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世界の南船北馬から

中国の言葉で南船北馬は旅を意味します。南は船(シーカヤック)で旅を。馬は飼ってないので北馬はいずれ。

「日月潭国際萬人泳渡」参戦記in台湾(その1)

2011年09月22日 | 台灣/Taiwan
 少々遅くなってしまいましたが、台湾で開催された「日月潭国際萬人泳渡」に参加して来たレポートをご紹介致します。



 「日月潭国際萬人泳渡」とは漢字から分かる通り(?)、日月潭という湖で開催される遠泳大会です。

 距離は3300m。
 参加者なんと27000人!

 こんな大会、滅多にありません。あの東京マラソンが32000人と言いますから、それに匹敵する人が泳ぐ姿は凄いです。
 個人参加は不可らしく、最低8名前後のチームを組まねばならないので、今回は旅行社の募集しているツアーに参加。



 始まる前から、人人人の大渋滞。もう、最初から訳分かりません
 大渋滞で途中バスを降り、受付(添乗員が代行)して湖まで行くのに45分。



 朝6時頃から始まっているらしく、この頃既に10時。たくさんの人が泳いでいます。



 なんか凄い光景です。



 バスを降りてからスタート地点まで約2時間。天気は快晴。標高は1000m近くある高原の湖なのですが、亜熱帯なので気温は30度以上。
 みんな始まる前からぐったりしています



 ようやくスタート地点に到着。
 対岸まで泳いでいきます!

 つづく。 

台湾より帰国しました。

2011年09月09日 | 台灣/Taiwan
 先週末より、ちょっと台湾まで行って来ました。
 HPでレポートするほどのことではありませんが、その様子はブログでお届けできればと。ちなみに明日より岩手に行ってしまうので、とりあえず1枚だけお送りいたします。



(先輩と一緒に工事中の様子

北大武山:高砂義勇隊の石碑を読む(その4)

2011年07月27日 | 台灣/Taiwan
 前回より。

 
 台湾南部。三千メートルを越える北大武山の頂近く、日本統治時代に日本人が建立した神社がある。



 上記は、再来月台湾で公開される最新映画『賽克・巴萊(セデック・バレ)』ですが、これは石碑の建てられるわずか14年前のこと。
 昭和5年(1930年)に高砂族が蜂起した霧社事件を描いた映画ですが、この裸足で戦う高砂族達が、後の高砂義勇隊となっていくわけです。

 動画では日本軍VS高砂族という単純な図式にしか見えないのですが、実は高砂族も反乱を起こした高砂族(生蕃)と、日本軍に味方した高砂族(熟蕃)とあって、事情はとても複雑なものであります。
 ですので、高砂族全てを同一視することはできません。
 
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今ヤ大東亞復興ノ曉鐘ハ東洋諸民族ノ歡呼ト和ンテ鉱
(今や大東亜復興の曉鐘は東洋諸民族の歓呼と和して)

鏗トシテ坤與ヲ蔽ヘリ是ニ於テ百萬州民力朝夕仰止ス
(鉱鏗として坤與を蔽えり、これにおいて百万州民力朝夕仰止する)

ル大武山上ノ靈地ヲトシ碑ヲ建テテ英靈ラ祀リ併セテ
(北大武山上の霊地をとし、碑を建てて英霊を祀り、併せて)

高雄理蕃史上不滅ノ榮光ヲ史實ニ傳ヘントス
(高雄理蕃史上不滅の栄光を史実に伝えるとする)

此議發スルヤ臺灣總督海軍大將長谷川清閣下ハ為ニ題
(この議を発するや、台湾総督海軍大将長谷川清閣下は、)

字ヲ揮毫セラル曩ニ司令官部隊長等ヨリ數回ニ亘リテ
(題字を揮毫せられる曩に司令官部隊長等より数回にわたって)

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曉鐘:夜明けの鐘
鉱鏗:金属が鳴り響く様
坤輿:大地を大きな輿に例えた語

