『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

《玉断》 日本古伝の 「身体がととのう」 体操〜 四股・テッポウ

__ 世界には、色々な体操がある。中国🇨🇳の站椿功(たんとうこう、立禅)やインド🇮🇳のヨーガ、メキシコ🇲🇽のトルテックが編み出した「テンセグリティ」など、

それぞれの地に、その地元民のための(つまり地元民に合った)体操がある。日本では何だろうと思い巡らした時に、あらゆる武芸の基本動作である「四股」がある。

 

大相撲で力士がみせる土俵入りでの印象がつよいが、実は「四股」は筋力増強トレーニングでもなければ、柔軟ストレッチとも違う、独特の「身体がととのう」運動 なのである。

諸説あり、「四股の踏み方」もひとつに統一されていないが…… 

やればやるほど、どんどん気持ち良くなる「究極の健康体操」で、しかも日本人の身体にぴったりと寄り添う動かし方となっている「四股」の本来のやりかたを探求なさっている、元力士の一ノ矢関の「四股」を参考にしようと思う。

この四股は、あしも高く上げることなく、膝関節にも負担がかからないので、老人でも病人でも毎日継続できる。そのくせ、この「四股」によって達人にもなれる、運動の極意なのである。日本という土地に合った、日本人の身体の動かし方を養う、日本人のための運動である。

実に地味な見かけながらも、神道の奥義に通じるスピリチュアリティも併せもつ、素晴らしい「動き」を少しく深掘りしてみよう。

 

 

🔴「ただのデブが英雄になる」

差別的な発言ではないかと目くじら立てる向きもあろうが、これは相撲の稽古システムがすぐれていることを表した言葉です。

相撲でも「股割り」といって、180度開脚の準備運動があり、これはケガを少なくするためにするらしい。

そして、伊勢白山道推薦の「四股」と、そして「テッポウ」、不思議なことに相撲には技術練習はないのです。

 

「シコを極めれば幕内に、テッポウを極めれば三役になれる」という格言が、実際相撲界にあるそうです。

 

名横綱・双葉山は、カラダが硬かっただけでなく腕力もなかったそうです。よく腕相撲で負けていたらしいです。

 

【明治以降で、最高の力人(ちからびと)であろう。この腰の据わった美しい佇まいは、すべてのお角力さんの憧れであった。】

 

ところが、あれだけの力士となったのは、相撲の力士養成システムが優れているからです。

ほんとうに、ただのデブ(普通の素人)が英雄となれる歴史があった、これが永年にわたって大相撲が連綿と続いてきた大きな理由なのだとか。

テクニック練習をしないので、稽古はシコとテッポウをした上で、ぶつかり稽古をするだけです。これは受け身の練習にもなります。

 

 

元インテリ力士だった一ノ矢関が、運動生理学等を学んだ上で推奨している「四股」がありますが……

それは、千代の富士や貴乃花がしていたような脚を高く挙げて止める「四股」ではなく、

明治の常陸山や梅ヶ谷をはじめ、現代では稀勢の里がしていた、少しだけ膝を上げる「四股」です。

この軽い感じの「四股」は、相撲で古来から行われてきた伝統的な四股なのです。

 

 

【水戸藩の武士出身の、第19代横綱・常陸山(ひたちやま)谷右衛門。角界でよく口の端にのぼる「横綱相撲」とは、この名横綱・常陸山の相撲の取り口をモデルにして言っているのである。

常陸山のおじさんは、武道専門学校の師範で高野佐三郎とともに名人の双璧であった、北辰一刀流の内藤高治である。内藤の勧めで相撲界に進んだらしい。常陸山は、そして、大相撲に「武士道」を導入した張本人でもある。常陸山以前には、人間的に人びとの尊敬の的となるような「相撲道」はなかったのである。ただの相撲興行だったのであった。常陸山関こそ、近代大相撲の祖といってもよいだろう。】

 

