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「歩きと水彩スケッチ」のブログです!

街歩き、ハイキング、街道歩きなど色んな風景、景色や人との出会いを求めて歩き、所々でスケッチしています。写生の会にも。

日光街道歩き18[最終] (鉢石宿…日光東照宮)-やっとここまで来ました

2015-04-09 | 街道歩き

        ※これはアップが遅れていた日光街道歩き(最終)です 4/9

 平成23年10月20日、日本橋から千住宿への日光街道歩きをスタートしたものの、甲州街道や巡礼などで後回しなり、そのうち、足の故障やお袋の入院や死去、実家の後片付けとバタバタし、ようやく今年に入って5回目、やっとゴール出来た。

青春18切符だからJR日光駅からスタート。前日の雪で日光近くの車窓からの田畑、山林は真っ白。駅や民家の屋根にも雪が残っていた。日光にはこれまで何度も来ているが、街道や古い痕跡に注目しながらあちこちうろうろする街歩きはいつものブラブラとは違う。

輪王寺は修復工事でしばらく外観が見れない(内は見学できる)。東照宮も一部見れない。奥の院への階段は、杉木立から雪解け水がぽたぽたと落ちてくるので、みんな傘をさすか、外国の旅行者は頭からポンチョを被っている。でもこのような情景は午前中で午後にはほとんどの雪も融け、雪解けの滴も気にならなくなっていた。

山中を散策し日光道中行の終わりを楽しんだが、これからも日光には来ることになるだろう。帰りに神橋をスケッチし、駅での列車待ちで風情のある古い駅舎をスケッチしました。

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この日光街道歩きの一貫として、江戸城から幸手宿への日光御成街道はすでに2012年に歩いているので、後は日光例幣使街道(倉賀野~今市)を何時か歩きたいと考えています。


日光街道歩き17(上水無~今市宿~鉢石宿)

2015-04-05 | 街道歩き

日光街道歩きもいよいよ最終コーナーに入り、今日は日光市内の水無からのスタートだ。前回同様、JR宇都宮駅前から前回の最後「上水無」まで関東バスで出ます。前回は1時間に約2本あった便も、今市、日光方面まで行くのは一時間に平均1本しかなく、特に9:30発を逃すとその次は11:05まで無いのだ。遅れる訳にはいかないので早朝に家を出る。(2015/4/3)

工程:[JR宇都宮駅…バス…下水無]~上水無~森友~七本桜の一里塚~追分地蔵尊~今市宿~JR日光駅] (街道距離 12.7Km)

一つ手前の下水無バス停で降り、先日の最後を思い出しつつ上水無まで数分歩く。上水無は杉並木の入口でうっそうとした並木を歩く。少し車道を歩くがすぐ両側の並木の外側に歩道がついているので歩き易い。1Km少々で森友のはずれ、ここから下森友バス停までは車道がバイパスされており、特別保護区域となっている未舗装(砂利道)の本来の杉並木をゆっくり堪能できる。

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 来迎寺のあるこの森友の町並みの間は杉並木はない。だが森友交差点から今市の追分(例幣使街道との合流地点)までの間、約2.8Kmはずっと杉並木の特別保護区域になっており車はほとんど来ない。前は車が走っていたのと地域住民は乗り入れてるようで路面は舗装で残っている。素晴らしい杉並木をドンドン歩く。「森友の桜杉」があった。杉の割れ目に山桜が寄生し、それが大きく育ったらしい。以下写真。

 桜杉  (並木ホテル)  

しばらく行くと七本桜の一里塚(江戸から33番目)がある。これを「並木ホテル」と呼ぶのだそうだ。塚の上の杉が写真(↑)のように大きな空洞で人が寝られるほどの広さだそうだ。東武日光線のガードを潜るって約1Kmほどで例幣使街道と合流する。追分地蔵尊があり、ここは今市宿で東武上今市駅、JR今市駅はすぐだ。

まだ12時を少し回ったばかりなので、上今市駅前の食堂に入。丁度工事関係者のグループと一緒になり、店の夫婦はきりきり舞い。大分待たされた。お蔭でこんなにゆっくり昼食がとれた街道歩きは初めてだった。

