__ 日本国にとって、なくてはならない柱石を失った。書かずにはいられなかったABちゃんの追想コメント📝を、三つ四つ纏めた。早、初七日を過ぎている。時間が駆けるように去ってゆく。
この、伊勢白山道へと投稿した追悼文を書かなければ、わたしの激甚たる動揺をおさえることは出来なかったであろう。即座に思いの丈を投稿することで、わたしは巨大な喪失を自然と受け容れることが出来た。伊勢白山道には幾重にも感謝しなければなるまい。真事にありがとう御坐います。
● 追悼文
もうABちゃんと、伏せ字にする必要がなくなったことが、どうしようもなく悲しい。
衷心より信頼できる唯一の政治家を失なってしまった。新人議員の頃は、線が細くてお坊ちゃんで見ていられなかったものだが……
よくぞこれほどまでに辛酸を積まれご努力なさってオリジナルの風格を纏われるまでになられたものだと、やおら込み上げる感動を禁じ得ない。
無念でおられますでしょう。いままで安倍ちゃんが生涯をかけて必死に積み上げてこられた業績が、そして経験やコネクションが無に帰す哀しみは推し量れようがない。
志半ばで殉死した志士の心持ちに近いものがあるでしょう。
つつしんで、哀悼の気持ちをお捧げいたします。
ご無理をなさって、それを人から知られることなく押し通し、燃えるような赤心をもって、日本国のために働いてこられた安倍ちゃんに、満腔の思いで
「ありがとう御座いました。長い間ご苦労さまで御座いました」
と一国民として厚く感謝の気持ちをお伝えしたい。
子に恵まれなかった安倍ちゃんご夫妻は、未来の日本国民🇯🇵、つまりこれから育つ次代の子らのために、我が子の為にするかのように親身になってご尽力なさってこられました。これもまた、安倍一族に脈々と受け継がれた志(わが事のように国事に奔走する気概)であったのでしょう。
それにしても、海自に3年在籍するだけで、この熟練度。見事な擬態(オタクにしか見えない)と、望遠レンズに似せた銃身、まったく殺気がなく飄々と近づいてゆく自然な足取り……
あれは、防げません。自衛隊の修練とは凄まじいものだなと今更ながら驚きました。
西南戦争で、西郷さんが民兵だけで編成された政府軍の手強さに「これで日本を任せられる」と安心したように……
安倍ちゃんも、御身をもって体験なされた、自衛隊の強さと育成システムの見事さに舌を巻いておられるかも知れないなと不図おもいました。
子どもの国・日本に、ふたたび安倍ちゃんのような老獪な世界レベルの政治家があらわれるのは、いつの日かと案ぜられます。
日本の問題の多くを、安倍ちゃん御ひとりに背負わせて、安閑としていた吾々国民が試される日がついにやって参りました。おのおのがた、心して臨まれませ。
●【敬弔】
心ゆるした盟友である🌸井よしこ女史は、いつもと変わらず静かに、ABちゃんの在りし日の事を語ってくださった。
> 「ほんとうにありがとうございました。」
> 「強さに裏打ちされている優しさ、
(安倍さんは)強さと優しさが一緒になっている方、(北朝鮮に対して)
対話をした後は、それが無理ならば圧力をかけてとことん追い詰める。」
> 「立派な日本人だった。」
> 「どの首脳にたいしても、安倍さんは位負けしたことがないんです。」
