よろず放談

日頃見聞きする種々の事柄に対しての独断と偏見による辛口批評

梅雨ともったいない。

2005-07-20 16:28:17 | 言葉
このごろの季節になると、梅雨明けだの、空梅雨だのと

マスコミがうるさい。梅雨などというものは気象学者に教わるまでもなく

この瞬間に始まりこの瞬間で明けるという性質のものではない。

何時とはなしにはじまり、何時とはなく終わるものである。

決めることができないしその必要もないものである。

なぜこんなことを公共機関が決めて宣言しなければならないのか。

不思議である。聞くところによると業績が天候に支配される一部の

事業者が、公のお墨付きが欲しいらしいとのこと。そんなもの自分

の頭で考えて判断しろといいたい。

これに関連して思いつくのは”もったいない”という言葉の流行である。

この美しい日本語は、”物を大切にし、同じことをならなるべく少ない資源

とエネルギーでせよ”と言っているので、ノーベル章受賞者のマータイさん

の取り上げに関係なく永遠の真理である。ところが偉い人のお墨付き

を貰うと一斉に騒ぎ出す。なぜ自分の頭で判断してこの真理を実行に移そうと

しないのか。まあ自主的ではないけれど、おそまきながら正しい判断にたどり着いた

ことで善しとするか。


口癖

2005-07-08 17:49:16 | 言葉
ここで口癖というのはいわない方がいい、無意味な音声や意味のある短い

文言をいう。”えーと”や”あのー”がもっともありふれた例である。

故美濃部東京都知事は知識人にしては珍しく”あのー”を連発した。

故大平首相は”うー”というので有名だった。故福田首相は”そのそのー”

というのが可笑しかった。将棋の羽生さんは何か質問されると必ず”そうですね”

と一旦答えてからやおら質問の答えを話し出す。外の点では文句の付けようが

ない彼にとってこれだけは頂けない。まあご愛敬として勘弁するか?

アナウンサーやリポータの中には、”マア”とか”マッ”とかいう

雑音を乱発するものが少なからずいる。これはどういう心理なのだろう。

自分の発言しようとする言葉に自信がないので断言を避けて曖昧化しよう

というのだろうか。これでは折角の報道もその価値が半減する。

要するに、発言しようとする内容が、頭脳の中で十分編集されないままの

状態で見切り発車してしまうからである。発言が文章として纏まらない

中は決して発言すまいというぐらいの覚悟を固めるべきである。

外の項でも書いた”話し方”の訓練の一つとして取り上げたい。

10年ほど昔、故黛敏郎氏は日曜日の朝のテレビの人気番組”題名のない音楽会”

を司会して名声を挙げていた。”独断と偏見”という名言をふりかざした

人を食った論説が売り物だった。若者向けの音楽がリズムだけが突出して

いてメロディとハーモニに乏しく、歌は無教養丸出し、国籍不明の英語

混じりの歌詞で聞くに堪えないと罵倒するのが痛快だった。しかし筆者が

本当に感心したのは、その言葉使いの美しさである。本項で挙げた

無意味な音声は全くなく、その発言はそのまま印刷にすれば立派な文章

になった。これほどの言葉使いの名人にはその後お目に掛からない。


ノートパソコンで初講演

2005-07-04 21:29:34 | 日記
平成17年6月28日浜名湖カリアックにて開催された第34回

数値解析シンポジュームに出席した。初日の夕食後の

夜のセッションの最初に”漸近展開域における諸関数の

計算”のタイトルで初めてパソコンを使って講演をした。

去年の第33回箱根シンポジュームで言明した、”来年は

大方の講演者と同じくパソコンを使って講演をする”という

予告を実行に移したのである。予行練習もなしでぶっつけ

本番だったので、講演の前に余裕をもって準備できるよう

にと思い20分前に会場に出た。ところがパソコンのことばかり

が念頭にあったために肝心の補聴器を耳に入れていなかった。

夕食後シャワーを浴びた時に取り外したのをすっかり忘れていた

のである。会場掛かりの人がパソコンと映写機の結線を間違えた

ために調整に手間取り、ようやくスクリーンに資料が映し出された

とき、やっとエラーに気がついた。少し時間をもらって補聴器を

入れるために部屋へ帰ればよかったのだが、時間が切迫していたし

補聴器なしでもなんとかなるだろうと腹を括って見切り発車した。

開口一番”エラーをしました。耳が聞こえないのに補聴器をつけ

忘れました。質問はしないで下さい。後でゆっくりお願いします”

こんなことを初めていった。聞く方も初めてだろう。爆笑が湧いた。

いつものように、大きな講堂の端まで徹底するように、腹から

大きな声で、ゆっくり発言するという持論を実行した。ところが

自分の声がほとんど聞こえない。こういう手応えのない状態で

しゃべるのはなんともつらい。何度も喉がからからになって咳

こんだ。展示資料の操作はOHPフィルムを一々入れ替える代わりに

パソコンのキーを押すだけで大いに助かった。しかしマイクと

フォトポインタの操作は苦手で全然役に立たなかった。悪戦苦闘

の20分をなんとか凌いだが、とうとう最後にいいたいことを

残して時間が尽きた。穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。