秩父市・旧吉田町の吉田小学校体育館横に万葉歌碑が建っていて、2首の万葉歌が刻んである。2013年の冬の日、秩父の氷柱を鑑賞した帰りにに訪ねてみた。2週間ほど前に降った雪が解けずに残っていて北風の強い日であったが、陽だまりは暖かい日でありました。
武蔵禰能 乎美禰見可久志 和須礼遊久 儀美我名可気�読 安乎禰思奈久流
於保儀美乃 美己等可之古美 宇都久之気 麻古我�読波奈利之 之麻豆多比由久
右一首 助丁 秩父郡大伴部小歳
〔裏面〕
文化2年(1805)清泉寺住職三十世古吟梅林和尚の揮毫により前碑に模して再建する
平成7年(1995)前碑の崩れ激しきため 吉田町文化財保護委員会委員長青葉佐一の揮毫により前碑に模して再建する
吉田町合併四十周年記念事業
『巻14-3379』
「武蔵嶺の小峰見隠し忘れゆく 君が名懸けて我(あ)を音(ね)し泣く」
(武蔵嶺のこの峰に背を向けて、私のことを忘れよう忘れようとして旅を続けるあの方、その方の名を今さら口にして私を泣かせたりなんかして・・・。)
『巻20-4414』
「大君の命(みこと)畏(かしこ)み愛(うつ)しけ 真子が手離(てはな)り島伝ひ行く」
(大君の仰せの恐れ多さに、かわいい子の手を離れて、このおれは島伝いに行くことになるのだ。)
「右の一首は助丁(じょちょう)秩父の郡(こほり)大伴部小歳(おおともべのおとし)。」
所在地:秩父市下吉田3833番地 市立吉田小学校校庭
創立:平成7年(1995)
揮毫:青葉佐一(吉田町文化保護委員長)
前の1首(3379)の歌は「或本の歌に曰く」と前書きにあり奥さんの歌らしく、 後の1首(4414)の歌が、大伴部小歳という防人の歌となっている(助丁とは小隊長ぐらいの役職といわれている。)
(歌碑の万葉仮名は、ゆっくり読んでみると少しは読めるような気がしますね。)
小学校がある一帯は旧吉田町が見下ろせる高台になっていて、秩父氏館跡となっている。
秩父氏は桓武天皇6代の孫・平将常が武蔵権守(国司補佐役)に任ぜられ中村郷に住んだ武士団。吉田小学校敷地は、中村郷から移ってきた三代目(武綱)が館を構えた跡といわれ、敷地一隅には鎌倉から分妃された八幡神社があったが、近くの椋(むく)神社横に移されている。歌碑も椋神社にあったといわれている。
(歌碑の横にある秩父氏館跡の解説板)
(吉田小学校と校庭・寒風の中、生徒は元気に運動をしていました。)
小学校の北方に椋(むく)神社があります。秩父では秋の龍勢祭(古式ロケットの打ち上げ)が有名です。
(近くにある椋神社にはオオカミの狛犬?)
(椋神社の駐車場からみる秩父の山々)
尚、文化2年創建の前の歌碑は、町の資料館に保存されているようでしたが、見ることはできませんでした。
(旧吉田町資料館にある旧万葉歌碑:写真は市HPより)
山深い秩父の小さな町に、万葉集を詠んだ人がいたことと、その歌を歌碑にして永く保存(数百年にわたり2度も建て直しをした文化)している地元の人に驚きと敬意を感じた旅でした。
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