素人でも、千回単位で出来ます。

伊勢白山道記事にも取り上げられた合気柔術の名人・佐川幸義翁が密かに稽古していたのも、この脚を振り上げない四股でした。

四股とスクワット(いわゆるヒンズー・スクワット)との一番大きな違いは、シコが膝を傷めないということです。(膝がつま先よりも飛び出すと、膝を傷める。四股はスネを床に直角に立てるので、膝に負担がかからない)

スクワットは主に太ももの前側の筋肉がつきますが、シコは前側にあまり負荷がかからずに後ろ側の筋肉にも割と均等にかかるそうです。

つまり、「四股」は筋肉増強運動にはならないのです。

あの、体重の重い力士が膝をこわしている時でも、スクワットは出来ませんが四股は踏めます。

 

相撲のこの稽古システム、四股とテッポウだけを真面目に鍛練すると名力士になれるとは……

日本ならではの、丈夫《ますらお》の道だと思います。

相撲は、柔《やわら》の源流と云われます。日本古来の「和《やわらぎ》」の道は、柔らかさに象徴される道だと思いました。

 

この相撲の伝統的な稽古方法は、昭和の時代までは伝わっていました。しかし、いまや機器をつかったマッスル・トレーニングに堕してしまいました。

最近の若い力士は、ステンと転がる場面が多くなりました。足腰が出来ていないからです。

若者たちよ、昭和を馬鹿にして伝統を棄ててしまう前によくよく吟味しなければならないのですよ。

 

 

🔴…… 双葉山の四股は、脚を高く挙げるものでした。

それどころか、足を高く上げる四股は、どうやら双葉山から始まったようです。

あれは、魅せる四股ではありますが、古来から伝わる四股ではありません。

 

> 相撲界には【四股十両、テッポウ三役】という格言があります。

これには、申し合い稽古をしなくても四股をしっかり踏みつづければ十両まで上がれる、そこにテッポウを加えれば三役まで上がれるという意味が込められています。(松田哲博氏=元・一ノ矢関・談)

 

…… 四股の踏みはじめは、相撲部屋の羽目板の前でさせられるそうです。前傾姿勢になると何の意味もないからです。(家庭では壁に向かってすればよいと思います)

・古代夏王朝の聖王の禹の歩き方「 禹歩跛行=足を引きずる歩き方)」から〜

・陰陽道の反閇へんばい)

・能の「翁」「三番叟」の足づかい

・相撲の「四股」

と徐々に変遷していった歴史があるようなので、ある種呪術的な意味合いも含まれる動作です。

 

一拍子でサッと足をあげてサッとおろす。

(❌ 足を身体に引きつけてから上げると、ニ拍子になってしまいます)

 

四股は筋力をつける運動ではありません。筋肉に頼らずに骨を使う身体操法、「腰」をつくるための調体運動だそうです。(但し、インナーマッスルは鍛えられます)

負荷がすくなく、やっているうちに気持ちがよくなるのが正しい四股の踏み方だそうです。

 

YouTubeで「一ノ矢 四股」でいろいろ見られますが、「腰割り」だけでも効果があります。腰割りは無音でできますので、マンション住まいの方も安心して練習できます。

四股の踏み方は、さまざまに流派がありますので、よく見極めてご自分に合った踏み方を見つけていただければと存じます

 

 

【「四股」の動作は、空手の「ナイハンチ」の型の足腰の動かし方と同じものだと言う。つまり、骨の並び(アラインメント)を揃えるということである。本来の四股は、気持ちいいものであるとの認識は、傾聴に値するものであろう。】

 

【「四股踏み」の基礎となる「腰割り」の詳細で親切な説明動画。楽な姿勢で、気楽にリラックスして臨むのが一番よいのが、よく分かる。この「腰割り」が出来た状態で、交互に足をあげるのが、正しい「四股」である。】

 

 

 

__ ここで、「四股」が神道の体操ならば、仏教の体操は坐禅(瑜伽ヨーガの一種)であり、五体投地礼でもあるのですが、

日本ならではの、釈尊に礼をするための動作からインスピレーション(実は勘違いなのだが)を得た、めずらしい身体操法「真向法」もあたってみよう。この運動には、意外にも、出産の際の「ラマーズ法」と同じ動作が含まれる。(第1ポーズと第3ポーズ)

