JDSF山形だより (おらんだ ダンス仲間ダベ)

連盟の出来事、ダンサー達の想いや活躍を発信し、ダンス愛好者の交流の場に!
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国際交流”アジアに福祉の風を吹かせよう”Ⅵ

2016-07-31 07:48:24 | ダンサーラウンジ
5.空路成田へ、そして山形へ
(清水の舞台から飛び降りる一大決心) 12月2日、3日
 フィリピンの歴史は①スペイン統治以前②スペイン統治時代③アメリカ統治時代④独立以降の4つに大別して、スペイン植民地時代の街並み、バロック様式の教会群が多くマニラの観光目玉になっている。
昨夜の快適な疲れも吹っ飛んで(皆元気だ !)、最後の日程である観光とショッピングへと向かう。
午前中は、スペイン、アメリカ統治時代の歴史を物語る建築物を訪れた。
当時の姿を今に伝える遺跡、教会、要塞等を観るにつけ、さすがに異国情緒漂う街並みだった。
午後はホテルから比較的近い所に大きなショッピングセンターがある。
徒歩(健常者は搭乗する時、介助者だったのだ)で行くと言う。このような時、私は役に立たない。
案の定、羽角会長が「邪魔になるから車椅子に触らないで! 」。そうなんだ、荷物は持てない、段差で車椅子を押せない、それなのに口先だけは達者なのだ。
広いセンターをかなり歩き廻り、冷やかしショッピング? でもお土産だけはしっかり買い込んだ。
夜は、アルコール、フィリピンのお惣菜などを持ち寄り「フィリピン名残惜しい会」を開催した。
大変な企画に皆さん協力していただき、感謝の気持ちとアルコールの精か泣き上戸になってしまった。皆さんも達成感と疲れで何故か私に続いて涙涙だった。
  早朝にもかかわらず、マリアさんの姉夫婦がお見送りにホテルまでいらっしていただき、別れを惜しんで「山形に招待します! 」と実現不可能なことを言ってしまった。
成田へ向かう機内で誰ともなく「山形に呼びたいね」「そうね」。ここでまた私の悪い癖「よし絶対に実現してみせる!! 」かなりの決心だった。
こうなると私の頭の中は現実から離れて夢の世界を漂っている。
東北6県、東京のグループも巻き込んで・・・国際交流をするのだ。構想が次々に、思わずニタッとしてしまった。 



  ① ② ショッピングセンターに於いて


   ③ 最後の夜の記念写真(ホテルのロビーにて)


   ④ 「フィリピン名残惜しい会」ワイン1本?




次回は6.大きな夢に向かって先ず何から?

