公園まで時間かかるかと心配していたが難なく到着。帰りのバスの時刻を心配していたので早めに進行。紅葉はすでに遅く散ってしまっていた。例年この公園はおそくまであるのだがベストスポットでは見られなかった。同窓の女性参加を期待してゆるやかなコースを選定したが少し寒く時期がおくれた。今回3-4回目だったが、次はこれるだろうか?

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11月歩こう会嵐山散策

2014-04-25 13:34:48 | まち歩き
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11月10日歩こう会メンバー9名阪急嵐山に集合雨の中をのんびり散策。化野の念仏寺で昼食時だけ雨が上がった。

平成19年12月に一度4人でおとずれたことがある。皆一度は来ている。さすが全国有数の景勝地で観光客が雨の中でも多い。

TVでよく報道された渡月橋は被害はなかったが洪水対策で川底を削る案がでているが水位がさがれば又心配事がでる
であろう。


10月歩こう会 六個山

2014-04-25 11:51:53 | 旅行記

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10月歩こう会は箕面の六個山6名参加 阪急箕面駅10時集合 六個とは妙な名前 江戸時代に幕府直轄領で管理が地元の平尾(箕面)西小路、牧落、半町、桜、瀬川の六ヶ村に任されていたことから六個山と呼ばれていた。元は松尾山といい、いまでは身近な市民の森としてしたしまれている。396mの頂上で昼食。比較的険しいところもすくなく楽珍で早めに下山した。

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平成25年9月10日歩こう会鎌倉山

2014-04-25 11:49:34 | まち歩き
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8日は昼まで雨で中止した。あとからやっても良かったのではないかとの意見もあったが中止は正解であった。山道は雨後はとても歩けない状態である。
矢野、川嵜は仕事のため不参加、元田は前日転倒して手首が腫れ上がり欠席表明。

名越、安徳、二宮の3名でJR加古川線で824分粟生で乗り換え合流。住吉を706分発を6
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分で早めに出て加古川でそばでもたべようかとおもったが時間なくやめた。

登山口までバスは途中でなくなり、そこから歩いても810キロある。タクシーで行くことに決定はやめに登山口についた。雨上がりで雨水がひどかったことを物がたる山道をのぼる。すれちがうひとは皆無、われわれ3人のみであった。大天井、小天井、を通過鎌倉山に到着すると丁度昼。昼食をたべる。鎌倉山は452.7m見晴らし最高、双眼鏡も設置されている。無料だ。播磨平野が一望できる。西の

覗きの岩に石仏の彫り物があり摩崖仏とよばれている。鎌倉寺を通過後九重折れの道がまだかまだかとふもとにおりてゆく。ヤット麓におりてこれから喫茶店 鈴 でビールをのめると期待して到着すると本日定休日トホホ!今朝のタクシーの運転手の珍名さん 荊尾さんを呼んでもらい待つことしばし。丁度よく北条鉄道まっていてくれた。安徳さんがセイキョでビールを買ってきてよばれる。列車のなかで静かに飲んだ。本番の歩こう会9月例会が無事終了した。


対馬・博多2泊3日旅行

2014-04-25 11:26:55 | まち歩き
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博多山笠「追い山」をみた後一行は大宰府にいった。

なんと50年ぶりだ。当時の「飛梅」は健在、名物「梅ヶ枝餅」の店が門前町にたちならんでいる。台湾、泰国、中国の観光客がたくさんいた。そのあと近くの温泉、昼食付で格安の 「みかさの湯」ホテルグランティア太宰府 でひと風呂あびてかえる。

2013.09.01

対馬・博多23

713日ー15日対馬・博多23日の旅行にいった。初めての対馬行きで、なんでも見てやろうのワクワク感であった。7月中旬で海は荒れず博多よりジェットフォイル(水中翼船)で1025分発壱岐を経由ここで船客がほとんど半分以上下船した。帰省、海水浴客が多かったのであろう。対馬には13時到着した。グループ一行のうち一人がこの対馬出身であり、レンタカー運転、ホテル手配、すべておせわになった。到着後レンタカーが運ばれており、すぐ「しまや」とゆう料亭に行く。厳原の名所韓国がもうすぐ56キロくらいとゆう浅茅湾の見える烏帽子岳展望所にのぼった。韓国の観光客が多く本土からの観光客はみあたらなかった。夜はまた料亭でうまい刺身をたべた。宿泊先は「西山寺」昼間あちこち観光したので皆つかれてしらぬまに10畳の大広間でねてしまった。翌朝宗家代々の墓のある萬松院へゆく。樹齢何百年の大木があった。

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対馬・博多旅行平成25年7月13日

2014-04-25 10:52:24 | 旅行記
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2013.09.02

対馬・博多旅行

対馬旅行を13日終え、対馬の平間氏の実家の歓待をうけ昼食後平間氏のおいごさんに厳原港まで車で送っていただいた。

13時発のジェットフォイルで壱岐を経由して博多へかえった。夕方一行は博多の名物「屋台」で一杯のみ有名な「山笠」をみて回った。翌日は(追い山」とゆう勇壮なこの山笠をおいかけるシーンをみるべく朝4じ起床。4時半から櫛田神社からかけてくる一団の山笠をみるため町のスポットに待ち構えた。この山笠神事は大きく二つに分けられる。初めてこの山笠を見られる方に歴的史実を知識としてごらんいただきたい。


