管理人@久々に本気で真面目な事書くよ! です。
書き終わってから書くあとがき:
クソ長いです。途中で切って、何回かに分けて載せようとも思ったんですが、明確な構成が無いので出来上がった長文を見ても切るに切れず、一挙掲載と。読んで欲しいような、読んで欲しくないような、書いて満足、みたいな。そんな感じなので読み飛ばし可。
本編
人に読ませる文章を書くにあたってタイトル決めは非常に重要だと言われてます。タイトルを読めば何をテーマとして語ろうとしているかがまず分かるからです。と、こんな事を言っておきつつ、今の自分ではこれから書く文章につけるタイトルが分かりません。僕はいま「何」について考えを巡らせているんだろうか。そんな感じで「真面目ぶる」つってもいつものように曖昧であやふやに仕上がるかと思いますが、行きます。
僕は多分(@2月2日現在)大学に行くんだろうと思う。書き方に変な感じがあるし、読む人からするともっと違和感があるんだろうけど、ニュアンスとしてはそんな感じ。
余り具体的な事は言わないし、言うつもりも無いのですが、僕は幸か不幸か、「大学」に望めば行けちゃうような、そんな環境に3年間身を置いてきました。そんな環境です。だから、塾にも、予備校にも行かなかったし、家庭教師も来なかったし、Z会とか進研ゼミとかの通信教育系も一切やりませんでした。「だから」って言ってしまったんですが、周りにはやってる人も居ることは居ました。「だから」っていうのは、僕にとって、なんです。
ヌルい環境にドタドタと転がり込んでしまった瞬間から僕は一種のコンプレックスを抱えました。「・・・いいのかなぁ?」って。色々考えた挙句、僕の出した結論は「他の高校生より勉強しない分、それ以外のことで何でもいいから広く、色んな事をやろう。」という事。「だから」、勉強よりも経験・体験とかを必死にかき集めて来た。部活もそうだし、バイトもきっかけはお金よりもそんな思念だったりしたし、ちょくちょく話もしてきた天文もそうだし、テニスを続けてきたのもそう。天文に至っては、最近では自分の劇的な踏ん張りと成果に加えて、「えー、やるのー」とかゴネるチームを引っ張ったりもしてきた。・・・もっともっと言ってしまうと、「理系」という道を選択した時だって「とりあえずやってみるか。」っていうノリだった。
それで、1年の時は不安に駆られて死ぬほど勉強してそれはそれは当時のスタートラインの差を考えると奇跡的とも言える好成績をもぎ取ったし、2年からは「色々」の部分で結構キツい時期なんかも何度か乗り越えて来たし、最後の一年に至ってはベースに理系科目の課題とか卒論が敷かれた事もあって、相当しんどい状況を良く突き進んで来たなぁとか思ってました。単に「乗り越えてきた」っていうのも重要なんですが、本当に得るものも多く、大きかったと思うし、これは「事実」と言ってもいいと思う。
「大学」はどうするか、ってなった時に悩んだのは、まぁ、漠然と言ってしまうと、「理系」「文系」「中間」っていう選択。結局「理系」に決めた訳です。当然、先生曰く「毎年倍率3~40倍だけどな、センターで8割足切りだから云々」といった死線をくぐり抜けてきたような猛者どもと「勉強」で渡り合っていく事には多大なる不安があったのですけど、上に書いたような事から「いいんだおれは。自分が出来る事は全部やって蓄積してきたんだから。」とか結論を出して、決めた。もちろんそんな自己完結だけじゃなくって、もっともっと悩んで悩みたおして、色々考えて、色んなトコに飛んだり、色んな人に話を聞いたり、友達とも話をしたりしてね。
話は少し逸れますが、たまにこういう人が居る。「いいなー、楽で。」と。バイト先の中年とか、時折ばったり会う中学の時の友達の中にも、しみじみ、といった感じでそう言ってくる人が居る。そんなとき僕は「まぁね。」と言っておきながら内心、「3年間トータルしたら『辛さ』は互角以上だと思うんだけどなぁ」とかボヤいてた。ボヤく、っていうか、反論、っていうか、まぁとにかく、それなりに自信の持てる時間の使い方をしてきたっていう事を感じてます、って話なんですけどね。
あーうっすら何を言いたいのかわかってきたようなわからなくなってきたような状態に陥りつつありますが、あのー、そもそも何でこんな事を書き出したかっていうと原因がありまして。
何度も言いますが、キチっとしてれば、それなりに頑張れば、大学には行けるという環境だったんです。それなのに、他の大学を受験する、という奴が存在したんです。それもごく近くに、それも、一生懸命になって「引っ張ってきたチーム」の中に。
何となく予感があって、それとなく聞いてみたら、「うん。」って。