西洋と違い、東洋の「床に座る文化」から生まれた運動なのだろう。

 

 

🔴  「真向法」の創始者・長井津(わたる、1889-1963のご子息・長井洞(はるか)『真向一途』より引用

(長井津が、42歳で脳溢血を患い左半身不随の身となったときに、ご実家の浄土真宗・勝鬘寺で、ご実家に縁ある『勝鬘経』を読んで心を慰めていた)

 

> 何日目か何ケ月目かにやっと序説が終ろうとした所に「勝鬘及一家眷属頭面接足礼」と書いてある。

理解力の豊かな読書人ならば、「愈々お釈迦様がお出ましになり、女弟子の勝鬘夫人やその家族縁者が、頭を足まで下げてお辞儀をしたのだなあ」と釈尊の教えそのものには直接何の関係もない単なるお辞儀であるから素読し過ぎる個所である。(略)

父は、「待てよ、立ってお辞儀をしたのでは、頭は脚部には接するかも知らんが足に接することは不可能じゃないか」と思った。これはお釈迦さんが勝鬘夫人の家にいらっしゃったのだろうから、室内の礼であり、恐らく座拝にちがいないと推測される。

 

…… 学者や宗教家に問いただしてみて、この姿勢に違いないと納得する形が第一体操だったと云ふ。長井津は、この第1ポーズを三年にわたって行じてみる。さらに第2ポーズ(全部で4種のポーズがある)を編み出して行じているうちに、動かなかった身体がだんだんと動くようになってきた。

 

【上から順に、第1、第2、第3、第4ポーズを、ご本人が行じておられる写真である。彼の啓示的な「勘違い解釈」は、永平道元の独特な中国語読みを彷彿とさせる。】

 

普通に考えれば、頭面接足礼は頭面を自分の足にではなく、跪いてからお釈迦さんの足につけておみ足を頂いたと取るのではないでしょうか。

長井氏は、どうも最初から足が自分以外の足であるという想定がなかったようです。しかし、素直に受け止めれば、『勝鬘経』を誤読したかのような長井先生の解釈から始まった「真向法」でしたが…… 

実際に、長井先生ご自身の半身不随を治している実績は疑いようがない。なにか長井先生の思いつきのように思われるかも知れないが…… 

ある酒席で、合気道の植芝盛平先生と、長井津先生が隣合わせたことがあり、早速長井先生が「真向法」と言うものを実演説明なされると、それを見ていた植芝先生が即座にその効能を看破なされたそうである。

以来、植芝門下の合気道道場では、「真向法」が準備運動として採用されている。武術家というものは、自分の身体を実験台として、あらゆる独自の鍛錬を欠かさないものである。

超一流の武道家・植芝盛平翁のおメガネにかなったとなれば、「真向法」は普段使わない筋肉を活かす何かを内包しているのである。病いに対する真剣な取り組みから、思いも寄らない叡智に接触した可能性はあると思う。

「真向法」の根本意念は、釈尊の御前にて、おのれをすべて投げ出し明け渡す(=帰依する)ことにある。宗教感情が、ひとつの宗教的動作を産み出した好例ではないかと思えてならない。

  

      

🔴  ついでに、「振動」という意味から、いわゆる「踵(かかと)落とし」による重心下げを見てみます。

山岡鉄舟の直弟子・小倉鉄樹をはじめ、合気道創始者・植芝盛平と随変流剣術の達人・中村天風(インドの呼吸法「クンバハカ」も修める)と……

なんと、三人もの名人上手と結ばれる道縁をお持ちだった、藤平光一の『心身統一合氣道」には、

心身統一の四大原則

  1. 臍下(せいか)の一点に心をしずめ統一する
  2. 全身の力を完全に抜く
  3. 身体の総ての部分の重みを、その最下部におく
  4. 氣を出す

…… この❸を実行するために、

「下に下に」と意念して、

爪先立ちして踵🦶をあげて、

ドンと地面に「かかと落とし」をする。

 

