愚かなる精神 ふたたび

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足利事件4  ~逮捕される側の論理~

2009年06月18日 22時09分41秒 | Weblog
 サブタイトルなど、本多勝一ファンには懐かしいのではないでしょうか?


 さて、私も足利事件について何度も書き込みをしておりますが、なぜこんなにも熱くなるのか?理由は自分自身でも分っています。

 
 いつ頃からかは、はっきり覚えていませんが、ずいぶん前から私にはある恐怖感がありました。それは、いつか逮捕されるのではないか?という恐怖でした。もちろん、何か犯罪を犯して逮捕されるという事は考えられます(親や友達はこれこそ恐れているようです)が、そうではなくて、足利事件の菅家さんのように無実の罪で逮捕されるという状況です。

 
 私のような何の権力も持たない人間を逮捕し有罪にするのは実は簡単です。三つの条件がそろえばできます。

 
 その三つとは?

 
 ① 犯罪(事件)が発生する事
 
 ② 私にアリバイがない事

 ③ 証拠がある事


 たとえば、私の家の近くで殺人事件が起きたとします。一人住まいの私は、犯行時間帯に一人で家に居れば当然アリバイはありません。そこに、偽証でもいいから私を「犯行現場付近で見た」と証言する目撃者が現れたとすると後は簡単。厳しい取調べで自白を強要すれば・・・・・・無実の罪の犯罪者の一丁上がり!です。


 そう、私は誰かに陥(おとしい)れられて犯罪者にされる想像をしていたことになります。周りの人間に好かれておらず、このブログでも国家権力批判などをしている愚かなる私は、いつか”やられる”のではないかと恐れていました。そうした所に今回のこの足利冤罪事件が発生し、菅家さんに自分自身を見たのだと思います。


 自分自身を守るために菅家さんを応援しているのです  

 

 

 


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2 コメント

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私ばかりで・・・・・ (タニヤン)
2009-06-19 23:44:23
個人的な印象として、やや被害妄想の傾向があるように思えました。

>それは、いつか逮捕されるのではないか?という恐怖でした。
>足利事件の菅家さんのように無実の罪で逮捕されるという状況です。

これは、根拠のある恐怖感でしょうか。(例えば、原体験がありトラウマになっているとか)
それとも単なる漠然とした恐怖感でしょうか。

足利事件は、確かにあってはならないことが起こった悲劇で二度と繰り返してはならない。
これについては、誰も異論はないだろう。

一方で犯罪捜査を考えれば、冤罪を恐れるばかりに捜査が及び腰になれば、犯罪検挙率は下落の一途を辿ることになる。
結果として、治安不安を招く。

「冤罪」「検挙率」は二律背反だ。どちらの肩を持つこともできるし、敵対する立場に立つこともできる。
natacionnadarさんは、もう一方で起こりうる検挙率の低下についてはどうお考えだろうか。



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面白い質問ありがとう! (本人)
2009-06-21 22:29:30
 
 コメントありがとう!

 まず、恐怖感は人間不信からくる被害妄想的なものだと思います。本文は舌足らずで分りにくいが、足利事件は私だけでなく、誰にでも起こりえる事件だと言うことを言いたかったのです。

 次に「冤罪」と「検挙率」の問題ですが、君は「検挙率」が下がるのはよくないことだから足利事件のような「冤罪」はある程度仕方ないと言うかも知れません。しかし、冤罪を減らせば検挙率も下がると言うのは、完全なる思い込みだと思います。

 特に、この事件に限って言えば、菅家さんを犯人にでっち上げたことによって真犯人を捕まえ損なっています。さらに、近隣で同様に起きた幼女殺害事件でも、警察は菅家さんを犯人にしようとして失敗しています。つまり、間違いなく検挙率が下がっているのです。
 
 「冤罪」も「検挙率の低下」も適正な捜査ができていないことなのでしょう。また、検挙率が下がっているのは、他の理由もあるのではないでしょうか?私は警察内部のある問題も影響していると見ています。

 「冤罪を減らせば検挙率も下がる」という命題を無批判に信ずるのではなく、本当かどうか考えて欲しいというのが私の望みです。

 
 

 
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