リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

1月17日 あの日 長良川で

2011-01-19 12:05:48 | あなたをわすれない

午前5時46分、遺族ら默とう 阪神大震災16年(朝日新聞) - goo ニュース

 

「阪神大震災は17日、発生から16年を迎えた。6434人の犠牲者を悼むろうそくの炎が各地にともり、発生時刻の午前5時46分に遺族や被災者、市民らが手を合わせた。」

 

あの日、ボクはこの地震の震動で目覚めた。

ただ、揺れが大きかったということばかりでなく、よく眠れないで朝を迎えていたこともあった。

その朝はもりのが入院する朝であった。

 

そのまま、起き出して、病院への準備をした。

明日の手術に先立ち、医師からはもりのが重篤な病気である可能性が告げられていた。

その朝から、ボクたちの病との戦いが始まったのだ。

 

申し訳ないことだが、震災の惨状を伝えるTVを見ているのだが、内容がリアルタイムとして記憶できなかった。

ただ一つ、覚えているのはTVのレポーターが通りかがりの男性に興奮してマイクを向けた時、その男性が淡々と答えた内容だ。

「妻は死にました。娘は行方がわかりません」

 

それさえも、病室前で医師に告げられた言葉に重なって、頭の中をぐるぐると廻り、薄まっていくようだった。

 

1と月ぶりに日本の新聞を読んで、今年も1月17日が過ぎたことを思い出した。

開高さんが60年代に泊まったというホテルの部屋には、プレートが掛かっている。

 

開高さんは30代の後半にベトナム戦争と出会った。ボクは同じ年頃に長良川河口堰の問題に係わることになった。

開高さんが(名誉的な)代表を務めるとされていた運動体と協働することもあったので、いつかお会いできるかな、と思っていたが、その機会はついに訪れなかった。

開高さんが亡くなった歳に近く、ボクは初めてサイゴンに来て、マジェステックホテルを選んだ。20年余の歳月が流れたことになる。

 

今まで決して忘れることの無かったあの朝のことを、ホテルの新聞で思い出した。

自戒を込めて、今日のブログに書いたのだよ。

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