時間があるのでゆっくり今市宿を見聞する。報徳二宮神社がある。幕府の命による日光神領98カ村の復興開発の途上で病で倒れこの地に祭られることになったらしい。神社やお寺は歴史を感じさせるが、町は明るく整備され、石碑、道標などしか昔を偲ぶものがない。宿場はずれの滝尾神社まできた。目の前が杉並木なのと、今市駅まで引き返すのが惜しくなり、頑張って日光まで歩き続けることにした。

下今市から東照宮は以前に一度歩いたことがある。 途中、集落などで欠けたところも2,3あるが、日光の街まではほぼ杉並木を歩くことができる。右手は杉並木公園として整備されている。最後の一里塚である瀬川の一里塚(34番目)は見逃した。瀬川の大日堂をすぎると「砲弾射込杉」なるものもある。戊辰戦争の傷跡とのこと。堂目喜堰の傍から車道と合流する。並木太郎と云う街道一番の木がある。1m程度の高さではもっと太い樹を見たようにも思うが、何をどう判断してこの樹が一番なのかよく解らない。JR線をくぐると日光駅は近い。

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日光街道歩き16(徳次郎宿~大沢宿~上水無)

2015-03-28 | 街道歩き

再開した日光街道歩きは二日目。先に買った青春18切符を有効利用しなければなりません。 2015/3/26

今日は宇都宮駅前から前回終了した「中徳次郎」まではバスででます。1時間に約2本しかぶ便がないので遅れる訳にはいきません。駅前のロータリーにあるバス乗り場に着いたものの、バスの時刻表が先日貰って帰った時刻表と表示が全く異なり、わかりません。傍にいた女子高生(?;春休みで私服だった)に聞いたらその子もこのバスは初めてとのこと。でも方面が同じとわかり時刻の確認もできた。自分の行き先より更に奥の町のばあちゃん家に行くのだとのこと。

工程:[JR宇都宮駅…バス…中徳次郎] 徳次郎宿(中徳次郎)~智賀津神社~六本木の一里塚~[上小池一里塚]~杉並木寄進碑~[大沢の一里塚]~大沢宿~上水無[~バス…下今市~JR今市]

徳次郎宿は下・中・上に分かれ、それぞれ10日ずつ役をしたので、それぞれに本陣や脇本陣、問屋場が有ったようだが、その痕跡はないらしい。歩き始めてすぐに大きなケヤキのある智賀津神社だ。参道入口の一対のケヤキは天然記念物とのこと。この前に写真を数枚撮ったらカメラに「メモリーがありません」とのエラー表示。何とメモリーカードを外したまま装着忘れだった。それに気付いた時から今日はスケッチブックにメモして行こうと決めていたので、早速スケッチを開始する。

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 暫く、デジカメ本体の僅かなメモリーを有効利用しようと消して画像サイズを最小にするも少し増えるだけ。今日は駄目か、諦めようと思った時、アッ!と気づいたのが携帯電話。これに今まで気付かなかったとは…! それから後はメモは携帯のカメラでとり、気に入った景色、ショットのみデジカメで撮っていった。

江戸から30番目の六本木の一里塚(石那田)がある。東側だけ比較的しっかりした大きさの塚が残されていて、樹木はないが石の標柱があり、西側の塚跡と思しき所に十九夜塔が祭られている。ここからは大きな桜の並木。畑仕事の老婆に見頃を尋ねると、「山桜の種類なので4月20日前後かな?」とのこと。すこし早すぎたかな?と惜しい気がした。

どんどん杉並木をあるき上小池のバス停を過ぎる。新渡神社の近くには上小池の一里塚(江戸から31番目)が西側だけ残っている筈なのだが分らなかった。すぐに日光市の標識。いよいよ日光に入った。

20分ちょっとで山口の車道分岐点にきた。すぐ杉並木寄進碑がある。家康の重臣、大名らが寄進、植樹し、代々杉並木を維持管理する奉行が置かれ管理されてきたとのこと。ここから大沢の交差点までの並木は一段と立派なもので、車もほぼ通りません。

