ずっとそのまんまから一歩踏み出す

いつも同じところでつまずいてしまう自分。そのまんまから、ほんのわずかでもいいから、進んでいきたいがための日記

どこから力を得ていたか

2016-07-24 06:42:08 | 日記
みんなはあんまり知らないことなんだけれど、
私は、教会に行くことで、結構いろんな力を得ている。

でも、それは自転車操業的な部分がある。
その得たものはずっとではなく、
たとえば、今朝食べても、昼にはお腹がすくみたいな感じで、
一週間はもつけれど・・・みたいな感じだ。

状況がしんどい時、一週間のうちの一日でもとんだら、
その打撃は大きい。

絶対、今、休んだらなんか影響あるだろうな・・。
そんな予感が的中した。

今回はモロに影響を受けて、へたってしまった。
それも何かの運だし、恵みのうちのひとつと考えられる。

しんどくなってチャット抜けたけれど、そこから自分が自由になることで、
得るものは大きい。

今までは、深夜帯も気が抜けなかった。
でも、今はもう何も気にすることは無い。
とにかく、見たらだめ。
見たら、誰かが飢えていたら、やっぱり手を差し伸べたくなる。
相手はさほど飢えていなくても、そんな風に見えたら、
手を差し伸べないといけない気になる。

そういうマインドコントロールから、今は自由になれた。
もう、あの人もそんなに今は飢えていないはず。
彼女いてるんだし、いかにもこちらに気のありそうなセリフ吐いてきても、
すぐに彼女のカットがはいる。

それ見てるだけで、相当彼女との距離が近いことが分かる。

だから、もう私は今はさほど必要もない。
彼女との親密な雰囲気を目にして、どうしようもないと
入っていけないストレスのほうが疲れる。

彼女はこちらに嫌味を言ってくるから、絡めないもんね。
絡みたくないもんね。

私がいなくなってせいせいしているかもしれない。
でもそんなことはどっちでもよくて、
私にとって、今の私が守られている環境にいるかどうか。

仕事でもなんでもそうだけれど、
しんどすぎる状況の中では体壊すからね。
こっちにことに配慮がない環境では長くは続かない。

無理しない方がいい。
とにかく、今日は教会に行って、また力をもらえるし、力を使えるようになる。
でも、これからは、彼のためではなく、自分のために
自分の周りの人のために、力を使えるようになるはず。

自分を愛することにもっと心を注げるはず。
それと、同じように周りの人も愛せるという形にもっていかないと、
今のままでは、人のためだけに自分が存在するようになってしまったからね。

要は、人の劣等感を満たすためだけの自分。
私はこんなに今満たされてるのよーっていうのを
見せつけられるだけの自分。

私の存在価値はそんなんじゃない。
私は私を愛せるし、私は身近な人も愛せる。

ただ人の満たされている様子を指加えてみて、
私も愛してください、という乞食のような存在ではない。

ただ、あの神父様はこういわれた。
たった一人の人として声をかけてくださいと。

だから、私も最後にそうしたよ。
どんなに自分がつまらない位置に立たされていることを
なんとなくわかっていながらもね。

私はそれで救われていったんだから。
たった一人の人として声をかけていくことによって、
大きなものが動いた。

決して変わることがないと思っていた
人の心。

それによって私と神様の関係や
私と、集団の人との関係が大きく変わったきっかけ。

すべては教会でのさまざまな奇跡や恵みから始まっていった。
主はいまも私を変わらず愛してくださっている。

どんなに人に見捨てられたように見えても・・・。
いつも共にいてくださる主に感謝

あなたにやっと会えたね

2016-07-19 01:06:06 | 日記
その機会は、本当にいつも突然・・・。
恵みの機会って本当になんであんなに急にやってくるのか不思議・・・。

今日は5時45分くらいから外にでて、歩きに行った。
いつもより早かったので、まだ日差しも強いのでサンバイザーして行った。

ある程度、歩いた後、少し走りもした。
小学生くらいの二人組の女の子が走ってきたその後ろを少し走った。

筋肉痛もまだ引いてないので、早々とまたウォーキングに戻って、最後また軽く一周走った。

汗だくになりながら、5分ほどの道のりを歩いていたら、
自宅斜め前に久々に次男の同級生の友達が二人いた。

彼は、いろいろ霊的なつながりのある二人だった。
年こそは、26歳も離れてはいるが、私が霊的なつながりのある二人なんだ。

38歳の時の出会いの時の時、次男がいろいろ私と20歳の彼との出会いを阻害するような働きをしたからか、
今でこそ、次男の親友で、毎週のように会って、遊びに行ったりしている仲だが、
この出会いの後の2年後、暴力事件があった。二人がかりで次男が殴ってこられたらしい。