…… ABちゃんの三代前くらいのご先祖は、吉田松陰の松下村塾で学んだそうだ。そんな志士としてのDNAを内蔵し、幼い砌より一族の長老・岸信介や佐藤栄作そしてご尊父・安倍晋太郎の背中から、国際政治の生の体験談を聞き、政治家たるもの如何にあるべきかを無言のうちに学び、一族の志に心を寄せるようになったABちゃん……
しかし、私の観るところ、政治家には不向きだったのではあるまいかと思う。心と感情の臓器・腸を壊しているのが何より物語っている。
それでも、小泉政権下で拉致問題に取り組む「優しさ」でもって、国民に知られるようになった。
総理に課せられる過大なストレスが身を蝕み、せっかく座した首相の椅子から一旦は身を引いて、ふたたび返り咲いた。
われわれ庶民には思いも寄らないことだが……
代々藩主だったり、国事に奔走する家系にある者は、我が家の事であるかのように日本国の行く末が恒に胸中にあり、人知れず案じているものらしい。
もちろんその代表は天皇陛下であらせられるが、たとえば西郷さん(南朝の菊池一族の末裔)にしても、政治エリートのABちゃんやアソーさんにしても、日本国の国家とわが家を一体のものとして、国民全体に思いを致しておられる。
血筋とは、そういう生涯変わらぬ姿勢こそが尊いものである。
それだからこそ、首脳外交において如何なる元首と会おうとも、ABちゃんは決して「位負け」することが無かったのである。
文字通り、日本国と日本国民を背負っておられたからである。
人としての位や品格は、にわか仕込みではどうにもならない。ゆえに遺憾ながら、いまABちゃんの衣鉢を継ぐ政治家はおられない。(ABちゃんが後事を託したかったのは、萩生田光一さんであるらしい)
ABちゃんご自身が、奇蹟的に僥倖に恵まれて現れ出でた稀有なる政治家であり、国士であられたからである。
ー ABちゃんは、ブログ『伊勢-白山 道』はよくお読みになられていたと思う。
何故なら、リーマンさんが初めて、いうに言われぬ総理の苦悩と孤独を、広く世間にリーディングのかたちを取って発表してくださったからである。
昭和のクリスチャン宰相だった大平正芳総理のように、「これだけ頑張っているんだから、ちょっとくらい褒めてくれてもいいじゃないか!」と、世間に愚痴る必要はなかった。
目に見えない頑張りを、伊勢白山道は見逃すことなく詳しく解説してくれるからである。読者はABちゃんのご尽力を理解し共感してコメントに書き連ねた。
ABちゃんは必ず目を通していたと思う。確信がある。
ここに、同志がいるからである。
最後に、天鈿女の如く自由奔放なアッキー🌀(なんと岡本太郎と遠縁)を嫁にして、櫻井さんのような賢女を同志とする仕合せ、このお二方のみならず、奈良女史や稲田姫やグリーン知事のお歴々のようなイイ女からモテたABちゃんを、私は心底尊敬いたします ♪
政治家に向いてなかったのに、陰ながらご努力を重ねて、老獪さ(タフ・ネゴシエイター)を身につけ、全地球を俯瞰なさった温かい眼差し…… これほどまでに世界中から慕われる宰相に御成りになったこと、日本人として誇りに思い、堪らなく嬉しく思います。
アベノミクスとはあまり縁はなかったが、「アベノマスク」には雀躍りして喜んだ。
ABちゃんのご尽力(素誠)を称える、象徴としての「安倍のマスク」を、どなたか追悼をこめて新たに作ってくれないかな?
