風と光の北ドイツ通信/Wind und Licht Norddeutsch Info

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FB詩集「初期詩篇 出発」 東 洋

2023-03-09 03:34:40 | 日記
1.
‐ここに私の詩の出発点があった。

 魂の断捨離を始め、6年ぶりにドイツから帰国して書き溜めていたものを見つけ、FB詩集「1981年 帰国」(https://blog.goo.ne.jp/nichidokuinfo)に纏めると、次は大きく遡り1968年に始まった私の詩作の原点を発見しました。そのままでご笑覧願いたかったのですが、さすがに人目に堪えるものではなく、それを原石として、鑢を掛け、少しワックスなども塗って、店先のショーウィンドーにFB詩集「初期詩篇 出発」東(ひがし) 洋(ひろし)としてこれから定期的に並べてみます。通りすがりにちらっと眼を向けていただければ幸いです。‐

 “1968年5月のパリ”
カルメン・マキは海から来た
低く冷やりとする歌声で
母はいないと歌いながら
なら僕は?
僕は母なる子宮の奥
四国の山深く静かに夢を貪っていた
原始に眠る鎮守の森から
やって来た

場違いは覚悟の上
自由を求め、自由こそ僕の恋人と
寂しさに堪え
熱く、遠く
叫びながら

自己満足と言う狡猾な落とし穴の
その下の深淵に
キャンパスの日々は広がっていた
汚染された湖は腐臭の激しいエメラルド色で
それこそが
川をどす黒く変え、
視界を遮る冬の町は息ができない
不健康な社会の偽りの日常だった

科学という欺瞞に嵌められた僕は
辛うじて自己否定に救われ
病んだ湖の上
揺蕩う浮袋に
紫色の唇を添えて
一人寂しく
身を保っている
だが
生き延びても帰る故郷は最早ない

風景がオレンジ色に気怠く染まって
墜ちて逝く夕陽に嫌悪する
現代は甘ったるい夕暮れ時だ
反乱せよ!
僕たちは傷つき打ちのめされても
未来を創造するんだ
と大きく叫ぶ

やけに明るい光線が
目障りなバーミリオン色で
道先案内
耐えがたい痛みに
視線を焼かれ
夕闇迫る街角を曲がると
いきなり出くわした
場末のみすぼらしい路地が
街灯の下で
丸く賑やかに照らし出されていた

袋小路の入り口に
何故か築かれた
人影絶えたバリケードの上に登り
凍てつく暗雲の透き間から
光が漏れる蒼穹に向かって
自由は僕たちの絶対の武器だ
と叫ぶ

1968年五月のパリ
僕らは
大学と言う飼育箱の中から
自由を求めて
旅に出た
さらば科学を売った教授諸君!
君たちは権力に魂を抜かれた
瘡蓋だらけの番犬でしかなかった
清々しく自由あふれる五月のパリで
若者たちの夢は
緑に輝くそよ風に乗って
君たちを
色彩豊かに粉砕するであろう!


2.
‐下の詩を書いた時、私はまだハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーの存在さえ知らなかった。ましてや西洋の詩人など精々ボードレールの「悪の華」やランボーの「地獄の季節」の題名からその無頼に魅かれただけだった。しかし、宿命のような偶然とはあるもので、エンツェンスベルガーの処女詩集は「狼の弁護」、そこに後ろに私訳で掲載する詩が収録されていたのだったが、私の修士論文の対象の一つだった。‐

“ベルトの皮”

オオカミがオレの背後に回ったのを感じる
襲撃の瞬間
奴はオレの運命を舌の感覚に溶け込ます
むしろ反撃か
しかし、オレに武器はない
恐怖からの脱走をこそ勝ち取れ!
オレの魂が卑猥で陰湿な口実を流し込む
畜生!オオカミの野郎
オレの性質(たち)をお見通しだぜ
奴の牙が
オレの瞳に悪魔のシルエットを映し出した
喜ぶのは早い
お前の狡猾さはこちらもお見通しだ
そんじょそこらの兄さんとはオレは違うぜ!

