『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

《玉断》 カルロス・カスタネダ〜 「明晰さ」 の先にあるもの ‥‥

__ 文化人類学者からスタートしながら、ヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスに出逢うことによって、フィールドワークを重ねて、いつの間にかメキシコ🇲🇽のトルテックの秘儀参入物語を描いてしまった、UCLA出身の作家カルロス・カスタネダについて、まとめてみたい。

 

【ドン・ファンの呪術的な盟友(ALLY)は、ワタリガラスであった。】

 

【ほとんどの訳は、真崎義博さんがご担当になられた。ドン・ファンのとぼけたユーモアや冷徹な箴言は、真崎さんのお力による処が巨きい。】

 

 

● ドン・ファン・マトゥス

古代メキシコ(トルテック)のシャーマンの流れを汲むブルホ( brujo =呪術師・医者等の意)、ヤキ族のインディアン

その軽妙洒脱で 深い人生経験による認識から紡ぎ出される語り口は、ボクの内ではグルジェフに匹敵する

ユーモアたっぷりだが、凄みのある怖さが漂う

彼は自らをナワールと称し、『イーグル』に呑み込まれないように闘う自由の戦士であるとの記述や 独特の世界観の中で、地球には48本の帯があるといった記述がグルジェフの『月の捕食』や水素表の48番に符合する

そーしたことから、UCLAに在籍した人類学者カスタネダによる、グルジェフのパロディとの見方もある

「管理された愚かさ」

「履歴を消す」

「世界を止める」

「自尊心をなくす」

「死はアドバイザーである」

 

(ドン・ファン・マトゥス)> 

非情に、しかし魅力的にな。

狡猾に、だが気持ちよく。

忍耐強く、だが活発に。

やさしく、だが容赦なくな。

女だけにそれができる。

ー非情さが苛酷さに

ー狡猾さが残酷さに

ー忍耐が怠慢に

ーやさしさが愚かさになってはならない

 

> 「何だって百万(もの道)のうちのひとつさ。

だからお前も、いつでも、道は道にすぎんということを心に刻んでおかにゃいかん。

お前がその道を行くべきでないと感じたら、どんな時でもそこに留まってはいかん。…… ()…… 

だが、その道を進むか離れるかの決心は、恐れや野心とは無関係でなければいかん。

忠告しておくが、どの道もじっくりと慎重に見るんだぞ。これで十分と思うまで何度でもそうするんだ。

そうしたら自分に、自分だけにひとつ問いを発するんだ。……

『この道には心があるか』……

もしあればその道は良いものだし、なければ何にもならん。

その道は両方ともどこへも導いてはくれんが……

それに従い、それとひとつになれば楽しい旅ができるんだ。」

 

> 「自分でしとることが、地上での最後の戦いになるかもしれんことを十分承知してやると

そこには焼きつくすほどの幸福感があるのさ。」

 

> 「最良の状態でいるためには、いつも心のある道を選ばにゃいかん。

そうすれば、いつでも笑っていられるんだ。」

(*ナワール・ファン・マトゥス)

 

あそこにある、あの岩が岩であるのは【する】からだ。

見つめることは【する】ことだが、

‘ 見る こと、それは【しない】ことなんだ。

あの岩が岩であるのは、

おまえがやり方を知っとるすべてのことのせいだ。

わしが【する】ことと言っとるのは、そのことだ。

たとえば、知者なら岩が岩なのは、【する】ことのためだってことを知っとるから、岩に岩であってほしくないときは、

ただしなければいいのさ。

世界が世界であるのは、それを世界に仕立て上げる仕方、【する】ことを知っとるからなんだ。

世界を止めるためには、

【する】ことをやめにゃいかん。

 

日常的な世界が存在するのは、わたしたちがそのイメージの保ち方を知っているからで、

逆にもしそのイメージを保つのに必要な注意力をなくしてしまえば、世界は崩壊する。

 