ABちゃんの遺志を、どこかに身につけたいから。
● 未完だが……
ABちゃんは、世界各国の首脳と睦み合い、念入りに根回しをした。日本国内においても、二回総理大臣になるという離れ業が出来たのは、周到な根回しの結実であったろう。
「核共有」というビックリワードを世間に投げかけ、ロシアの軍事侵攻によって、ABちゃんの懸念が的を射たものであることを国民に理解させることになる。
国防をかためる端緒を開いたのである。
あとは、参院選で国民の審判を仰ぎ、広く支持された暁には憲法改正を実行するところまで、漕ぎつけた。
(香室は平和憲法絶対護憲のお立場だから、ご反対なのだが)
総理を退いたあとも、着々と根回しをつづけ地歩をかためて、隠然たる政治力(最大派閥の安倍派領袖)も養い、いよいよ果断に実行する手筈であっただろう。
ちょうど、日本国存亡の危機に、策謀を弄して幕府をたぶらかし、京にのぼった「浪士組」に、孝明天皇から攘夷決行の【勅諚】をたまわったときの、清河八郎の立場に相似ているなと感じた。
このとき、清河は無位無冠の尊王の志士でありながら、この勅諚をお墨付きとして、約500名を数える「同志」と、幕府に楯突いても即座に行動を起こしてもよい立場にあった。
「あとはやるだけ」の地点まで到達していたのである。
ABちゃん同様、準備は整っていた。
しかし、決行まえにいのちを絶たれた。
人生そんなものだと言うことも出来よう。
種を蒔いて、よく実るように力を尽くし、あとは収穫の秋を目前にひかえたお百姓さんの心持ちであっただろうか。
目処がつくまでには至ったが、自分で収穫の喜びを味わうことは叶わない。
これは、いったい不幸せであろうか、そうではないのではあるまいか。
あと一歩で…… そこまで辿り着けたことが、仕合せなのではないか。
成果は得られなかったが、次代に成果を得る舞台をお膳立てした(ちょうど、預言者ヨハネのように)
「道半ばにして」と決まり文句で悼むものだが……
未完に終る、しかれども志に殉じた生涯であることが、もっとも大事であると思う。
「自然はいつも可能性を与える。しかし、それが可能である期間は限られている」という旨の発言が、グルジェフにあったと記憶する。
ABちゃんは、可能である期間内に、あと一歩の処まで辿り着いた、そこが偉大である。
彼でなくば、ここまで至れなかったことは明白である。
成し遂げられなかったが、ある意味で成し終えた(人事を尽くした)とは云えるのではあるまいか。
● コモンセンス
昭和の学校生徒だった頃、民主主義とコモンセンスについては、念入りに教わったような気がする。
コモンセンスと云えば、イギリス国民🇬🇧と英国議会の在り方(姿勢)が尊敬されたものだ。
たとえば、長所というものは逆からみれば、短所となる。つまり短所を内包しているものである。
そこで長所を論ずる側と短所を論ずる側を分けて、互いに張り合わせたら、ちょうどよい折り合いがつけられる。
議会の右翼(保守)と左翼(革新)で、それを実践したものがイギリス議会である。
日本の左翼知識人である日キョー組の思惑が、当時の教員を介して「コモンセンス」を奨励したものかも知れない。
[※ コモンセンス=バランスのとれた共通の感覚。「常識」と訳されるのは誤り]
とにかく何にでも反対を表明するサヨクとゆーものは、絶対的な保守たるウヨク自民党に反対することの正当性を、「コモンセンス」という言葉に滲ませたのだろう。
つまり、国論を一方向に片寄らせない、客観性を重んじる理性的な姿勢ということになろう。
ABちゃんの国葬に関しても、国葬に反対する者は「非国民」だというくらいの同調圧力が加わっている感じがする。
ABちゃん御自身は、おそらく国葬を望んではおられまいが、「国葬」に伴う【弔問外交】が日本国のこれからの動向と国益に大きく資するものならば、ニッコリして「やってください ♪」と仰るかも知れない。
予定はこの秋だから、急ごしらえしなくともいいとはいえ、国葬に議員ふくめ国民全体が注力されるのは懸念される。