奴のニヤリと笑う目は
恍惚としている
酔っちゃいけねぇ
殺戮は冷めきった感情でやり遂げるんだ
オレとて生きもの
延命こそ生まれ付いた本能と知れ
無抵抗で殺られると思ったら
見当違いも甚だしい
そうだ!と
腰に巻いたベルトの皮を引き抜き
オレの絶望を眠らせた
覚めよ!
そして
ベルトを鞭うならせ
オオカミに対峙せよ
誰にも頼るな
力はお前の中にしかないと
心得よ
それこそが生き永らえる力なのだ!

・・・・・・・・・・

ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー処女詩集「狼の弁護」から

“小羊に対する狼の弁護”

ハゲタカに忘れな草でも食らっておけ、と言うのか?
お前らは何をジャッカルにしろと言うのだ?
脱皮しろって、オオカミから?それとも
自ら牙を抜けと言うのか?
何がお前たちには気に食わないのだ
ソ連の政治将校や教皇の
何をお前たちは呆けたように
偽りばかりのスクリーンに見ているのだ

将軍のズボンに
血痕を縫い付けたのはどいつだ?
誰が高利貸しの前で
去勢された雄鶏をばらすのだ?
ブリキの十字架を偉そうに
ぐうぐうなる臍の前にぶら下げているのはどいつだ?
誰がチップを受け取り、
銀貨を口止料と懐に入れた?
盗まれるマヌケは多いが盗人の数はしれている:
奴らに喝采するのはどいつだ?誰が
奴らに勲章を授けるのだ?ウソを渇望し
首を伸ばして待っているのはどいつだ?

自分で鏡を見ろ!だらしない
おどおどして、真理の難しさ
学びを嫌い、考えることは
狼どもに任せっきり
お前たちの鼻木は高価な飾り物
バカバカしくて騙す気にもならない、安っぽすぎて、
慰めもない、どんな脅しも
お前たちには甘すぎるのだ
お前たち小羊ども、お前たちと比べたら
姉妹たちはまだカラス:
お前たちは次々と目を眩まされる
兄弟愛はオオカミどもの
掟なのだ:
奴らは群れが行動原則

褒められるべきは強盗達:お前らは
強姦に招かれて
怠惰な服従のベッドに
身を投げ出すのだ、めそめそと
お前たちはまだ弁解がましくウソをつく、気が触れ
分裂する、お前たちが
世界を変えることなどあり得ない

3.
‐今年度(2023年)教科書は1200カ所訂正させるそうです。そんなことに費やするエネルギーと金があるなら、子供に発言力をつける訓練をしろ、と言いたいですね。詳しくは下注記をご参照願います。
ちょっとこじ付けですが、この件に合わせ、東 洋FB詩集「初期詩篇 出発」の第三作を下に掲載します。検閲など知らない、好き放題に考えて育った二十歳の時のものです。その傲岸さはいただけないかも知れませんが、若気の至りとご容赦を。期待したいのは、内包する破壊力(があると信じたい)で、恐らく読む人は恐れおののき、手に取っても火傷をすまいとすぐ放り出すのでは?ちょっと自惚れが強いかも知れませんね。でも、この程度のものを手に取れないのでは、何とも肝っ玉の小さい視野の狭まれた哀しい存在ではありませんか?もっと自由におおらかに生きませんか。一度手に取って、こんなものと思ったら壁に投げつけていただいて結構です。‐