そうすると身体が、最強の攻撃防御一体の「自然体」となる。全身の骨に、垂直方向の打撃刺激を与えることによって、たしか骨の強化につながる運動にもなっているはずだ。

簡単にして、本質的な運動が「かかと落とし」ということになる。これもまた、「振動」が骨を成長させる のである。

 

大東流合気柔術の佐川幸義宗範の道場では、佐川先生の合気で、只ひたすら投げられる稽古をみっちり一週間も続けると、身体の細胞が密になって、投げられにくくなるそうです。

これも、合気による正しい(=自然に則った)投げられ方によって、道場の床に叩きつけられたときの「振動」が、身体を活性化する方向に働くとも言えそうである。

佐川先生は、この稽古を「〇〇くんを強くしてあげる」と言って、意識して行なっていたようである。武術の世界は、つくづく奥が深い。

 

 

🔴 伊勢白山道に拠れば、古神道では、魂や神気を「振動」として捉えるそうです。

宇宙も振動なのです。「振る」ことが命を生みます。

 

グルジェフも創造の光の流出(生命潮流)を、すべて振動数で説明していましたし、テスラも地球を割るほどの振動の秘密を知っていました。

神道と振動(一音違いですね)との関係では「魂振り」とか云いますから、勿論根幹をなすものですが……

 

身近な処では、大相撲でも振動なのです。

YouTubeに、古来からの相撲を科学的に検証して挙げておられる、元力士の一ノ矢関に拠りますと……

相撲独特の基礎練習である「四股」「テッポウ」は、ともに「振動」する稽古だということです。

 

大鵬関は、テッポウ2000回・四股500回を毎日こなし、血尿が出るほどだったそうです。(大鵬の鉄砲は、張り手に近い打撃であり、内臓を傷めて血尿となったようです。本来は「弾く」のがテッポウ)

 

現在の力士は、テッポウも四股もほとんど真剣に取り組みません。

なぜなら、四股は筋肉に対する負荷が少なくてスクワットに劣り、テッポウは単純な押す運動だと勘違いしているからです。

 

一ノ矢関によると……

四股は 足を高く上げる筋肉運動ではなく、足を低く足踏みしたときの大地に触れる「振動」が大切なのだとか。

テッポウは対手を押すツッパリ筋力をつける運動なのではなく、本当は柱に掌が当たる瞬間、

掌で「弾く」運動だそうです、

即ち 身体を「振動」させることが根本義 なのです。

 

相撲というものは、この二つの運動を極めながら「ぶつかり稽古」で実戦をこなすことで、技術練習や持久力練習などをしなくとも、

【誰であろうと】立派な力士に昇りつめることができる、すぐれて単純な行法だそうです。

見かけからしたら、西洋レスリング🤼‍♀️と似ているから、相撲レスラーと言ったりしますが、レスリングとは明らかに別物なのです。大相撲に「寝技」はあり得ません。

 

相撲(角力)とは「立技」最強の格闘技でもありましょう。ただ、同時に神事芸能でもあります。横綱の踏む「四股」には、悪霊退散の霊力が宿ります。

伊勢白山道に拠れば、角力界では古来からの神事が正統な形で受け継がれていて、相撲の土俵造りの神事や横綱の土俵入りなどの神事が厳格に守られて祭行されているそうです。

 

そういえば、東日本大震災の折には、八百長問題で角界は大揺れで春場所が中止に追い込まれていたのです。大地を鎮める、力人たちの足踏み(取組=神事)が挙行されなかったことが、おおきく影響したのだそうです。

天皇陛下に準ずるように、大相撲力士には、いまだに祭司の「神格」が具わっておられるようです。となれば、「蹴鞠」と同じように、「四股」もまた天上の神さまに捧げる神恩感謝の型であるとも云えそうである。

       _________玉の海草

 

 

 

 

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「小覚」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事