「歩きと水彩スケッチ」のブログです!

街歩き、ハイキング、街道歩きなど色んな風景、景色や人との出会いを求めて歩き、所々でスケッチしています。写生の会にも。

さようなら2011年 いろいろありました

2011-12-31 | 日記とスケッチ

 ことし2011年9月からやっとスタートしたこのプログ、良く解からずできる範囲で更新してきました。これで26回目です。「好きな歩き+下手なスケッチ」のセットでどこまでできるのか不安でしたがやってみました。テーマを持った歩き(近所の散歩歩きでないもの)に出るとスケッチのノルマを感じ、少しプレシャーもありましたがそれなりに楽しみました。

 2011年は、大震災と原発問題がこの国を混乱と不安に陥れ、欧州の経済危機やアラブの春、反格差デモの拡がりが世界を揺さぶり、中国の高速鉄道事故、金正日総書記の死去などの衝撃も大きく、円高やタイの洪水が日本経済に圧し掛かりました。年賀状の書き方も考えざるを得ませんでした。

 孫が年末で1年1ヶ月から2年1ヶ月になりました。この一年間の成長はすごいもので幼児ってこんなにも早い成長するものかとびっくり。考えてみれば4歳5歳とこれからもどんどん成長するでしょう。楽しみです。健康で長生きしなくちゃと考えます。

 災害、トラブルにであった人にも、楽しいことがあった方にも新しい年がやってきます。「人間万事塞翁が馬」と言いますね。来年もまた一所懸命生きませんか。ここを訪れてご覧いただいた皆さんにとって良い歳になりますよう祈念いたします。有難うございました。


甲州街道歩き 第7日目(与瀬~吉野~関野~上野原~鶴川) 12/25

2011-12-27 | 甲州街道歩き

 24日年賀状の準備も終わったので急遽、第7回を実行することにした。この冬一番の冷え込みの予報だが、25日(日)はJRの「ホリデー・パス」が利用できる。だんだん駅が遠くなってきたので、得な切符が使えるのは有難い。

 行程:JR相模湖[与瀬宿]…貝沢一里塚…[吉野宿]…[関野宿]…諏訪の番所跡…諏訪神社(昼)…塚場の一里塚…[上野原宿]…[鶴川(都留川)]…⊂上野原…JR上野原  距離:宿場間 約12.3Km 歩行 約17Km、 歩数;約28,000 

 駅を出て少しで前に来た与瀬宿本陣跡、与瀬神社を過ぎ貝沢に入る。ここから一里塚まではけもの道並で、これが甲州古道?と思う。坂を登り詰め「子の入」から観福寺を通り吉野宿まで古道を確認しながら坂道を下り吉野宿に入る。郷土資料館になってる「ふじや」で元の持ち主の話を聞く。明治29年の大火で宿場が蔵3,4棟を残して焼滅したこと、相模湖ができて道、小猿橋など沈み昔の名残が消えたようだ。

 ここから関野宿(明治期から2,3回の火災にあい何もない)を通って諏訪の番所跡に抜ける街道は湖と車道で古道が分断消失しているのでR20を歩く。塚場一里塚に疱瘡神社があって面白い。上野原に入り寺、神社、古屋、本陣跡の門など見て回るがまだ午後一時を回ったばかり。スケッチポイントも気に入ったところが無かったので鶴川宿まで進むことにする。

 町から道を下り昔渡しがあった鶴川を渡るとすぐ鶴川の集落になる。ここも明治と大正に大火に見舞われて古い家は残っていないとのことだが、比較的古い家並みが落ち着いた感じで続きり宿場町の雰囲気を残している。元問屋のお宅の大きな家と蔵2棟は見応えがあった。それにしても火災で消えた町が続き、木造文化と石・レンガとの違いが残念だ。

 鳥沢まで行くと遅くなるのでここから2kmほどを引き返し、改めて上野宿を丁寧に見て回る。幾つか古い建築物が捨て置かれているようなのが惜しい。街道からちょっと入ったところに保福寺があった。本堂はいい姿だが新しいので貫禄のある山門をスケッチする。もう午後3時。冷たい風が荒み始めたので彩色せずに引き上げた。

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初めての駒場公園で旧前田邸のスケッチです 12/20

2011-12-20 | 日記とスケッチ

 今日のスケッチは駒沢公園。首都圏に住んで35年だがなぜかここは全く初めてだ。広くはないが十分に手入れされていて気持ちいい。昭和初期に建てられた旧前田公爵邸(洋館、和館)が残されており入園無料なのがうれしい。生憎洋館は休館日で入れなかったが、すぐそばに日本民藝館があり本館、西館とも珍しい造りの古い建物だし、東大駒場キャンパスもあるのでまた来ることにする。

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北の丸公園でスケッチです 12/13

2011-12-14 | 日記とスケッチ

 12月13日のスケッチ会は北の丸公園でした。今日(12/14)とは違って好天で、日中は風もなく15、6度まで上がってました。東京メトロ九段下から田安門にいたる銀杏並木、武道館前の大銀杏と並木共々見事に美しく、丁度良い頃合に見えました。

 どこを描こうかと思案したが、もみじ林の色付きに誘われて無謀にもこの通りを描くことにしました。実は木、林とか花などの純然たる風景は苦手なのです。一向に上手くならないのですが勉強のつもりでチャレンジです。この絵、通りの左手はもみじ林に見えますか?