このあたりからが大沢宿だが、ここも何も残っていない。王子神社、八坂神社の辺りからバイパス道路ができて、車の進入も規制され、 杉並木の保存が進んでいた。大沢の一里塚(江戸から32番目)は見過ごした。この杉並木を抜けると水無の集落。丁度、1時間に1本の日光行のバスがあったので、今日はここまでとして今市までバスで出た。


日光街道歩き15(宇都宮宿~徳次郎宿) ようやく再開です 

2015-03-22 | 街道歩き

一昨年(H25)の12月、宇都宮でストップしてしまってた日光街道歩きです。冬になっていたこと、足の調子が思わしくなかったのでとん挫していた。春になるとお袋の体調がおかしくなり、秋に亡くなるまで入院や見舞やら法事にと遠い郷里を行き来したこと、その後の家を畳む段取りなど色々あって、なかなかその気になれなかったのです。ようやく目途もつき、春になり再開することにしました。 [2015/3/21]

行程:宇都宮宿(追分、延命院、宝勝寺、[宇都宮一里塚]、桂林寺)~宝の木~高尾神社~上戸祭一里塚~光明寺~[高谷林一里塚]~下徳次郎~徳次郎城址~中徳次郎 [~バスでJR宇都宮駅まで戻る]

歩いてもJR宇都宮駅から25分程の距離だが、今日は慎重を期しバスで東武宇都宮駅前の出る。1年3か月前の記憶を手繰り、雀宮宿から来た道を裁判所前で右折し追分に至ったことを確認する。この日光道中と奥州街道の追分からスタートだ。歩き始めてすぐに蔵造の上野商会があるが、震災の影響なのか老朽化なのか修理中だった。ここから清住通りは繁華街に近く一里塚跡の片りんもなし。延命院、宝勝寺、桂林寺を訪ねるが今日は彼岸の中日で人が多い。でもこの界隈は古い街並みの匂いが残っている。

上戸祭町に交差点を過ぎると桜並木が出てくる。杉並木の跡なのだ。明治以降の道路整備に合わせ杉を桜に植え替えたものの様だ。少し進むと杉と桜が入り混じっていたりするが、次第に日光杉並木の感じが強くなってきてうれしくなる。旧野沢村に入る。山門がユニークな光明寺がある。将軍の日光参詣時の休息所だったとのこと。ここでスケッチすることにした。手がかじかんでいるのか上手く描けない。ペン描き二枚とも失敗したので家で描き直した。

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ここを出ると桜交じりの杉並木が始まる。いよいよ日光が近づいた気がする。集落の家並みが続くところでは並木はない。

いよいよ徳次郎宿だ。残念ながら宿場町の雰囲気はないが、大谷石の蔵をもつ家が並んでいた。足が疲れたので今日はここまでにして、バスで宇都宮駅まで帰ることにした。でもこの時間は1時間に2本しかない。15分待つことになったがこの辺りにはコンビニもない。バスが来るまで暇つぶしする。(ここまで約18,300歩の街道歩き)

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日光街道歩き13(石橋~雀宮)        11/23

2013-11-24 | 街道歩き

 7月20日以来の5ヶ月振りの日光街道歩きだ。足腰の不調が続いて自重していたものだが、近頃は順調とは言えないまでもまずまず。この週末がJR東日本の「休日お出かけパス」¥2,600が大人の休日倶楽部会員限定価格¥2,000で買える今秋ラストチャンスだったのだ。

行程:JR石橋駅~石橋宿(本陣跡~脇本陣跡~開運寺)~石橋あやめ園~[下古山一里塚]~鞘堂地蔵~星宮神社~陸自宇都宮駐屯地~[雀宮一里塚]~雀宮宿(本陣、脇本陣跡、星宮神社、地蔵堂)~JR雀宮駅 

 JR石橋駅からスタートする。石橋宿も街道沿いには古い家屋敷は僅かである。本陣、脇本陣跡は名残もないが、近くに赤レンガの門壁の戸田薬局がある。かっては生糸を商っていたとか。また、開運寺は歴史の古いお寺でいろいろ変遷の後、日光参詣時の将軍の休泊所になったようで三つ葉葵のご紋を使っている。