ヘナロが言うには、

正しい選択か間違った選択しかないのだそうだ。

・間違った選択をすれば、身体でそれがわかる。

・正しい選択をすれば、

身体がそれを知り、緊張がとれて、選択が行なわれたことをすぐに忘れてしまう。

すると、そうだな、ちょうど銃に新しく弾薬をこめなおすように、

つぎの選択にたいして身体の準備がととのうのだ。

(*ヘナロとは、ドン・ファンの友で、最高点にまで達した戦士であるドン・ヘナロのこと)

 

宇宙は明らかに女性で、男性は女性の派生物であり、ひじょうに珍しく、ゆえに切望されている

たぶん男の少ないことが、この地球でのいわれのない男性中心の理由だろう…”

ードン・ファン・マトゥス(*) /カルロス・カスタネダ『夢見の技法』二見書房

 

【二見書房が、この本のみ講談社から翻訳権を奪われた一冊、名谷一郎・訳】

 

 

● 明晰さの先にあるもの…”

[2013-11-23 10:36:06 | 玉の海]

 

学問とゆーものが好きで、研鑽を積んだ歴代の碩学と呼ばれる先人たちを心から尊敬する私でありますが

その御方たちでさえ、知者と云えるかと云えば、必ずしもそーではないと感じます

「知者」=正知を知り行なう者といったイメージを抱いています

まー、そーゆー事で幽界のお話なんですが、ひょんなことから見つかった読書ノートより引用します

 

> “知者の敵

人は学びはじめの頃、自分の目的が決してはっきりしていないものだ。

目的は不完全で意志はあいまいだ。

学ぶことの辛苦をぜんぜん知らないから、決して物質化できない報酬を望むんだ。

彼は少しずつ学びはじめる― 最初はほんの少しずつだ。

それからたくさん学ぶようになる。

そして彼の考えはすぐにくずれちまうんだ。

彼の学ぶことは、頭に描いたことも想像したこともないことなんだ。

だから彼は恐れはじめる。

学ぶということは、思ってもみなかったことなのさ。

学ぶことのステップひとつひとつが新しい苦労なんだ。

 

こうして彼は第1の自然の敵に出会うんだ。

それが【恐怖】だ。

もし人がそれと面と向って恐れて逃げだしたら、彼の探求に終止符がうたれるのさ。

恐怖に打ち勝つには、

答は簡単さ、逃げないことだ

恐怖などものともせずにつぎのステップへ進むんだ。それからつぎ、つぎへとな。

きっと恐怖でいっぱいになるにちがいない。だが止まってはいかんのだ。

これが ルールだ。

そうすれば、やがて第1の敵が引きさがる時が来る。

一度恐怖を打ち消したら、もう一生それからは解放される。

どうしてかっていうと、恐怖のかわりに明晰さを手にするからだ。

 

そこで第2の敵に出会うことになる。

【明晰さ】だ。

それは得にくく、恐怖を追い払うが、同時に盲目的にしちまうのさ。

それは自分自身を疑うことを決してさせなくするんだ。

何事もはっきりと見ちまうから、自分のしたいことは何でもできるという確信をもたせるのさ。

彼は明晰だから勇敢だし、何事の前にも止まることがない。

だが、これはすべてまちがいだ。

もしこの確信させる力に従えば、そいつは第2の敵に敗北し、学ぶことに失敗するだろう。

辛抱強くあるべき時にあせり、急ぐべき時にのんびりしちまうだろう

第2の敵に)負けないためには、恐怖を負かした時にしたことをするんだ。(…… 以下続く)

 

[*引用文献は、二見書房刊のカスタネダ本から、大恩ある訳者・真崎義博さんの訳文で…… 次の投稿も同様に]

 

