ロルフィング ハピネストオルのブログ

ロルフィングで体を癒したら。
心の問題は、心理学で癒しましょう。

ロルフィングの本

2009年08月31日 13時17分11秒 | 本と雑誌

ロルフィングという手技療法があります。私も、この技法の施術者です。

正確には、ボディーワークという分類に入るのですが、分類するのと一般の人が理解するのが旨く噛み合わないと説明しにくいわけです。

そこで、ロルフィングの歴史から創始者、内容等を網羅した本が斉藤瑞穂さんと小川隆之さんの共著によりロルフィングの本が完成しました。

英文で書かれた本は何冊か出ているのですが、日本語訳というのがなかなか出ていなかったのが現状でした。

以下がその本ですが、私も読みましたがわかりやすく解説されていると思います。

ロルフィングは、歴史的にはかなり古い技法です。日本では、ここ最近ロルファーと呼ばれる施術者が増えたり、フラウという雑誌で特集が組まれたりしているので、メジャーになりつつあります。

身体能力や構造の改善を根本的に変えようという方にとっては、お勧めの方法です。
先日の世界陸上ドイツ大会男子100メートル出場、アメリカ人 ”タイソン ゲイ選手も関節の痛みをロルフィングで改善したとコメントしていたそうです。

以前、トライアスロン愛好家の人にセッションしたことがあるのですが、1セッション後に自転車の平均時速が20キロから30キロメートルに変わったというお話をしていました。

この方、一日に140キロほど自転車のロード練習をする人なので、距離からすると平均時速が10キロ上がったということは、筋力がかなりついたということになります。

一回目から、2回目の間は一ヶ月あったので変化がかなりあったのだと思いますが、それにしても太ももの大きさはかなり凄かったのを覚えています。


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自立の限界

2009年08月13日 22時30分10秒 | 心理学

先週の土曜日からセミナーを受けています。
早いもので6日目がおわりました。
ずーっと、トライしているテーマが、自立の限界です。
一体何のことなのかおわかりにならないだろ~なとおもいます。
仕事や人間関係、家族の問題、自分の健康問題、パートナーの不倫問題などなど、目白押しにはまってしまったなーというような出来事が起こった状態です。
とても抜け出すことが、難しい場所です。

今そんな限界を味わっています。
今日本やアジア、世界が体験しているような状況だと言えば分かるでしょうか。
いま、世界ではいろんな知識人や政治家が分析していますね。
こうすれば、良くなるだろう抜け出せるだろうと。
この段階では、余り方法論は役に立たないようです。まず気づくことが必要なのです。
これは、私に責任があるんだと。
すべての問題は自分の作りあげたものだと。
とても難しいことです。誰かの責任にしたい感情が湧き起こってきます。
その瞬間に、問題は解決する糸口は失われてしまいます。

自分の責任だと思った時に、解決のスタートラインに着いたと言えるのです。


競争意識

2009年08月07日 14時52分27秒 | 心理学 中級

明日から長期のセミナーを受講します。

そこで、感情の一つである競争について分かち合いたいです。
この競争-意識というのはいつのころから始まったのだろうかと考えていました。

小学校のときぐらいに、妹の言動や態度に腹が立っていました。
なんとなく存在自体が許せないのです。

子どもというのはすごくストレートですからわかり易いのですが、大人の場合はこれをエレガントに変えてやるわけです。

大人になると感情丸出しでしたら、”何でしょうあの方”子どもっぽいですわね・・オホ.ホ。
その後、幼稚というレッテルが待っています。

まったくあの方空気読めないんだから・・・みたいに、覚めた目で見られ居場所が無くなり孤立してしまう様なネガティブサイドにます。
そうなるとまずいですよね。非常に。
精神的に強ければ、それはそれでがんばれるでしょうが。(笑い)

こんな経験は一度ぐらいやっていますよね。
こうなると、真っ向から勝負するのではリスクが大きいと学び、直球勝負から変化球に変えてエレガントに三振させるのです。

怖い話です。

ですが、とても身近な話でもあります。

さて、自分の話に戻りますと、どうにもこの感情が何時も付きまとうのです。
自分に対して、”おいおい、競争して相手を負かそうよ”と。

何か自動的におきてしまうんですよね。

この感情には、自分以外の人は私より下にいてもらいたい。

”この下でいてもらいたい感情”には、何か無価値なところがくっついています。
なにが無価値なのかというと、不十分さです。

つまり、満たされていない様な不十分さ。
不十分なので、不安になってしまう。

だから競争して、誰かに勝てばその不安が少し解消できるのではないだろうか。
そんな戦略ですね。

不安の中には悲しみというような感情もあります。
捨てられたに似た感情も感じられます。

またこのエレガントの競争には、上下があるように思います。
上下ではない関係は対等さですが、なぜかそれは私にとってとてもリスキーな感じがします。

相手を認めたなら、自分は負けてしまうような感じです。
少し変ですね。

相手を認められるなら、私が私自身も許せるか自信が湧くはずなのですが。

私は、自分に対して誰か他の人を許せることが出来ても、自分に対しては、ルールがより厳格で厳しいようにおもえます。

ですから、自分を許せないということを感じないために、また誰かを利用して競争というゲームを続けたいのです。

まったく、可笑しな話です。

エレガントな競争は、自立のステージ同士の中でおこる方法と教えられました。
自立は自分で立って歩けるレベルですね。
誰かを頼らなくても出来る人でしょうか。

相手をおとしめるのに、エレガントが必要なのかどうかわかりませんが、勝利してもどこか心はブルーな気がします。

なので、そのブルーさをまた埋めるのに次の試合をするのです。

これは自分の事例であって、他のパターンもあると思いますので鵜呑みにはしないでください。

お粗末でした。