 宿場はずれの街道沿いには大谷石の蔵を有する旧家が多い。豊かな農村だったろう。だが下古山の一里塚は資料通りどこにも、その片鱗すら感じられない。北上すると陸上自衛隊宇都宮駐屯所がある。すぐに軽装甲自動車やトラックの車列と出くわす。日頃馴染みの少ない自分は改めて認識させられる。雀宮の一里塚も先の下古山一里塚と同様、位置もはっきりしていないらしい。寂しい限りだ。

 軽装甲自動車の車列

 雀宮宿に入る。本陣跡は何もない。脇本陣跡は芦谷家でコンパクトだが本陣らしい構えだ。でも修理中であった。今日は距離も6.5Km程度で足も気分も元気だ。通りの反対側の閉じられた店の軒先からスケッチする。

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 神社、地蔵堂など宿場内の名残を確認してJR雀宮駅に行く。資料では東北線開業当時からの木造駅舎とのことだったが、残念ながら真新しい大きく現代的な駅舎に替わっている。二年前に建替えられたらしい。 ここまで約14,500歩。

 まだ時間が早い。午後三時になっていない。小山まで電車で戻って小山御殿跡(祇園城址)を見に行く。近くの思川に架かる観晃橋から川を覗き込むと大きな魚の屍骸がいっぱいだ。確認したところやはり産卵後の鮭の屍骸だ。思川は利根川水系渡良瀬川の支流のはずだ。結構な鮭の遡上があるのだと感心した。

 

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日光街道歩き・その12(小金井宿~石橋)と下野薬師寺  7/20

2013-07-21 | 街道歩き

足の調子が不安で日光街道歩きはふた月振りになります。
日ごろの暑さが和らぐとの予報で歩いてみることにしました。

[工程] JR小金井駅~小金井の一里塚~慈眼寺~金井神社~本陣跡~蓮行寺~直線2Kmの旧道~(丸大食品の大観音像)~(トンカツ合掌)~星宮入口~夕顔の橋石仏~石橋愛宕神社~石橋宿本陣脇本陣跡~駅前交差点~JR石橋駅  (約 6Km 15,000歩)

小金井の一里塚は日光街道で唯一の国指定の史跡。両側がきれいには残っているが約30m程の区間だけで前後が途切れているのだ。先の新田から石橋まで間、国道4号線の整備時に新道を通したらしい。ちょうどこの辺りから旧道は畑や住宅が建ち跡が残っていないのだ。

ここからほど遠くない本陣跡は旧家(大越家)らしい門構えだけで面影はない。向かいに2軒分の店蔵(ここも大越家)が建っていて街道の面影を残すが先の大震災での被災かだいぶ壊れていた。自治医大駅の手前から旧道が残っている。直線で約2Kmあり、杉、松などの並木は全くないが、旧道と聞けばうれしくなる。名産の夕顔畑もあり大きい実を着けていた。

       

旧道がなくなり国道4号を行く。丸大食品の巨大な観音像が入口に立っている。すぐに合掌造りのレストランがある。合掌造りは見事なものだがそれ以上に旧久世家の城門が移築再建してある。惜しむべし、つながりのある城址に再建されておれば評価されるのだが…。

星宮神社を過ぎいよいよ石橋宿。本陣、脇本陣跡は判っているが面影は残っていない。駅前交差点から先は次の機会にして駅へ急ぐ。折角ここまで来たので歴史ある下野薬師寺跡に行くのだ。「本朝三戒壇」の一つなのだ。

[番外]石橋駅=電車=自治医大駅~下野薬師寺跡 往復 (約4.5Km 8,500歩)

 石橋駅から電車で自治医大駅に戻る。足がきついので駅前に貸自転車があれば利用したかったが、無いようだったので無理して歩く。後に残らなければ良いのだが…と思いつつ。

薬師寺跡には薬師寺不動院の流れをひくといわれる安国寺が立てられその五重塔が残っていました。急いでスケッチしてきました(F0)。現地には歴史館があり(無料)、また回廊が一部再現されていた。

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 ←こっちも見てね!


