大道塾という団体を作られた、東孝(あずまたかし)塾長が2021年4月3日、お亡くなりになりました。
総本部では私が寮生の頃から永くお世話になっており、神奈川で独立支部の運営を行っている現在においても、1,2か月に一度くらいのペースで何かと総本部へも出向いている私ですが、お亡くなりになる前日まで塾長が癌の末期であることや、これほどまでにご体調が悪化されていたということは知らされておらず、とても大きなショックを受けています。
お亡くなりになられた東塾長とのお別れのため、総本部へお伺いいたしましたが、私としては比較的冷静に、棺の中の塾長と対面をさせていただき、お別れの挨拶をさせていただくつもりでおりましたが、棺に納められた塾長の前に立つと、一瞬体が動かなくなり、体が震え、線香を灯すことや、棺の中の東塾長のお顔を覗き込むことすらスムーズに行えませんでした。
なんだよくかわかりませんが、体がうまく動かず、言葉が出ず、棺を目の前にして、冷静でいたはずの私の心が崩れるような感覚がありました。
思い返せば、私が若い頃、総本部の寮生や職員の時代から、また都内で会社員として仕事をしながら総本部事務局の支援をしていた時代、そして独立支部を運営するようになり、総本部の東塾長とのかかわり方がその時々で変わっていくいろいろな立場の中で、とても長い期間にわたり、比較的近い場所で東塾長とかかわってまいりました。
正直なところ、私自身の気持ちの上ではとても多くの不満があったことも事実であり、若いころには私の発言に対して塾長から厳しい叱責を受けたり、厳しい対応をとられることもありました。
私自身としては大道塾の将来を憂うるからこその強い思いがありましたが、若いころはその思いを適切に表現できず、塾長を怒らせてしまうことが多くあったことも事実です。
それでも、何とか大道塾のため、いや、東塾長のためにと、かなり長い期間にわたり総本部に関わってまいりました。
現在でも総本部で管理する塾生データの保守を担っており、総本部の全データの詰まったサーバーの保守管理などに携わり、また東塾長自身が所有する複数台のパソコンの保守管理、プロバイダーやホスティングサービスなどの各種情報サービスの管理、また事務局の方々の細々とした業務支援など、長年にわたり多くの部分にかかわっているため、総本部事務局における昔から現在に至るいろいろな状況や問題点も私なりの視点で見極めてきたつもりです。
また独立支部の運営を行う中でも、運営面に関するいろいろな観点から、私なりの立場で出来うることを考え、与えられた権限の中で最大限の工夫をしていく中で、やはり多くの疑問点や不満な点、またいろいろな問題点が出てくるのは組織が大きくなれば、また組織に所属していれば致し方のないことかもしれません。
しかし、自分の意見を通して塾長とぶつかるよりも、とりあえず、塾長の望む体制づくりのために、自分の気持ちを抑えて、自分なりにできる限りの協力をしてまいりました。
不満は不満としてあるものの、こうして現在の道場運営の立場を築けているのは、ひとえに東塾長のおかげであることも事実であり、これまでに実に多くのチャンスを頂き、ことあるごとに塾長の思いやりのある対応に、数多く救われてきたのも事実です。
今回、いろいろな感情の中でも、毅然とした姿勢で塾長との最後のお別れをするはずの場で、どうにも自分が思うように表現できず、何らかの感情が沸き上がり、思わず込み上げてくる気持ちを抑えられないほどに、感情が高ぶる思いがいたしました。
今考えると、よくも悪くも、自分をよく見てくれている、そしてこれからも私自身が見守ってもらいたいと願っていた自分の父親のような存在だったのだと思うに至りました。
今後、これほどに深く私にかかわり、見守ってもらえる存在はというものは、親や家族を除いて、そうそうあるものではありません。
人の死に際し、突然に湧き上がる感情と涙。
私の今の家族は、私と妻の両方の父母、そして家族全員が健在であり、人の死に対してこれほどまでに感情を揺さぶられたことはありません。
その時の涙の意味や湧き上がる感情の内容に関しては、いったいどういうことなのか私にはわかりませんが、人の死に際しての感情にあれこれと理屈を捏ねる必要もありません。
塾長の恩を忘れることはありません。
塾長の想いを忘れることもありません。
私はこれまで通り、大道塾の一支部として、より立派な道場運営ができるよう、東塾長の満足が得られる、そしてすべての稽古生と道場関係者の方々にとっての最高の道場環境の構築に向けて全力で取り組んでまいります。
団体の代表であり創始者でもある東塾長がお亡くなりになられたということで、喪に服する今のこの時期にも、いろいろと団体の今後のことなどでいろいろな情報や意見、噂話などがが飛び交うことも多いと思われますが、私にとって大切なことは、東塾長のご遺体と直に対面し、その時に心で感じたこと、それが私にとっての今回の出来事のすべてです。
きな臭い政治的な話や、ゴシップのたぐいの話には加わりたくはありません。
東塾長にはこれからも、遠いところから静かに我々を見守っていただきたいという想いでおります。
