風と光の北ドイツ通信/Wind und Licht Norddeutsch Info

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FB詩集 「迷路地獄」 I

2023-07-13 19:20:26 | 日記
東 洋FB詩集 「迷路地獄」

1.
労働に恐怖するとは日常の居心地のいい生温い空気になれ、その中に綴じ込められて、檻の中の虎のように行ったり来たりして一生を終える。それを保証するのが定期的に入ってくるお給金と呼ばれる労働の対価、それを自立と呼ぶが、実は隷属、その現実に恐怖するといことだった。檻の外に見える風景は夜な夜な彷徨う場末の酒場や、たまの休みに青春の跡を追い、失われていく情熱を持て余して、幻想の世界に逃げ込む真夜中の机の上に広がっていた。それを日々の道標として私は暫く迷路地獄を彷徨うことになる。

“酔いどれ船を探して“

波間に漂う精神に
船乗りたちの志の虚しさが
明日もまた入る港の空しさと
相交みえながら
地上的な愛など存在せぬと
一次方程式のように断言した

それでも船乗り達は
港々の色白の少女に
忘れてはならぬ誓いをたて
快活に酔いしれていた
未経験な異国の港で
彼らはあくまでも大胆に
少女に言い寄り
そして
お互いに融合した

殺伐とした港町の酒場で
酔いどれ船を探し
ランボーはどこに行ったと
尋ね歩く
船乗りは私だ

2.
日常の中に沈んでいく私は溺死寸前であることをかろうじて感得、魂の命綱にすがって形振り構わず延命した。それでいいのだ。生き延びさえすれば・・・。

”伝えなければならないことがある”

死に往く人あり
遠くに旅立ちて還らず
自殺、殺人、老衰、病死、交通事故、労災
君死にたもうことなかれ、戦死を
我ら残りし者
生きて彼らを嘲え
感傷など誰も救いはしないのだと
<生存は大洋の只中に在ってもつかまねばならぬ>
はなしてはならぬのだ
魂の命綱を
むしろ
生き延びて滑稽であることを
誇れ
生き延びて醜怪であることを
誇れ
生き延びて破廉恥であることを
誇れ
<なんと言っても労働階級だ>
早朝六時に起きて自転車で町工場に向かう
彼らを独りにするぐらいなら
我ら
無様に未練がましく居直って
翔び、駆らん
なんといっても
伝えなければ
<生は全て君たちのものなんだ!>

3.
日本の若者がまだ沖縄の置かれた状況を憂慮する時代があった。アジテーションに近い激しい言葉でアギトポップと呼ばれる流れがあったが、私もその流れに押し流されていた。烏滸がましい限りではあるが若者の切実な思いの表現に他ならず、それを誠意という言葉で許してもらえるかもしれない。今は沖縄も若者には、せいぜいリゾート地として海水浴やダイビングを楽しむために訪れる島なのだろう。しかし、まだ米軍基地が日本全国の70%、沖縄本島の15%を占め、辺野古の海岸は埋め立てられジュゴンは生息地を失った。薩摩藩が行った琉球王国の属国化が第一回琉球処分、そして第二次大戦で米軍占領を認めた第二回琉球処分、辺野古への嘉手納基地移転は第三回目の琉球処分だ。基地廃止が緊迫する極東の地政学的現状を鑑みたら非現実的と言うなら、嘉手納は日本の本土に移転させるのが筋だっただろう。だが、もう手遅れ、台湾への攻撃を強化する中国の動きはそれをここしばらく不可能にした。沖縄はまた処分されたが、日本の若者にはもう関心がない。若者の意識から政治的関心を消し去った自民党半永久政権の隠れた成果と言える。

”沖縄よ、怯むことはない”

沖縄よ再び起ちて向かえ
未来永劫に
我らが闘いを組織し
労働階級が歓喜する世に向かえ

祖国は今病み膿んでいる
汚くただれた祖国は
沖縄の清透な空に
再び目を向けることは不可能だ

沖縄よ、再び起ちて独りで向かえ

4.
1972年の日本赤軍によるテルアビブ空港銃撃事件はパレスチナ解放人民戦線を支持していた者たちにとって、大きな転機となった。同じ年の2月にはあさま山荘事件で連合赤軍が機動隊と銃撃戦を演じ、武装闘争で手柄を競う日本赤軍が焦って決行した様相が強い。要するに人間を無視した自分たちの独善に基づく行為で、新左翼運動を根底から破壊したと言えるが、私は怒りに体が震えたのを今でも覚えている。そんな時、自分にも思うところはあると書きなぐったのが、この詩紛いのモノ。イスラエルの国家を否定するのではなく、パレスチナ人にも自治権がある、と単純に考えたところから出たものだ。今もその考えに変わりなく、イスラエルとパレスチナがそれぞれ独立を認め合う二国独立解決策が唯一のパレスチナ問題解決の道だと思う。私は1967年に六日戦争が勃発した折、高校生の正義感から小さなイスラエルを寄って集った攻撃するアラブ連合が許せないと真剣に義勇兵志願を考えた。実際は小さなイスラエルが近代兵器、特に空軍に物言わせアラブ連合に壊滅的な打撃を与えたのだが、その時から中近東の複雑な地政学的現実を知ることになった。

“パレスチナの平和とは?”

