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ねこやしきさらのおうち

最近は別宅の保管庫になっています
動物たちは相変わらず元気です

熊本の山奥の蕎麦屋

2010年04月04日 | 温泉と蕎麦
昨日は市街地の更科蕎麦に行ってみたのだが、見事な外れ。天ざるを頼むと顕著にわかるので複雑である。で、写真は撮ったががっかりだったので載せない。で、今日行った店も、名前は出さないでおこうと思う。

立地も内装もほんとに凝っていて、蕎麦好きの人が道楽でやっているんだろうなあと思えた。十割蕎麦、今日の粉は常陸の農家からの仕入れだそうで。江戸蕎麦家教室なるものも開講しているという大将の蕎麦である。詳細は書かない。画像見れば明らかなので。





天ぷらは地物の野菜を使っているのでさすがに味が違う。うまい。ただし、揚げ方は料理人の腕だから、別である。和え物がついていて、今朝掘ってきたというタケノコを山椒味噌であえたのが非常においしかった。女将のお手製だとか。欲を言えば、みりんはもうちょっと抑えたほうがいいと思った。そうでなくても味噌自体が甘い。関東の味噌に日頃接していない人なんだろう。ああ、ここは九州か。



概して、人里離れたところにこもってしまうと感覚が鈍るものだ。江戸なら江戸の蕎麦に、日頃から自分以外の誰かと接していないとだめだ。これはすべてに通じる。いい勉強になった。

こんな山奥にもこんなのがいました。鴨南に入れるのかいなとちょっと邪推したりして。


年越し蕎麦

2009年12月31日 | 温泉と蕎麦
Bんぽあんのお蕎麦を今年も買ってきました。



写真は、おとりが撮れとうるさいので撮りました。ファイル名はもちろん「私と年越し蕎麦」に決まっています。どう考えたって、あんたはおまけだろうとしか言えないような写真なのですが、抵抗は無駄でしょう。今年もおとりに仕切られて終わりそうで、何だかなあのさらねこです。来年は虎年ですが、ロシアでは別名ねこ年なので、さらねこの年になるぞと密かに期待をしています。

「あら、来年こそ、このブログを『おとりまみれ』に改造するのよ!」

やめてください。あなたたちは黙って箸置きやっててくれればそれでいいですから。

さて、お蕎麦ですが、手前が白、向こうが黒です。これを食べながら年越しをします。煮方の説明書とつけ汁はついているので、安心です。

ねこやしきをご訪問の皆様へ
今年もご訪問ありがとうございました。来るべき新しい年がますますよい年になりますよう、お祈りいたします。また来年もご訪問くださいね。それでは、よいお年を。
ねこやしきさら

お蕎麦頼んじゃった

2009年12月29日 | 温泉と蕎麦
いつものBんぽあんに年越し蕎麦を頼んでしまった。お持ち帰りのほうで。白と黒を1パックずつで1000円なり。むむー。ねこやしきは欲張りなのだ。だってあそこのお蕎麦は白も黒も食べたいもん。去年もそんなわがままを言ってお願いして、やってみたらこれがまあすごい幸せな気分になったので、今年もぜひそれにあやかりたいと思い。大将、ねこやしきのわがままをきいてくれて、ありがとうございます!!思えば、去年は何だかものすごい悲痛な気持ちで年越しをしたような気がする。今年は去年に比べたらずっといいほうだと思うけど、でもそんなに元気ではなくて暗いことには変わりはないので。お蕎麦は縁起がいいものなのだと、去年そばがきさんが言っていたから、それを信じてというところかな。

お店で食べられたら一番いいんだろうけど、そんな年越しのタイミングってあまり他人に気を使いたくなくて、静かに過ごしたいわけだ。これが元気ならいいんだろうけど、とてもそんな気力がない。吹き飛ばせない。というわけで、ねこやしきは静かに年越しです。

