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「歩きと水彩スケッチ」のブログです!

街歩き、ハイキング、街道歩きなど色んな風景、景色や人との出会いを求めて歩き、所々でスケッチしています。写生の会にも。

甲州街道2題

2014-08-27 | 甲州街道歩き

8/26は生憎の雨模様の予報
朝方には止むものの昼からまた雨
降水量は少ない予報だがまだぱらつきが残ってる感じ
予定の場所も遠く止めにする

以前から気がかりの甲州街道歩き 未掲載が二回分残っているのだ
第11回 鶴瀬~勝沼~日川 2013/8/8
第12回 日川~石和~甲府 2013/8/17
両方とも当時スケッチが未完成でついつい機会を逸したものだ

街道歩きは 脚、膝の調子が良くなく 結局、1年間中断したままになっている
昨日、鉛筆の素描だけだった甲府は甲斐善光寺のスケッチを終わらせた

勝沼ではよくTVでも紹介される「ぶどう寺」大善寺がある
この本堂(薬師堂)は国宝で、葡萄を持った薬師様が本尊です
これは10日ほど遅れて彩色した

大善寺薬師堂(F0)

もう一つが甲斐善光寺、これを昨日仕上げたのだ

 

甲斐善光寺(A4)

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甲州街道歩き 第10日目(笹子/黒野田~駒飼) 5/13

2012-05-16 | 甲州街道歩き

いよいよ甲州街道最大の難所と云われている笹子峠を越える。標高は両端の笹子駅、大和橋で約600m、笹子峠1096mで500mの高低差を行く。

JR笹子駅~黒野田宿~笹子峠
 前回の最後、黒野田宿から始める。黒野田は旧本陣の天野氏宅のほかは目立たない宿場。宿場端の普明院には一里塚跡の標柱があり「日本橋より25里」とのこと。ほぼ100キロだ。どの街道もそうだったが峠道だけは古道が残されている。自動車が走れないから残ってしまうのだ。このような峠道ではめったに人と出会わないが、ここでは4組8人と出会う。さすが日曜日の甲州街道だ。追分から山道を行き「矢立の杉」へ、山の中で杉良太郎の唄が流れているのに驚く。山登り同様の道を行き笹子隧道に出る。ここでスケッチ(F0)。

笹子峠~清水橋~駒飼宿
 隧道の横から峠道を10分辿ると峠へ出る。ここで持ってきたおにぎりとバナナの昼食をとり反対側の隧道入口を眺めてからひたすらの下りだ。上り下りとも杉木立と新緑、沢音で心地良い。民家が立ち並ぶ駒飼宿に出る。「突き上げ屋根」と言う造りの民家が数軒あり珍しい。甲府盆地東部で見られるらしいのでこれからも楽しみだ。宿の地図が屋号で書かれており、こじんまりした雰囲気のある宿場だが、本陣、脇本陣共に標柱だけなのがちょっと寂しい。柏屋、大黒屋と2軒並んだ片方をスケッチ(F0)する。屋根の厚みからもともとは茅葺き屋根だろうと推察する。

 

 

駒飼宿~大和橋~JR甲斐大和駅
 スケッチを終え歩き始めると足の指が痛い。新しいシューズで下ってきたせいか?小一時間のスケッチの間に足指が怠けだした。午後2時を回ったばかりでまだ早い。時間的には勝沼までは十分だが強行せず止めることにし大和橋を渡る。大和の町の入口に諏訪神社がある。神殿の彫物は一見の価値がありそう。 約16Km。

 


甲州街道歩き 第9日目(猿橋~黒野田/笹子) 4/21

2012-04-23 | 甲州街道歩き

 スケッチはありません

 前回よりほぼひと月振りの甲州街道歩きになる。天気は良くないが雨は降らないとの予報だったので決行したが、暗くて寒かった。午後2時には気温10℃。

[JR猿橋~駒橋宿 1.5km] 歩き始めてすぐに猿橋の一里塚、間もなく駒橋発電所が見えてくる。桜も散り盛りだがまだまだ美しい。ここは東京電燈(現東電)初の水力発電所で、名勝猿橋から「猿橋水路橋(国文化財)」も見えるので一度訪ねたいと思ってた場所だ。当時の煉瓦造りの本館はすでに無いが、水圧鉄管アンカーブロックや排水門が残っていた。鉄格子の門越しに当時のタービンが置かれている。「第五甲州街道踏切」を越え駒橋宿に入る。道の両側には切妻二階建ての旧家が相当目に付く。
 この辺りまで来ると岩殿山の岩肌と山桜が素晴らしい。岩殿城の遺構があるとか、一度登ってみたい。

