勝五十六の日本戦略論

この危機を機に、少しずつ、日本戦略論と今回の政府の対応の遅れを海外から見た視点で、書いていく予定です

カムカムエブリバデイ 英会話は簡単!?

2022-02-07 08:37:00 | 日記
今朝の朝ドラでラジオ英会話の先生が松本亨先生から東後勝明先生に変わっていたのがちょと疑問で調べてみた。松本先生は、1972年でラジオ英会話の先生をお辞めになり東後先生に変わっていた。1972年から1985年まで東後先生が担当されていたのだった。東後先生で一番印象に残っているのは、発音とイントネーションの指導。確か英語の音声学と英語教授法の専門だったのかもしれない。
松本先生は英語で考えることを勧められた。

アメリカ人のような発音やイントネーションを身につけようと必死だった中学、高校時代を思い出す。

1974年に大学に入学して、1年生の頃はまだ朝の英語会話を大学の寮で毎日きいいていた。二人部屋で英語の勉強を朝やっていると、相部屋の上級生に文句を言われたのを覚えている。松本先生のラジオ英会話は、中学から高校1年の時にお世話になったことになる。アメリカへ1976年に留学する頃にはラジオ英会話は聞いていなかったようだ。昼間は英文科で、夜は、新設された国際部で、アメリカ文化史、日本思想史等の英語の講座を取っていた。

ふと思い出したのが、もう一人テレビ英会話のトーク番組の國広正雄先生。一番印象に残っているのは、中学の英語の教科書をただ毎日音読して、自然に覚えれが、英語は自由に話せるようになるとゆうのがこの先生の持論だった。禅の只管打座(ただひたすらに座る)からとって只管朗読(ただひたすらに読む)を唱えられた。
一時本気で覚えようとした時期がある。この先生は確か大学の先生から社会党から政治家へ転向された。

それと昔あった『100万人の英語?』のラジを番組にもお世話になった。これは夜の番組だった。調べると1952年から1992年まで放送されたようだ。

今もNHKで色々な語学番組あるようだが、どのくらいの人が利用しているのだろうか。昔は地方で英会話の勉強は、ラジオ、そしてテレビが中心だった。英語会話は、早朝で朝起きるの結構大変だたのを覚えている。

「アメリカの広い地平線を見たい」夢があったので、英語の勉強は長く継続できた。
中国語は、いきなりゼロから清時代の外交文書を勉強したり、ゼロからいきなり
香港の中文大学へ留学したり、無謀な方法で勉強したのが北京語と広東語。広東語は
耳から覚えただけで、正式に勉強したことはない。

色々な方法があるが、やはり日々の努力以外にないようだ。ゼロからいきなり昔の外交文書を漢文で読むために1週間図書館に缶詰になって辞書を引きまくった。中国がわかる同級生に助けられた。

残念ながら、タイ語は6ヶ月ほど個人指導を受けたが、まだ1歳のレベルに達していない。でも生活に必要な最低限は喋れる。

朝ドラのひなたちゃんの英会話の勉強はどうなるか、楽しみ。



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