● …前の投稿から続く

>(第2の敵に)負けないためには、

恐怖を負かした時にしたことをするんだ。

明晰さを無視して

見るためだけにそれを使い、じっと待って新しいステップに入る前に注意深く考える。

特に、自分の明晰さはほとんどまちがいだと思わねばならん

そうすれば、

自分の明晰さが目の前の一点にしかすぎないということを理解するときがくる。

こうして第2の敵を打ち負かすんだ。

そうして、何物も二度と彼を傷つけない所へ着くわけだ。

これは、まちがいじゃないぞ。

それは単なる目の前の一点じゃない。

本当の力だ。

この時、彼は長い間追い求めてきた力がやっと自分のものになったことを知るんだ。

それを使ってしたいことができる。彼の盟友は意のままだ。彼の望みがルールになる。

自分を取りまくものすべてが見えるんだ。

 

そこで第3の敵にぶつかる。

【力】だ。

第3の敵に勝つには)それをうまく無視することだ。

てっきり負かしたと思っている力は、実は決して自分のものじゃないことを悟らねばならん。

それまでに学んできたことを注意深く正確に扱って、いつでも自分をまっすぐにしておかねばいかんのだ。

もし自分自身をコントロールすることのない「明晰さ」や「力」が、

失敗よりも悪いことだということがわかれば、

あらゆるものが抑制されている点に到達するんだ。

そのとき自分の力をどう使えばいいかわかるだろう。

こうやって第3の敵を打ち負かすんだ。

 

そして、何の警告もなく最後の敵にぶつかるんだ。

【老年】だ。

これは四つのうちで最も残酷な敵だ。

完全に打ち勝つこともできず、ただ戦うのみだ。

この時こそ、一切の恐怖も心のせっかちな明晰さもなくなる時なんだ― あらゆる自分の力はチェックされ同時に休息への望みを強くもつ時でもある。

横になって、忘れようとする望みのために完全に戦いをやめたり、

疲労のために自分をなだめたりしたら、

最後の1ラウンドを失うことになっちまう。

敵はそいつを弱々しい年老いた生き物にまで落としちまうだろうよ。

引退したいという望みは、明晰さ~力~知をすべて無効にしちまうんだ。

だが、その疲労を脱ぎ去って、ずっと自分の運命を生き抜けば、

仮に最後の無敵の敵に打ち勝った、ほんの少しの間だけにせよ、

その時、知者と呼ばれるんだ。

明晰さ~力~知のその瞬間で十分なんだ。

¨

…… 本に登場する、ドン・ファン・マトゥスの述懐でした

【古代トルテックの「体術」「ダンス」「身体操法」】

 

● 小暴君 (*引用は、C.カスタネダ『意識への回帰~内からの炎』より)”

[2013-12-08 00:22:56 | 玉の海]

 

 

1500年代に、

スペインに滅ぼされたアステカやインカの文明~メキシコ高原からアンデスに続く中南米の地域は、それ以降スペインの専制下に蹂躙された

ドン・ファン・マトゥスの所属する知の体系、古代トルテカ文明を継承する「トルテック(見る者・知る者)」は…… 

この、征服して専横をほしいままにした暴君たちの中に…… 

彼らの修行(戦士としての鍛錬)に欠かせない、重要な要素を見いだした

但し、戦士の多くがスペイン人暴君にハエのよーに殺されてもいる

植民地では、支配者の気まぐれで命を落としたりする

生殺与奪の権力が、無限に行使された野蛮な時代でもあった

グルジェフが、あのラフミルヴィッチ(ルーシェ検索参照)を金で雇ってまで、導入しよーとしたものとも関連するかも知れんが…… 

ドン・ファンの師は、小暴君にめぐり会う戦士は幸運だとまで云っていた

それは、小暴君を使う戦略的仕掛けがもたらす効果が絶大だからである

 

▼ 超然とすることを教える

▼ 自尊心を追い払う

▼ 知の道で唯一重要なものは、完璧さだけなんだとさとらせる

 