ブロック 排水門 

[駒橋宿~大月宿 1.8km] 三島神社に参詣してから古道を進む。大月宿は本陣跡含めて名残は感じられない。追分の道標をみて旧道へまわる。

[大月宿~下花咲宿~上花咲宿 2.1km] 一里塚跡を過ぎるとすぐ下花咲宿だ。旧家で目立つのが旧本陣の星野家住宅の見事さ。中は見れず。スケッチも考えたが設計の概観図だけになってしまいそうで止す。続いて上花咲宿。廿三夜塔や馬頭観音など石仏群を見る。

星野家住宅

[上花咲宿~下初狩宿~JR初狩駅 4.1km] 見所のないR20(旧道も)を歩くのを止め善福寺から脇道を進み、源氏橋を渡って旧道に戻る。採石場そばの丸山の一里塚と呼ばれる権現山に登る。丁度土地の人達が祭りの準備をしてた。第七甲州街道踏切を過ぎて下初狩宿に入る。街道筋らしい旧家が続くが、惜しむらくは整備でR20が嵩上げされ、旧本陣宅もそうだが、道路が一階の屋根の近くを通ってるのだ。駅のベンチで昼にする。

旧本陣

[中初狩宿~白野宿 4.9km] 20分程で出発。下初狩と中初狩とになっているが今はつながっている。甲州での宿場街では切妻総二階の旧家が目立つがここも同じだ。旧本陣宅を過ぎ白野に向かうR20を歩くが、名ばかりの歩道で体の傍を疾走する大型トラックの風圧が怖い。道は上り勾配がはじまり笹子峠が遠くない感じだ。白野はR20から外れ、家の前を溝が流れる落ち着いた集落。宝林寺の山門、本堂の姿がいい。

宝林寺

[白野宿~阿弥陀街道宿~黒野田宿(JR笹子) 2.9km] 吉久保の集落もいい雰囲気だ。稲村神社や旧跡がある。R20に出ると道路に気温表示がありその表示は「10℃」(14:07’)。寒いはずだ、気温が低下してきてる。笹子川橋を渡ると阿弥陀街道宿。笹一酒造がある。江戸末期に洪水被害もあり旧家も遺跡も特に何もない。直ぐに笹子駅が見え、手前に笹子餅の店があった。土産に買ったが小さい蓬の餡子餅で値段ほどのものではなかった。駅を過ぎ黒野田宿をすこし覘いてから引き返した。(約6時間 17Km 29,500歩)

次はいよいよ甲州街道で最も高い笹子峠だ。天候を見て16Kmちょっとを歩きます。


甲州街道歩き 第8日目(鶴川~鳥沢~猿橋) 3/25

2012-03-26 | 甲州街道歩き

 少し暖かくなって来た。ウメからもうすぐ桜にと野山や庭先が賑わう季節だ。いよいよ街道歩きも再開だ。前回は3ヵ月前の「甲州街道歩き 7日目(与瀬~吉野~関野~上野原~鶴川)」。今回は鶴川宿からの再開だが、JR上野原駅から上野原宿、鶴川宿まで改めて歩く。

 行程:JR上野原~上野原宿~鶴川宿~大椚一里塚~野田尻宿(西光寺)~荻野一里塚~犬目宿~宝勝寺~恋塚一里塚~下鳥沢宿~JR鳥沢駅~上鳥沢宿~猿橋~猿橋宿~JR猿橋駅 (約18.6km)

 雰囲気のある古い町並みを残した鶴川宿を眺め直して通り過ぎる。宿場はずれのだらだら坂を上り中央自動車道を越えると大椚の一里塚(江戸から18里)跡があり、次に吾妻神社を過ぎてまた中央道に沿って歩く。長峰砦跡碑を見てまた中央道を跨ぐ。この様にこれから先も幾度となく中央道を跨いだり潜ったりする。この辺りは相当に古道が壊されている感じだ。

 「野田尻宿」は明治に大火があったようで街道の家並みを残す家は多くない。西光寺、荻野の一里塚(19里)、矢坪と過ぎ「座頭ころがし」の難所にかかる。残念だが結果ほんの一部しか歩けていない。途中で車道に下りるのが早すぎたのでは?と気にしながら進んだが、道を間違ったことがはっきりした時はもう引き返す意思は無かった。折角の街道歩きなのにと無念さが残こった。