毎年7月1日から15日に市内10数箇所で公開される(飾り山笠」と後半に登場して博多の男達の血をわかせる「舁き山笠」とがある。この二つはもともと一体のものであった。明治末までは10数mもある高い山笠を引いていたが通信線、電話線が張り巡らされ二つの形態にわかれた。

博多山笠は鎌倉時代の1241年に宋から帰国した聖一国師が博多で疫病がはやっているのを憂慮し人々が担ぐ施餓鬼棚に乗って祈祷水をまいて鎮めたことに始まる。当時は神仏混淆の時代で、悪疫除去の祇園信仰と結びつき山笠の発生をみた。当初人々は山笠を背にゆっくりとひいていたが、1687年の正月二つの流間でちょっとした諍いがありその年の山笠の時後ろの流れがこの際とばかり前の流れを追い越そうと走り出し、驚いた前の流れも負けてはならじと走って評判となり前の山笠を追う「追い山」が生まれたという。博多山笠は国の重要無形民族文化財になっている。  博多祇園山笠振興会

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第149回歩こう会丹生山登山

2014-04-25 10:26:45 | まち歩き
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2014年1月第149回歩こう会が12日行われた。新神戸の裏トンネルを15分で通り抜け神鉄箕谷駅9時37分のバス「衝原湖」行きのバスにのる。メンバーは5人丹生神社前鳥居で下車。登山口から2.8キロで516m頂上に丹生神社がある。衝原湖から登ってきたパーティも11人某大手のOB山岳会昼食に鍋をやりはじめた。丁度調味料がなく、支部長が頼み込み味噌をもらってきた。味がしまる。生ラーメン、白菜、かしわ肉で暖をとった。日本酒も熱燗でうまかった。昼食に時間をかけすぎ、40分くらいで帝釈山568.lmに到着。ここでコーヒーブレーク。写真中央は明石海峡の向こうに淡路島が浮かんでいる。

そのあと急傾斜の道を下り、R428におりてきた。日没がちかくなり、稚児墓山596.4mは次回に持ち越し。長いR428をくだる。無道寺への道を横手に下山、バス停があり時刻予定しておらず便がないとおもっていたが10分くらいの待ち時間で4じ40分発があり、徒労をせずにすんだ。


大雪

2014-04-25 10:06:08 | まち歩き

2014.03.04

大雪

2月8日は近年まれにみる大雪で高速道路はあちこちで通行止めとなり交通機関は乱れた。

写真家のトッシーさんの写真展を見に昔の仲間竹下氏を車にのせて三木に行く予定であった。雪で通行止めを予想して電車で行くことに変更した。案の定、電車は鈴蘭台から銀世界、トッシーさんの出迎えの車で会場にゆく。

北海道の知床の斜里岳、摩周湖ほか数々の写真をみた。昔、大台ヶ原、大山、奈岐山、三室山、段ヶ峰、藤縄山、後山、雪彦山、剣山、伊吹山、などに連れて行ってもらった事を思い出す。 トッシーさんは全国の60名山を踏破している。

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2013.08.31 鎌倉山登山下見

2014-04-24 23:53:25 | まち歩き

Collage34 神戸を出て1時間30分神鉄とJR加古川線、北条鉄道との接続点 粟生についた。鈴虫列車が待機していた。動画を撮っていると助っ人元田がやってきた。

8月18日と28日鎌倉山登山の下見をおこなった。おもえばこの加西市にはよくきたものだ。兵庫県内では親しみのもてる土地だ。今年5月には加西アルプス、防善山を下見した。2-3年前葉付いちょうが珍しいので訪れ、五百羅漢、小野平野の見える鐘衝城跡、ひまわりの塔、浄土寺などたずねている。今回9月の下見で鎌倉山420mへ行く道を下見した。18日には方向を間違え東に行き過ぎ普光寺の登山口まで時間がかかりすぎ、帰りの交通機関を心配して、登り口を確認して引き返した。28日には助っ人一人呼び、バス停終点から4キロほど歩いた。思ったほど険しくなく、尾根伝いに歩くようなきがする。北部をさえぎる屏風のような感がする。せみしぐれで夏のおわりのつくつく法師が鳴きわめいていた。全部踏破すると今度の楽しみがなくなるので鎌倉山にあと1キロの地点で下山開始した。すれ違う人は皆無、マイナーなハイキングコースである。県道の出口角にある喫茶店でコーヒーはやめビールでのどをうるおす。タクシーの運賃どれくらいかきいてこの店を出る。うしろから店の人がおいかけてきて、北条までおくってやるとゆう。ラッキーであった。朝は鈴虫列車でディーゼル車の音にまけじと鳴く音を拾った。のどかな北条鉄道で粟生までかえりここからまた1時間えんえんと新開地まで帰った。あつい夏の一日がおわった。