風と光の北ドイツ通信/Wind und Licht Norddeutsch Info

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ケント・ナガノ指揮の新作オペラ「静かな海」を見る

2016-02-15 10:20:01 | 日記
細川俊夫作曲、平田オリザ作の“海、静かな海”をハンブルク・オペラ座で見ました。舞台には原発の格納庫の水槽を模したアクリルの円盤とその下の鉄の格子、そのうえに蛍光灯の光輝く“燃料棒”が十数本ぶら下がり、そして右から斜めに降りて来る橋。それは能舞台からアイデアを得たものだということです。私には燃料棒を出し入れするクレーンの作業ブリッジにも見えました。
ストーリーは森鴎外の「舞姫」と能の「隅田川」を下敷きにしたもので、津波で家族を失い、原発事故で故郷を追われた福島の人々を子を失った母親に象徴、心の安らぎを求め、南無阿弥陀仏と唱えながら、未来に向かって希望をつなげようと苦闘する姿が描かれています。最後に舞台上の“燃料棒”が光を失い、冷たくぶら下がっていたのは脱原発を表現しているのでしょう。それが、将来への希望を表していることは、幕が下りた後、休憩ホールでの作者とのインタヴューで本人が原発再稼働絶対反対を宣言して拍手を受けていたことで明らか。
ただいけないのは、インタヴューのほとんどがプログラムに載っていることで、彼がそれに沿って話し、通訳がその部分を読み上げているだけのようで、それが30分近く続いたのは明らかに時間の無駄。それと作家が福島の風評被害に気を使いすぎ、福島の被害はチャルノヴィイルと比較して大したことではないと相対化を図っていたこと。政府が正確なデータを発表せず、被害が小さく安全と言っているのを鵜呑みにして、例えば福島第一原発がある大熊、双葉の両町内など「帰還困難区域」から避難している人が今だに約2万4千人に上るが、その区域には明確な除染の方針すらない事実は問わない。さらには漫画「美味しんぼ」の鼻血事件を出して、あたかも福島は安全、福島産のものを買ってくださいと言っているようで、違和感を抱いたのは聴衆の反応を見ると私だけではなかったようです。作品と明らかに矛盾する部分で納得できませんでした。
その後、ハンブルク大学日本学科の教授二人、ハンブルク・コンザバトリウム、経済学部の教授がパネルディスカッション。日本学科の二人は元同僚なので、口幅ったいですが、思うことを言わないというのは私の性に合わないので、非難を覚悟で言わせていただきます。
福島や震災復興については真新しいことはなく、報告に値するのは過去150名ほどの日本人留学生を指導した音楽院のシュミット教授が、日本人留学生について、「もともと社会、政治問題に全く関心がなかったが、それは福島以後も変わりない」と言っていたこと。私が最近訪ねてきたあるエリート大学の学生から聞いたことと一致、彼も「政治、社会問題について話すことは不可能、話題はガールフレンドや将来の就職、旅行、部活などに限られる」と言っていたが、日本の将来を担うのは若者であることに変わりないので、懸念を抱かざるを得ませんでした。もう一つ、これはと思ったのは日本学科の教授の一人が、司会の「福島以後の変化」を簡潔に短く言えば、どうなるか、という問いに、そんな質問には答えることを拒否すると言って笑いを取っていたこと。本人はコケットリーと思っているかもしれないが、他の参加者が真摯に答えたのから相当浮き上がり、一人的外れなことを言っていたのが目立っていた。その後の発言もオペラを被害者の傷を治癒する文学の力に例え、解釈していたが、平田の意図は治癒ではなく、絶望的な現実を突き付け、治癒などできない痛みを一生引きずらざるを得ない福島の人々を忘れず、痛みを共有しようと、それを耐えるには、南無阿弥陀仏を唱えるしかない、と言っていたのでは。文化評論というのはよく本質に迫る代わりに題材をダシにして、己の考えを言うだけの自慰行為になるという現象があるので、要注意。もう一人の日本学科の教授は福島以後政治的には変化がなく、変わったのは社会的現象と指摘、確かにまたぞろ自民党支配が復活、ただ反原発や昨夏の安全保障関連法案反対運動で社会的には大きく変化した、と報告していたのはその通り。願わくは政治的にもそのためここ半年ほどの間に一気に独裁右傾化したことも指摘しておいていただきたかったですね。