新潟久紀ブログ版retrospective

ほのぼの愛車遍歴19「三菱・ギャラン・ヴィエント」(その8)

◇◇◇三菱・ギャラン・ヴィエント
 [1994年10月から2009年9月まで子育て時代を支えてくれた]◇◇◇

▼8トラブル続きの終盤(その4)
 ギャランヴィエントはとにかくリコール三昧だった。最初は、新車購入して二三年くらいの頃であったか、足回りのジョイントのカバーの強度が弱くて走行中に操舵不能になる恐れがあるとか何かで通知文書で呼び出され、馴染みのディーラーに持ち込んで部品交換してもらったのではないだろうか。
 その後も、数年間にわたり、何度か修理で呼び出されたと記憶している。人の造るモノなのだから完璧はありえないし、特にクルマは高度に複雑な製品なので、製造過程の瑕疵とかデータでは予見できない不具合などはやむを得ないと私個人は思うのだが、修理の殆どがリコール隠し絡みであったのがいけなかった。度重なる不祥事により三菱自動車は信用を失墜させ、現在自社ブランドの普通乗用車から基本的に撤退してしまう伏線となったようだ。三菱自動車はメジャー指向のトヨタや日産とは違うし、個性をウリにするホンダやマツダとも異なり、少し別格というか第三局の選択肢のような気が個人的にしていて、存在し続けて欲しいブランドであったのだが残念だ。
 そもそもの製造過程の瑕疵からくるリコール案件とはされていなくとも、もしかすると実は瑕疵なのかもしれないが、好意的に考えれば経年劣化というか、使用のされ方により不具合が生じることも、特に10年目を過ぎると増えてきた。
 最初のクルマである中古のトヨタ・カリーナ1400DXが半年、二台目の中古の三菱・ランサーEXが3年、初めて新車で購入した三菱・ランサーフィオーレが6年程度だったことを考えれば、新車とはいえギャラン・ヴィエントは15年も乗り続けていて、通勤に使うわけでもなかったので走行距離が年平均1万km弱でしかなく累計走行距離も廃車時に14万kmを超えた程度であったが、よく言われるように、10万kmを超えるあたりから不具合に襲われるようになったものだ。
 特に深刻だったのは、普通に街乗りをしていて何気なく赤信号で停まった時にいきなりエンストしてしまったこと。キーをひねりセルモーターを回すと動くので、修理の予約日まで騙し騙し数日間乗り続けたのであるが、交差点の真ん前で止まったままになる事を考えるといつもヒヤヒヤした思いで運転していたものだ。ディーラー曰く「これはリコール案件ではなく個体の問題」ということだが、いぶかったものだ。昔から「三菱自動車のクルマには当たり外れがある」との風評があったもの。以前のヨーロッパ車ほどではないだろうが、クルマの故障癖というのは個性ということなのか。
 ただ、そんな呑気では済まされないような、一歩間違えばということが、廃車を前にした最後の最後という頃にあった。
 ギャラン・ヴィエントの車体とか機器の問題ではないのだが、新車購入時に純正品として着いてきたアルミホイールないしそのナットの劣化だ。
 一般大衆車であり高級車とは言えないギャラン・ヴィエントであったが、純正品として比較的高いブランドであるレグノのタイヤが装備されていた。口の悪い人に言わせると「レグノを買うとギャランが付いてくる」と揶揄するほどの相対的関係性。レグノは柔らかくて減りやすかったのでタイヤそのものは3年くらいで交換したが、雪国新潟ゆえに冬場の4ヶ月程度はスノータイヤとセットのアルミホイルに履き替えていたので、純正のホイールは痛みが遅かったことから、なんと15年間最後まで使い続けたのだ。
 しかし、タイヤ受け軸の穴や、ナットとの噛み具合は少しずつ甘くなっていき、ナットが手で回るほど緩むという事が時折起きるようになった。廃車予定が近づく頃には毎日のように乗車の前後にナットの緩みがないか確認し、適宜締め付けるようになっていた。
 そして極めつけは、廃車を目前にした夏休みの家族イベントで大阪まで新潟からクルマで行くという企画だった。
 出発前はもとより、経路の折々でナットの具合を確認したのだが、遊び終えて大阪を出て新潟へと向かう帰路については、殆どが高速道路で信号によるストップアンド・ゴーといったタイヤへの負荷が少ないと過信して、途中のパーキング等でいちいち点検などはしなかった。運転していてハンドルや乗り心地に違和感などは全く伝わっても来なかった。
 大阪を夕方前に出発して無事に新潟の家に辿り着いたのが22:00過ぎ。事故もなく無事に旅行を終えて安堵し、家族を先に家に入らせて荷物を抱えて、そういえばと思いホイールを触って見たら…。なんと前輪の左車輪のナットが5本とも外れる寸前の常態であった。もう少し走行距離が長くて、しかも高速道路の上で、駆動輪のタイヤが外れることにてもなれば、家族もろともこの世から消えていたかもしれない。目一杯楽しい思いをした旅行の終わりに発覚したこの状況に、真夏なのに鳥肌が立ったものだ。
 最後の長距離旅行にギリギリのところで持ち堪えてくれたギャラン・ヴィエント。名残惜しいが、こうした状況を見るとやはり潮時と改めて確信した。長い間、特に子供達の成長と軌を一にして活躍してくれたことへの感謝がこみ上げてくる。本当にありがとうと心の中で唱えたのだった。
〓ギャラン・ヴィエントおわり〓


(「ほのぼの愛車遍歴19「三菱・ギャラン・ヴィエント」(その8)」終わり。続きは近くupします。)
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