goo blog サービス終了のお知らせ 

建築と福祉と宗教

建築士から介護ヘルパーへ急転身。転身したからこそ知った新しい社会。同じ地域で建築士の30年間、私の知らない世界。

『王と佛の関係』◇提婆達多品第十二(2)

2015-06-07 22:53:30 | 仏法
釈迦は、王をしていた頃からとても賢くて、佛法を本当に目指すなら王位を捨てたほうが遥かに有利であることを直感で知っていたのではないでしょうか。
                                    
法華経の中に出てくる釈迦以外の如來には、王佛といった王というが名前の付いた佛もいますね。
ところで、釈迦の場合も実際に王であった経歴があるのですが、実際の釈迦牟尼佛の名前にはなぜか王は付いていません。
                                       
このように王佛と名付けられた佛とは王のままで佛であるなどの特別な意味があるのではないでしょうか。
たとえば、王佛という名を持つ佛には威音王如來や淨華宿王智如來、雲雷音王佛陀、雲雷音宿王華智佛陀などがいます。
                                       
そしてどういうわけか、これら王佛のイメージは何か古い時代をそのまま引きずってきている感じがあります。
また、法師品第十などでは薬王菩薩という王が付く菩薩へ盛んに何か難しいそうなことを釈迦は教え込もうとしています。
                                    
これらは、やはり国あればそこには必ず王が支配するという当然の概念にあるからでしょうか。
そして、恐らくその国王が自ら王のままにその国の佛になることもあれば、実存の国王とは別にその国王共々に国を支配する専用の佛が別に存在する場合もあるのかもしれません。
                                    
とにかく、釈迦の判断からすると、佛になろうとするからには一番障害なく早くなれる方法は王位を捨てて佛に成ることだけに専念することであるように思えます。
                       
釈迦はとにかく速さを強調している佛です。
何事も早いほうが徳があるといっているようです。
                               
それがたとえ早とちりであっても、その分に徳もあるらしいのです。
とりあえず、国造りはスピードが重要なことはうなずけるようです。
  
第2-12日-誰か我に大乗を説かん-提婆逹多品第十二-六行目-八行目/
 

法華経経典と阿耨多羅三藐三菩提の法の区分関係とは   【如來神力品第二十一】その10

2015-02-20 23:44:53 | 仏法
この如來神力品と次品の囑累品とはセットに考えて互いを比較することで、その違いを読み取らせているものだと思えます。
 

次品の囑累品での阿耨多羅三藐三菩提の法の付囑では釈迦は無量の菩薩摩訶薩の頭を撫でて汝等に付囑すると言っていますが、更にこの法を宣べて一切衆生に普く聞知させよと命じていますね。
 

すなわち、そこでは菩薩を代表させて付囑していますが、その菩薩を通じて菩薩以外の一切の衆生すべてにこの法の理解度を広めよと言っているわけですから、間接的には一切衆生すべてへ阿耨多羅三藐三菩提の法を付囑したものと考えて良いと思います。
 

これに対し、この如來神力品での法華経を受持させるこの儀式は、菩薩以外の四衆・人・などすべてを含めた一切衆生の前で行なってはいますが、実際は上行等の菩薩大衆たちにのみ法華経を与えているようなのです。
 

その意味は屬累の為、すなわち次品の一切衆生への阿耨多羅三藐三菩提の法の囑累の為の故にこの法華経の功徳を説かせる菩薩だけに、この法華経という秘密の巻物を与えたということに思えるのです。
 

すなわち、法華経の経典はそもそも釈迦の声聞弟子たちには元々未だ与えられていなかったものですし、如來が菩薩だけを教化すると言うのは、大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・佛所護念、つまり法華経の知識を菩薩だけに説いて教化するという意味になると考えられるのです。
 

よって、この法華経そのものの責任を受け持つ菩薩としては、佛は方便して滅度するといえど、実には滅度せずの説法を良く理解できている者たちであって、菩薩としては佛は滅度を採るというほうの方便を責任もって自主的に守り、佛は居なかろうと、一切衆生が阿耨多羅三藐三菩提の法へ励みを持つよう、自立性を高めさせたり調整を図るようにして指導していかなければならない立場だということでしょう。
  
  
【リンクHPへ】⇒ 第10-21日号  能く是の經を持たん者は  【如來神力品第二十一】(五十行~五十四行)
 

偽りの姿もまた方便のうち  【五百弟子授記品第八】

2015-02-07 14:37:44 | 仏法
佛子たる者の実際に行ずる佛道は、衆生の気持ちを良く理解することであり、そして解かり易く上手く理解を得させるための便宜上の方便をしっかり学ぶことなのであり、思考や論議を戦わせようとする修行ではないということを教えました。
 
