goo blog サービス終了のお知らせ 

「歩きと水彩スケッチ」のブログです!

街歩き、ハイキング、街道歩きなど色んな風景、景色や人との出会いを求めて歩き、所々でスケッチしています。写生の会にも。

日光街道歩き(御成道1/4) 本郷追分~岩淵宿 8/23

2012-08-23 | 街道歩き

 7月28日の「日光街道歩き6」で日光御成道との合流地点(幸手宿)を確認した。
ここまで別の道をきた将軍一行も、ここからは同じ街道を旅したのだ。
先に進む前に御成道を確認しておきたいと思い、本郷追分から幸手宿まで歩くことにする。

 本郷追分は東大農学部の前。角の高崎屋が残っているがかっては大店だったらしい。陰のような所に「追分一里塚跡」の立て札があるので見つけるのは難しい。中山道と分かれて本郷通りを真っ直ぐ進む。ここからは岩槻街道で日光御成道と呼ばれる。六義園辺りまで本郷通り沿いに寺町を形成し、それぞれ著名な寺も多い。その一つが吉祥寺で江戸きっての大寺で敷地にその名残がある。この門前の人々が移転して今の吉祥寺市のもとになったとか。  

本郷追分高崎屋  吉祥寺

六義園、JR駒込を過ぎ旧古河庭園がある。シニア料金で真夏の庭園を一巡した後、西ヶ原一里塚に至る。左右に塚が揃っている都内唯一の一里塚で素晴らしい。ここは大正時代に道路拡張のため取り壊すところ、飛鳥山に住む渋沢栄一や周辺の住民の反対運動で残されたとのことだ。滝野川警察署前で粗描き。

F0

 飛鳥山から王子駅へ。十条富士塚で富士山に上る。稲付の一里塚は看板有りとの話だが確認できず。普門院の楼門は真言宗ながら中華風で珍しい。赤羽駅を過ぎれば岩淵宿はすぐ。宝幢院から小山酒造辺りが宿場らしい。小山酒造は23区内唯一の造り酒屋で「丸真正宗」を造ってる。

 普門院楼門

 行程:東京メトロ「本郷三丁目」~東大赤門~本郷追分~吉祥寺~JR駒込駅~西ヶ原一里塚~飛鳥山公園~十条富士塚~普門院~岩淵宿(宝幢院、問屋場跡、小山酒造)~メトロ「赤羽岩淵」  11:30~16:30  約24,000歩


日光街道歩き6 杉戸宿~幸手宿     7/28

2012-07-29 | 街道歩き

 今日も真夏日の天気予報。正味距離は7Km弱しかなく、どのくらい歩けるか足の調子を試すつもりもあり出かける。朝、女房の自転車を整備したりで10時半になっており、陽はすでに高い。

 行程:東武動物公園駅~愛宕神社~近津神社~本陣・脇本陣跡~宿場の面影の残る町並み~宝性院~恭倹舎~御成街道との追分~神宮寺~神明神社~東武幸手駅    [この間の歩数] 19千歩

 前回(日光街道歩き5)に引き続いてやってきた動物公園駅。駅を出てすぐに古利根川渡れば杉戸宿だ。愛宕神社を覘いてから近津神社まで街道を戻る。前回確認モレであった本殿の古い彫刻だが、やはり新しい社殿(火事?)で見当たらない。聞く人も居なかった。暑い中、思ってた以上に遠く無駄足になり駅に至る「本陣跡地前」交差点に戻る。

 ジリジリ照らす真夏の太陽に熱中症報道の恐れもあり、今日は最初から折り畳み傘を日傘代わりにするも、下からの照返しがきつい。本陣跡を確認したら次は古い街並みだ。古民家、蔵など見られるが曲がり角に商家らしい蔵付き古民家が残っている。上手く活用したら素晴らしいのに。宝性院も近い。

 程遠くないところに広大な屋敷があった。棟数もあり蔵も立派だ。宿場はずれかも知れぬが由緒ありそう。描きたいが暑さでへばりそうなので、スケッチはあたり程度にし周辺を巡り先へ行く。