…… かれらトルテックの戦士にとって、自尊心とはエネルギー問題なのである

 戦士が自尊心と闘うのは、カソリック的な道徳(モラル)の問題としてではなく、

戦略の問題としてなのだと云う

戦士は戦略の一覧表をつくるんだ。自分がすることを、すべてリスト・アップするんだよ。

それから、自分のエネルギーを使うことに関して、

ひと息つくためにはどの項目が変更可能かを考えるんだ。

…… つまり、戦士の一覧表の筆頭に自尊心が来る

大量のエネルギーを消費するものとして、彼らはそれをなくそうと努力しているわけである

こんな見方も面白い♪

生き残る為に、「流れ」の下流に位置せよと謙虚を説かれた老子とも、底では繋がってるよーな…… 

 

 

● “続・小暴君

[2013-12-08 01:18:44 | 玉の海]

 

どこの職場にも、強大な権限をもった、どーしよーもない小暴君がいたりする

古代メキシコのシャーマン「見る者」たちは、それら小暴君を、

わしらには管理できない外的な要素、それもいちばん重要な要素だ。

…… と認識した

なぜならば、

力をもった並はずれた人間を相手にする難行くらい、戦士の精神を強くするものはない…… ()…… 

そういう状態でこそ、

戦士は不可知のものの重圧に耐えるだけの平静さと落ち着きが得られるんだ。

…… つまり、知の道の戦士として、未知なものや不可知の存在(非有機的存在=悪魔のイメージの原型)に耐える為には、

この現実界で、

生身の小暴君と向かい合ったときに自分を守ることができなければならないのだ

その意味では、

スペインの征服者たちの振るった権力と横暴は、

「見る者」たちの自尊心を追い払い、完璧さ(エネルギーの適切な使い方)を身につけさせる、またとない重要な役割を果した

ふつうの人びとは自分というものを深刻に考えすぎている…… 

> (戦士が)自尊心を抑えているのは、

【現実というものは、私たちが行なう解釈だ】ということを理解していたからなのだ。

少しでも自尊心をもっていると、自分にはなんの価値もないと感じさせられたときに、ずたずたになっちまうものなんだ。

…… 彼らが小暴君を相手にする時には、四つの特質を使う

自分を踏みつけにする者がいるときに、精神を調和させるのが【管理】なんだ。

殴られているあいだに、相手の強味・弱味(気に入っていて失ないたくないもの)・気まぐれな行動等を思い浮かべるのが

【訓練】というやつだ。

【忍耐】というのは、あせらず、懸念をもたず、ただ待つこと。

出して当然のものを単純にひっこめておくことだ。

【タイミング】というのは、抑えていたものすべてを解き放つものだ。

「管理・訓練・忍耐」は、あらゆるものをせきとめておくダムのようなもので、

「タイミング」はダムにつくられた水門なのだ。

…… 戦士が小暴君より優位に立てる点は、考えぬかれた戦略、自尊心からの解放、そして

戦士は自分を深刻に考えないのにくらべて、

小暴君は決定的に深刻に考えるものだ…… 

…… ドン・ファンの手法の中に『管理された愚かさ』とゆーものがある

自らの戦略の為にあえて、コントロールされた愚行を演じるのである

そして、これが戦士と一般の人々を繋げる唯一の絆となっている

『アホウになれ』って事かしら?

【カスタネダ本の、ラスト2冊は結城山和夫・訳】

 

__ 一箇の文学作品としてみても、グルジェフ『ベルゼバブの孫への話』などは、壮大な未曾有の宇宙SF物語だが、カスタネダの一連の「ナワール世界の物語」もまた、異次元にある「非有機的存在(悪魔の原型と云われる)」の醸しだす鳥肌が立つほどの存在感は、たとえばラブクラフトの「クトゥルフ神話」の畏怖すべき人外の化生に優に匹敵する凄まじさであろう。

                                  _________玉の海草

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