__ Twitter が、亡くなったからでもあるまいが、随筆としてまとまらない「つぶやき」を書いてゆく。精神衛生上、心の内に溜め込んでおくのは良くない👎。
_ . _ . _ . _ . _ . _ _ . _ . _ . _ . _ . _
● 20231011
“ 芯から驚いた恋愛ドラマ ”
この間終わった、フジテレビ月九ドラマ『真夏のシンデレラ』は、予想通りの記録的低視聴率だったようだが、放映前からほんとうにビックリした。
あのヒロインはいけないでしょう。
そりゃあ、十人並に可愛いし、例えば彼女が主人公を追いかける設定なら、ギリギリいけそうだが……
あの女優で、あの女性像ではモテないでしょう。
多数の男女が入り乱れる恋愛群像劇で、ヒロインがモテないんじゃあ、妬み嫉みの強力なパワーが出ないのだ。
ヒロインを間違えた、特筆すべき恋愛ドラマと言えよう。
いま注目されている『パリピ孔明』でも、ヒロインが器量不足で、孔明を翻心させるほどのカリスマ的な美声にふさわしくない。
けど、作中主人公が憧れる世界的シンガー、マリア・ディーゼルを演じるアヴちゃん(女王蜂)のヴォーカルは将にカリスマ性がありましたね。
音楽ドラマで、「ヒット曲」である設定で作中演奏歌を作曲して、そのまま流行らせる実力をもっているとは、アヴちゃんとは何者ですか?
昔、ドラマ『チャンス』で、三上博史演じるロックスター・本城裕二のヒット曲を作らされて、そのまま現実界でもヒットさせた久保田利伸以来の快挙じゃないかな。
「HANG OUT」と「夢 with YOU」よね、懐しい♪
「ドラマのために、ヒット曲を作曲してください」って言われているようなもんだからね。
ヒット曲だという設定の挿入歌を、そのままヒットさせるなんて、並大抵の実力では成し得ないことよ。
あの頃の久保田利伸は、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのは間違いがない。ほんとに輝いていたものだ。
何か、最近の恋愛❤️ドラマには、根源的に齟齬がある。恋愛やら愛欲やらに高感度をもっているスタッフがいないのかも知れない。(恋愛不感症ですね)
この二作ともに、ヒロインに関しては酷いキャスティングだよね。あきらかに違うでしょ。
たぶん、日本では恋愛ドラマは最早需要がないんだよ。
中国の「寝そべり族」に、国を挙げて「恋愛作法」を教えようとしているのと、ほぼ同列なのではないかな。
おもしろい生態であるね。
車🚗も要らない、恋人も要らない、自分の好きなこと優先で、孤独も厭わない。
そこに間然するところはないね、見事なもんです。
わたしも、いま若者だったら、そうするのかなあと自分に問いかけている。
目の前にそれしかなかったら、それを捕食するしかないもんなあ。
80年代の青春と、どちらがどっちとも言えないようだ。
80年代は、身体性と体験があった。
2020年代は、そのどちらもバーチャルなものだ。
まー、あるにはあるんだが、脳内に汎用的なソフトが存在するのだろうか?
eスポーツの達人が、F1レーサーに成ったりしているようだ。
今は消えてしまったが、戦闘ゲームの達人で格闘家になった人もいて、その理合いに感心した覚えがある。ただリアルの世界では、不意打ちがあるから、それでテレビ実験されて失敗したみたいだね。
ゲームは向かっている時点で、戦闘態勢を取っており油断はないわけだから、任意の不意打ちを察気する現実の危険さには対応できなかったのかも知れん。
それでも、本当に武術の本を著したのだから、大したものです。数々の名言を読み取りましたよ。
まー、すべてを脳🧠の反応速度に帰結させることが出来るものなのか、しとどに興味深い。
_________
● 20231011
“ 自分を「ちゃん付け」する幼稚さ ”
「欽ちゃん」や「九ちゃん(坂本九)」なんかは、ファンが呼ぶ時の愛称だから、いいのだが……
問題なのは、芸能人の正式名が「〇〇ちゃん」という風に、「ちゃん付け」されている場合だ。
いったい、〇〇ちゃんは今何人いるだろう?
・フワちゃん
・スギちゃん
・クロちゃん
・しずちゃん
・玉ちゃん(玉袋筋太郎)等々
自分で、自分のことを「フワちゃん」とか言っているのは、本当にこっちが恥ずかしくなるんだよね。
幼児とおなじですね。
なんでこんな商習慣が定着したのか?