聞いた瞬間、驚きとか悔しさとか謝りたい気持ちとかが一気にブワーってなって「何でだよ!言ってくれればもっと対応したのに!」って言ってました。だって、放課後も遅くまで残らせたりしちゃったし、そんな彼がたまに不機嫌そうな顔をした事があった時に僕も不機嫌になったりしてたし、それは「めんどくさがってんなよ、みんな一緒なんだからさー」とか思ってたし、凄い申し訳なくなった。
でも、そいつはニヤニヤ笑ってるだけで。
僕「・・・いつ決めたの?」
彼「うーん、夏ごろかな。説明会行っても全然面白そうじゃなかったし、それから色々考えて、うん。」
僕「えっ、そんななの!?・・・大丈夫なわけ?」
彼「お前、そんなん無理に決まってんだろ。受けるけどさー、今年一年はまぁ、半分諦めてる。」
僕「えっ、なっ、何だよお前ー!そうだったのかよ、もう!」
彼「何?(笑)」
僕「・・・あの授業さ、『足かせ』になったりとかしてなかった?」
彼「そりゃ『足かせ』だよ、モロ。」
僕「(ずーん)」
彼「別にお前のせいじゃないだろ、あいつ(先生)だろ。それにさ、あの授業は楽しかったよ。色々出掛けたし、やってる事も面白かったし。」
僕「そりゃみんながテンパってる状況を楽しんじゃっただけだろ。」
彼「それはある(笑)テンションおかしくなるもんな。」
こないだ別れる時も、
彼「おれ願書郵送してくるから、じゃあ。」
僕「そうなの!?そっかそっか。」
彼「あーあ、今から本番だからさー。」
僕「もう、頑張ってね!!」
彼「おう。」
そいつはずっとヘラヘラしてたんですよね。飄々と、っていうか。至極当然の出来事のように。
そいつが変な奴なんだ、っていう結論を出すのは一理ある、っていうか、「変」っていう風には言えると思う。変だ。絶対変だ。何でだ。何でそうやって決めれたんだ。おかしい。
おかしいんだけど、ここで何が言いたいのか、っていうとだね。
僕は「何かと辛い方を選んできた。充分頑張ってきた。よくやった。」とか思ってたけど、それは所詮、恵まれ過ぎた環境の枠の中での出来事だったんだなぁ、っていうこと。物凄く狭い世界で勝手に悩んでたんだなっていうこと。「あれしようかな?それともこれしようかな?」なんて死ぬほど悩んでたつもりだった、というか、死ぬほど悩んだんですが、所詮それは目の前に転がってる選択肢の中から選んでるに過ぎなかった。理系選んで勝手に道を切り開いた気でいたんだけれど。実は。
彼の取った選択は、僕にとってはまさに「思いも寄らない」代物だった。世間知らずの僕にだって「半年でそりゃ無理」っていうのはわかるし、自身だって「無理」とあっさり言い切った。それなのにそいつは「頑張る」らしい。事実として伝えられた事は受け入れられるし分かるんだけど、どうやったってそれを自分には当てはめる事の出来ない異次元の、何て言葉で表せばいいんだコレは、「努力」「挑戦」?である。
もっかい言うけど、そいつは変だと思う。特殊だと思う。何らかの方法で人の選択に絶対的な価値を付ける事が出来た場合場合、もしかしたら彼は僕やその他大勢の誰よりも「正しい」という事になったりするのかもしれないけど、少なくとも相対的に見たら彼は特殊だ。そんな彼と「比較」なんていう相対的なことをやる意味なんて無い気もするんですが、はぁ、今までの自分は「自分は頑張ってきた」だなんて何とまぁ小さくてしょっぱくてショボい自己完結キメてたんだ、と。こりゃ努力も成果もちっとも足らないわ、と。彼を見てそう感じたんです。
「触発」なんて言葉を使うには余りにチンケな話なんですが、その話を聞いてからの最後の試験勉強は質、量ともにずば抜けてたし、意識も高まった。いつぞやの「前向きな萎縮」っていうのはこれの事を指してたんですけども。
多分これからずっと「彼」という存在は忘れられないと思う。ほんと、いい加減な事はやってられませんわ。言い方がとっても悪いんですが、なんていうか、「標本」的な感じで。「こういうヤツが存在するんだ」って事を心の中に置いておく事は、進んだり、何かにぶち当たったりする時に必要。
完全に暴走してトリップしている状態で困っちゃったんですが。
でね。
この文章はクソ長くって、それは時折このブログで生じる災害な訳で、「あ、読み飛ばそ。」って慣れっこの人も多くいると思うんですけど。今回のコレは書き手の僕からすると今までのとはちょっと違って、かなり細かく日数を分けて書いた、んです。だから読み返すともうテンデバラバラな構成になっとって、テンションも違うから大きな構成どころか文章のノリもバラバラになっとってヒェーという具合なんですが。
でねでね。
日数を分けて書いてるとだね、言いたい事が変わってきてしまったんですね。というか、1周して戻ってきた。位置的には。「彼」の影響によって色々、考えてきたからその分もとの状態とは違ってるんですけど。