国際交流“アジアに福祉の風を吹かせよう” Ⅴ

2016-07-24 08:28:51 | ダンサーラウンジ
4. 4泊5日の滞在珍道中(その2   2007年12月1日
 さわやかな活気ある「Good morning!!」からスタートである。
 豪華な朝食バイキングが嬉しいのか?フィリピンの生活が身に着いてきたのか? まあいいっか、疲れてはなさそうだ。これでも皆さんに気を遣い、責任を感じているのだ。
 今日の訪問先カトリック教徒の身体障害者養護学校(施設)は、小、中、高校生の生徒さんが生活している。
 昨夜の校長(シスター)を先頭に暖かく迎えていただき、早速合奏が始まった。はにかみ屋さんたちだがやはり体全体に感じる明るさ! 障がいがあっても前に向かって生きている姿は、シスターをはじめ周囲の方々の大きな愛に包まれているのだ。
 皆さんそれぞれの楽器で奏でる“バラが咲いた”など日本の曲を聴きながら、涙が止めどもなく・・・。
 70年余り前に戦場となった歴史がある。今こうして、フィリピンの障がいのある子どもたちと芸術を通しての素晴らしい友好を結ぶことができたことに、胸キュンと共に体が熱くなった。
 夕方からはGood Wheel helping Hand &りんりん車いすダンスクラブのパーティーの開催だ。
 りんりんの6名は一旦ホテルに戻り夜会服?(りんりんは夜会服などない! )に着替えていそいそと教会へと向かう。
 ステージには歓迎の素晴らしいバレンがひときわ目を引く。既に、先日の来賓の方々、訪問施設の子供たちが私たちの到着を待っていた。
 セレモニーは例の「虎の巻」が大活躍である。
 ご来賓の素晴らしい?挨拶は、さっぱり聞き取れない。きっとりんりんを大歓迎していただいているのだ。
 開宴、乾杯へと、フィリピンの郷土料理は美味しい。
 なかでも早朝から手掛けていた「豚の丸焼き」(レチョンバブイ)。子豚(可哀そう~)がりんりんのために犠牲になったのだ。
 80名ほどの参加者の中で、いよいよ車いすダンスのご披露である。
 車いすドライバーとスタンディングパートナーのダンスは初めてということで大喝采、「ブラボー」が飛び交う。
 子供たちの歌あり、ストリートダンスありで会場はハイ-テンションのまま、最後はとっておきのディスコダンス(ディスコダンス、あつ子先生ありがとう! )で盛り上がりハグの連発で別れを惜しんだ。
 ホテルに戻り例の“高~いベッド”に大の字になって「すごいことをしてしまった」と興奮は私の睡眠を奪ってしまった。



  養護学校の皆さん




  教会でのパーティー

次回は5.空路成田へ、そして山形へ(清水の舞台から飛び降りる一大決心)

国際交流“アジアに福祉の風を吹かせよう” Ⅳ

2016-07-17 08:42:28 | ダンサーラウンジ
3. 4泊5日の滞在珍道中(その1)   2007年11月30日
「~んだ、・・・んだず」など、どこへやら、交わす挨拶は「Good morning !」
 お澄まし屋の6人は順応性抜群と思いきや、バイキングスタイルの感動朝食に山形弁連発で大騒ぎ。
 何でもありきで準備された朝食で中でもお気に入りは、マンゴーの種類が多く美味しいことである。
ホテルはマニラ中心街の高級ホテルであることが分かった。(昨夜はかなりつぶやいたけど)
 先ず1日目は身体障害者就労施設で働いている方々の家族寮を訪問。
 マリアさんの義兄の手配で準備万端大歓迎、歌などのご披露、ここで出番は我がりんりんの車いすダンスである。
 共に手を取り合って以前からお友達だったかのように意気投合した。
 皆さん本当に明るい! 音楽、ダンスって、人種、障がいの有無など関係なく平等で自由で心を開くことが出来る。改めて胸がキュンと痛むほど喜びに浸った。別れを惜しんで寮を後にした。
 夜は歓迎パーティーが予定されている。ゲストは勿論りんりんのメンバー6名、ご来賓に午前中訪問した就労施設長、養護学校の校長(訪問予定)、マンダロヨン市(マニラでも中心的存在の大きな市)の身体障害者部門の部長、そしてフィリピンの仲間たち、30名余りの想定外のメンバー、また山形ではなかなか口にすることのできないシーフードでのもてなしである。
 驚くことに、魚、エビ、カニを上手にスプーンとホークで食する様子に目を見張った。
 自己紹介、開宴、カラオケ、ダンス、と時は過ぎ和気あいあい、りんりんはやっぱりいつものりんりんだ。(いつもうるさいほど賑やかで騒ぐ)
 日本語の通じない皆さんだが、その場の雰囲気と盛り上がりで結構会話ができるのだと感心した。
 さて、日程に従ういろんな場所での挨拶はしっかり「虎の巻」を携えて訪れた。 でも今後は英語又はタガログ語の中での生活である。
 聞き取れなく返事ができない時は、先に問い、答えていただくと、“にこっ”と笑って過ごすと言う何とも滑稽な交流が始まる。

小さい写真はクリックしてご覧ください
 

 ① ② 家族寮での交流


 ③ 歓迎パーティーで虎の巻での挨拶 

  