ABちゃんに断固反対されるアベガーと云われる方々も一定数おられる中で、大した審議もせずに国葬を決めてよかったのか。
国民の総意として、国葬を執りおこなうことが出来るのか…… ここの読者のようにウラの事情に思いを寄せることができる人々ばかりではないからだ。
軍備増強に舵を切らせたABちゃんのやり方は、香室の御意にかなうものではなかったろう。
ABちゃん贔屓の私でさえ、あの「公文書の改ざん」については、怒髪天を衝く勢いだったし今も遺憾な思いを禁じえない。
あれは、謝って済む問題ではない。
内閣が、組織的に国民をだましコントロールしようとしたことは断じてゆるせない汚点である。
ABちゃんの直接の関与があったかは、不明だが、モヤモヤしてABちゃんを応援する気が(一時的に)失せたのは確かなことだ。
ハシモト徹さんが、政治家というものは生前は批判されるだけの立場に甘んじなければならないと、云われていたが……
功罪相半ばする政治家にあって、国葬をして報いようとする議員や国民が多いことは、ABちゃんの仁徳であることは間違いない。
ただ、その御国におおきく貢献なさったABちゃんに対しても、反対する立場を取る国民を決して封殺してはならないと思う。納得してもらった上で執りおこなうのが望ましい。
ひとりの人間あるいは、ひとつの内閣の「光と影」。
光のみを切り取り、聖人化・神格化してはいけない。
コモンセンス=陰陽=中庸=両建て=中道、
双方向のみならず三方向からも多角的に観る姿勢こそ、静観には必要なものだろう。
わたしは、ABちゃんは人として大好きだし、政治家として尊敬しているが、そうであってもどうしても賛成できない部分は厳然としてある。
前も後ろも、表も裏も、全人的にひとりの人間を観るために、コモンセンスは不可欠なものだと確信している。
長い時間の後に、真実が漏れ出ることがある。
いま断固としてABちゃんに反対している人々は、そのときになって隠された理由を知ることとなろうが……
そのときに、しっかりと反省してご自分に受け止めればそれでよいと私は思う。
日本人が、雪崩を打つように一方向に躊躇いなくまっすぐ進むときは、必ず大きな欠落を抱えている。
一口に「抑制のきいた」と言うように、抵抗勢力はいずれの場合にもマイナスに働くばかりではない。
ほどよくブレーキングさせて、ゆるやかに達成に道引くこともあろう。
「清濁併せ呑む」のなかには、異見者を自由に泳がせておくとゆー大らかさがあるものだ。
目くじらたてて反対者を糾弾する態度は、目くじら立ててABちゃんに反対する者と同位である。同じ段階で陰陽セットの片翼をになっているってこと。
● 「安倍晋三」と書くべきところ、「阿部」や「安部」などと間違って打ち込んでいる人が後を絶たないので、年長者として戒めた。
> お名前は正しく書いて
故人に弔意をあらわすコメントで、故人のお名前(漢字)を間違えて打ち込むとは、いかにも誠がない。
これは、学があるとか無いとかの話しではない。
安倍ちゃんは、蝦夷(えみし)の安倍宗任の御血筋を引く御方なのです。
失礼ではありませんか。【安倍】と書きます。
> 名前間違えるな
大事な人、大切な人のお名前を間違えるようでは……
ましてや故人のお名前なら尚更です。
口先だけの弔意は、そらぞらしいものです。
●【阿倍→ 安倍】
たしか、本来は「阿倍」だったが、ミカドに御子がお生まれになった時に、名付けられた御名前に「阿」の字が含まれていたために……
畏れ多くて、「阿倍」の「阿」の字を「安」に改名したという逸話を耳にしたことがあります。(さすが、ABちゃん家はご先祖まで謙虚であらしゃいます ♪)
だいたい「安倍」に替わったのは、平安時代からと云われているので、該当する親王を探してみると……
比叡山のできた延暦年間の延暦11年(792年)に、第51代平城天皇の第一皇子として、「阿保親王」がご生誕になられている。
阿保親王は、空海の十大弟子に数えられた高丘親王の兄であり、『伊勢物語』の主人公・在原業平の父にあたる。
読者の方が触れておられた孝謙(称徳)女帝は、平安時代以前の御方ですが、即位前の御名前を「阿倍内親王」と仰せられた。