最初書こうと思って書き始めた段階での結論って言うのは、
「あーあ、おれって何か色々やってきたつもりだったけど、そんなのは『彼』や日本の多数の大学受験で超絶頑張ってる人たちから比べたら屁でも無くって、しかもそんな事に気付かずにどこか自分に対して満足しちゃったりして、うわぁ、ヒドイ・・・。」
という陰鬱極まりないもので。
でも。
最近になって、昔の友達の進路を聞いたり、あるいはD君やK君とかと具体的な「やりたい事やりゃいいんだ」っていう意志の話をしたり、教習所で会った元同級生さんとの話もそうだし、とにかくそういう話を色々な人としてる内に、「やっぱ、いいんかな?」って思うようになりました。
確かに、妥協はメチャクチャしてきた。でも、それに対してコンプレックスを抱き、がむしゃらにそれを振り払おうとエネルギーは放出しまくってきた。結果、自分の中に今まで存在していなかった選択肢が生まれ、人の流れに飲まれず、自分がやりたい事はコレです、と言える方面に進む事になった。自分の人生は最高だ!、他の誰よりも誇りに思うし輝いてる!、なんて言うつもりも無ければ微塵も思ってすらないけど、「でも、まぁ、オリジナル性はあるし、『らしさ』はあるし、いいことにしちゃおっか?」ぐらいのところに気持ちが落ち着きつつある。
事前に「しょうもない自己完結で終わる」っていう風に言ってあったので、この終わり方には温かい目を持って頂きたいんですが。
ぶわぁ、って、ゴチャゴチャした思念を吐き出してしまいたい、形にしちゃいたい、っていう気持ちが勿論大半を占めてこれらの文字が形成されたのですが、ま、インターネット上に書く、っていう事は、度合いの問題はあれども、何か読んだ人に思うところ・考えるところがありゃいいなぁとも思ってる訳です。そういう事を意識した部分を強調してもうちょっとだけ続けます。ちょっとだけね。
友達と話した、っていうのが今の結論に着陸した大きな要素ではある。しかしながら、例によって僕は外的要因の影響を人並み外れて受けてしまいやすいので、その、外的要因を。
まずは、歌。ミスチルだとかバンプだとかレミオロメンだとかの「高ければ高い壁の方が、登ったとき気持ちイイもんだ」「迷いながら 間違いながら 歩いてくその姿が正しいんだ」「どこで何を間違ったかな 上手くやるだけが全てじゃない 心も失ってしまったら 宇宙に意味が無いんだ」とかの、脳に染みてんじゃないかっていうほど聴いて来た言葉たちはホント、常に心の中にあるのでもちろんそれもあります。あと、それらを借りた時とかに軽く触れてたんですが、「太陽の真ん中へ」「少年ハート」「LIFE」。「無くした物が増えた寂しさを 身軽になれたんだと笑えるかい?」「夢の形は変化してても 輝けるはずなのさいつでも」「簡単にいかないから生きて行ける」っていう部分。
あとは、数日前にTBSでやってたNYのストリートギャング特集。そのうちの一人が、ギャング活動に疑問を感じ始め、属していたグループからの攻撃を受けたりしつつ、結局脱退したという話。脱退して、勉強を始めてから時間が経過して、もう一度取材に行った時のインタビューにて。
「自分の人生の中で、最も後悔している事は何?」との問いに、その彼は少し考えたあと、「後悔は一切無い。」と笑って答えたんです。ボコボコに殴られた跡のある顔で。続けてこう言ったんです。
「やってやるさ。舞い上がるんだ、空へと。もしダメでも――――弁護士くらいにはなるさ。」
最初はドラッグとか銃撃戦とかの実情をやってたのでボーっと見てただけだったのに、ものすげー衝撃だったコレは。
後悔なんて無い。
この気持ちは凄い大切なんだと思う。勘違いも甚だしいポジティブシンキングとも言える訳ですが、自信とか持って、胸張って進んでいくためにはちょっとくらい必要なんだわきっと。
その彼はもっともっと重い意味を含んでるんだろうとは思うけど、自分に当てはめてみると、確かに後悔なんて無いのかもしれない。恥ずかしい失敗も過去も妥協も選択も、それらがあったから、「次はこうはすんめぇ。」とか「うわー、やっちゃったから、コレちょっとマジで何とかしよう。」とか思ったり行動したりしてこれた訳だから、トータルでは人間っていうのはみんな成長し続けてる訳だ。
だから、自分の取った選択には、自己嫌悪とか疑念とかそういうのも全部ひっくるめて、決して満足することは無く、それでも自信を持って、進んで行く所存であります。そんな話。これでおしまい。
※「ここ何が言いたいのかワカラン」とか大量にあると思うんですが、そういうところに気が付いてなおかつ興味があればお気軽に質問して下さいね。
とりあえず吐き出し切ったように思う。