 ④ ⑤ 歓迎パーティー 

次回は 4.4泊5日の滞在珍道中(その2)2007年12月1日

国際交流“アジアに福祉の風を吹かせよう” Ⅲ

2016-07-10 09:17:21 | ダンサーラウンジ
2、ついにフィリピンに来てしまった。
2007年11月29日、午後23時頃フィリピンのマニラ空港に立っている6名は「フィリピンだよ、とうとう来たね」と早朝からの疲れも忘れて興奮気味。
再度訪れることになった羽角会長は、少々得意げに、今回は案内役を買って出ると思っているのだろう。
ともかく、土地柄か?何をしても遅い! 
車椅子は荷物と一緒に預けられているので本人の手元に戻るのに先ず時間がかかる。
その上私たちの5日分の荷物が大きい(特に小さい私は自分の荷物さえ持てない程)。
日本からフィリピンに帰ってくる方々は段ボール箱などの荷物で山ほどだ。
日本ですごい買い物をするのだろう。
やっとホテルの送迎車(日本では快適なバスなんだけど・・・)でホテルに向かう。
フロントに辿り着いたのはかれこれ明け方の1時頃だった。フロントではすべて英語!!
(日本語をしゃべる人はいないの?)
でも旅行会社の行き届いた交渉のおかげで素早く各ルームに案内された。
部屋数、組み合わせから溢れた私はなぜかツインの広~~い、ダンスが優にできそうな部屋。
しかも大きな高いベッドが二つ。4泊を思う存分に使えばいいのだ。
でも、「よいしょ!」の掛け声でベッドへ上がるのは短足な私には容易なことではない。
結局は一つのベッドは衣装置場になってしまった。
さらに溺れそうなプール同然なバスルーム、トイレはストーンとお尻がはまりそう。
なんと言っても私があまりにも小さいことで、このようにつぶやくはめになってしまった。
いよいよフィリピンでの生活が始まるのだ。
何故か気取った6名は「おやすみなさい」でなく「 Good night・・・ 」






次回は3.4泊5日の珍道中(その1)

国際交流“アジアに福祉の風を吹かせよう” Ⅱ

2016-07-03 10:04:34 | ダンサーラウンジ
りんりん車いすダンスクラブ(りんりん)です。

1、フィリピンを訪れた経緯。(2006年12月)
さて、なぜフィリピンなのか?
我がりんりんの賛助会員であるマリア・リガーヤ・細谷さん(フィリピン出身)の一言「母国の人にも車いすダンスを見せたい!」は、強烈に私を掻き立てるものがあった。
実現するには訪問するか、招待するか難問題である。
何ごとにもどうにかなると簡単に考えてしまう悪い癖がある。
そして既にいろんなことを想像し気持ちだけは歩き始めていた。
りんりんのメンバーはこの突拍子もない事に耳を傾けてくれるだろうか?
ところが賛同「いいね!」の返事が返ってきた。
ただし、希望者を募ることにした。
嬉しいことに、車いすの方3名、健常者(介助者と言うことになる)3名決定。
幸いにも現地ではマリアさんの姉夫婦の協力を得られそう。
先ず日時を決め、りんりんの紹介の為、訪れる目的、会則、プロフィール、障害者施設等、全て英訳しなければならない。
2007年11月29日~12月3日の4泊5日間の日程で訪問先が決まった。
ところが驚くことが起きた。
我がりんりんの羽角健二会長(車いす使用)が一足先に一人で観光を兼ねた施設視察に、しかも2007年の2月に行くと言うのだ。
(介助者なしではJALでしか行けない)よほど自信があるのだ、どうぞ!
私としましては早速旅行会社との相談、5日間の行程、フィリピンとの問い合わせはパソコンメールで辞書とにらめっこの日々。
そうこうしている時、マニラ・マンダロヨン市からダンスグループ“ Good Wheel Helping Hand ”を立ち上げたとの朗報が入る。
課題を山ほど抱えて今後どうなることか?



      

次回は「ついにフィリピンに来てしまった」

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