総本部では私が寮生の頃から永くお世話になっており、神奈川で独立支部の運営を行っている現在においても、1,2か月に一度くらいのペースで何かと総本部へも出向いている私ですが、お亡くなりになる前日まで塾長が癌の末期であることや、これほどまでにご体調が悪化されていたということは知らされておらず、とても大きなショックを受けています。
お亡くなりになられた東塾長とのお別れのため、総本部へお伺いいたしましたが、私としては比較的冷静に、棺の中の塾長と対面をさせていただき、お別れの挨拶をさせていただくつもりでおりましたが、棺に納められた塾長の前に立つと、一瞬体が動かなくなり、体が震え、線香を灯すことや、棺の中の東塾長のお顔を覗き込むことすらスムーズに行えませんでした。
なんだよくかわかりませんが、体がうまく動かず、言葉が出ず、棺を目の前にして、冷静でいたはずの私の心が崩れるような感覚がありました。
思い返せば、私が若い頃、総本部の寮生や職員の時代から、また都内で会社員として仕事をしながら総本部事務局の支援をしていた時代、そして独立支部を運営するようになり、総本部の東塾長とのかかわり方がその時々で変わっていくいろいろな立場の中で、とても長い期間にわたり、比較的近い場所で東塾長とかかわってまいりました。
正直なところ、私自身の気持ちの上ではとても多くの不満があったことも事実であり、若いころには私の発言に対して塾長から厳しい叱責を受けたり、厳しい対応をとられることもありました。
私自身としては大道塾の将来を憂うるからこその強い思いがありましたが、若いころはその思いを適切に表現できず、塾長を怒らせてしまうことが多くあったことも事実です。
それでも、何とか大道塾のため、いや、東塾長のためにと、かなり長い期間にわたり総本部に関わってまいりました。
現在でも総本部で管理する塾生データの保守を担っており、総本部の全データの詰まったサーバーの保守管理などに携わり、また東塾長自身が所有する複数台のパソコンの保守管理、プロバイダーやホスティングサービスなどの各種情報サービスの管理、また事務局の方々の細々とした業務支援など、長年にわたり多くの部分にかかわっているため、総本部事務局における昔から現在に至るいろいろな状況や問題点も私なりの視点で見極めてきたつもりです。
また独立支部の運営を行う中でも、運営面に関するいろいろな観点から、私なりの立場で出来うることを考え、与えられた権限の中で最大限の工夫をしていく中で、やはり多くの疑問点や不満な点、またいろいろな問題点が出てくるのは組織が大きくなれば、また組織に所属していれば致し方のないことかもしれません。
しかし、自分の意見を通して塾長とぶつかるよりも、とりあえず、塾長の望む体制づくりのために、自分の気持ちを抑えて、自分なりにできる限りの協力をしてまいりました。
不満は不満としてあるものの、こうして現在の道場運営の立場を築けているのは、ひとえに東塾長のおかげであることも事実であり、これまでに実に多くのチャンスを頂き、ことあるごとに塾長の思いやりのある対応に、数多く救われてきたのも事実です。
今回、いろいろな感情の中でも、毅然とした姿勢で塾長との最後のお別れをするはずの場で、どうにも自分が思うように表現できず、何らかの感情が沸き上がり、思わず込み上げてくる気持ちを抑えられないほどに、感情が高ぶる思いがいたしました。
今考えると、よくも悪くも、自分をよく見てくれている、そしてこれからも私自身が見守ってもらいたいと願っていた自分の父親のような存在だったのだと思うに至りました。
今後、これほどに深く私にかかわり、見守ってもらえる存在はというものは、親や家族を除いて、そうそうあるものではありません。
人の死に際し、突然に湧き上がる感情と涙。
私の今の家族は、私と妻の両方の父母、そして家族全員が健在であり、人の死に対してこれほどまでに感情を揺さぶられたことはありません。
その時の涙の意味や湧き上がる感情の内容に関しては、いったいどういうことなのか私にはわかりませんが、人の死に際しての感情にあれこれと理屈を捏ねる必要もありません。
塾長の恩を忘れることはありません。
塾長の想いを忘れることもありません。
私はこれまで通り、大道塾の一支部として、より立派な道場運営ができるよう、東塾長の満足が得られる、そしてすべての稽古生と道場関係者の方々にとっての最高の道場環境の構築に向けて全力で取り組んでまいります。
団体の代表であり創始者でもある東塾長がお亡くなりになられたということで、喪に服する今のこの時期にも、いろいろと団体の今後のことなどでいろいろな情報や意見、噂話などがが飛び交うことも多いと思われますが、私にとって大切なことは、東塾長のご遺体と直に対面し、その時に心で感じたこと、それが私にとっての今回の出来事のすべてです。
きな臭い政治的な話や、ゴシップのたぐいの話には加わりたくはありません。
東塾長にはこれからも、遠いところから静かに我々を見守っていただきたいという想いでおります。
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