”上下左右の果てしない団交“

僕達にとってそれは何もなかったことと同じだった
奴等は必死になって僕達を告発した
しかし、次元の異なる空間は時間を無にした
奴等は生きていた
汗臭く、口角に泡をため、つばきを飛ばした
僕達は何も答えず、ただ沈黙していた
時々仲間の欠伸が奇妙に僕達を刺激した
奴等はその度に大声で怒鳴りわめいた
高い窓から一条の光の白線が斜めに横切って
向いの壁に突き刺さっていた
一段高いところで奴等は蝶ネクタイを締め
苛々しながら歩き回っていた
僕達は一列に黒く鉄のように冷たい木椅子に座っていた
椅子は五段の扇状に天井に向け据えられていた
座ってバランスを取るのは容易で
垂直に座っていることに
誰も気付いていなかった
誰かが、知らぬが仏、とくっくと笑った
皆同じ服装だった
黒一色のシャツとズボンがよく似合うと言い合っていた
ズボンはこれも黒の紐で結ばれていた
何かも黒だった
檀上の奴等は黒いピラミッドの壁に向かって怒鳴っていた
その中でランランと輝く百三十一個の目と二十四個の
鈍い卑猥にチラつく目が向かい合って
糸の端と端を結ぶように複雑に交差していた
僕達の仲間には片目が一人いたのだ
奴等は喋り疲れて今では全員が
一列に真っ赤な蝶ネクタイを並べ
クッションのよく効いた椅子に深く重く沈んでいる
僕達の黒い乾ききった沈黙と奴等の赤い饒舌が
長く鈍く支配した
時間は空間の中に溶け込んでその存在価値を喪失した
突然頂上に座った片目の女が
鍔の眼帯に手を当て静かに喋り始めた
「提案します
皆さん非常にお疲れのようですので
次の機会を持ちましょう
明日を忘れる革命はそれまで取り敢えずお預け
ということで冷凍しておけばよいと思います」
全員賛成、明日を冷蔵庫に閉じ込め
昨日を引き摺り続ける
その行き着く先は
裏切りの明るく陽気な地獄?
それとも、親切の押し売りに微睡む無味無臭の天国?

注記‐教科書検定とは要するに検閲のこと
お上が国民の言語を管理しようという魂胆だろうが、無益この上ない。現代の国語に小説が入っていれば生徒の国語能力が落ちるという科学的根拠はあるのか。我々は契約書や法律など社会に出てから初めて出会ったが、それで困ったことはない。
小説を読み、十分に表現力をつける。あらゆる思考能力の基礎は読書量で培われる、とどこかの言語哲学者が言っていた。ドイツの学校に日本のような国家が検閲で通した教科書はない。大体のガイダンスはあるが、それぞれの教師が同僚と相談しながら、小説中心にディスカッションで思考能力、分析力、表現能力をつける。生徒はそれぞれが思い思いの自分の理解したことを投げ出し合い、物の見方の多様性、真理の相対性を学ぶのだ。その結果が創造力につながる。人前で自分の考えを述べることにも臆さない。
日本の子供たちは必ず正解があり、それも一つだと教え込まれているから、自分の考えは間違っているかも知れない、とほとんど発言しない。その間違っているかも知れない発言の貴重さにも気づけないし、間違っているならディスカッションで訂正すればいい、という気持ちの自由な愉快さも知らない。そうして、想像力の貧しい、活力もなく覇気もない大人になり、使いやすい会社人として利用され、褒められ、結婚もせずに一生を終えることになるのだ。日本の国民はこんな哀しい人間を生み出しているのが検閲制度だということにいつ気づくのだろう。

4.
‐こんなのもありあました。これまで、と言ってもたった三作の駄作ばかりでしたが、政治色が強いのは時代の想念を写していたと、ご寛容の程を。これも若い日の不安、不信、孤独との戦いだったのでしょう。‐

“壁が・・・、灯を絶やすまい”

なんだか胸騒ぎがする
三十分間の沈黙が緊張感を急激に押し上げたようだ
・・・まだ・・・ない
しかし、必ずあるはずだ
私には衣づれの音が
あのいやらしい脅迫するような音が
耳を撫でたのが解る
すべては会話の中にあるのだ
猥雑な言葉が暗闇の中にねっとりと流れてくる
私と奴等を仕切る薄い日常性の壁では
それを遮るのは無理なのだ
奴らの世界が私の世界に
暗黒のナパーム弾を投げ込もうとしている
暗闇が奴等の唯一の武器なのだ
・・・灯を絶やすまい

