自己内観ブログ

自己を信じて大地にしっかり根付いた生き方をするための日々の閃きを綴ります。

あの時から感謝するようになった話➁

2021-06-14 08:23:33 | 随想
感謝される側、感謝する側のどちらの気持ちも理解できるようになった私でしたが、それは仕事を通しての事であり、日常生活の中ではまったくしていなかったのでした
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例えば、自然の豊かさに包まれていることや毎日朝を迎えられることや仕事ができることや家族がいることや友人がいることや様々な人と会話できたり関わることができることや毎日食事できることや、、
、当たり前過ぎて感謝していなかったのでした。

この当たり前のことに感謝するようになったきっかけを知るようになったのは、10年以上も前のある人との出会いからです。

その方は、共に出かける場所で関わる人には、愛くるしい笑顔で「○○さん、ありがとう、、」と片手を軽くあげて心を込めて感謝を述べるのです。
その当時の私は、お客の側が何で感謝しているの?なんてことを思うくらいの恥ずかしいほど貧しい状態でした
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そのような場をたくさん経験しているうちに、次第にその「感謝する、されたという場」の波動の心地良さを感じとれるようになりました。

心をこめて「ありがとう」と相手に伝えると受け取った側にあたたかい波動が伝わりそのハートにあたたかさが点滅する、、人のハートの中にはそのようなシステムと言いますか装置が、備えられているのでしょう、、
そのように神様が創造されたのだと思います。

そのシステムをその人の行為からようやく、思い出した私は、それからそのように日常生活の場でも感謝の言葉をたくさん伝えるようになりました。

その後、仕事も退職して自己磨きに専念するようになると
宇宙の創造主やその創造物にも深い感謝の念を持てるようになりました。
そうしたことは、日々のブログにも書いて来ているところですが、、

自分がこの地球に生まれて来て生きていることを追求して行くことで、自分という人間の傲慢さを深く反省したところが感謝の原点になっています。

つまり、ここに自分の意志で生まれて来ることを決意して宇宙の源にお願いして許可され来れているということを理解すると、地球をはじめ宇宙のその偉大さ完全さそのものに感謝せざるを得ないわけです。

今は、人生の経験を通してこの宇宙のすべてに感謝するためにここに存在しているように感じます。

この世界で生まれた土地を離れ、見知らぬ土地で故郷を思うならきっと、その故郷の家族や幼なじみや山や海や川などの自然を想い感謝するはずです、、

きっと、そのようなことなのだと思うのです、、





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あの時から感謝するようになった話①

2021-06-14 08:12:00 | 随想
今朝、久しぶりにアロマオイルのアバンダンスの匂いが嗅ぎたくなり、ボトルの蓋をあけました。

7年位前には、お気に入りでよく使っていたのですが、いつの間にかたまにしか使わなくなっていました。
その時は、疲労感が強かったり背骨沿いの痛みが強かったりしていてその改善のために使っていました。
私がアロマオイルを学ぶキッカケになったヒーラーの方は、匂いを嗅いで自分の体が欲するオイルを選ぶようにと教えてくれましたので、その時々の思いのままに匂いを嗅いで直感で使っていました。

そのヒーラーの方によりますと「アロマオイルはラベンダーで始まりラベンダーに戻る」という言葉があると話されていましたが、私も最近は、ラベンダーに戻っていた感じだったのですが、、
あの強烈な肉桂(シナモン)
の香りがたまらなく恋しくなりタップリ使いました(笑)

このアバンダンスは、豊さを与えてくれると言われているので、紙に吸い込ませてお財布に入れている人もいるとか
、、
物質の豊さだけでなく精神面や人間関係の豊さなども運んでくれるとも言われています
、、

そのアバンダンスを思い出すまえに早朝の目覚め時の宇宙源との会話の中で、アレヤコレヤ言い訳でもないのですが、この世的な愚痴みたいなことを伝えていたのです
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後になって、その答えが、アバンダンスだったのだと思いました、、

話は、戻りますがその強烈な香りを嗅ぎながら、心の奥から感謝の思いが泉のように湧き出て来たのでした。

感謝に関する内容のブログは、何回か書いていますが
何故か、この感謝の話を又、書いてみようと思いました
私のブログは、皆様に読んで頂いていますが、自己への啓発であり応援であり記録が基本になっています。
この事が示すように私は、この年齢になってもまだまだ、未熟者なのです、、

私は、育った環境や職業柄40歳くらいまでは感謝されることがほとんどでした。
これは、結果としとなっているわけで感謝されたいと思っていたわけではないのです。

ただ、シンプルに手助けしなければならない人に手助けしたいとの思いから手助けして、結果、感謝される、、みたいな状況だったわけです。

感謝されますと、それが喜びとなり又、一生懸命仕事や必要な状況に励むわけです。

今、思いますとそうした状況が続いていますと感謝することをしないで過ごしていたように思います。

そんな中、40歳半ばくらいに仕事的な大きな挑戦をしまして経営的なことをやる経験をしたのです。
その時に、感謝する側の経験をたくさんしました。

そして、50歳代になり感謝する側の喜びも知りました。
福祉介護の仕事を通して、感謝して下さるご高齢の方々に「とんでもないです。あなたが、おられたから私が仕事ができるのです、、」と言えるようになったのでした。

少し飛躍した話に聞こえるかもしれませんが、医療や福祉や弁護士などは、人が困った時に支援する仕事ですから、そうした役割をして下さる方々に感謝をしながらやって行かないと、とんでもない事態が生じる場合があるのです
このような、人が困った時の職業というものが不要な社会になったら真のユートピアかと思います、、

➁に続く




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