質問者:ハイル禅師 神仏は体罰を容認されている
のでしょうか?
私:体罰を与える相手に対し愛と慈しみがあるかどうかで
随分と結論が変わる複雑な問題を孕んでおります
神仏の場合は全て大愛から施される体罰であり
地獄霊界では死者の霊層に合わせて罪障相応に
焼いたり切ったりする拷問も行われております
神仏の考えでは人間社会も体罰が必要だとの見解ですが
勘違いする人が多い為 詳しく解説します
幼少期は躾の為に恐怖心・畏怖心・学習効果を身に付ける
意味で親が愛情をもって行う体罰が必要となります
超甘に育てると社会性や協調性が崩壊し自我が強く頑なになり
最終的には犯罪者になるリスクが高くなる
なぜなら人間は一定の恐怖心や畏怖心などの感情がないと
全てを侮り傲慢不遜になり他人に迷惑をかける存在に成り得る
からであります
ただ現実は親や学校の教師が怒りの感情に任せて
子供や生徒に暴力を奮ったり怪我をさせており
体罰に対して異論を持つ人もいる
これは体罰を行う人間の精神性が低いからであり体罰を行う事で
逆に生徒から感謝をされる立派な先生も稀にいるのです
要するに慈悲心や愛情からくる体罰は必要だが奥の手と
すべきです
体罰の前に中には穏やかに話で分かる子供もいるからであり
神仏でも霊層で体罰か否かを使い分けておられます