新潟久紀ブログ版retrospective

新潟暮らし推進課3「UIターンコンシェルジュ・東京駅前での驚き(その1)」編

●3UIターンコンシェルジュ・東京駅前での驚き(その1)

 新潟県では若者の東京圏への流出による人口減少が深刻だが、その逆の流れを作るためには、流出の契機となっている進学や就職について対策を講じなくてはならない。平成時代の前半には全国的に大学が新設され、地元の子供達を地域に留める受皿と成り得るかと期待もされたが、東京の名の知れた大学の吸引力には抗えなかったと思える。そもそも高校の進路指導の先生が、センター試験の自己採点値に基づいて偏差値順の大学一覧を生徒に見せて、「その点数で行けるのはこの範囲」と示しながら、先々考えると少しは名の知れた大学の方が就職などで有利だとか話すものだから、高速交通アクセスの利便性や「一度は東京暮らし」への憧れから、世間ずれしていない子供達が東京圏の中堅以上の大学になびくのは、経験的に見ても"むべなるかな"というものだ。
 一旦、東京の大学へ進学してしまうと就活も、地元との往復のコストと時間を嫌って、自ずと東京が足場となるから、都内での就職の流れになる。実にこうしたシナリオに乗って、かつて人口日本一を誇った新潟県は、高学歴化と社会経済の発展の中で、正に湯水のように若者を大都市東京に送り続けてきているのだ。足下の人口減少を嘆く年輩達を見ると「どの口がそれを言うのか」とさえ思う。「新潟に残っても面白くない」とか「家のことは気にするな」などと言って、係累の師弟がそのシナリオに乗ることをむしろ助長してきたのではなかったか…。
 新潟暮らし推進課長となった私は、そんな愚痴ばかりこぼしてはいられないので、流出した若者を取り戻す策を講じなくてはならない。既に当課においては、対策の目玉の一つとして、3年前の創設の時から具体的な仕組みが設けられていた。
 「UIターン・コンシェルジュ」制度。先に記したとおり、若者がそこに住まう最大の理由は仕事だ。東京での勤めが定着している若者に対して、何の保障も無しに新潟で暮らしてくださいと誘ってもそれは無理な話。それでも、都会の過密さや慌ただしさ、子育てのしにくさなどで地方で暮らしたいと思う若者は潜在的には少なくないはず。彼らを新潟へと向かわせる動機付けと行動に繋げるために、円滑な転職を仲立ちするエージェントを配置したのだ。
 東京に初度の相談を受け付ける担当を1人、その転職希望者の要望に適う企業を新潟で探し当てて仲立ちする担当を統括者を含めて8人程度、そんな彼らを悩み事に対応策を提示するホテルマンよろしくコンシェルジュと称して取組を進めていた。
 新潟から東京圏への若者の流出が年間数千人に及ぶ中で、数人の体制で東京から新潟への転職につなげられるのはせいぜい年間2百人程度といった実績で、直接の効果としては厳しいものであるが、移住転職した人たちの成功談を情報発信したりすることで波及効果も呼べるかも知れない。とにかく激流のような若者の流出に少しでも変化をつけているだけでもこの事業は重要な取組であると思われた。新潟暮らし推進課長に着任すると直ぐに東京の相談窓口の現地視察に行くこととした。

(「新潟暮らし推進課3「UIターンコンシェルジュ・東京駅前での驚き(その1)」編」終わり。県職員として11箇所目の職場となる新潟暮らし推進課の回顧録「新潟暮らし推進課4「UIターンコンシェルジュ・東京駅前での驚き(その2)」編」に続きます。)
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