 「犬目宿」も昭和45年に大火があったとかで古い家並みは少なかったが、雰囲気を留めるいい集落。北斎に「犬目峠の富士」があるようなので、今日なら良い富士が見えるだろうと期待してたのに一向に見えない。途中に萱葺き民家が見えたので期待して近づいた。破れた看板に「滝松庵」とあり廃墟があった。きっと蕎麦屋か何かだったのだろう。ここで昼にする。

 君恋温泉を過ぎると「恋塚の一里塚」(20里)がある。この一里塚は片側だけだが山梨県内で唯一ほぼ原型を留めているものとか。ほとんどは「~一里塚跡」ばかりだった。ここは兜型の美しい姿を残していた。早速スケッチ(F0)をしたが着彩する段になって絵の具がリックに無いのに気付きガックリする。下は帰宅後に彩色したもの。

  坂道を下ってゆくと目の前に念願の富士が現れた。少し遠いが真っ白な雪が輝いてとてもきれいだ。これもメモ帳(B6)にスケッチしておく。所々で富士を眺めながら下った先は「下鳥沢宿」だ。ここも明治に大火があったらしいが、造りが整った古い家並みが続く。予定のJR鳥沢駅に着き一息入れるがまだ午後2時前だ。ここから1里ちょっとの猿橋まで足を伸ばすことにする。寄ったパン屋でアンパンマンのパンを見つけ孫の土産に買ってまた歩く。

 「上鳥沢宿」は出桁造りと言うらしい2階に手すりの付いた家が並び、見ごたえのある宿場街だ。有名な猿橋は昨年5月に一度見物している。下のスケッチはその時のもので今回はせずに名物の山椒せんべいを土産に買って駅に向かった。「猿橋宿」はあまり痕跡が残っていなかった。

 犬目峠の富士  猿橋(F0)

 


甲州街道歩き 第7日目(与瀬~吉野~関野~上野原~鶴川) 12/25

2011-12-27 | 甲州街道歩き

 24日年賀状の準備も終わったので急遽、第7回を実行することにした。この冬一番の冷え込みの予報だが、25日(日)はJRの「ホリデー・パス」が利用できる。だんだん駅が遠くなってきたので、得な切符が使えるのは有難い。

 行程:JR相模湖[与瀬宿]…貝沢一里塚…[吉野宿]…[関野宿]…諏訪の番所跡…諏訪神社(昼)…塚場の一里塚…[上野原宿]…[鶴川(都留川)]…⊂上野原…JR上野原  距離:宿場間 約12.3Km 歩行 約17Km、 歩数;約28,000 

 駅を出て少しで前に来た与瀬宿本陣跡、与瀬神社を過ぎ貝沢に入る。ここから一里塚まではけもの道並で、これが甲州古道?と思う。坂を登り詰め「子の入」から観福寺を通り吉野宿まで古道を確認しながら坂道を下り吉野宿に入る。郷土資料館になってる「ふじや」で元の持ち主の話を聞く。明治29年の大火で宿場が蔵3,4棟を残して焼滅したこと、相模湖ができて道、小猿橋など沈み昔の名残が消えたようだ。

 ここから関野宿(明治期から2,3回の火災にあい何もない)を通って諏訪の番所跡に抜ける街道は湖と車道で古道が分断消失しているのでR20を歩く。塚場一里塚に疱瘡神社があって面白い。上野原に入り寺、神社、古屋、本陣跡の門など見て回るがまだ午後一時を回ったばかり。スケッチポイントも気に入ったところが無かったので鶴川宿まで進むことにする。

 町から道を下り昔渡しがあった鶴川を渡るとすぐ鶴川の集落になる。ここも明治と大正に大火に見舞われて古い家は残っていないとのことだが、比較的古い家並みが落ち着いた感じで続きり宿場町の雰囲気を残している。元問屋のお宅の大きな家と蔵2棟は見応えがあった。それにしても火災で消えた町が続き、木造文化と石・レンガとの違いが残念だ。

 鳥沢まで行くと遅くなるのでここから2kmほどを引き返し、改めて上野宿を丁寧に見て回る。幾つか古い建築物が捨て置かれているようなのが惜しい。街道からちょっと入ったところに保福寺があった。本堂はいい姿だが新しいので貫禄のある山門をスケッチする。もう午後3時。冷たい風が荒み始めたので彩色せずに引き上げた。

B6


甲州街道歩き 第6日目(JR高尾~小仏峠~JR相模湖)