5.
‐これも二十歳の記録。時の想念の言葉が無批判にほとばしり出ていて、今から見ると面映ゆくなる。ただ、この活力は殆どが受け売りの言葉によるものとしても、歴史に対する楽観的信頼があったような気がします。今の空気を読んでその場の雰囲気でうまく立ち回ることを良しとする若者たちには爆発する言葉で未来に向けもう少し破天荒になっては、と言いたいですね。‐

“それでも歴史は時を刻む”

あるいはこれが政治というものか
一点突破全面展開はオレたちの論理ではなかった
当局の執拗な弾圧はオレ達を追い詰めていた
固く結ばれた革命の糸
・・・一点突破全面展開
当局は権力の暴力装置をオレ達に向けた
照準は既にオレ達の心臓をとらえていたのだ
当局の苛立ちは失策を隠ぺいする単なる正当化でしかない
“集会を開いている皆さんに伝えます。構内での他大学の
学生を交えた集会は禁止されております。他大学の皆さんは直ぐに構外に退去してホシイ。退去しない場合は
不退去罪で検挙されます“
最後通告・・・何が最後なのか
オレ達にとって時間とは空間を持たないものなのだ
またしても・・・今度は退去セヨときた
一刻も猶予しない
冷酷無情のオレ達に対するレッテルが
己の鏡に映ったことに気付かないのが面白い
権力の番犬は薄汚れた足で駆け込んできた
素晴らしいスピード
連帯の糸は決して切れないゴムひもであることも知らないで
奴等はオレ達を蹴散らしたことに満足した
あまりにも非論理的な自己満足
ほくそ笑んだ番犬の横顔に
無色透明の革命的オシッコが
無知とは奴等にとって幸福の同義語らしい
茶番劇的勝利で奴等は生活の糧を得るらしい
それにしても何たる非論理的勝利
時計は五時を指さねばならない。そして六時を、・・・七時を
奴等はそんなんことに何の注意も払わないだろう
そしてそれこそが奴等の革命的勝利であり
当面、俺たちの革命的敗北となるのだ
それでも時は歴史を刻んでいる


6.
‐下はまだ自然が正常だった1970年のもので、若者は病的孤立と悲哀を装い、自己陶酔できたが、現代の若者たちはラスト・ジェネンーレーションのように未来への不安と焦燥に慄のかされ、強力粘着剤で道路や滑走路に手を貼り付け、地球の温暖化に抗議しています。我が家の小庭にはもう(二月下旬)クロッカスや雪割草が花開き目を楽しませてくれますが、素直に喜べません。‐

“恋するマルカ“

マルカがやって来た
歌声に乗って、緑色の長い髪を風に包み
君は僕の世界でただ一人共存を許した女(ひと)だ
君の苦悩に波打つ深い緑髪は
僕の心に安らぎを与える
そう
君は苦悩などしない女だ
だから僕はせめて君の緑髪に鏡を想定した
僕にとってマルカ
君は木洩れ陽のようにちらちらと
目を眩ます光の束だった
一つの鮮明な残像は
一つの影で分断されている
«きっとマルカは僕を知らないだろう»
深い街の谷間でふと見つけた小さな泉はマルカ
君なのだ
行きずりの彷徨い人が美しい色白の少女を見初めたとて
世界は変わりはしないだろう
«マルカは時々微笑んで僕を凝視めた»
マルカ
君を知ったことで僕がどれほど苦しんだか
解るだろうか
それは
長く果てしない旅に再び出発しなければならない
街角の出会いだった
荊の道は怖くない
しかし、君が僕の世界から逃げ出さないため
荊の道は避けなければならない
そうなんだ、マルカ
僕と君は共存してるんだ
それから三か月後に僕は知った
マルカの中で秋が甦ることは期待できない
キミはいつも新しいものを求めているから
キミの中に蘇生する秋は季節外れのヒガンバナ
ボクがキミと共存しているのは世界の曖昧でしかない
‐そう誰かに殺戮のバラードをリクエストしよう‐
紅葉が紅く染まるのはお前の為ではないんだと
哀しいね、マルカ
若いということは・・・