不吉な予感がしていて、次男は筋トレしていたので、たいした怪我じゃなくてすんだが、私立の受験の数日前だったかで、
精神的な打撃は大きかった。

それでも、私はなんで彼らが次男を殴ったか、なんとなく理由を分かっていた。
そんなに私のことを思っていてくれたからだ。
次男が邪魔をしたことは、私も知っていた。

あの子は、おとなしいのに、いざというときは一番怖い人になった。
穢れない分、なんでも見抜いてしまうのだ。
それで、私と彼の結びつきを邪魔するような言動がいたるところででてきた。

でも、我が子なので、学校にはすぐに通報して、先生に後はお任せした。

決して、この二人の友達に対しては、よくもこんなことをしたなとかそういう態度は一度も取ったことはない。

そして、今から五年前。
お偉い方を通して、イエスとの出会いを体験した時、
この二人もすごく活躍してくれた。

私もよく声かけに行った。
そして、友達のように話しかけ、いろいろ喋ったりしていた。

仕事前に彼ら二人がいて、その時、私はこわくてわざと目をそらしてしまった。
あれは悪かったとおもったが、恐怖症というか、やっぱりあったんだよね。

そんなこんなで、またずいぶんあれから、長いこと、会えなくなってしまった。
そして、今日、久しぶりに彼らがいたんだ。

いつも次男とも遊んでくれているので、久しぶりに声をかけて、
また友達のように仲良く喋った。

彼も心を開いてくれていた。
嬉しかった。
あの時、目をそらしたことはもう免罪になったのかな。

次男のこと、面白い奴と言ってくれていた。

彼らは私にとっても大切な友達のような存在でもあり、
ある意味、恋人のような存在でもありなんだ。

普通の人にはこの感覚はたぶん理解できないだろうけれど。

彼には同じ年くらいの彼女いてるけどね。
今日は、久しぶりに前のように、
また五年前のように、私のあなたとして、あなたの私として、
私に会ってくれたよね。

それが何よりも嬉しかったんだ。
私にとってこのひとときはとても大切なあなたとの繋がりの時なんだから。


合宿説明会から帰宅後の戦い

2016-07-18 00:49:32 | 日記
昨日、やっとぽそっと語ってくれた。
三男がこの頃サッカーの練習に行こうとしない理由。

一年前に「死ね」とか言って、子どもの心を傷つけた同学年の男の子から、
サッカーのプレイに関して、
いちゃもんというか、いろいろ言われるらしい。

それが本当に嫌なんだって。
きっともともと、仲良かったから、余計に傷つくんだろうなぁ。
そんな風に言われたくないんだろうなぁ。

そして、気の合うたった一人のお友達が、
今母親が病いで入院して、練習にも来れていない。

今日は、サッカーの合宿の説明会。
私は12時前に家をでないといけなかった。

子どものサッカーの土曜日の練習は2時からで、その前にジョギングの時間があるので、一時半くらいには
行く。

今日も、なんだか練習には行きたくなさげだった。
本当に嫌そうだった。

それで、たぶん行ってないだろうけれど、
私は写真の販売もあったので、
最終の2時くらいまではいろいろ話ししたりで
残っていた。

合宿説明会の後、きついこと言う子どものお母さんとコーチに声かけて、
三人で話しをしていただいた。

結果は求めてない。どうせ、あのコーチはなにも知らないというだろう。
なにしろ、このお母さんは今のチームの会長さんをしていただいている方だし、
私にはなんの力もない。

ただ、子どもが休んでる言い訳をしている半分、
一年前のこともあるから、
釘を刺しておきたかっただけ。

一年前は、よっぽどと思って、
学校の先生に夏休み中だったので、LINEで相談した。

彼のいじめのせいで、練習はおろか、合宿まで行きたがらなくて、
彼はゆうゆうと合宿にも行って、楽しそうにしているのが許せなかった。

そうこうしているうちに、私も癌であることが発覚して、
子どものことどころじゃなくなっていったけれど、
とりあえず、あれは、夏休み中に先生がその子とうちの子と
三人で話ししてくれて、まあことなきを得たって感じで、

また練習にも行くようになったけれども・・・。


まーた、おんなじようなことになるとは・・・。
コーチが言うには、他にも言う子がいてる、ということだった。

合宿でも、その子のお母さんが一緒に行くらしいから、
「見とくわ」と言ってくれた。

うちの子、そんなんで、
「だからチームプレーのスポーツは好きじゃない」
と昨夜言っていた。

でも、本当のチームプレーってそうじゃないだろう、
できない人に対しても、頑張ろうって勇気をくれるような
声かけや働きかけをしてくれるような形が、
本当のチームプレーだろうって思った。