それ故に一般の大衆の正直な気持ちとは、大乗の教えを恐れるために実際には小乗を望んで願っているということを知らなければならず、そのためには一旦、教える諸々の菩薩は小乗を説く声聞や縁覚であるかのようにその身をあえて変えて現れて見せることで、小乗であるように方便して大乗を説いているとのことでした。
  
そのように方便して小乗を願う衆生を上手く誘導することにより、無量の衆生を度脱して、すべて皆成佛へと成就させているということであり、たとえ少欲で怠け易い弥勒菩薩に似た衆生であっても長らく時間は掛かって徐々にではあるが必ず成佛できるようにするのである。
 
それは内面には菩薩の所行であることを秘密に隠しつつ、外交的には声聞であるとして現わし、少欲であるが故に生死を惜しんでは嫌なものだと飽きれて見せていても、実には自ら佛土を浄める者なのである。
 
また、これら衆生には三毒が有って大変けしからんと脅かしておいては、また自らは邪見であるかの相を現わしているといった、釈迦族の弟子たちはこのようにして方便を用いて衆生を済度しているのだと説いています。
 
 
相手の気持ちになる方便説法 ⇒ 第9-8日  我が弟子是の如く 方便して衆生を度す  【五百弟子受記品第八】(四十七行~五十一行)
 

「大切」と「大事」の微妙第一について  【方便品第二】

2015-02-02 00:00:00 | 仏法
私は法華経の中で使われている義と事の区分についてはとても重大なものと考えており、「義」については「大切」を意味し、それに対し「事」とは「大事」を意味しているように思えています。
 
この大切と大事とはその使い分けがあいまいで難しいものと思いますが、例えば、大切な友達とは日常的な世間話やジョークなどが中心となる便宜的な仲間の関係、それに対し、大事な恋人や結婚相手などは人生一生を共に生き抜く伴侶としての契約的な関係というふうに多少或いはだいぶ違った意味があると思います。
 
法華経の中で釈迦などが偈を宣べる際にはほぼ決まって、「此の義を宣べんと欲して」とあるように、偈とはそもそも便宜的で補足的な意味があって、多少別な言葉表現に変えたスタイルに直して示していると思いますが、この感じがそもそも方便説法スタイルだと考えられます。
 
そして釈迦などはその都度に重ねて此の義を宣べんと欲して偈を説くわけですが、その、重ねてということはとても重大視しているということですよね。
その重大なことこそ方便スタイルで説くのだと釈迦は教えているのだと思います。
そして、重ねて何度も言わせるということは、それだけ一度の表現だけでは覚えさせたり理解させ難い事だからということでしょうね。
 
ところで、自分の為だけに解くことと、他人の為にも説くこととは、比較すればどちらが難儀難入でしょう?
釈迦が舍利弗へ方便説法は難しいと、あれほど厳しく忠告する意味は、やはり他人の身になってあげることがまだまだ未熟すぎるということを言いたいのかもしれませんね。
 
 
舍利弗の釈迦への疑いとは?⇒

弥勒菩薩の釈迦佛の神通力に対する疑い

2015-01-29 15:36:15 | 仏法
弥勒菩薩は隨喜功徳品などに於て、特に歓喜功徳には性質上、向いてないような意味が書かれています。
つまり、佛の寿命が長遠なる話というあまり一般には意味が通らないような説法に対しては過去のそれなりの善根が足らない弥勒ではいくら正義感にあふれ賢くても歓喜したり理解することはできないようです。
 
このように弥勒はとかく潔白さを示したり賢い言葉の使い方を上手くできるのですが、神なのか佛なのかどちらの種類のことであるかなどに拘りが激しいようです。
釈迦は菩薩たるものがそのような拘りを日常としてはいけないとし、神だとか佛だとか解からなくなるくらいが本当の喜びであり、修行の達成であると教えているようです。
 
法華経の序品の最初に於いて、法華経ならぬ無量義経を説いてみせたのは、先ずはそういう過去からの慣習的な拘りを捨て去らせること、つまり無量義とは離脱を先に行うことに意義が有るものと思われますが、その離脱とは真実の自分らしさを見つけ出すため、自分にとって関係のない因縁や煩悩への拘りから離れさせ、先ず佛や神との真実の自分らしさとの調和を先ず図ることが大切であり、法華経による自分自身の本当の因縁や煩悩を自らに解決して、成佛だけを目指して磨き高めていくことよりも先に必要だとしたためではないのでしょうか?
 
 
弥勒菩薩ってどんな感じ?⇒http://jouan167.jimdo.com/2014/12/29/第9-1日-文殊師利-導師何が故ぞ-序品第一-五十五行-六十四行/


仏教アンケート

アンケート

みんなの編集局 ぶっけん