「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

仏陀はどうして、右脇から生まれたのか

2011年07月30日 11時27分55秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話

こんにちは。

ごめんなさい、今、自宅聴講で、仏教について学んでおります。(必須単位なので逃れられません。)

のんちゃんn(友人)は、袈裟着た坊主が説法しているのかと笑うんですが、違います。最近の大学経営は、宗教じみるとあっという間に生徒がいなくなります。なので、私の習っている仏教は、限りなく、「開祖を研究し、仏教と言うものがどういう風に出来たのか」という研究者の先生から習う講義です。念仏旅行ってのもあるんですけれど、行ってみたいんですけど(笑)。精神哲学、ならびに、仏教哲学、そして、仏教の歴史的背景、そんなことを学んでいます。

自宅聴講なので、ラップトップさえあれば、「トイレを磨きながら聞けることがありがたいことです。」

インドでは、右は神聖なもの、左は穢れているものと考えていることは、かなり周知の事実です。さて、お釈迦様は、お母さんの右脇から産まれたという解釈についてなんですが、ちょっと、色々聞き込んできまして、面白いなと思ったので紹介します。

プルシャ(巨人)という大きな原人の口から生まれたのは、バラモン。両腕から生まれたのが、クシャトリア、両腿から生まれたのが、ヴァイシャ、両足から生まれたのが、シュードラという伝説がありまして、お釈迦様は、クシャトリアなので、腕。右側が清らかなので、腕。それより、脇かな?って考えなのですね。(中村元『ゴータマ・ブッダI』春秋社、1992年)。

うーん、それ以上の前に、お釈迦様は、生まれの苦しみという、生苦というものを味わってはいないという不文律があるんです。

輪廻転生の時には、考えとして、はじめに「もう輪廻転生をしないようにどうしようか」という輪廻転生をした時の計画書を作るって考えがあるんですね。そして、それを計画書として自分の課題として、産まれて行く事にトライして行くんです。ところが、産道を通ると、人は生まれの苦しみ、痛みによって、自分がどうしようと思って生まれてきたのか、自分の「天命という輪廻転生計画書」を忘れてしまうんですね。生まれの苦しみは、産む人の苦しみの前に、生まれる人の苦しみ(生苦)があることが、最初の障害になるんですね。

お釈迦様は、右脇から生まれたのは、結果として、こんなに悟って、輪廻転生の必要がなくなる程頑張れたのは、産道を通って生まれていない=生苦がない為に、「輪廻転生計画書」を忘れなかったんじゃないかと言う考えがあるんですね。

実際に、出産にかかる時間が多ければ多い程、胎内にいたときの記憶を、「胎児から赤子に生まれる段階」に、ある分泌物のおかげで忘れてしまうこともあるんですね。私の長男は、難産で13時間以上かかり、次男は、安産で、3時間もかかりませんでした。あっと思ったら、生まれていたのが、次男です。

長男は、暗いところを凄く嫌うんですが、次男は、胎内の記憶を持っていて、実際に、胎内にいた時のような包み方を主人と二人でしてみたら、彼氏は、「胎内で恐らくやっていたであろう手足の組みかた」を自然と行ったんですね。なので、もしかしたら、輪廻計画書ももっているかもしれません。ちなみに、私は早産で産まれたので、自分で覚えている・・・ってことはありません。ただ、子供の頃の記憶の一番古いものは、2歳児くらいからの記憶ですかね。

ということで、お釈迦様は、実際には、右脇から生まれることは、不可能なんですけれど、どうして、こういう生まれに「天部の後付設定」(笑)になったのかというと、色々な説の中で、こういう説があったんですね。

 

へぇえぇへぇ。

 

 

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