新潟久紀ブログ版retrospective

【連載】空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕(その2)」

<第一章「空き家」になるまで>
●不思議なおばちゃん達と僕(その2) ※「その1」はこちら

 いわゆる町家という程ではないが、その古い家は奥行きが長かった。祖母に手を引かれて歩く廊下の先は暗くなっていて、幼い僕にとっては深い洞穴に入っていくような感覚だった。しかし、それは怖いというものではなく、むしろ懐かしいやすらぎにも似たものであった。生家に戻ってきて気が緩んでいる祖母の気持が、繋いだ手から伝わってきていたからかも知れない。
 廊下沿いに八畳ないし六畳の和室が続いているのだが、通り過ぎる度に各々の部屋から声が掛かったり音が聞こえてくる。一部屋に一人ずつ老人が過ごしているのだ。一人目はいつも何かブツブツとつぶやきながら部屋の中をうろうろ歩いたり座ったりして落ち着きのない"おばさん"、二人目は冬用の小さな炬燵を夏はテーブル代わりにして座椅子に座るか、腰の曲がったまま横になっていて、僕たちの歩く音を聞きつけて廊下に目をやり少し挨拶を発する寝たきりに近い"おばさん"、三人目は、布団や毛布などが乱雑になったその中で、時折何か声を唸らせてうごめいている"おじさん"。最後のおじさんは僕たちに向けて声掛けするという感じではないのだが、廊下から通りすがりに部屋を覗くと、布団の中で"もさもさ"と動くのが見えて来客に反応しているかのような感じなのだ。
 そう。この頃の幼い僕は、近所の同い年くらいの子供達と外で遊んだりはしていたが、共働きの両親は休日も溜まった家事や仕事づきあいで忙しいこともあって社交的に別のご家庭へ訪問に出かけることなどが無く、幼稚園の帰りに時折連れていかれる近所の祖母の生家だけが家族以外の大人の暮らしぶりを目にする機会だった。だから、この風変りな人たちが、当時で言うところの精神薄弱者といった知的障害者か、もしくはその境界線付近にいた人たちであることなど認識する由もなく、これが普通の世帯の有り様の一つだと思っていたのだ。
 自分の姉が当時の僕のような可愛い盛り(?)の孫を連れて遊びにくれば、大歓迎でチヤホヤと甘やかすのが大抵ではないだろうか。しかしおば(じ)さん達は、僕を全く甘やかさない。一瞥だけして仕事に根を詰める者、反射的に愛想笑い的な一声を発するものの直ぐに独り言と共に自分の世界に入っていく者、曲がった身体で思うように向き直れず背を向けたまま僅かに挨拶をする者、布団の中で呻きながらうごめいている様子の者…。これが当時の僕にとっての"大人の人たち"だったのだ。

(空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕」の続きは近くupします。)
※"空き家"の掃除日記はこちらをご覧ください。↓
 「ほのぼの空き家の掃除2020.11.14」
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