2011-12-11 | 甲州街道歩き

行程:JR高尾~駒木野宿~小仏宿~小仏峠~小原宿~与瀬宿~与瀬神社~相模湖畔~JR相模湖) 約13.5km

 先般の高尾山ハイキングから峠越えは足元の良い時にと決めていた。先週末は雨が続いた後だったので止したが、昨日一日良い天気だったのと、次週も雨の予報があるので多少のぬかるみが残っているのを覚悟して実行した。

 JR高尾駅を9時前に出発。駒木野宿からから小仏駐車場までの舗装路は霜でツルツルりるので山道を心配する。駒木野宿のはずれのアトリエ跡跡で放置された哀れな女体を発見し可哀想になる(写真)。小仏のバス停も過ぎ山道にかかったが道は砂利で滑る心配なくホッとする。峠までは先般のハイキングの逆方向で見覚えのある道だ。峠まで20分で登れた。峠でひと休みしスカイツリーを見てから小原宿へ向かって下りに入る。途中底沢バス停までに出会ったハイカーは七人。相模湖側からの登る人はやはり少ないようだ。

 小原宿では「小原の郷」で小休止。ここからすぐの本陣を見物する。残念ながら本陣の屋根は萱葺きにトタン張りしてある。数年前まで生活されてた様子だ。我慢して通りの向こうからスケッチ。もうひとつ納得できなかったので門の中からもう一枚。近くには屋号の付いた旧家が幾つか残っていた。JR相模湖駅を横目に見ながら与瀬宿を通るが本陣跡地以外痕跡なし。与瀬神社へ参拝したが、参道が中央自動車道を跨ぐ陸橋に驚く。その後大きく寄り道して湖畔まで行くが、観光客は多くなくかっての勢いなくさびれた感がした。

     F0 B6                

 


甲州街道歩き第5日目(JR日野駅~八王子宿~JR高尾 約15Km)

2011-11-27 | 甲州街道歩き

 駅をで、前回見残した日野宿の「西の地蔵」を確認してから旧街道、現街道へと進む。日野自動車、コニカミノルタの敷地内に上人塚、富士塚が在ったとか。私有地化された歴史の痕跡を街道から見えるように出来ないものか、とか、江戸時代は茫漠たる原野だったのか、など考えながら歩く。大和田橋詰めに信号待ちで歓声が聞こたので見ると、レンガ造りの古い建物が在り、結婚式の歓声だった。ホテルのチャペルのようで新しいホテルとの組み合わせが面白かった(写真)が、旧街道とは関係ないのでスケッチ対象ではない。

 八王子宿は大きな宿場だったと実感。家康に命ぜられた大久保長安が町造りをしたようで、江戸期から大きな町であったようだが火災や空襲で何も残っていない。街道だけでなく南北の寺町を巡ったので2時間も掛かった。千人同心屋敷跡地が街道1Km以上にも渡りびっくりする。午後になって街道の銀杏の色が午前中より進んできている。

 御陵に行きかけたが南浅川の橋までで引き返す。多摩御陵西からの500m余りの旧道は前に溝のある大きな屋敷が幾つかあり、雰囲気が残っている。駒木野宿まで確認しておく積もりだったが、疲れが足に来てたのですぐの高尾駅で行程を終えた。今日は20Km近く歩いてるだろう。スケッチの時間とこれ以上粘る気力がなし。


甲州街道歩き 第4日目(府中宿~日野宿 約7.8Km)

2011-11-18 | 甲州街道歩き

行程:JR府中本町~高札場~下河原緑道(坪の宮)~高安寺~新田義貞像~熊野神社~谷保天満宮~南養寺~日野の渡し碑~立日橋~日野宿本陣~八坂神社~大昌寺~宝泉寺~JR日野駅  11/18

 9:30 昨日とは様変わりで今にも泣きそうな空模様の中、府中宿の「札の辻」(高札場跡)を出発する。高安寺は名刹で山門が立派だ。東京都選定歴史的建造物だけある。立派な冠木門の内藤家や古屋が所々に残る府中から保谷に入る。この辺りでは大きな旧家もあり屋敷林の名残が目立つ家も多い。谷保天満宮では珍しい子供連れの古い狛犬に由緒を感じた。南養寺から大きく後戻り迂回する形で城山公園、民家園を廻ってみた。30分も掛かった割りに1戸だけの古民家でがっかり。