「あら、私がことわざと四字熟語を交えて解説してあげてよ」

あ、みやびちゃん。あなたはおとなしく箸置きになっててくださいな。お願いだから。

ソバ作りのエントリー

2009年08月22日 | 温泉と蕎麦
そばがきさんと夢八さんのブログで、興味深いことにソバ作りのエントリーが同時期にあがった。ちょうど種まきの時期だということだろうが、やはり蕎麦の原点はとれた実の云々よりもここだということか。まずは畑を耕す。実に興味深い。去年そばがきさんのブログを見ていて、すごい速さで成長していったのを覚えているので、今年もまたあっという間に収穫に至るのだろうが。記事を読むのがとても楽しみだ。

そばがきさんちの今年の最初のエントリー「蕎麦の畑作り」
ttp://gyouzan.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-c3d2.html

夢八さんちの今年の最初のエントリー「蕎麦が生まれるまでを知る その一」
ttp://blog.goo.ne.jp/toshiharu2214/e/c5078164a59b4753b92d78ab1738a15e

時代劇に出てくる蕎麦屋

2009年08月19日 | 温泉と蕎麦
最近は、本だと時代小説か西洋哲学・思想の本しか読まないし、テレビだとアニメ(と言ってもブリーチだけだが)か時代劇しか見ない。で、月曜日に水戸黄門があっていたのでそれはもう何年かぶりに見たのだが、何という劣化というか、おもしろみのなさというか、形骸化してしまったような感覚を覚えてがっかりした。あーあと思っていたら、さっきあっていた昔の時代劇の再放送を見たら、おお。こっちはおもしろいのである。一体何が違うのか、私にはよくわからないが。作り手の意気込みだろうか。江戸時代の生活感覚だろうか。時代劇というジャンル自体が原因ではないとわかって、ちょっとほっとした。

時代劇を読んだり見たりしていておもしろいと思うのは、もちろん人間ドラマもなのだが、背景だったり、小道具だったりする。さっきあっていたのは、長谷川平蔵が出てくるやつで、鬼平なんとか帳という。この劇中に出てきた飯屋がまあ、何とも興味をそそった。壁に貼り付けられたお品書き。店の中の様子、店先の様子。店を描こうとしているわけでなく、店が何の違和感もなくそこにあるといった風情だ。描写の対象はもちろん、そこの客の中に怪しい奴がいて、なんだけどね。私としてはどうしてもその背景に注目してしまうのだった。私にとっては異文化なんだろうと思う。

で、声をあげてしまったのは、エンディングなんで。江戸の下町の四季を描いてあるのだが、これがまたまあ、日常と思われる場面をよくまあさらっと作ってある。春、夏、秋、ときて、冬はなんと蕎麦屋の店先が映るわけよ。雪がちょろっと積もっていて、風が吹いていて、寒そうに背中を丸めた人たちが出入りするのが、蕎麦屋なわけだ。「二八」の文字が見える。おお!店先では、寒風の中、腰掛にすわって客が蕎麦を手繰っているのだ。はああ、これが江戸の日常なのだと何だか感激してしまった。現在再現されたものであっても、これらがすべてフィクションだとは思わない。こういう文化が実際にあったから、こういう映像が撮れるのだろう。

九州にはこういう文化はない。それに、私が東京で学んでいた頃は、それこそ貧乏学生だったから外食をする機会(というより金)がなかったから、こういう文化には触れていない。だから、私にとっては同じ日本にいても異文化なわけで。江戸には蕎麦の文化があって、それが現在にも引き継がれている。夢八さんやそばがきさんのブログを見ていると、過去の重みが伝わってくるような気がする。そりゃあ、何もないところにぽんと現れるわけないよねえ。ちょうどバラライカの名手が現れるのは、農村の文化が栄えている土地だったように。などと瞑想してしまうと、日本文化の研究をしようとするなら、蕎麦を追いかけていくのがいいのではないかと、やっぱり思ってしまうね。私は日本研究者じゃないけど、私ならそうするな。農村の文化と都市の文化。都市の庶民の食するもの。そして今は、それらを残しながら、芸術の域に達しているものがあるということ。この時間的な空間的な幅広さが実におもしろいと思う。