て、話しを同じ写真係の人に別れ際に一生懸命に話ししていた。
私も、二年前にバレーボールしていた時、
それを痛感した。

すごく上達したい人と、私も私なりに上達したい人だったのに、
その人達には、残念ながら私の力は足引っ張り的な存在にしかすぎなかった。

それよりも、子どもの担任の先生の方が、
私よりもすべてにおいて上手だった。

練習にはほとんど来てなかったのに・・・。
それがショックで、私は徐々に頑張ろうという気持ちを失っていった。

自分のチームさえ勝てばいい、結果さえよければいいというのは、
本当のチームプレーじゃない。

と、私は思う。

あの頃、私は卓球もしていた。
バレーボールでままならないことは、
卓球の方でストレス解消していた。

それでバランスを取っていた。
体はハードだったかもしれないが、
精神的な辛さの方が勝っていた。

実際、かなり卓球の場で支えられることは多かったかな。

家に帰ったら、子どもは二階で寝ていた。
行きたくないにしては、ひどい状況だなと思った。

それで、長男も心配していた。
お父さんが練習サボると頭ごなしに怒るからだ。

長男自身もいじめにあった子だから、
いろいろな思いがあって、
私にきつい口調で語ってきた。

家に帰ってきたばかりの私は、逃げ出したくなったくらいだ。

とりあえず、昼食を食べてから、
二階で寝ている三男に話ししに行った。

怒らない、責めない、これ以上自信なくすようなことを言わない。
この三点セットで行くつもりでのぞんだ。

子どもにまず優しく声をかけた。
寝てばかりだと、夜も眠れないよと。

とりあえず、起きよう。
体起こせるかな?

から始めて、綺麗な手だね。
と子どものいいところを見つめて、
大切にした。

そして、その後も、子どものいいところを見つけるために
声をかけるようにした。

主人が教会から帰ってきて、すぐに子どもに愚痴りそうになれば、
そういうことは言わないでと小さな声で、その理由なども述べた。

あの人は、マニピュレーターだから、子どもを自分のいいように
操作しようとする。

確かに、いうことを聞いてくれる子は可愛いかもしれない。
でも、ありのままの子どもが本当は可愛いのであって、
いうことを聞いてくれる子がかわいいのではない。

ありのままの子どもをありのまま愛せて、
大好きだって大切にさえできたら、
子どもは必ずそれに応えてくれるんだから。

そして、そうこうしているうちに、
そのチャンスは次男が与えてくれた。

子どものテストをみて、算数の問題みて、
この問題を習っているなら、
この問題も解けるよねと言って、
中学入試の問題集から、面白い問題を提供してくれた。

その問題を私も見せてもらって一緒に考えた。
そして、理解した後、
図形の問題集もあんねんなー。
と言って、次男が見せてくれた。

そして、それに三男も乗ってきて、
一緒に問題解きだした。

どう考えても、私よりも頭の回転が三男は早かった。
次男は、塾の講師をしているので、
そのための参考になるために、
こういった中学受験の問題集を買ってきたらしいのだが、

三男も、いろいろ関心をもってそれからいろんな問題を解いていった。
私よりも自分ができるってことも分かって、
自信にもつながったかもしれない。

次男がわからないことをすぐに教えてくれるので、
猶更勉強がはかどったのだろう。

こんなに生き生きしている三男を見るのは、
久しぶりだった。

その後も、主人が文句言いそうになったら、
できるだけその言葉の先を言わせないように努めた。

子どもの心を守らなければ。
せっかくやる気になったのに、
その心まで非難されたら、
何を頑張ればいいのだ。

今、頑張っていることを受け入れて歓迎することなしに、
どうやって子どもが自信をつけるというのだ。

自分の支配下に置いて、それがあんたの満足かもしれないが、
子どもはあんたの所有物てか、奴隷じゃないよ。
私もだけどね。

いうことを聞かない人を批判的にしている人を見ていると、心から
腹が立つのは、こういう人がしてきた弊害を身をもって体感しているからなんだろうな。

どれだけ、人の可能性を奪ってしまうか・・・。
まあ、そういう私もそういう部分があるのだろうけれど、
人のことは、良く見えるもので…(-_-;)

