戦前の小学校の国語には、「読み方」(講読)、「綴り方」(作文)、「書き方」(習字)
の三教科があった。しかし「話し方」(口頭発表)という教科はなかった。そしてその
悪しき伝統は今日まで続いている。いや、習字だけは、どうもおろそかにされているようだ。
その証拠に若者の書いたカタカナの「シ」と「ツ」は一見どちらだか区別がつかない。
あれは習字で書き順を習わなかったためだと思う。閑話休題。
国会の大臣の答弁や演説、学会の学者の講演などを見ていると、迫力が無いことおびただしい。
演者は原稿や映写画面ばかり見ていて、少しも聴衆の方を見ない。果たして聴衆を
説得しようとする意欲があるのかと疑いたくなる。これは温暖湿潤な気候と
、
集団活動に頼る農耕民族の伝統に基づく、断定を避け、ことを荒立てず、韜晦と曖昧
を重んずる国民性の表れである。こういう気風は日常生活の情緒的な会話ではむしろ
望ましいかもしれない。しかし、利害と意見の異なる相手を説得したり、論理をもって
自説の正しさを主張しなければならない場面では全く無力である。断乎として
優柔を捨て去り、堂々と聴衆を見回して、腹の底から音吐朗々と発言すべきである.
この日本人の口頭発表の拙劣さをそのまま放置しているのが悲しい現状である。
打開する方策はただ一つ。小学校のときから「話し方」の教科を課して
徹底的に教育することを置いて他にはない。なにも難しいことではない。
要点は次の二三の項目に尽きる。
1.一人の相手と会話をするときには、相手の目を直視して話せ。
2.多人数に対して話すときには、人数と会場の広さに応じて
声の大きさと、話の速度を調節せよ。勿論、人数と広さが大きくなれば
声を大きくし、ゆっくり話さなければならない。ボクシングやプロレスの
リングアナウンサーのアナウンスを聞け。「アーカーコーナー。ヘービー
級チャンピーオーン。モーハーメッドーアーリー。。。。」狭い部屋で
数人を相手にあんな派手な発言をしたら,それこそ狂人だが、広いスタジアムと
喧噪と騒音の中では、あれでなくては隅々まで徹底しない。誠に理に叶っている。
3.聴衆を見渡せ。頷く人が数人見つかればそれは成功のしるしである。
4.常に聴衆を楽しませようと努力せよ。話の中に少なくとも一カ所、さわりを設けよ。
読書にはげみ、見聞を広め、教養を深めて置け。
以上のような趣旨の教訓を旧制中学生の私に教えてくれたのは、国語の先生でも
漢文の先生でも英語の先生でもない。なんと軍事教練の担当で陸軍退役中尉の
尾関慶十郎先生だった。部下に号令をかけるときの心得として教えて貰った。
級長---今は学級委員というらしい---をしていた関係で特に目を掛けられていた
ので、先生の教えが身に沁みた。先生はいつも軍服軍帽に身を固め、いかつい
顔をして,ときどき面白いことをひょいひょいといった。
軍隊ではやたら難解な漢語を使い、あらゆることが決められていた。まじめな顔
をして「睾丸(コウガン)は袴下(コシタ,ズボン下)の左に入れろー」といった
のにはあきれた。
三年生になると銃をもたされた。有名な三八式歩兵銃である。部品の名前は全部
漢語だった。雨が降ると銘々が銃器庫から銃をとりだして雨天体操場で分解手入れをした。
撃鉄(引き金)を引くと留め金が外れて、発条(バネ)の力で飛び出して弾丸の底部
の信管を衝撃する細い棒のような部品がある。「これは撃茎(ゲッケイ)だ。
おもしろーいーかー」といってにやりと笑った。
姿勢の悪い者がいると必ず「ひかがみを延ばせー」といった。「ひかがみ」は
「ひきかがみ」のつづまった形で,美しいやまと言葉である.膝小僧の裏側の
のっぺりした,人体の中でも最も美しい部分をいう.現在では全くの死語で
これがわかる人は,百人中一人もいないであろう.漢字では膕と書く.
誰も教えてくれなかった「話し方」を、ただ一人みっちり教えてくれた今は亡き
先生の面影を偲んで筆を置く.