蔽えり:覆うこと
揮毫:(有名人などが)毛筆で文字や絵を書くこと
曩に:先に、前に

つづく。

北大武山:高砂義勇隊の石碑を読む(その3)

2011年07月21日 | 台灣/Taiwan
 前回より。

 
 台湾南部。三千メートルを越える北大武山の頂近く、日本統治時代に日本人が建立した神社がある。

(70年もの年月が経っているが、風雨に晒されながらも未だに立っている鳥居)

 古来より北大武山は、この周辺に住む高砂族のパイワン族やルカイ族の聖山として崇められていました。日本が台湾を統治し始めてから40年以上が過ぎていましたが、南部の高砂族の間ではまだ日本に対する反発もあり、この神社建立も高砂族の理解を得られずに、パイワン族の強烈な反対に遭っていたそうです。
 
 昭和6年(1931年)12月24日に鎮座した神社は、数年後に雷撃を受けて破壊され、場所を少し移動して現在の位置に再度建立されました。

 この頃の日本統治時代には、高砂族の中に文明人や国家帰属という意識が起こり、お互いに争っていた部族間の交流を、日本語教育によってお互いの意思疎通を果たすことで争いを止めさせる面もありました。
 それは、部族間の言語が全く通じるものではなかったということもありますが、当時は首狩りの風習があり、成人男子の通過儀礼という面もあったからです。
 
 そして、この台湾の険しい山岳地帯を武勇に駆け回っていた高砂族は、素足で南洋の密林を駆ける程の身体能力の高さを以って、非常に戦闘に長けた英国王立グルカ連隊と互角以上に戦ったという逸話もあります。
 



シ行李ノ補給ニ患者ノ後送ニ人力ヲ超越シタル剛膽果
(行李の補給に、患者の後送に人力を超越したる、剛膽果敢なる)

敢ナル行動ヲ以テス忠義骨髄ヲ填ムル者ニアラスンハ
(行動をもって、忠義骨髄を填まる者あらずんば)

敦力之ヲ能クセンヤ更ニ瘴癘ノ下風餐沐雨飢渇句餘ニ
(敦力これをよくせんや、更に瘴癘の風に吹かれ雨に打たれ飢え渇き余るに)

及ヒシモ屈セス或ハ率先決死隊ニ参加シテ敵ノ砲兵陣
(及びしも屈せず、或いは率先決死隊に参加して敵の砲兵陣地を)

地ヲ奇襲シ完全ニ之ヲ破壞シ去リシ殊勲ノ如キ或ハ遠
(奇襲し、完全にこれを破壊し去りし、殊勲の如き、或いは)

キ「ソロモン」ノ孤島ニ奮戰シ克ク基地ヲ獲得セシ功績ノ
(遠きソロモン諸島の孤島に奮戦して、かつ基地を獲得せし功績の)

如キ其ノ豊功偉績ハ枚挙ニ遑アラサルナリ
(如きその豊功偉績は枚挙に遑あらざるなり)

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行李:荷物、物資
剛膽:肝が太く、ものに動じない様子
敦力:重々しく手厚いこと(?)

豊功偉績:偉大な功績
遑アラサル:暇(いとま)が無い


つづく。

北大武山:高砂義勇隊の石碑を読む(その2)

2011年06月30日 | 台灣/Taiwan
 前回より。

 台湾南部。三千メートルを越える北大武山の頂近く、日本統治時代に日本人が建立した神社がある。


(解読しているのは、正面の石碑の碑文です。)

 日本人が建立した石碑から、当時の高砂族の感情を読み取るというのは難しいですが、今の日本と同じように国難に際した時に、犠牲となっていった人々の忘れ去られそうな歴史を憶えておくことも、現代に生きる者の務めではないでしょうか。

 もちろん、当時は戦争中なので現代と比べるような事ではないでしょうが、善悪関係無く、戦争を美化する意図も無く、ただ台湾の地に刻まれ残された日本語の碑文を知ってもらいたいだけなのです。