 


甲州街道歩き 第6日目(JR高尾~小仏峠~JR相模湖)

2011-12-11 | 甲州街道歩き

行程:JR高尾~駒木野宿~小仏宿~小仏峠~小原宿~与瀬宿~与瀬神社~相模湖畔~JR相模湖) 約13.5km

 先般の高尾山ハイキングから峠越えは足元の良い時にと決めていた。先週末は雨が続いた後だったので止したが、昨日一日良い天気だったのと、次週も雨の予報があるので多少のぬかるみが残っているのを覚悟して実行した。

 JR高尾駅を9時前に出発。駒木野宿からから小仏駐車場までの舗装路は霜でツルツルりるので山道を心配する。駒木野宿のはずれのアトリエ跡跡で放置された哀れな女体を発見し可哀想になる(写真)。小仏のバス停も過ぎ山道にかかったが道は砂利で滑る心配なくホッとする。峠までは先般のハイキングの逆方向で見覚えのある道だ。峠まで20分で登れた。峠でひと休みしスカイツリーを見てから小原宿へ向かって下りに入る。途中底沢バス停までに出会ったハイカーは七人。相模湖側からの登る人はやはり少ないようだ。

 小原宿では「小原の郷」で小休止。ここからすぐの本陣を見物する。残念ながら本陣の屋根は萱葺きにトタン張りしてある。数年前まで生活されてた様子だ。我慢して通りの向こうからスケッチ。もうひとつ納得できなかったので門の中からもう一枚。近くには屋号の付いた旧家が幾つか残っていた。JR相模湖駅を横目に見ながら与瀬宿を通るが本陣跡地以外痕跡なし。与瀬神社へ参拝したが、参道が中央自動車道を跨ぐ陸橋に驚く。その後大きく寄り道して湖畔まで行くが、観光客は多くなくかっての勢いなくさびれた感がした。

     F0 B6                

 


中山法華経寺が今日の水彩スケッチ場所でした 12/6

2011-12-06 | 日記とスケッチ

 昨日とは違って今日は寒いスケッチになりそうで、風邪気味だったのでちょっと迷った。比較的近い場所なので「早めに帰ってくるかも!」と言い置いて家を出る。ここには年に2回ほど来る。この時期は銀杏を入れるか、桜が落葉して比較的見通しやすくなった五重塔を描くかなどが多い。自分は見事に黄金色に染まった「泣き銀杏」を描くことにする。

 泣き銀杏の謂れは次のような話らしい。 当寺の初祖日常聖人より勘当された義子の日頂上人が、日常上人危篤の報を受けこの銀杏の樹の下で快復を祈願し、日常に会えることを願い出たが、日常は許さず、小袖一領を形見として日頂に与えたという。日常の遷化(せんげ)を聞いた日頂は、小袖を首に巻いて樹下に臥し転び、声を放って悲嘆にくれたところから「泣き銀杏」の名が起こったとのこと。鬼子母神の刹堂を二枚目にスケッチするが出来はもう一つだ。

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流山の東福寺の銀杏は盛りでした (水彩スケッチ) 2011/12/4

2011-12-04 | 日記とスケッチ

 木曜日から天気が崩れて寒い冬型の天候になっていたが、昨日の午後から回復した。今朝は天候は良いが風が少し強かったが、久しぶりのあさからの好天なので、東福寺の銀杏と紅葉の様子を見に行く。イチョウの色付きは盛りで、色付きの良い紅葉は木の数が少ないのでポイントが限られる。イチョウで一枚、「目潰しの鴨」の前の紅葉で一枚描く。

 彩色の最中、二十歳前の若者が声を掛けてくる。下手な絵を懸命に誉めてくれる。いろいろ話をしたら、この春沖縄から上京し、近くの東洋学園大で勉強しているとのこと。スケッチなどしていても若い男性から声を掛けられるのはめったにないし、どんどん話しかけてくるのも稀なことで、手を休めてのしばしの時間は印象的だった。「絵が完成したら見たい」と好感の持てる青年だった。 流山・東福寺(B5)