の三教科があった。しかし「話し方」(口頭発表)という教科はなかった。そしてその
悪しき伝統は今日まで続いている。いや、習字だけは、どうもおろそかにされているようだ。
その証拠に若者の書いたカタカナの「シ」と「ツ」は一見どちらだか区別がつかない。
あれは習字で書き順を習わなかったためだと思う。閑話休題。
国会の大臣の答弁や演説、学会の学者の講演などを見ていると、迫力が無いことおびただしい。
演者は原稿や映写画面ばかり見ていて、少しも聴衆の方を見ない。果たして聴衆を
説得しようとする意欲があるのかと疑いたくなる。これは温暖湿潤な気候と
、
集団活動に頼る農耕民族の伝統に基づく、断定を避け、ことを荒立てず、韜晦と曖昧
を重んずる国民性の表れである。こういう気風は日常生活の情緒的な会話ではむしろ
望ましいかもしれない。しかし、利害と意見の異なる相手を説得したり、論理をもって
自説の正しさを主張しなければならない場面では全く無力である。断乎として
優柔を捨て去り、堂々と聴衆を見回して、腹の底から音吐朗々と発言すべきである.
この日本人の口頭発表の拙劣さをそのまま放置しているのが悲しい現状である。
打開する方策はただ一つ。小学校のときから「話し方」の教科を課して
徹底的に教育することを置いて他にはない。なにも難しいことではない。
要点は次の二三の項目に尽きる。
1.一人の相手と会話をするときには、相手の目を直視して話せ。
2.多人数に対して話すときには、人数と会場の広さに応じて
声の大きさと、話の速度を調節せよ。勿論、人数と広さが大きくなれば
声を大きくし、ゆっくり話さなければならない。ボクシングやプロレスの
リングアナウンサーのアナウンスを聞け。「アーカーコーナー。ヘービー
級チャンピーオーン。モーハーメッドーアーリー。。。。」狭い部屋で
数人を相手にあんな派手な発言をしたら,それこそ狂人だが、広いスタジアムと
喧噪と騒音の中では、あれでなくては隅々まで徹底しない。誠に理に叶っている。
3.聴衆を見渡せ。頷く人が数人見つかればそれは成功のしるしである。
4.常に聴衆を楽しませようと努力せよ。話の中に少なくとも一カ所、さわりを設けよ。
読書にはげみ、見聞を広め、教養を深めて置け。
以上のような趣旨の教訓を旧制中学生の私に教えてくれたのは、国語の先生でも
漢文の先生でも英語の先生でもない。なんと軍事教練の担当で陸軍退役中尉の
尾関慶十郎先生だった。部下に号令をかけるときの心得として教えて貰った。
級長---今は学級委員というらしい---をしていた関係で特に目を掛けられていた
ので、先生の教えが身に沁みた。先生はいつも軍服軍帽に身を固め、いかつい
顔をして,ときどき面白いことをひょいひょいといった。
軍隊ではやたら難解な漢語を使い、あらゆることが決められていた。まじめな顔
をして「睾丸(コウガン)は袴下(コシタ,ズボン下)の左に入れろー」といった
のにはあきれた。
三年生になると銃をもたされた。有名な三八式歩兵銃である。部品の名前は全部
漢語だった。雨が降ると銘々が銃器庫から銃をとりだして雨天体操場で分解手入れをした。
撃鉄(引き金)を引くと留め金が外れて、発条(バネ)の力で飛び出して弾丸の底部
の信管を衝撃する細い棒のような部品がある。「これは撃茎(ゲッケイ)だ。
おもしろーいーかー」といってにやりと笑った。
姿勢の悪い者がいると必ず「ひかがみを延ばせー」といった。「ひかがみ」は
「ひきかがみ」のつづまった形で,美しいやまと言葉である.膝小僧の裏側の
のっぺりした,人体の中でも最も美しい部分をいう.現在では全くの死語で
これがわかる人は,百人中一人もいないであろう.漢字では膕と書く.
誰も教えてくれなかった「話し方」を、ただ一人みっちり教えてくれた今は亡き
先生の面影を偲んで筆を置く.