建築と福祉と宗教

建築士から介護ヘルパーへ急転身。転身したからこそ知った新しい社会。同じ地域で建築士の30年間、私の知らない世界。

2月26日(木)のつぶやき

2015-02-27 04:00:00 | ライフスタイル

善哉善哉、と多宝佛を代わった釈迦牟尼佛  【陀羅尼品第二十六:最終回】 jouan.jugem.jp/?eid=110 #jugem_blog


【26日】のDM説法
 
『善哉善哉、と多宝佛を代わった釈迦牟尼佛』
 
第10-26日号  六萬八千人無生法忍を得たり  【陀羅尼品第二十六】<最終回>(六十二行~七十行) 
jouan167.jimdo.com/2015/02/26/%E7… pic.twitter.com/gTiMqVXF1S


「中国天子について   【妙莊嚴王本事品第二十七】」 goo.gl/eq7N8G


「どんなに素直で真面目な者であっても、佛の神通示現の力には適わない 【妙荘厳王本事品】」 goo.gl/KSIq0p


【27日】のDM説法  ≪妙荘厳王本事品第二十七≫
 
『どんなに素直で真面目な者であっても、佛の神通示現の力には適わない』
 
第10-27日号 第一微妙の色を成就したまえり
jouan167.jimdo.com/2015/02/27/%E7… pic.twitter.com/9GflSza8IY



中国天子について   【妙莊嚴王本事品第二十七】

2015-02-26 15:41:10 | ライフスタイル
天子とは何かを説明しておきましょう。
王は天の子であり天命により天下を治めるとする古代中国の思想を起源とすることが天子であり、天子とは王の別称なのだそうです。
 

法華経の中でも例えば、この前の妙音菩薩品第二十四の一番最後の所に「是の妙音菩薩來往本品を説きたもう時、四万二千の天子、無生法忍を得、」とありますが、無生法忍という教えを得る者としては、諸天として天上界に居る天神種族のことではなく、天の子、即ち人間界に居る王たちのことだと思えます。
 

しかし、他にも序品第一や薬王菩薩品第二十三などには日天子・月天子・自在天子・大自在天子、その他各種諸天の眷属天子など幾つかが出てきますが、この場合の天子とは、日天子は太陽、月天子は月そのものなのだそうで、自在天子・大自在天子について、自在天とは天上界の最上部に住む破壊神シヴァのことであるらしく、そのシヴァ神の子役として自在天子と大自在天子が居るということではないかと思います。
 

それから、梵天王の眷属天子などとありますが、この梵天王は天神の中の王であって人間の王ではありませんから、これら天神王の各種眷属天子とは人間の王たちのことだと思います。
 

このように一応、天子とは人間界の王の別称と考えまして、天子のことをさらに調べますと、中国の周の時代にて、「天帝(天子)がその子として王を認め王位は家系によって継承されていく。王家が徳を失えば新たな家系が天命により定まる」という「天人相関説」が唱えられ、天神と君主の関係を表す語として「天子」が用いられるようになったという。秦の始皇帝により、天下を治める者の呼称が神格化された皇帝へと変わると、天子の称は用いられなくなったが、漢代にいたり儒教精神の復活をみると、再び天子の称が用いられるようになり、それは皇帝の別名となった」とあります。
 

∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴

 

ここでまた後宮の話に戻りますが、王の宮城があって更に後宮があるわけですが、古来から中国は一夫多妻制だったそうです。
この一夫多妻制とは王が一人で得れる妻の数として最初は本妻を含め121人までなどの規定があったそうですが、後世にはどんどん規定は緩くなる一方で唐の時代には三千人ほどに至っていたそうです。
 

こうなってくると勢力も度が過ぎては批判や苦しみに没していくわけで、同じ王家の親族系統では王位を引き継げなくなっていきますね。
そういう意味で古代は天子という天の決めた天子に相応しい者が家系以外からでも王になるという天人相関説があったわけです。
しかし、あの万里の長城を築いた秦の秦王が自らを始皇帝と名乗り出した頃から、それまでの天子の呼称から、王は神そのものであるとする意味の皇帝と呼ばれるようになり、その後約2000年続いた中国皇帝の先駆者が始皇帝だそうです。
 

秦の時代は紀元前約200年頃のことですが、恐らくこの頃を界いに王の後宮に関しても大きく変化していったのではないでしょうか?
中国では天下人のことを天子と呼称し、天子が後宮に住む歴史は古くからあり、釈迦が存在した時代より更に100年から200年位以前には既にあったそうですから、秦代頃からの皇帝によるこの後宮の変化は中国にとても大きな影響を与えていったことでしょう。
 

つまり、天子の時代では外朝と内廷(後宮)とを区分し、後宮は特に家庭生活の場であったわけですが、それがいずれ女官などが権力を掌るようになり、侍女集団そのものを後宮と呼ぶようにもなって行ったのです。 
 
 
リンクHPへ ⇒ 第9-27日-一時に共に佛所に詣ず-妙荘厳王本事品第二十七-五十二行-五十五行/
 


2月24日(火)のつぶやき

2015-02-25 04:28:57 | ライフスタイル

【25日】のDM説法
 
『無盡意の共同連携か、それとも観世音の個人自立か、釈迦の重んじた個人自立』
 
10-25日号 仁者、是の法施の珍寶の瓔珞を受けたまえ【観世音菩薩普門品第二十五】
jouan167.jimdo.com/2015/02/25/%E7… pic.twitter.com/meIrbAdYZf



