無盡意菩薩の恐らく教団としての共同連携された活動重視の考え方はある意味では舍利弗に似ているのかもしれません。
そして、観世音はどうやら他方から来た菩薩として、娑婆世界の者ではないらしいようなのですが、ひょっとすれば釈迦の意向により本当は娑婆世界の住民なのであっても、あえて他方から来たよそ者かのように装わせ、迫害的に性質の解かり難い役割を効果的にその存在性を方便して担っているのが観世音菩薩なのかもしれません。
ところで、世の中には様々な運営団体がありますが、この無盡意の共同意識と観世音の自立した秘密主義との構成員の違いによる関係はどの団体にも両者存在し、どちらの考えが団体の運営上にとって良いかなどは恐らく定まっていることはないと思えますね。
ですから、大体両者各々の良さを尊重して活かしつつ、各々が話し合いがつかないままにどっちつかずで運営されているのが通常の団体でしょう。
ところで、団体の母体がある限り、その存続こそが重要視されるが為に通常は無盡意のような団体維持のための伝統意義の保存ムードが支配的、かつ管理運営局の人材配属を決定しているように思えます。
ところがここで、ひたすら釈迦は無盡意に対し観世音菩薩こそ誰もが讃嘆尊重すべき救世者だと教えているのですが、釈迦の言いたいことはとにかく仲間意識による教団の運営維持存続に第一の力を注ぐより、外部への状況対応を適格に優先する一匹狼的な存在のほうに菩薩は心掛けなければならないと教えているようです。
そして、教団全体が人々の信頼を得て尊ばれるよりも、教団員一人一人が独立して人々からの信頼を受けて讃えられることが第一に大事としっかり教えているように思えます。
一般の私たちには団体の運営などは様々な考えがあるように思え、とても判断付きにくいことですが、釈迦がこのように観世音菩薩の勝れた正しさについてはっきり説明していることは、この普門品の如く、あらゆる全てにかけて普及を図らせるさせることであり、誰もが通る通過門としての基本的で大事な知識のかなめと理解してよいものと思います。
つまり、釈迦の教えとは決して曖昧なものではなくはっきり示されているのです。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
以前にも少しお話ししましたが、東京浅草という下町と観音信仰の深さはかつてならほとんど有名ですね。
どうしても私たち寅さんブームの全盛期の生まれ育ちの者は、東京生まれでなかろうと浅草と言えば忘れられない伝統的日本情緒の庶民街というイメージが強いものです。
私が若い頃、東京の学校へ行くため上京していた頃、東京の西も東もわからない田舎者の私にとって上野駅付近の浅草と言えば、僅かホッとできる心のオアシスみたいな環境でした。
しかし、私たちの年代で浅草と言っても特に田舎から出てきた者たちにとっては逆に名前も印象もわからない庶民の下町といった、ほとんど興味の湧かない感覚が始まりだしていました。
30年以上前の当時は学生用の古風な居酒屋チェーンなども初めて流行り出した走りの頃でしたが、伝統的な生活風習そのものには何ら関心を持たなくなった将来の心配を何も考えない世代だったかもしれません。
ところで、今日思い付かされたことは、今まで人と人との助け合いという文化こそ都会の庶民ならでは僅かに残る下町の良さや情緒だという発想自体がどうやら違っていて、都会の片隅の下町こそ他人のことなどは特に構っても居られない、各々が自分の事だけで精一杯という合意風習が実っていたものなのだと初めて納得できる思いになれました。
釈迦の教えはだいぶ解かり難いことなのですが、この風習の実態こそ観音菩薩のこよなく愛した娑婆世界そのものだったのではないかと思えてきました。
そして、依然今でも大都会東京の片隅にある唯一の仏教の小さな根本的入り口が浅草という下町で在り続けていたと思えると、あらためてホッと心が暖かく開けたような気がします。
今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。
末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたします。
(ぶっけん)
リンクHPへ ⇒
第10-25日号 仁者、是の法施の珍寶の瓔珞を受けたまえ 【観世音菩薩普門品第二十五】(七十行~七十四行)