あとがき
先ず、今回のJDSF 山形だよりブログへの声掛けをいただいた、柴田敦子先生(あつ子先生)そしてそれを快く受け入れてくださった、高橋与一先生に感謝申し上げる。
私は山形県に移り住んで半分以上を「りんりん車いすダンスクラブ」の皆さんと過ごしていることになる。1994年(平成6年)に山形県に車いすダンスクラブを立ち上げた当時、大勢の皆様にご支援いただき現代がある事を大事に感謝し、今後も私のライフワークとなることだろう。
私をここまで車いすダンスの虜にさせてしまったのは何か?
人の出逢いはどうかするとその人の人生も変えてしまう運命的なものがあり、まさに私はすっぽりそれらにはまっていたのだと思う時がある。
社交ダンスを少しばかりかじっていた頃、怖いものなしで仙台のダンスパーティーにまで押しかけたことから始まった。そこで目にしたのが、初めて見る車いすダンスだった。
車いすの心地よいきれいな動きに魅せられて、その日のパーティーは車いすダンス三昧で終え、主催者との出会いがそこにあった。
とは言えどこから、どうして取り掛かればよいのか、福祉においても、ダンスにおいても全くの素人、でもこの頃から、「きっとできる!」と言う悪い癖が根付いていたのかもしれないと、今頃考えてしまう。
ただ軽い気持ちで“車いすの動きに魅せられて”などと言っていた私にも、障がい者の方々と共に過ごす過程でいろんなことを学ぶことになった。ダンスは確かに華やかで楽しい、でもそれだけだろうか。
障がいのある方々が地域でごく普通の生活をすることが当たり前、また社会に出て人との関わり合いを大切にしながら暮らす「ノーマライゼーション」における活動はもとより、一人一人の個人としての尊厳を大事にして、車いすダンスを通して障がいのある方々の社会参加の支援を続け、共に生きる社会を目指していきたいと思うように変化していった。
車いすダンスは、押したり、引いたりする動きではなく、フィフティー・フィフティー
の関係で初めてダンスが成り立つものであり、りんりん車いすダンスクラブの皆さんが常に平等という気持ちを抱いていることはありがたい。
日常的には、障がい者のスポーツは障がい者のみの競技であり、健常者は周囲でお手伝いをする。しかし車いすダンスは、車いすドライバーとスタンディングパートナーである健常者で活動するスポーツダンスである。
車いすダンスを障がい者のスポーツとして認めていただき「山形県障がい者スポーツ協会」に登録できたことは地道な活動が実ったと思っている。
今回のブログはりんりんの歴史のごく一部分であるが、24年間歩いてきた道程は、苦しかった時、大変だったこと、喜びを分かち合った時、楽しかったこと、感動、達成感は、その時それなりに大きな思い入れがある。
羽角健二会長をはじめ、いつもおおらかで明るいりんりん車いすダンスクラブの皆さんに助けられながら今があることに心から感謝している。
そして温かく見守って下さっている矢作幸男先生、柴田敦子先生、JDSF 山形、JDSF山形村山支部の皆様に心からお礼申し上げる。
また遠くからいつも応援していただいている「日本障害者ダンス推進会」の安藤高子先生、皆さんありがとう。
最後に、JDSF山形だよりブログでのつたない文ではありましたが、編集を買って出てくださった高橋与一先生に厚くお礼申し上げる。
2017年9月 りんりん車いすダンスクラブ
事務局長・指導員(JDSF公認指導員)
末廣かなえ
先ず、今回のJDSF 山形だよりブログへの声掛けをいただいた、柴田敦子先生(あつ子先生)そしてそれを快く受け入れてくださった、高橋与一先生に感謝申し上げる。
私は山形県に移り住んで半分以上を「りんりん車いすダンスクラブ」の皆さんと過ごしていることになる。1994年(平成6年)に山形県に車いすダンスクラブを立ち上げた当時、大勢の皆様にご支援いただき現代がある事を大事に感謝し、今後も私のライフワークとなることだろう。
私をここまで車いすダンスの虜にさせてしまったのは何か?
人の出逢いはどうかするとその人の人生も変えてしまう運命的なものがあり、まさに私はすっぽりそれらにはまっていたのだと思う時がある。
社交ダンスを少しばかりかじっていた頃、怖いものなしで仙台のダンスパーティーにまで押しかけたことから始まった。そこで目にしたのが、初めて見る車いすダンスだった。
車いすの心地よいきれいな動きに魅せられて、その日のパーティーは車いすダンス三昧で終え、主催者との出会いがそこにあった。
とは言えどこから、どうして取り掛かればよいのか、福祉においても、ダンスにおいても全くの素人、でもこの頃から、「きっとできる!」と言う悪い癖が根付いていたのかもしれないと、今頃考えてしまう。
ただ軽い気持ちで“車いすの動きに魅せられて”などと言っていた私にも、障がい者の方々と共に過ごす過程でいろんなことを学ぶことになった。ダンスは確かに華やかで楽しい、でもそれだけだろうか。
障がいのある方々が地域でごく普通の生活をすることが当たり前、また社会に出て人との関わり合いを大切にしながら暮らす「ノーマライゼーション」における活動はもとより、一人一人の個人としての尊厳を大事にして、車いすダンスを通して障がいのある方々の社会参加の支援を続け、共に生きる社会を目指していきたいと思うように変化していった。
車いすダンスは、押したり、引いたりする動きではなく、フィフティー・フィフティー
の関係で初めてダンスが成り立つものであり、りんりん車いすダンスクラブの皆さんが常に平等という気持ちを抱いていることはありがたい。
日常的には、障がい者のスポーツは障がい者のみの競技であり、健常者は周囲でお手伝いをする。しかし車いすダンスは、車いすドライバーとスタンディングパートナーである健常者で活動するスポーツダンスである。
車いすダンスを障がい者のスポーツとして認めていただき「山形県障がい者スポーツ協会」に登録できたことは地道な活動が実ったと思っている。
今回のブログはりんりんの歴史のごく一部分であるが、24年間歩いてきた道程は、苦しかった時、大変だったこと、喜びを分かち合った時、楽しかったこと、感動、達成感は、その時それなりに大きな思い入れがある。
羽角健二会長をはじめ、いつもおおらかで明るいりんりん車いすダンスクラブの皆さんに助けられながら今があることに心から感謝している。
そして温かく見守って下さっている矢作幸男先生、柴田敦子先生、JDSF 山形、JDSF山形村山支部の皆様に心からお礼申し上げる。
また遠くからいつも応援していただいている「日本障害者ダンス推進会」の安藤高子先生、皆さんありがとう。
最後に、JDSF山形だよりブログでのつたない文ではありましたが、編集を買って出てくださった高橋与一先生に厚くお礼申し上げる。
2017年9月 りんりん車いすダンスクラブ
事務局長・指導員(JDSF公認指導員)
末廣かなえ