「さかなクン」とか「なかやまきんに君」あたりが初まりなんだろうか?
そういえば、上皇后陛下美智子さまが「さかなクンさん?」なんて、呼び方に戸惑ってらしたのが可笑しかった。
なんなんだろうね、この自分に愛称をつけて、可愛く呼んでほしいという欲求はどこから来るのかしら。
その点、「あの」ちゃんは偉い と思う。
彼女の正式芸能名は「あの」であるのだ。
ただ周りが「あのちゃん」と呼んでいるだけなのだ。
彼女は、ご自分を指すときも「あのは…… 」と、ちゃん付けしないで、キチンとしている。
気のせいか、自分を「ちゃん付け」している芸能人は、何かバカっぽいキャラクターなんだよね。
スギちゃんは、愛すべきお人柄が伝わってくるが、他は「ちゃん付け」して呼ぶほど可愛らしくないんだよね。
日本人の戦略的な幼形成熟(ネオテニー)は、いまに始まったことではないものの‥‥
難しい漢字を避けたり、親しみやすく仮名にしたりとか、やることが随分と子ども向けのやり方なんだよね。
英語圏では、“ Call me 〇〇.” とか、(自分を〇〇と呼んで」と此方から呼び方を指定することも多いが……
自分を「ちゃん付け」して呼んでと、愛称を強要するのは何か筋違いなんじゃないかな。
仮想現実を、目の前の現実界に持ち込もうとしている試みとも受け取れるが。
いつまでこんなこと続けるつもりなのかしら。
頼むよ、日本人🇯🇵。
● 20231010(2023年10月10日の意味)
“「何曜日に生まれたの」ロス ”
飯豊まりえ、は中々いい役者だと思うのよね。
最初モデルというか、レポーターかグラドルの感じだったんだが……
振り幅のはげしい演技が光ります。
ピリピリする緊張感と、間延びしたような可笑しみとが同居している。
目が離れているからか、笑顔のインパクトが凄い。
今回は「こもりびと(「引きこもり」の別称)」としての、コミュ障のハラハラさせる怯え感と、親しいひとに見せる柔らかい顔が截然と分たれていて面白かった。
ドラマ『何曜日に生まれたの』より
> 彼(公文)はすぐ立ち去ったり、動揺を見せたりしない。
逃げ込める場所、物語の世界があるから。
> ここからは、リアルになる。
若手の女優はいいのが揃ってきているね。
蓮佛美沙子や、多部ちゃん(多部未華子)も独特の美しさだよね。
蓮佛は、バカっぽいが義理堅いイイ女がうまくて(ドラマ『今夜すきやきだよ』のアイコは楽しかった♪ 映画『君に届け』の女子学生も弾けた雰囲気が唯一無二)、
多部ちゃんは、色々主演しているが、案外と代表作は、NHK『これは経費で落ちません!』じゃあるまいか。制服とかフォーマルが似合う女人なんですね、これが。
このNHKドラマは、続編を作る予定だったのが、同僚の役者が変更するというので、多部ちゃんが断ったため作られなかったという曰く付きのドラマなんですね。
いかにも優秀な経理課社員を演ずる多部ちゃんの勇姿をもういっぺん観たいものですが、NHKは諦めるなよ♪
_________
●20231011
“ 酒田ラーメン🍜が日本一(ご当地ラーメン総選挙より)”
今回「酒田ラーメン」を出したグループは、老舗「満月」を中心とする「酒田のラーメンを考える会」とかの作品なんだと推測する。
酒田には、「新月」「照月」「花鳥風月」とか「○月」と名乗るラーメン屋が多い。さっき言った「満月」から枝分かれした、美味いラーメン屋の集まりである。
酒田のラーメンは、戦後に栄えた「横浜の支那そば」が原点であるらしい。魚介スープの醤油味で、私の小さい頃は「ラーメン屋」ではなく「支那そば屋」と呼びならわしていた。
うちの近くの「支那そば屋」は、中国🇨🇳の満州人の店主で、チャーシューが出汁を搾り尽された感じの脂み感のないパサついた感じの「馬肉」で、その乾いた食感も大好きだった。労働者向けのしょっぱいスープとチャーシューの相性も良かったように思う。「馬肉」はクセがなくて旨いのね。
酒田のラーメン文化は、誇り高いよね。