とりま、三男の心はまもらなければ。
自分に自信さえついたら、
サッカーにもまた行けるようになるはずだ。

メンタル弱いとか、非難しても何も変わらない。
原因をなんとかしないと・・・。

明日はプールに行きたいらしい。
私は、いつも通り仕事はあるが、
行けるなら一緒に行きたいらしい。

行けるかな。
明日。
プールに一緒に。

仕事は13時までだけど・・・。


愛されることをすぐに望む

2016-07-16 01:50:01 | 日記
いつの間にか、自分が愛されることを望んでしまっている。
愛されたから、愛されて当然と願ってしまってる気がする

でも、違うんだよね。
そのいただいた愛をどう自分の中で熟成するかなんだけど、
つい、視点がおかしなところにいってるねー。

そこじゃないんだ。
そこは破滅の道なんだ。

それに気づけよ。
人がそこに行ってるように見えても、
ジャッジするなよ。

自分がそうじゃなくなって、
人を助けれるようにならないと、
何もいいものを引き寄せられないじゃないか。

自分が何を引き寄せるかで、人も変わるんだから。
こんなにも。

分かっても、まだまだ本当に必要なほどにわかってない。

へんなところで遠慮してさ。
まあ、いいんだ。
失敗ならね。

またそこからいくらでも学べるから。

いちばん大事なのは成功することじゃないんだから。
ちゃんと私自身が行きたい道にチャレンジしようとしているかなんだから。

人の思惑を気にしてるけど、
本当に助けになるのは、
人の思惑じゃないよね。

人には人の都合がある。
でも、自分の都合に正直になって
自分なりに楽しめるようになったときに、
自然と人の中にも入れるようになる。


それができてないってことは、
まだまだなんだ。

自分に正直になるとこと、遠慮するところの
まだそこがつかめてないと、
ちょっと厳しいよなー。

私が飛躍できたときには、
必ずと言っていいほど、
自分に正直になってたった一日、
勇気をふり絞った時だけだからね。

ここは、遠慮せんでよかったんだね。
ということを後で学んだ一日でした。

でも、そんな失敗の中からも、
また助けの手を差し伸べてくれた人がいてね。
スッキリしたよね。

ここは悪意あるなとかそんなことも、
分かるけれど、
その悪意を引き寄せたのは自分なんだからね。

私には悪気はないのも知ってるよ。
でも、その悪意ってのは、私にとってであって、
その人らにとっては悪意でもなんでもないからね。

教会での長らくの挫折がそうだった。
私には悪意で押さえつけられていたすべての出来事。
でも、今は、それらをする人達は去っていない。

そういうことする二人は去っていった。
いまだにその地位にはいるけれど。

ただ、しばらく姿を見せてないだけかもしれないけれどね。

なんだろうね。
悪意って。
私が自分に勝つか、負けるかだけのこっちゃかな。
なのに、こんなに変わっちゃうなんて。
いろんな人の運命までが。

だから、今回の教会のことでは、
すごく小さなことが大きなこととわかった経験になった。

その根底にあったのが悪意。
敵意。

で、そこから何を生み出したか。
そこの会は存続したかもしれないけれども、
発展的な聖霊の働きも何も感じられなかった。

だから、聖心が大事。
と、私は思う。
自分に勝たないとと思う。

ちょうどよかったのかもしれません

2016-07-04 17:44:02 | 日記
昨日、主人の弟夫婦のお宅に行きました。
マンションをつい最近即金で購入されたそうです。

このお二人、超エリートもエリート。
だから、そういうことができたのでしょう。

もともとは主人の弟さんとはいろいろお世話になった私ですが、
自分の至らなさを知っていたので、ある意味、身を引いた形にもなりました。

きっと、いい出会いがあると思っていました。
私より、ずっと年下のお綺麗な京都美人とご結婚されて、
幸せに暮らしておられます。

リフォームもされてから購入されているので、システムキッチンだし、
対面式のカウンターだし、そんなんで、食器洗い乾燥機が不要になって、
それもいただいて帰りました。

まだおおきすぎて設置できませんが・・・・。

ここの娘さん、小1ですっごく可愛いんですよ。
面白すぎます。
芝居とか、物語とか考えるのが得意で、
お正月にお会いした時も、披露してくれました。

昨日は、残念ながら、ベープサートの物語は聞けませんでしたが、
ベープサートで天気予報をZ会の教材で作った説明を丁寧にわかりやすく
してくれました。

笑顔もチャーミング、声も素敵で癒されます。


家のことも、もっと私頑張らねば・・・。
だから、チャット入りすぎてるのも前からダメだと思っていたので、
ちょうど良かった。

ああいう形で落とされて。

嫌味はいたるところに出てきてるけど、
あれは、あれで愛の形なんだから、
私はそのせっかくの機会を取らないとと思いました。

喋ることはいいのですが、
私の場合、時間が今かかりすぎてるのは事実。

一度、そこから身を退くしかないかもしれないですね。
断乳と一緒で、一気にそのまま一滴も飲まない、飲ませないがいいですね。

口を聞いちゃうと、そのままずずーっといっちゃうことがよくあるから・・・。

ちょっとで済まないから。
そんなことでは、やっぱり自分の存在がだれかの迷惑になっていることは
否めない。

私はね、自分では特殊な存在だと思ってる。
でも、ここでそんなことうだうだ書いちゃうと、
せっかくの前半のいい話しが台無しだからね、
また、別のブログにいろいろこちゃこちゃと書いてみよう。