無盡意の共同連携か、それとも観世音の個人自立か。  【観世音菩薩普門品】その10

2015-02-24 22:44:37 | 建築
無盡意菩薩の恐らく教団としての共同連携された活動重視の考え方はある意味では舍利弗に似ているのかもしれません。
そして、観世音はどうやら他方から来た菩薩として、娑婆世界の者ではないらしいようなのですが、ひょっとすれば釈迦の意向により本当は娑婆世界の住民なのであっても、あえて他方から来たよそ者かのように装わせ、迫害的に性質の解かり難い役割を効果的にその存在性を方便して担っているのが観世音菩薩なのかもしれません。
 

ところで、世の中には様々な運営団体がありますが、この無盡意の共同意識と観世音の自立した秘密主義との構成員の違いによる関係はどの団体にも両者存在し、どちらの考えが団体の運営上にとって良いかなどは恐らく定まっていることはないと思えますね。
 

ですから、大体両者各々の良さを尊重して活かしつつ、各々が話し合いがつかないままにどっちつかずで運営されているのが通常の団体でしょう。
ところで、団体の母体がある限り、その存続こそが重要視されるが為に通常は無盡意のような団体維持のための伝統意義の保存ムードが支配的、かつ管理運営局の人材配属を決定しているように思えます。
 

ところがここで、ひたすら釈迦は無盡意に対し観世音菩薩こそ誰もが讃嘆尊重すべき救世者だと教えているのですが、釈迦の言いたいことはとにかく仲間意識による教団の運営維持存続に第一の力を注ぐより、外部への状況対応を適格に優先する一匹狼的な存在のほうに菩薩は心掛けなければならないと教えているようです。
 

そして、教団全体が人々の信頼を得て尊ばれるよりも、教団員一人一人が独立して人々からの信頼を受けて讃えられることが第一に大事としっかり教えているように思えます。
 

一般の私たちには団体の運営などは様々な考えがあるように思え、とても判断付きにくいことですが、釈迦がこのように観世音菩薩の勝れた正しさについてはっきり説明していることは、この普門品の如く、あらゆる全てにかけて普及を図らせるさせることであり、誰もが通る通過門としての基本的で大事な知識のかなめと理解してよいものと思います。
 

つまり、釈迦の教えとは決して曖昧なものではなくはっきり示されているのです。
 

∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴

 

以前にも少しお話ししましたが、東京浅草という下町と観音信仰の深さはかつてならほとんど有名ですね。
どうしても私たち寅さんブームの全盛期の生まれ育ちの者は、東京生まれでなかろうと浅草と言えば忘れられない伝統的日本情緒の庶民街というイメージが強いものです。
 

私が若い頃、東京の学校へ行くため上京していた頃、東京の西も東もわからない田舎者の私にとって上野駅付近の浅草と言えば、僅かホッとできる心のオアシスみたいな環境でした。
 

しかし、私たちの年代で浅草と言っても特に田舎から出てきた者たちにとっては逆に名前も印象もわからない庶民の下町といった、ほとんど興味の湧かない感覚が始まりだしていました。
30年以上前の当時は学生用の古風な居酒屋チェーンなども初めて流行り出した走りの頃でしたが、伝統的な生活風習そのものには何ら関心を持たなくなった将来の心配を何も考えない世代だったかもしれません。
 

ところで、今日思い付かされたことは、今まで人と人との助け合いという文化こそ都会の庶民ならでは僅かに残る下町の良さや情緒だという発想自体がどうやら違っていて、都会の片隅の下町こそ他人のことなどは特に構っても居られない、各々が自分の事だけで精一杯という合意風習が実っていたものなのだと初めて納得できる思いになれました。
 

釈迦の教えはだいぶ解かり難いことなのですが、この風習の実態こそ観音菩薩のこよなく愛した娑婆世界そのものだったのではないかと思えてきました。
そして、依然今でも大都会東京の片隅にある唯一の仏教の小さな根本的入り口が浅草という下町で在り続けていたと思えると、あらためてホッと心が暖かく開けたような気がします。
 

今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。
末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたします。
 

  (ぶっけん)
 

 

リンクHPへ ⇒ 第10-25日号  仁者、是の法施の珍寶の瓔珞を受けたまえ  【観世音菩薩普門品第二十五】(七十行~七十四行)
 

 

2月23日(月)のつぶやき

2015-02-24 04:24:13 | ライフスタイル

【23日】のDM説法
 
『佛塔には舎利(遺骨)を供養するか、経巻を供養するか』
 
王家を引導しようとする佛はずる賢いと考えて良いのでしょうか?
 
jouan167.jimdo.com/2015/02/23/%E7… pic.twitter.com/ercTIFYvKT


「決して万能ではない佛の力  【妙音菩薩品第二十四】」 blog.goo.ne.jp/jouan/e/ca4230…


【24日】のDM説法
 
『自国で休む暇もなく、幾つ身があっても足らないとても忙しい多宝佛』
 
第10-24日号  我今多寶如來の身を見たてまつらんと欲す 【妙音菩薩品第二十四】五十三行
jouan167.jimdo.com/2015/02/24/%E7… pic.twitter.com/eJM8PefCDd



仏教アンケート

アンケート

みんなの編集局 ぶっけん