 12:16 日野橋五差路にかかる。「日野の渡し」の碑を目指していたがここで大失敗。奥多摩街道を行くところ間違って新奥多摩街道を進んだためにガイドの目標が見当たらずウロウロする。散策中の人にも「碑」を尋ねたが判らず。碑を無視して橋を渡ろうかとも思ったが、思い直して日野橋五差路に戻ってやり直し。結局40分ロスしたが後は順調に行く。

 13:20 多摩モノレールを仰ぎながら立日橋を渡り日野に入る。江戸末期に立て直した本陣はあるが、「~跡」とお寺・神社以外見る所なし。宿場町の風情もないが、新撰組の土方、井上の出身地でこの関係はいろいろありそうなのでフアンは見逃せないのだろう。
 
 天気は晴れて来ていたが、道草やミスでの時間ロスが響き、結局、大昌寺で午後2時になってた。当初の八王子宿まで予定は止めて大昌寺の陽に映える紅葉を小一時間スケッチする。その後宝泉寺を廻って駅へ。駅で見つけた「銀のあん」のたい焼きの旨かったこと。全歩数28,000歩。

大昌寺F0


甲州街道歩き 第3日目(高井戸宿~布田五宿~府中宿 約13.2Km)

2011-11-05 | 甲州街道歩き

2011/11/5  9:58~15:57

 工程:八幡山駅~長泉寺~新一里塚~給田観音堂~千川一里塚~滝坂~金子の大銀杏~金龍禅寺~妙円地蔵~常性寺~布多天神社~源正寺~西光寺~瑠璃光寺薬師堂~染谷不動尊~国府八幡神社~武蔵国府跡~大国魂神社~高札場~JR府中本町駅 

 あれやこれやで前回から一ヶ月以上間が空いてしまった。予定の出発時刻より大分遅くなってしまっていたが、前回打ち止めた京王線芦花公園駅でなく、ひとつ手前の八幡山駅から前回の終盤を思い出しながら歩いた。

 千歳烏山から千川辺りは広くない歩道で自転車の交通が多く困惑。寄り道して狭い道から街道に戻る祭、思わず自転車にぶつかりそうになりヒヤヒヤ。この辺りから所々に二階建ての旧家や屋敷林の名残が見られるようになる。さらに野川を過ぎれば土蔵や大谷石の蔵、平屋の旧家が散見されるようになり、ちょっぴり街道歩きの気分がでる。

布田五宿の辺りから夜まで持つはずの空模様がすこしおかしくなり始め、時々ポツリと顔に掛かる。昼は布多天神社で済まして先を急ぐ。府中に入ると高いビルが多くなる。国府八幡神社は細く長い参道の先、社の直前を京王競馬場線が横切っており、かっては一国一社の八幡様がと悲しくなる。大国魂神社は何度かスケッチに来てるが、今日は七五三の参拝者が多く、それに酉の市の屋台や飾りつけがありスケッチ処ではない。(スケッチはその国府八幡神社)

 国府八幡神社B5

 


甲州街道2日目(新宿~高井戸宿~京王線芦花公園) 

2011-09-29 | 甲州街道歩き

          2011/9/29  9:15~12:55

 二週間近く間が空いてしまったが、ようやく二日目のウォーキングとなる。

 前回の続き、新宿駅南口からスタート。箒銀杏、諦聴寺、正春寺、初台の交差点を右折して回りし荘厳寺へ、新国立劇場から甲州街道に戻る。諦聴寺の手前から首都高の下を歩くので、見通しも良くない。好きな道中ではないが今日は我慢するしかないと諦める。

 旗洗池跡を見て途中街道の左側へ出、牛窪地蔵のある笹塚から右側へ戻ったが、笹塚跡は見過ごした。明大泉新校舎の立派さにびっくりしながら、煙硝蔵跡、築地本願寺廟所から寺町を抜け、玉川上水跡を見ながら進む。

 覚蔵寺、高井戸の地名の元との宗源寺、高井戸の一里塚跡の前でようやく首都高と「さよなら」する。長泉寺では本堂や会館の改修中で観音堂も雰囲気もなくがっかり。結局、どこかでスケッチするつもりがとうとう出来ず仕舞いになった。

 残念ながらこの間の遺構は社寺以外ほとんど出会わず、その「跡」だとの都教委の看板だけだったのは少し寂しかった。

 もっと先まで歩こうかとも考えたが、予定の京王線芦花公園駅から電車で初台に引き返し「箒銀杏」をスケッチして帰ることにする。小生のつたないスケッチ力では箒らしくならない。落葉すればもっと「箒」らしく描けるのにと負け惜しみを言う。