渇いた大地
ひび割れた空に
闘いは組織された
パレスチナに平和はない

枯れた草木
酷しく荒む風
闘いの中に立つ
パレスチナに自由はない

三名の自称革命戦士は
二十六名の無名の人々の
命によって
反革命に堕ちた
お前たちはその結末を引き受けるべきだ

風が再び
さわやかに頬を撫で
空が再び
鮮やかな星の輝きに満ち
大地が再び
平和と自由の草木を
取り戻すのは
パレスチナよ、いつだ

5.
こういう実験紛いのこともしていたようです。字句をすべて点で区切ると通常とは異なるリズムが出る。マヤコフスキーは詩は最初のリズムから生まれる、と言った。マラルメによれば最初の一言は天からの授けもの。私には無自覚な生産過程だったが、無意識にリズムを追うということはしていたようだ。点を抜いたものを下に補足しておいたが、よろしければ比較してみて下さい。

“連帯を求めよ”

空、翔る、鳥に、向かって、詩え
私達の、起ちて、在る、現在、を
恥じろ、呪え
生きる、こと、への執着
そんなに、醜悪か
むしろ、
死へ、の、逃避行、を
笑え、泣け

よみがえった、労働階級は、
昨夜、の、悪夢か、幻影か、
は、は、は、は、・・・・・
私達、に、生の、希望、は
無縁、か
ならば、
闘へ、有機的、結合、に、向け
連帯を求めなければならぬ

<補足>
空翔る鳥に向かって、詩え
私達の起ちて在る現在を
恥じろ、呪え
生きることへの執着が
そんなに醜悪か
むしろ
死への逃避行を
笑え、泣け

よみがえった労働階級は
昨夜の悪夢か、幻影か
は、は、は、は、・・・・・
私達に生の希望は
無縁か
ならば
闘へ、有機的結合に向け
連帯を求めなければならぬ

6.
自分を失い掛けている焦りは弁明を求め、理念への捨てがたい執着に引き摺られ、またぞろ迷路地獄に堕ちたようだ。
 
“弁明”
 
就中、それが宇宙船であったとしても
私に血の脈動を伝えるには
遅すぎた
私の血は北極星の真下で
今は流れようとせず、凍てつき氷結している
 
ただ、私は南の島には瀬惰と弛緩しかないなどと
差別的な言動は決してしないように
今は容易周到に警戒的だ
椰子の木の陰で微睡む真昼の怠惰を
葉巻を燻らし踏ん反り返る
誰かに譲るほどお人よしではないのだ
 
<再び>という言葉が
自己の無為と勇気の欠如を
夜明けのヴィーナスよりも端的に
鮮らかにしているように
失われた山河よ
IMAWA私に土と誇りがない
 
それにしても労働階級だが
二次方程式では解き得なくなった
二十世紀後半の世で
決定的に迷路地獄を恐れている
 
なにわともあれ<生きよう>
それでいいのだ
弁明を恐れることはない
気恥ずかしくとも
<ぼく>は女々しく言い訳する
それこそが断固として人間的であり
確実な生の証なのだと
 
ブレヒト風に弁証法的教訓:
<サトウキビ畑>の住人は
本当は<カライ>ものが好きに
なる素質を持っているのかも知れない

7.
毎日生きることからその意味がボロボロ零れ落ちると、何もかもがお笑い草に見えてくる。虚無への一歩手前に至ったのだが、その深淵に堕ちるのを辛うじて遮っているものは、何なのか。その意味を問うこと自体が、生きるということなのだろう。
 
”お笑い草の日々“
 
力強く傲慢に軋轢音を軋ませながら走り
去る夜汽車、放射する光を通して見る
車窓の人々は不安か。何本も横に走る直線は不退
転に前進する。だがしかし、私の目は憎悪の視
弾を飛ばすだけ、深く沈潜していく魂は決して
走ることも飛ぶこともできないのだ。今は街灯
の下でただ弱い光を反射するだけの鉄路は君か

朝が夜に転嫁された私の労働は
私を労働階級に誘う代わりに
魂の沈潜を結果したとは
お笑い草だ
女の股に私の股を近づけ
どうも、君は燃えないねなどは
お笑い草だ
 
夕餉の支度に忙しい未婚の母は
この子の将来は私さ
と快活に笑う
それだけで救われる私の魂も
終に笑い飛ばしてくれ

長病いはきっと蘇甦する自己
長期に渡る健康は
きっと腐食する自己
豊かに優しい心は
きっと欺瞞の自己
 
でも
きっとその逆も正しいなどと
誰にも言わせない

8.
知性と感性の導くままに明日を求め、新たな創造の世界に赴きたい。そこに展開する風景は私が描き出す無限の宙空であったり、ひらひら極彩色の蝶が舞う街の公園の昼下がりだったりするのだろう。願わくば今しばらくの間お付き合いいただければ幸いです。

“私は快活に元気だった”

私が街を歩く
それは昼下がりの陽光を浴びて
私には背中に目はないが
私は街を歩く

何故か陽気に
即興の詩を唄いながら
天上にはきっと星が君臨しているのだけれど
何故か観えない、視えない

昨日も快活に
私は元気だった
一昨日も快活に
私は元気だった

お規則りの背広を被て
私には裸足なんて耐えられないのだ
鏡の中の自分は
迷路地獄

迷い堕ちて地獄の入り口に立つ
やたら咳の止まらない午後
駆るということについては
誰でも
一抹の不安と
代償の約束されぬ魅力を感じる

それにしても君は
時を穫るか
それとも未来か


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