B5

 国道4号線に合流して車の廃棄ガスの多い歩道を進む。大島の交差点を右折して外れ恭倹舎を見る。すぐ傍に屋敷林に興味を覚え覘くとそこは「藤城家古文書」の看板がある。旧名主の藤城家の旧宅なのだろう、大きな母屋や二階建ての物置(?)2棟、門など残されて居た。

 旧藤城家

  4号線を進み杉戸高野台駅を過ぎると丁度旧道との分岐路にジョイフルホンダがあった。暑さにへばり掛けていたので買い物の予定はなかったが中に入って少し冷気にあたる。あと一息だ。まもなく日光御成街道と合流する。中仙道と本郷の追分で分かれ、岩淵、川口、鳩ヶ谷、大門、岩槻を経てここ幸手で合流する。このあたりが宿場の入口か?

 この合流点がに石井酒造がある。建物は良いが敷地を大手スーパーとその駐車場に貸しているようで食指が動かない。神宮寺、神明神社のほか幾つかの古民家を見ながら駅へ行く。

 幸手宿~栗橋宿は桜の時期に合わせて4/12に歩いたので、次は栗橋宿からだ。


日光街道歩き5 粕壁宿~杉戸宿     7/16

2012-07-17 | 街道歩き

 7/16は「海の日」。朝食後、新聞をゆっくり読み終えどうしようかと思案。春日部ならこの時間からでも十分と昼前になって出かける。

 行程:東武春日部駅~町中(観音堂、安孫子医院、おかやす)~粕壁宿(行きつ戻りつ)~最勝院~春日部八幡神社~新町橋~日光道標~小渕観音院~近津神社~杉戸宿~東武動物公園駅    [この間の歩数] 19千歩

 前回(日光街道歩き4)立ち寄らなかった郷土資料館で、宿場や古い春日部の町を見ておく予定だったが、祝祭日は休館で見られない。前回入手のマップで町中を歩く。かって繁盛した町なのだろう蔵持の家が見られる。古い氷屋「おかやす」を見つけた。木製の冷蔵庫があるそうだが中は生憎見れず。外観だけでも初めて見る珍しいものだ。

氷屋「おかやす」

 宿場入口の東陽寺から街道を歩き直す。この旧日光街道の通りは電線類の地中化が進んでおり、景色がスッキリしている。越谷もそうだった。碇神社で天然記念物の「イヌグス」、田村屋で日光街道の道標を確認する。この田村屋(問屋場の仕切りとか)と少し離れてた田村荒物屋は裏の古利根川まで続く立派な構え。昔は水運で繁盛したのだろう。白壁の米穀商永嶋家があり、屋根の鍾馗様も珍しい。

F0

 近くに立派な黒壁の蔵が残っていた。外観は新しく庇や出入り口も現代的で修理されて間もない様子。かっては白壁では?

 立派な寺の最勝院を見て、大きく街道を外れて八幡神社に寄る。在原業平の「都鳥の碑」がある。元の宿場に戻り新町橋を渡る。このあたりが「古い船着場跡で石垣が残る」と案内書にあるが、草生しと護岸・道路工事が進行中で良く判らなかった。
 小渕の一里塚碑とすぐ近くの日光道標(関宿往還との追分)の付近に大きな屋敷の跡が見え、粕壁と同じ田村姓らしいが関係は不明だ。

 歴史の感じられる小渕観音院があった。仁王門は元禄年間に建立され市の文化財とのことだが、3.11震災で古い門が傷み、仁王様も壊れたままになっていたのは残念だった。
 
 いよいよ杉戸町。九品寺の道標からさらに進んでいよいよ杉戸宿、近津神社の彫刻を見たかったが、火事に遭ったとかで新しい社殿だった。

 幾つか杉戸宿の雰囲気を感じながら、次回の楽しみに残す。古川橋を渡ると宮代町で、杉戸とは違うのだ。杉戸のマップを入手できなかった。


日光街道歩き4 越谷宿~粕壁宿      6/30

2012-07-02 | 街道歩き

 6/30 早く甲州街道を続けたいが、膝に不安を覚えていたので、近い日光街道を歩くことにした。越谷なら電車賃も片道350円で何度でもやり直しがきく。

 東武線越谷駅から300m程で日光街道に出る。ここが越谷宿。左折して街道を北上する。この辺りから大沢橋まで点々と旧家が残る。家の奥に蔵など2、3棟続く奥行きの深い家だ。昭和の初期か戦前かと思われる横田診療所の建物も目立つ。古い「塗師屋」があった。レンガ塀と蔵のある蔵造りの旧家だ。隣は蔵作りの荒物屋で営業中。歩道もないこの通りは車が多くゆっくりスケッチできないのであたり描きで先へ行く。

塗師屋

 大沢橋で寄り道して「越ヶ谷御殿跡」、久伊豆神社、天嶽寺など見回って橋まで帰るとすでに1時間半も経っている。足の疲れも出始めの感があったがここはまだスタートの越谷宿。思い直して出発する。
橋を渡ったところが宿場の中心らしく本陣、脇本陣があったとのことだが今は標識もない。北越谷駅を過ぎ宮内庁の鴨場の後は神社、寺を見ながら、せんげん台駅、武里駅の傍を過ぎる。一ノ割駅の手前で「備後の一里塚」の標柱を見、戦前の有料木橋「藤塚橋」跡も確認する。

横田診療所       備後の一里塚跡

 膝は何とか保っているが足裏が痛い。土踏まずが無くなってしまった感じでゆっくり進む。八坂神社についていよいよ粕壁宿だ。街道を外れ古利根川に向かう。市民文化会館も見覚えがあり、何年か前に川伝いに越谷からここ春日部まで来たことを思い出す。(今日より距離も長いのに、まったく疲れを覚えなかったなあ…) 粕壁宿も本陣、脇本陣跡の標識はなかった。旧家や蔵などの建物も限られているように思えるが、パンフレットを持ち帰って調べておく。

 ここまで5時間余りで約31千歩。ちょっとの休憩、スケッチや写真撮影など以外はほとんど歩きっぱなしだ。いつもより足腰がきつい。が、後の祭りだ。


日光街道歩き3 (草加宿~越谷宿)を歩きました 5/26

2012-05-27 | 街道歩き

 行程:東武草加駅~草加宿(本陣跡、おせん茶屋、神明神社など)~札場河岸跡~松並木~蒲生大橋~蒲生一里塚~藤助河岸跡~清蔵院~照蓮院~東武越谷駅)

 街道歩きも近郊なら思い立ったらすぐ出かけられる。先週に引き続いて草加から越谷を歩いた。このコースは2007/10に歩いている。「街道歩き」の意識のなかった時なので草加をスタートし新越谷(南越谷)で止めているが、新越谷-越谷間は別に何度か歩いてる。

 草加駅から街道筋へ出て宿場の名残を確認しながら進む。神明宮の手前に休憩所神明庵があり街散歩の絵手紙展を見る。草加せんべい発祥の地から伝右川を渡り望楼へ上る。札場河岸跡を見てから矢立橋、百代橋と太鼓橋が続く。美しい松林と相まって浮世絵を彷彿させるが、昔はこの橋は無かったはずなのでスケッチはしない。
 やがて蒲生大橋で綾瀬川を渡る。そこが「蒲生の一里塚」だ。埼玉県内で唯一現存する一里塚とのことだが、ここも片方しか残っていない。(F0)

 

 蒲生駅の手前に清蔵院という真言宗の寺がある。市文化財の山門に龍の彫刻があるが金網で囲んで逃げられぬようにしてある。金網が邪魔で姿が良く確認できないのが残念(写真)。
 武蔵野線をくぐり1Kmほど北上すると照蓮院がある。案内は何もないがこの辺りから越谷宿だろう。緑がきれいで駅もほど遠くないのでここでスケッチをしておく。(B5)

  