諱(いみな)が「阿倍」なのは、阿倍氏に養育されたためらしい。
孝謙(称徳)天皇は、718年〜770年の御生涯。
聖武帝と光明皇后の一人娘で、「孝謙天皇」「称徳天皇」と二回即位(史上6人目の女性天皇)され、かの弓削道鏡を寵愛して宮中をドン底の不安に陥れになった女性で、生涯独身でお過ごしになり、お子もおられない。
「おひとり様」の魁のような女性であらせられます。
阿倍氏は、物部氏や中臣氏などと共に大王家に仕えた古代豪族で、皇別氏族である。
阿倍氏の本貫地は、大和国十市郡阿倍(桜井市阿部〜「安倍文殊院」の辺り)であり、ABちゃんがお倒れになった奈良市西大寺からほど遠からぬ処にある。
ーしたがいまして、ABちゃんの苗字の漢字を間違う人のなかでも、「阿倍」と書く人は、あながち間違いとは言えないのです。
【阿倍(安倍)氏の本貫地、桜井市の「安倍文殊院」】
__ 最後に、安倍ちゃんのご先祖は、古代東北のまつろわぬ民、陸奥国にすまいし蝦夷(えみし)の血筋を引く安倍宗任である。
宗任は、奥州安倍家の本拠地である「鳥海の柵(さく)」の主で、鳥海三郎とも呼ばれた。山形県の鳥海山は、この宗任に由来する名前とする説もある。
うちの母の実家は、鳥海山大物忌神社の蕨岡口の宮の集落(三十三坊)にあるが…… この土地で「鳥海(とりのうみ)」を名乗る宿坊は、明治以前には「阿倍」を名乗っていた。村の半数は阿倍家であった。
つまり、安倍貞任や宗任の父、安倍頼時の末裔をなのる住泉坊という、いまは絶家した宿坊があった。この家からは明治以降、貴族院議員を二人輩出しているほどの名家である。
後年「鳥海」をなのった「阿倍」家は、実は庄内地方が上杉家の支配にあった頃、直江兼続と戦い、旧八幡町の修験の地「三千坊谷地(やち)」から上蕨岡に敗走した「阿倍一族」であったと云ふ。
蕨岡の修験者は、その阿倍一族が中心となって、たいそう強かったと云ふ。現に鳥海山山頂は、山形県遊佐町の土地となっているし、当時の修験者の縄張り通り、鳥海山の秋田県側もおおきく抉れて山形県の領地となっている。
鶴岡の酒井の殿様から、この功績によって「感謝状」を贈られているほど、蕨岡の阿倍一族はよく働いた。リーダーは学徳兼備の猛将「四天の司(してんのつかさ)」と称えられた。山頂争いの抗争では、双方合わせて約120名の死者を出す激しい法戦もあったようである。四天の司もその時に討死にしている。
阿倍氏と同時代に生まれた、物部氏や中臣氏などは枝分かれしたり、無くなったらしいが、阿倍氏は安倍氏へ改名して明治までそして昭和まで、立派に命脈を保っておられる。
ABちゃんが、安倍氏の本拠地に近い奈良市でお倒れになったこと…… 伊勢白山道によると家系の因縁を清算しての「殉死」であったらしい。日本国が戦後レジームから脱却して自らの足で自立するために、ここまでお膳立てを済ませておいて、参院選後「さあ、やるぞ!」と一歩踏み出すばかりであったのに、凶弾に倒れたのは、くやんでも悔やみきれない無念さがある。
安倍ちゃんのいない政界は、からっぽの空洞になってしまったことを、日本の若い人々は第六感で察した模様である。あの、長蛇の弔問の列は、こんな情けない日本でも、真正の日本人が育ちつつある証しを示して、わたしは一際感動を新たにした。
【この御遺影がテレビ画面に映されたとき、初めて泪が噴き出した。実に実に、気さくな偉人・ABちゃんがよく活写された写真だ。これは凄い画像である、魂の背負った埋蔵量が迫ってくるかのよう、自然と見る者にもエネルギーが充填される素晴しい肖像である。大政治家にしてこの人相は越格だと思う。】
わたしは、自らの眠った日本人としてのDNAを、覚醒させて、新たに三本目の遺伝子🧬を起動させるつもりである。たとえ最後の一人となろうとも、真の日本人となってみようと思う。この先、何が起ころうとも、まともな日本人として死にたいと思っている。
_________玉の海草
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます