あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

「栗ご飯」までの遠い道のり

2023-10-10 | 田舎暮らし

週末、「ぞうさんカフェ」で

オープンマイク。

1曲だけ歌うことになっている。

エントリーがすぐに埋まるという

超人気のイベントだ。

参加者はエントリー開始の

時間に合せて待ち構えている。

なのだけれど、

私はこの何か月か人前で

歌いたい歌が見あたらない。

オリジナル曲はたくさんあるけれど

場に合う曲が生まれないというか。

とにかくステージに上がるのが

おっくうにうなった。

私の曲でダンスして下さる

Kさんからのお誘いで曲間に

1曲だけ参加させてもらう。

11月はライブやイベントだらけ。

「表現者」にとっては多忙な時期。

12月まで予定なしの新屋まりは

表現者からしばし降りてみる。

歌わないが曲作りには

手をつけてみた。

形にする熱量があるのかどうか、

やや不安ではある。

畠では夏野菜がまだ育っていた。

白菜やほうれん草、春菊も

もうすぐ収穫できる。

裏山に栗が落ちていると

近所の方に言われて

母が拾ってきた。

そんなところに我が家の栗の木が

あるとは知らなかった。

脚の不自由な母が結構な傾斜の

山道を上がって来たというから

驚いた。

こけたりしたら膝の人工関節が

破損しかねない。

私が行ったのは2日後。

りっぱな栗が結構落ちていた。

ざるに半分になった。

茹でてみたが食べづらい。

栗ご飯を食べたい。

その一念で皮をむく。

硬い皮を包丁でむくが

指先がなんとも痛い。

栗ご飯を食べたいという

強い一念がないととうてい

辛くて皮なんかむけない。

暇を持て余す母でさえも

「手が痛い」と早々にあきらめた。

2日に渡りやっとざるいっぱいに

なった裸の栗たち。

すぐにでも栗ご飯にしたいが、

炊飯器にはご飯がどっさり。

私はそのご飯を減らすべく

お昼に頑張って食べた。

夕方仕事に出かける前に

炊飯器に栗ご飯を仕掛けて

おけば良いと計画していた。

が、夕方キッチンに行くと

フライパンにもうカレーが

出来ていたといふ(涙)

栗ご飯にカレーは合わない。

断念した。

翌朝帰宅。

お昼に栗ご飯を炊きたい。

が、炊飯器には夕食まで

たっぷりのご飯が炊けていた。

今日もありつけない。

残念がる私をしり目に

皮をむいた栗を見た妹が

「今日は栗おこわだ」と

何%かの栗を持って帰った。

すでに3日だ。

裸にされたままの栗たちが

乾いてパサパサになる前に

首尾よく栗ご飯にしたいものだ。

栗ご飯までの遠い道のり。

ブログタイトルを思いついた。

栗ご飯はまだだけれど

畠のピーマンと竹藪で見つけた

巨大なミョウガを水槽に

浮かべて悦に入る。

ミョウガは浅漬けと和え物に、

ピーマンは佃煮にしたら

すごくおいしかった。

馬肥ゆる秋という。

ウエスト周りが「あれま」な状態だ。

気をつけたい。

 


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