湊町酒田特有の荒っぽさと、酒田三十六人衆の「売ってやるよ」という居丈高な商売感覚が、「酒田は殿様商売だから」だと他所の商人から陰口たたかれる素因となっている。(東京で営業をしていた時に隣り合わせた、全国を巡る名古屋のベテラン商人が実感を込めて言っていた)
この「酒田三十六人衆」というのが、平泉の奥州藤原氏に仕えた武士たちが、酒田の地に移住して商人となったのだから、「サムライ商売」の気風は元々あったのですね。(三十六人衆の主筋は、平泉の秀衡公の妹御である、「徳の前」という尼御前だったので、無茶苦茶プライドが高い土地柄になっちまったんだよね)
サッカー⚽️の本田圭佑が「このラーメンになら二千円払う」と言ったとしても、たかがラーメンである。
わたしは、並んでまで食べたいとは思わない。
それなのに、誇りが「殿様商売」に向かっていって、随分と威張っているラーメン屋店主もいるんだよね。
「○月」という店(あえて店名は伏せる)は、食券買って食べるんだが……
いつも混んでて満席なんだよね、一回だけ行ったことがあるんだけど(20年前くらいかな)、客が食べているのを人相のわるい店主が座って睨んでいるんだよね。
失礼な人だなと、わたしはわざとスープを残して食事を終えた。
いくら、他店では真似のできない工夫と独創をこめているとはいえ、あの態度は根本的にいけない。それが分からないほど、常識がない処があるのが、むかし荒っぽい漁師町だった酒田の民度なんですね。
この無愛想さは、酒田の伝統なんです。
金持ちそうな人には丁寧に応対するが、そうでない人にはケンモホロロなところは、酒田唯一のデパート🏬「清水屋」でもそうだったと思う。
中町の商店街は、そうした清水屋に倣い、随分と無愛想だったと思う。「港座」という映画館での学生に対する態度は、そりゃ酷いものでしたよ。
そんな殿様商売してるから、酒田に初めてコンビニ🏪の「ファミリーマート」が出店したとき(35年前かな)は、酒田市民はある種の強烈なカルチャーショックに見舞われました。
ファミマでは、「いらっしゃいませ、こんにちは♪」と明るく大きな声で客を迎えるわけです。そんな文化は、それまで酒田には微塵もなかったのです。
下手に出て、丁重にお客様をお迎えする姿勢は、酒田商人にはないものでした。(酒田中心街周辺の在郷の人びとへは軽侮の眼差しを向けたものです)
それ以降、陸の孤島とよばれた酒田も、徐々に変わってきたようです。
そして、今回やっと本来の酒田ラーメンの実力を天下に示すことと相成りました。芽出たいことです。態度のわるい年寄りの店主はいるが、味は良いです。
わたしのひいきは、もう店仕舞いしてしまいましたが……
八文字屋書店のとなりにあった「松よし」というお店です。(もう一つは、遊佐町の大物忌神社へ向かう途中にある、あっさり中華そば『千鳥』も幼な子の頃から食べている、五十年通う名店)
「満月」(極薄の雲呑ワンタンが有名)の系譜につらなるのですが、東京の池袋で修業なさった店主が酒田で開いた「清宝苑」の姉妹店でした。「松よし」は女性の店主でした。
大阪帰りの、餃子🥟にうるさい私の舌を満足させる餃子も出してくれました。現在の「清宝苑」の中華そばとは、味が違いますが、相似た処もあります。「松よし」のスープは、一滴も残したことがありません。
まったくもって、至福の一杯でありました。
現在の「酒田のラーメンを考える会」の加盟店舗は、流石にうまいけどもスープの後味が、わたしに言わせると今一つなのです。ちょっと雑味が舌に残る感じで、スッと身体に浸み入る「松よし」のスープの足下にも及ばないのでした。
世知辛い酒田の印象のなかで、この「松よし」と市立図書館だけが、良き思い出の場所です。
平成の市町村合併で、在郷の飽海郡八幡町だったのに、名誉酒田市民に成り果せた私でしたが、あんまり嬉しくはなかったものです。でもまー、同じ傘の下に暮せば、敵愾心は薄まってくるようです。
コロナ禍で、酒田市からお金を支給されたこともあり、現在はこんな私でも、酒田のために一助になるように努めるつもりです。
_________玉の海草