日光街道歩き8 栗橋宿~古河宿    11/24

2012-12-04 | 街道歩き

 街道歩きの回り道、日光御成道を8~9月に歩いたので、約4ヵ月振りの日光街道本道だ。特にここ2月ばかり持病の腰痛が芳しくなかったので、長距離歩きは中止していた。この持病は騙し騙し付き合って行かざるを得ないので、本調子ではないがどこまでできるか試したかったのだ。

行程:栗橋駅~静御前の墓~栗橋宿~八坂神社~関所番所番士の家跡~関所跡碑~中田宿跡~鶴峯八幡神社~光了寺~古河の一里塚~古河宿

 出発が遅れ11時過ぎに栗橋駅をスタート。駅前の静御前の墓を訪ねる。源義経を追って奥州平泉へ向かう途中、この地で義経の死を知り、近くの寺に入り菩提を弔っていたが、病で生涯を閉じたとか。鎌倉街道も出来上がっていない当時は静はどんな街道をここまで来たのだろうと考える。

 街道へ出ると栗橋宿。本陣跡、脇本陣跡と云われるところは更地になって何もない。2、3古い商家が残ってるのが名残か。八坂神社は銀杏がきれい。土手下の栗橋関所跡を碑で確認したが、番士の屋敷跡も更地で何にもなし。少々がっかりした気分で利根川を渡る。埼玉から茨城に入った。

 橋を渡り土手を降りると「房川渡しと中田関所跡」があり、少し先の宿の入口に中田宿の説明板があった。新田義貞ゆかりの鶴峯八幡宮に詣で、さらに光了寺による。ここは先の静御前ゆかりの地。山門にかかるカエデと後ろの銀杏をスケッチ。

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 ここから先は県道228を3Kmほど進む。古河宿の手前に古河第二高校がある。作家永井路子の母校とのこと。このグラウンドの隅に一里塚がある。学校の為とは言えちょっと寂しい一里塚の姿だ。絵は帰宅後に思い出しながら描いた(B6)。

(B6)

 いよいよ古河宿に入る。歴史博物館に立ち寄り古河の歴史を少々かじる。近くの鷹見泉石記念館や永井路子の旧宅そのたを見て回る。最後に古河の観光案内パンフレットを入手し次回の参考に持ち帰る。

 今日は途中から腰が悲鳴を上げている。街道距離は6.1Kmで、途中の寄り道や散策も含めても10Km足らずしか歩いていないのに‥‥。ちょっと悲しい。
 


日光街道歩き(御成道4/4) 岩槻宿から幸手追分(合流地点)  9/8

2012-09-14 | 街道歩き

行程:岩槻駅~岩槻宿~龍門寺~元荒川~相野原一里塚跡~杉並木~下野田一里塚~日光高野一里塚~琵琶溜井~日光街道追分~幸手宿・幸手駅 10:50'~17:50' 約32,000歩 (岩槻宿⇔幸手追分は15.0Km)

 岩槻は今日で4度目になる。一度目は城址歩きに、二度目は坂東巡礼で、3度目が前回(9/1)だ。かって覘いたポイントも目的が違えばまた新たな発見もある。岩槻を芳林寺、八雲神社、郷土資料館と一旦戻り市宿町から久保宿町へ。遷喬館、願生寺から役所前の一里塚(#9)跡、大瀧寺、時の鐘、浄安寺と巡る。今回は城址公園は敬遠する。(2009/4)

 時の鐘  #12慈恩寺

 ここ岩槻宿巡りですでに一時間半経過。いよいよ15キロ先の合流点目指して歩き始めるが今日は足が少し痛み始めている。折角来たのだからと足を進めるが無理しない。初めての龍門寺の筈が「前に来たことがある!?」と感じたので、いろいろ思い巡らすがその時は思い出せない。後で慈恩寺(坂東33観音の12番札所)の帰り道に立ち寄ったことを思い出す。4Kmも進むと相野原。杉並木の名残で2本、3本とところどころに残っているのがうれしい。「邪魔になる」との理由でどこでも切り倒されてきたのだから。ここは一里塚(#10)跡を見過ごした。

 やがて宝国寺に出る。将軍も岩槻城を出た後、ここで休息されたとのことで御成道の重要ポイントだろう。あちこちで小さな祠の猿田彦大神、お不動さんなど見かけます。道祖神として村を守っていたのでしょう。下野田に入り東武動物公園入口を過ぎると一里塚見えてきます。日本橋から11番目です。東西に2塚が揃っているのでうれしくなります。

 下野田一里塚

 どんどん県道65号線を歩きます。東武線を和戸駅のそばで越します。更に備前前堀川、大落古利根川を渡り下高野一里塚(#12)にでます。ここは東塚だけです。本日4つ目の一里塚。八幡神社を過ぎるといよいよ幸手市、すでに16:44'になっていた。琵琶の溜井では昔の治水と水田用水の苦労を偲びます。17時に追分に到着です。石井酒造で記念にお酒を購入します。2種類のきれいなガラス瓶に各々計り売りの特上大吟醸を入れて貰う。ここからは一度歩いた日光街道で幸手宿です。

日光街道歩き(御成道1/4) 本郷追分~岩淵宿 8/23
日光街道歩き(御成道2/4) 岩淵宿~川口宿~鳩ヶ谷宿~JR東川口   8/24
日光街道歩き(御成道3/4) 東川口~岩槻宿  9/1


日光街道歩き(御成道3/4) 東川口から岩槻宿  9/1

2012-09-01 | 街道歩き

F0大門宿本陣表門

今日の行程:JR東川口~街道~大門宿(大門神社、本陣、脇本陣、大興寺)~旧辻村庚申塔~国昌寺~氷川神社~さぎ山公園~光徳寺~膝子一里塚~道標~岩槻宿(わらべ人形像、浄国寺、郷土資料館、岩槻大師)~東武岩槻  9:48'~16:50'  約26,500歩

日光街道歩き(御成道1/4) 本郷追分~岩淵宿 8/23
日光街道歩き(御成道2/4) 岩淵宿~川口宿~鳩ヶ谷宿~JR東川口   8/24 


日光街道歩き(御成道 2/4) 岩淵宿~川口宿~鳩ヶ谷宿~JR東川口  8/24

2012-08-24 | 街道歩き

 御成道一日目(昨日)の小山酒造、問屋場跡碑を再確認して出発。スケッチにも来た赤い旧岩淵水門を見ながら新荒川大橋を渡る。左手に土手を降り、中学校の石段前のミニ公園に鎌倉橋の碑がある。この辺りから川口宿だ。数軒の古民家がある。表は改装されていても土蔵が残る家もある。日本初の自家火力発電所跡を有する永瀬家もある。細かい浮彫りを施した珍しい銅板建築の商家も残ってた。将軍が日光参詣の時に休憩した錫杖寺は必須です。

 川口宿を出て「十二月田」の交差点。何と読むのか通り掛かりの人に聞くと「しわすだ」と言う。なるほど十二月は「師走」だと合点。歩いてすぐのところに旧田中家住宅があった。つい先日テレビ番組「知らざる百年遺産 わが町の建築物語」で見たばかりだったので、入館して見物する。麦味噌の醸造などで財をなし大正時代に建設された県下有数の本格的洋風住宅。

発電所跡 旧田中家住宅

 東電鳩ヶ谷変電所を過ぎ鳩ヶ谷支所による。この交差点に巨石の越谷宿の案内がある。古民家も残っている道を行くと吹上橋。この北袂(たもと)に一里塚があったらしい。氷川神社、市神社、法性寺、地蔵院や古民家など見るべきものが多かった。

 途中、新井宿で氷川社、子日宮神社、宝蔵寺があるがこの辺りなぜ「新井宿」たる地名なのか分からず。石神で一里塚と見紛う大きな樹と小さな祠の塚があったが聞く人がいなかった。戸塚の一里塚跡は「一里塚ポケットパーク」との超ミニ公園だが、小さい標識より良く分かる。すぐ武蔵野線にぶつかるので右に折れて東川口の駅に行く。

行程:メトロ赤羽岩淵(岩淵宿)~新荒川大橋~鎌倉橋の碑~川口宿~旧田中家住宅~鳩ヶ谷支所~鳩ヶ谷宿(一里塚跡など)~戸塚一里塚跡~JR東川口     10:14'~16:34' 約23,000歩

日光街道歩き(御成道1/4) 本郷追分~岩淵宿 8/23