7.
‐この詩(紛いのモノ)も、私の拭えない過去なのだろう。二十歳の感傷には常に理由のない怒りが内包されている。怒りと焦燥、孤独に耐えることが若いということでもあると信じていた時期があった。群れを求め、人の顔色を窺い、空気を読んで個を潰していくのが世渡りの上手な人間のすることだというのは今も昔も変わらない通念だろう。だからこそ、若い時には“開き直る”勇気がいるのではないか。民主主義というのは平和のルールの則って激しく衝突することだ。既成の価値体系は手を拱き、能書きを垂れるだけでは崩すことは出来ない。二十歳のやり場のない理不尽な怒りを思い出し、自戒を込めて。‐

“そんな故郷などイラネエヨ”

快く耳をなでるのは鈴虫の鳴き声か
大地の緑だけが自然を彩るのではない
シンフォニーを奏でるのは
その中で生まれ生きるものすべてのもの
その真っただ中にいる僕は
もっとも美しく彩られ、自然とともにある
それにしても鈴虫
耳をすまそう
そう、研ぎ澄まされた感覚が必要だ
リンッ、リンッ、リンッ・・・つんのめるように
あるいは流れるようにかも知れない
一定の間隔をおいて休息する
僕にも休息が必要だ

故郷の山の中では家全体が自然の中にあった
青大将は天井で真昼の夢を貪り
鼠は物置で食生活の改善に忙しい
そして鈴虫
記憶の断章、忘れてしまったものを思い起こすと粉飾になる
リーッ、リーッ、リーッ・・・これだけは変わらないだろう
一定の間隔をおいて
しかし、僕には休息など必要でなかったのだ
あの故郷に帰りたいか
君は

秋のフィーリングは忘れられた裏の小庭から
夜のはざまに星の焼夷弾が咲きこぼれている
七〇年の秋には・・・
そうだ鈴虫
リッ、リッ、リッ・・・もう僕にはこれだけしか書けない
のだろうか
感傷に溺れ、偽りの涙を流す
お前の孤独は嘘だ
一定の間隔などくそくらえ
オラー、オメエ、ヒラキナオッテヨ、ケツマクルンダ
そんな故郷などイラネエヨ
行き場を失った怒りを背負って
僕は今日
旅に出るんだ

8.
‐二十歳というのは空の袋を下げて手あたり次第見つけた言葉を放り込み、内容など無視してそれを組み合わせ、日々の生活を満たしている真に無責任な存在と言われても仕方がない。しかし、社会はそんな存在を若者の特権という用語で容認し、あまつさえ社会を変革し発展させるための不可欠の存在として認めていた時代があった。それはまた若気の至りとして自己の失敗を諧謔を込めて反省する自己保存の道を開いたが、昨今のマニュアルにそって冒険も葛藤もない出来合いの人生を送ることを若者の理想とするようなイデオロギーとは真逆の姿勢であった。うまく立ち回ることが賢い人間の世渡り術と称賛する社会からは何の刺激も発展も生まれない。日本の若者は大人しく物分かりがよくなり、その代償に活気が失せ、覇気が影をひそめて、世のオッサン、オバサンが後ろ向きで社会を仕切っているのを甘受している哀しい存在になってしまった。下の詩はまだ二十歳の若造が精一杯背伸びをしながら書き落としたものである。そこには落書きと言われても、本望よ、とうそぶく強かさがあった(気がする、自分のことなんで・・・補足)。‐

“秋になってオペラ風に唄いながらブレヒトに捧げる冗談”

赤い柿が店頭でこちらを向いて笑っている
だけどおいらにゃ金がない
‐ねえ、おにいさん、食べてみない。甘いわよう‐
赤い柿が呼び掛ける
だけどおいらにゃ金がない
‐ねえ、おにいさんったら、うまく熟れてるでしょう‐
その時店頭にオヤジが出て来た
強欲そうな赤鼻だんごに汗の玉をのせて
‐この野郎、まだ売れねえで無駄口たたいてやんな‐
赤い柿は黙ってしまう。口元には嘲笑ぶら下げて
‐ねえ、そこのおにいさん、お金なんていらないからさ‐
赤い柿が喋りだす
‐だって、おめえ、それじゃおいらの男が立たねぇ‐
赤い柿は笑い出す
‐それじゃ、おにいさん、あたいを食べたら、あの糞野郎
に種をぶつけておくれ‐
そこでおいらは柿のたっての願いを叶えてやった
オヤジは柿の実をまなこに受けて、泡を吹きながら
死んじゃった
教訓
-おやじ、心臓病んでたんだってよ
-己を知ることが生き延びる唯一の方法である
-金はワザワイの元、というのは嘘だ

9.
‐若いということは空虚な自分を日々に飛び込んでくる言葉で満たそうとしてる絶望的な闘いの場なのだろう。ただ、言葉は一旦発せられると発話者自身を規定し始め、好む好まないを問わず、その責任を背負うことを強いる。その言葉に導かれ未来の自分を築いているのだが、恐ろしいことだ。反省すべきはまず自分の発した言葉についてだろう。下の詩もそんな足搔きが窺がわれ、若いということの残酷さが私には辛いですね。‐

”独り“

街の中に君の姿を見つけた時
僕は思わず物陰に身を隠した
見られてはならない
この敗惨の姿を
しかし、鷹とも見紛うほど君の眼力は素晴らしかった
«あなた、何してらっしゃるの?»
僕の恥辱が君の精神の豊穣を約束するか
しかし、僕は君に応えようなどとは思っていなかったのだ
君の優しい眼差しは僕にとって苦痛だ
«君の緑髪が僕の奈落を想起させる
手は差し伸べないで欲しい»
梧桐の葉が枯葉色に染まったまま
生きることに執着している時
僕は惰眠を貪っていた
そして、それは正しかったのだ
政治は生きることを教えはしなかった
しかし、生きるためには何が必要か教えた
それは占領された聖地の奪還ではなく
その解放だ
そう、生きることは解放されなければならない
«あなたのおっしゃることはよく解りません»
そう、三千王国の如来を待つ人にはわからない
僕らの建設は
不浄の精神の破壊を伴わなければならない
歴史の逆説を黙認することの怠惰を戒めなければ
僕らにとって
一切の加担はあり得ない
«君には総体的な美が欠けている
それを僕は許すことができない»

10.
これもまた若い時のアイデンティティを探す絶望的な闘いの一コマですね。なぜ、突然こんな異国趣味の名前が出てきたのか。恐らく日本人としての限界を超えるために、異国風の名前に縋ったのでしょう。当時は学生運動がピークの時で、我々も読書会や勉強会で必死になって時代の想念をつかもうと足搔いていました。マルクスやレーニンの著書もその中にあり、イェーニというのはマルクスの長女イェニーを書き間違えたものと思う。イェニーはマルクスが最も才能があり、美しい娘と自慢していたので記憶に残っていたのでしょう。名前はどうでもよかったのですが、読書会で読んだ伝記の印象から彼女の名前が浮かんできたものと思います。
それとは別に、ここにはまだそれこそ何もない自分を埋めていく概念、人の姿、風景、イメージが危うい言葉で書き留められているが、それはいつの日か自分の一部になる、という恐ろしさが内包されていることには気付いていない。不安定に流動しつつ流れながら、知らず知らずに徐々に固められていく自分があったのですが、それも先日書いた若者の特権の一つでしょう。

“イェーニ”

灰色の嵐が冬の街を疾駆しいるとき
僕のイェーニは暖炉の前で肘掛椅子に座っていた
彼女が糸球を床に転がして
僕の手袋を編んでいるのは
僕が彼女に捧げた愛の代償ではない
«イェーニ、お前が僕の手袋を編むことを
                僕は人前で自慢しているんだ
                だってそれはお前の僕に対する自然だからだ»
彼女の屈託の無い笑顔は僕の冬を吹き飛ばし
限りなく美しい春の園へと誘い込む
«あなたって、なぜそんなに私をみつめるの
      私の全てがあなたのものであることを
      一度だって私は疑ったことがない»
そうではないよ
僕はイェーニの中に僕の愛が蘇生するのを
見つめていただけなんんだ
昨日の愛がイェーニの中でどれだけ
あたらしいものを誕み出したか
僕は知りたいんだ
それは僕の君に対する責任なんだ

11.
‐これも前作と同じような感情から生まれたものでしょう。‐

“ニーナ”

酷寒の街の中
独り彷徨っている僕のニーナ
渇いた風が君を凍てつくすようにしっくしている
激しい戦いの一段落が
僕の中に永遠の安らぎを
夜這いをする青年のように巧みに侵入させようと
激しく渦を巻きながら虎視眈々と狙っている
«ニーナ
待ってくれ
行かないでくれ
君を今喪うと僕は生きていけない»
葉の落ちた冬枯れの木枝の間を
暖かい春を呼ぶ
冷たい小鳥たちが
はるばると露西亜からやって来て
間断なく飛び交っている
«ニーナ
僕の春を!
君の温かい春をくれ!»

12.
‐二十歳を過ぎて私は日米安保条約、ヴェトナム反戦から公害にテーマの焦点を合わせ、仲間と水俣病、瀬戸内水質汚染、四日市喘息などに取り組み、京都で月刊地域闘争の創刊にもかかわった。そんな時の記録の一つが下の詩です。
今なお地球の温暖化で二酸化炭素排出が問題視されているが、日本は1972年に環境保護運動に押され当時世界で最も厳しい公害防止基準を規定した自然環境保全法を策定、大都市からスモッグが消え、メタンガスのぷくぷく浮かぶ真っ黒な川に魚が帰ってきた。‐
ただ、そこからクリーンなエネルギー源というメルヘンのシナリオで原子力発電にシフト、我々は伊方原発建設に反対したが、自民党政権の原発神話に惑わされ2011年フクイチ過酷事故を生むまでに54基も原子力村の建設を許してしまった。今また、核廃棄物の最終処理場もないまま、自民党はウクライナ戦争によるエネルギー危機を口実にトイレのないマンションの原発再稼働を推し進めている。
日本の国民はいったいいつになったら、この利権にたかる自民党後援会のど田舎(汚い言葉は承知、実態を明確化するには避けられないのでお許しを)のオッサン、オバサンが仕切る政治に終止符を打つのでしょう?!

“公害“

咳をすることも
痰を吐くことさえも
許されず
人々は灰色の異郷で
得体の知れぬ悪霊に
喉笛を掻っ切られて
それでも
真紅の人間の血を流すこともなく
どす黒い液体を
薄汚く垂らしながら
生きることも死ぬこともできず
ただ足を引き摺っている
死ね!
冷たく光る金属質の目は
その人々に叫んでいる
死ねぇー!

13.
‐この詩でもって私のFB詩集「初期詩篇 出発」は終結です。つまらないラクガキに我慢強くお付き合いいただきありがとうございました。‐

” 私を捨て去ろうとする<SEISHUN>“

烈しく燃焼する生
私を捨て去ろうとする<SEISHUN>
・・・勇気が欲しい・・・のだろう・・・か・・・
私は!
美しいものへの憧憬
つまりそれは階級的に美しいもの
傷ついたプロレタリア戦士に
私は美を送ることを惜しみはしない

銃後での<戦闘>
そんなものを認めない<私>でありたい
それでも・・・
勇気がないのか私には!
躍るように弾き飛ばされて
私から去って行く<SEISHUN>
優しくある自己に誰が異議あろう

二十二歳であることに恥辱を感じなければならない

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