日光街道歩き2 (千住宿~草加宿)を歩きました 5/19

2012-05-20 | 街道歩き

行程:JR北千住→千住宿→荒川→明王院→東武梅島駅→国土安穏寺→鷲神社→毛長川(県境)→浅間神社→草加宿→東武草加駅
 (宿場間の距離は9Km弱だが、行きつ戻りつと寺社立ち寄りなどでこの間約23,000歩。15,6km分を歩いた感じだ)

 女房が友達と日帰りバス旅行に行った。どうする?
甲州街道はこの前の日曜に歩いたばかりなので近い日光街道にした。千住宿は歩き、スケッチなどで度々来る街。でも本陣跡標柱は確認したことがなかったの探したが良く分からない。見ると「千住街の駅」ができていたので訊くと、親切にもわざわざ案内して呉れた。絵馬屋、横山家、銭湯と来たが槍かけ団子屋がない。戻ると工事中で店が無かった。気付かず通り過ぎたのだ。立て看には「当面休業」とのことだが昔の風情は無くなるだろう。スケッチは始めて間もないころのものです(2008/7/18 F0)。名倉医院、安養院を確認して荒川の土手に出る。

 

 今の荒川は大正になってできた川で江戸時代には無い。だから「渡し」ではなく道だったらしい。明王院から梅島駅を過ぎ、御成橋の石柱から国土安穏寺にいたる。2、3代将軍が良く立ち寄られた寺とか。仁王門(写真)だけでなくあちこち三つ葉葵の紋だらけの立派な寺だった。しばらく行くと鷲神社がある。切り拓かれて森は少なく社も新しいが、姿は美しい(写真)。途中ぽつぽつと平屋の旧家を見かける。足立清掃工場を過ぎるとすぐ埼玉県に入る。

 

 谷塚駅近くの浅間神社によって更に進む。さすが通りには草加せんべいの看板が多くなるり草加宿に至る。この宿は藤城家のほかは古い建物が少ないからなのか、今様・草加宿として町興ししているようだ。前に古い休憩所だった「おせん茶屋」も工事中だ。東福寺も工事車両が入っていたが、小学校の古い校舎が歴史民族資料館になっていて、古い街並みや駅の写真が残されており雰囲気が少し感じられた。


日光街道歩き7(幸手宿~栗橋宿) 権現堂桜堤でスケッチです

2012-04-12 | 街道歩き

 都内の桜の名所ツアーに女房が友達と出かけたので、一度スケッチしたかった権現堂桜堤に出かけることにした。絵を始める前に桜のウォーキングで出かけたことがあり、機会があればスケッチしてみたいと思ってたのだ。

 今の甲州街道歩きが終われば何れ、と考えていた日光街道歩き(幸手宿~栗橋宿)を欲張って引っ掛けることにした。寄り道三時間で念願の権現堂桜堤をスケッチできた(F2で3枚)。

 

 朝、南越谷で乗り換える東武伊勢崎線が人身事故で動かず、越谷まで一駅歩くおまけが付いたスタート。幸手駅は花見客で結構な人出。自分は宿場の痕跡や古い商家や寺を覗きながら日光街道を歩く。デジカメで10枚一寸撮ったらバッテリー切れだ。いつもは残量チェックし、予備を持って来るのに今日はチェックもしなかったことに気付く。やむなく携帯で撮影することにしてしのぐ。

 行幸橋の手前から権現堂堤に入る。広大な駐車場も満杯で屋台も大賑わい。桜は散り始めから散り盛りの少し手前位か。ポイントと描ける場所を探す。人の行き来が激しいが道端に腰を下ろす。場所を替えても覗き込む人、褒めてくれる人、話しかけてくれる人多い。大分慣れたが自分でも「もう一つ」と思っている絵を褒められると面映くてしょうがない。

 デジカメが使えず、一時は今日はこのスケッチだけにしておこうと一旦は思ったが、折角だから予定通り歩こうと午後三時から5.5km余の栗橋宿目指して出発する。道しるべ、寺など確認しながらあちこちの桜を楽しみながら歩く。栗橋宿はかすめただけで次に残し駅に急ぐ。17時ちょっと前にゴール。計約2万5千歩。