 幸い、台湾では日本統治時代の遺物遺構を保護しようという機運が高まっていることは、日本人として非常にありがたい事なのだと思います。1987年まで続いた戒厳令下の台湾でもそうでしたが、他の国でも大日本帝国が残した遺物遺構は破壊を免れずに消えていきました。

 善悪関係無く、歴史資料として残っていく事を望みます。



昭和十七年三月十五日第一回高砂義勇隊ノ編成ヲ了ル
(昭和17年3月15日 第一回高砂義勇隊の編成を終えるや) 

ヤ勇躍比島ニ侵攻シ米比軍最後ノ據點タル「バタアン半
(勇躍フィリピンに侵攻し、米フィリピン軍の拠点であるバタアン半島)

島」及ヒ彼カ金城湯池ト特〇シ「コレヒドール」要塞ノ攻略
(及び、金城湯池のようなコレヒドール要塞の攻略戦に)

戰ニ参加シテ功アリ更ニ轉戰「ニューギニア」ニ侵攻スル
(参加して功績を挙げた。更に転戦してニューギニアに侵攻するや)

ヤ熾烈ナル空爆下彈雨ヲ浴ヒテ上陸ヲ敢行シ沈著能ク
(熾烈なる空爆の下、弾雨を浴びて上陸を敢行し、とても冷静沈着に)

糧秣彈藥ノ擔送ニ成功セリ而モ時ヲ移サス挺身「モレス
(糧秣弾薬の担送に成功し、しかも時を移さず身を挺してモレスビーに)

ビー」向ヒ先遣隊トシテ強行進撃ス此ノ間千古不鉞ノ
(向かい、先遣隊として強行進撃した。この間、千古不鉞の)

大密林ニ荊棘ヲ排シ峨々タル懸崖ヲ攀チ「スタンレー」ノ
(大密林に荊棘を排し、峨々たる懸崖を攀じ登り、スタンレーの)

天險を踏破シ道路構築ニ補給輸送ニ將又直接戰鬪ニモ
(天険を踏破し、道路構築に補給輸送を行った。また直接戦闘にも)

参加セリ特ニ「ギルワ」「ブナ」ノ戰鬪ニ至リテハ死山血河ト
(参加して、特にギルワ、ブナの戦闘に至っては死山血河と)

言フモ過言ニアラス地軸揺カス砲爆撃下骸ヲ積ミテ
(言うも過言ではない、地軸揺るがす砲爆撃の下、骸を積んで)

壘ト爲シ血ヲ醜シテ池ト爲ス而モ尚能ク第一線陣地ヲ
(塁と為し、血を醜して、池と為す。しかも尚、第一線陣地を)

死守シ遂ニ頑強ナル敵ヲ撃退セリ又敵ノ包圍圏ヲ突破
(死守して 遂に頑強なる敵を撃退した。また敵の包囲圏を突破)

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バタアン半島:フィリピンルソン島中西部にある半島のこと
金城湯池:非常に守備の堅いこと
コレヒドール:ルソン島マニラ湾の入り口に浮かぶ小島のこと

沈著:落ち着いた様子
糧秣弾薬:食料と弾薬
モレスビー:現パプア・ニューギニアの首都「ポート・モレスビー」のこと

千古不鉞:開拓できないほどのジャングルのこと
荊棘:いばらのこと
峨々:山などが険しく聳え立つ様子

「スタンレー」:パプアニューギニア南東部にあるオーエン・スタンレー山脈のこと
「ギルワ」「ブナ」:スタンレー山脈を挟んでモレスビーと反対側の地名
死山血河:死者が山の様になり、河が血に染まる様子
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※:前半のフィリピンでは功績を挙げていますが、後半のパプアニューギニアではモレスビー攻略の為に赴いたスタンレー山脈を撤退命令の為に越えられず、後のギルワ、ブナの戦闘ではかなりの犠牲者を出した。
「又直接戰鬪ニモ参加セリ」とは、軍人ではなく軍属(道路構築や補給輸送)での任務が主な為。

つづく