新潟久紀ブログ版retrospective

ほのぼの愛車遍歴9「三菱・ランサーフィオーレ・アレックス」(その1)

●三菱・ランサーフィオーレ・アレックス(その1)
◇◇◇三菱・ランサー・フィオーレ・アレックス
 [1988年4月から1994年10月まで各種ライフイベントを乗り切る]◇◇◇

 就職して2年目の春。大学3年生の頃から中古で乗り始めて北海道旅行や卒業に伴う引っ越し、防風災害時の着の身着のままの避難などで満身創痍となったランサーEX1400GLはいよいよ廃車を余儀なくされ、車を替えることになった。
 定職に就いていることでもあり、いよいよ新車の購入だと思うも、昭和の終わりの当時、公務員というものは働き始めは給与がえらく低く、十分な頭金を確保したり先々重いローンを組むのも不安があったので、とにかく安くて使い勝手の良いモノということだけを条件に探すことに。
 となると、結局は自動車の販売修理も請け負う会社に勤めていた父に先ずは頼むことになる。私はこれまでの愛車2台にわたりコンパクトなセダンに慣れ親しみ、その便利さも良くわかっていたので、3台目も手ごろなセダンということで父にお願いした。新車となれば、三菱自動車販売代理店であったので、ランサーかミラージュあたりのセダンになるのだろう。その二つのブランドはその頃には実質的に車体を同じにしていたし、もとよりモノにこだわりの無い私には、新車で故障なく快適に乗り回せさえできれば良いくらいに思っていた。
 父から指定された日に柏崎市の実家に瀕死のランサーEX1400GLでたどり着くと、上半分が白くて前後のハンバー含め下半分がグレーのツートーンカラーのピッカピカの新車が待っていた。バブル景気を駆け上り始めた1988年の当時、乗用車というととにかく「白」がブームで、メーカーやブランドの高級かどうか等を問わず街中や道路は白い車で溢れていた。私は、特にミニバンなどで白い車体を見ては冷蔵庫みたいでなんとも好めず、皆が皆の流行りには抵抗感を抱いていた。
 それでも、この度手にする新車は白が主体とはいえ趣味の良いツートーンカラーであり、そこは初見で気に入ったところ。車の形状も乗りなれたランサーEX1400GLと近い直線基調が踏襲されたコンパクトセダンなので、乗り換えにあたっても面倒はなさそうだ。
 これが、私にとって初めての新車である三菱ランサー・フィオーレ・ALEX(アレックス)との初対面であった。ランサーはその頃、同じブランドの中でも既に二極化を強めていて、スパルタンにスポーツライドを追求して進化を続ける「エボリューション」シリーズの一方で、私のような凡人が主に街中や郊外のドライブで乗り回すのに丁度いいノーマルバージョンが用意されてきており、かつてのハッチバックの大ヒットから続く「ミラージュ」と車体を同じくするようになって、それは「フィオーレ」という名を冠していた。さらに、販売促進のためなのか、この時のキャンペーン車体として、くだんのツートーンカラーをはじめ内装外装に少しアクセントを加えて売り出したばかりだったのがALEX(アレックス)仕様だったのだ。
 父にしてみても、勤め先の会社が代理店として三菱自動車から販促の檄を飛ばされる中でのノルマ消化であったものと推察されるのだが、言い渡されていた頭金を父に渡すときにそんな無粋なことは私も言わない。残りの代金の分割支払いの方法などを打ち合わせると新車の割には廉価であると思えた。社員割引なども使ってくれたのであろう。父の手配に謝意を示すと、引き換えに父はもう臨終間近のランサーEX1400GLに乗って会社へ廃車の手続きに向かってくれたのだ。


(「ほのぼの愛車遍歴9「三菱・ランサーフィオーレ・アレックス」(その1)」終わり。「ほのぼの愛車遍歴10「三菱・ランサーフィオーレ・アレックス」(その2)」に続きます。)
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