久々の「オフコースと私」シリーズです。ってシリーズやったんかい?って感じですが、ええ、シリーズなんです。最近そう決めました
勝手気ままにウダウダとオフコースにまつわる思い出を綴るだけですが、あと数回は続く予定ですので・・・。
私がオフコースの音楽に出合ったのが1981~82年、5人のオフコースの終わり頃。それから84年に4人のオフコースが活動を再開するまで、長かったですね~。
その間は一生懸命、それまでのオフコースのアルバムを集めて(友人と貸し合いっこしたりして)、聴きまくってました。
好んで聴いていたのは、『SELECTION 1973-78』でしょうか。『さよなら』以前の、”ロックっぽく”なる前のオフコースの曲が当時は好きでした。
ですから、84年4月、待ちに待った活動再開第1段シングル『君が、嘘を、ついた』を初めて聴いた時のオドロキと戸惑いは今でも覚えています。
「えっ?これがオフコース?」
と言うのが正直な感想でした。同年6月に発売されたアルバム『The Best Year of My Life』なんて、もっとビックリですよ。なんといっっても一曲目の『恋人たちのように』。
いきなりホーン系のイントロも驚きましたが、
「♪これからどこかで私を抱いて~」って
・・・小田さん、マジですか?!状態で。
でも聴いているうちに、あぁ、これが新しいオフコースなんだな、と。「なかなか、格好イイやん」と思うようになりましたね。「こんなのオフコースじゃない!」と頑なに語れる程オフコースを知っているうわけでもなかったのと、それ以上に、彼らの活動にリアルタイムで触れられるようになったことの方が嬉しくて
この年の夏、一体どれだけこのアルバムを聴いたことでしょう。
翌年のツアーのチケットが入手出来たた時の喜びは、おそらく人生で5本の指に入るでしょう。このツアー、オープンニング曲は、この『恋人たちのように』だったと思います。幕は横に開くタイプだったかな?ともかく幕があいたとたん、泣き出す人が多かったのは覚えてます。そりゃね、ヤスさん抜けた時点で、オフコースのステージなんて、もう見られないかと皆思ってたのでしょうね。
このアルバムには≪Green Album≫というサブタイトルがついてました。(CD版には無い?)
のちに読んだ本で、当時の小田さんが「2枚同じタイトルで出そうとしていた」ことを知りました。4人がそれぞれ成長した何年か後に、ブラウンに色づいた「The Best Year」を-。小田さん曰く「4人のオフコースはそういうプロジェクトだった」と。
この話を読んで、ああ、4人のオフコースは解散ありきで始まったんだと、気がつきました。いや、むしろ既に解散済みだったのかもしれません。
・・・そんなこと知る由もない、中学生の私。1985年は、初めての"生”オフコースに会えたことが、ただただ嬉しかった"The Best Year"でした。
勝手気ままにウダウダとオフコースにまつわる思い出を綴るだけですが、あと数回は続く予定ですので・・・。
私がオフコースの音楽に出合ったのが1981~82年、5人のオフコースの終わり頃。それから84年に4人のオフコースが活動を再開するまで、長かったですね~。
その間は一生懸命、それまでのオフコースのアルバムを集めて(友人と貸し合いっこしたりして)、聴きまくってました。
好んで聴いていたのは、『SELECTION 1973-78』でしょうか。『さよなら』以前の、”ロックっぽく”なる前のオフコースの曲が当時は好きでした。
ですから、84年4月、待ちに待った活動再開第1段シングル『君が、嘘を、ついた』を初めて聴いた時のオドロキと戸惑いは今でも覚えています。
「えっ?これがオフコース?」
と言うのが正直な感想でした。同年6月に発売されたアルバム『The Best Year of My Life』なんて、もっとビックリですよ。なんといっっても一曲目の『恋人たちのように』。
いきなりホーン系のイントロも驚きましたが、
「♪これからどこかで私を抱いて~」って
・・・小田さん、マジですか?!状態で。
でも聴いているうちに、あぁ、これが新しいオフコースなんだな、と。「なかなか、格好イイやん」と思うようになりましたね。「こんなのオフコースじゃない!」と頑なに語れる程オフコースを知っているうわけでもなかったのと、それ以上に、彼らの活動にリアルタイムで触れられるようになったことの方が嬉しくて
この年の夏、一体どれだけこのアルバムを聴いたことでしょう。
翌年のツアーのチケットが入手出来たた時の喜びは、おそらく人生で5本の指に入るでしょう。このツアー、オープンニング曲は、この『恋人たちのように』だったと思います。幕は横に開くタイプだったかな?ともかく幕があいたとたん、泣き出す人が多かったのは覚えてます。そりゃね、ヤスさん抜けた時点で、オフコースのステージなんて、もう見られないかと皆思ってたのでしょうね。
このアルバムには≪Green Album≫というサブタイトルがついてました。(CD版には無い?)
のちに読んだ本で、当時の小田さんが「2枚同じタイトルで出そうとしていた」ことを知りました。4人がそれぞれ成長した何年か後に、ブラウンに色づいた「The Best Year」を-。小田さん曰く「4人のオフコースはそういうプロジェクトだった」と。
この話を読んで、ああ、4人のオフコースは解散ありきで始まったんだと、気がつきました。いや、むしろ既に解散済みだったのかもしれません。
・・・そんなこと知る由もない、中学生の私。1985年は、初めての"生”オフコースに会えたことが、ただただ嬉しかった"The Best Year"でした。
ただ、5人が解散したときのLPと活動再開したときのLPとでは何となく作風が違うな、ってのは中学生ながらに分かったような気がします。4人のオフコースはとても綺麗な印象が。。
ただ、当時私は5人が4人になったってことには気づいてないことを付け加えておきます。
なので、今からでも全然遅くないですよ!むしろ今から色々と”宝探し”が出来るから楽しいのでは?しかも、小田さんの場合、これまでの活動がハンパないので、お宝が隠れているフィールドは広大ですヨ
私と同じなので、なんだか嬉しくて嬉しくて・・・
ヤスさんが、オフコースにとってそれほどに重要な人だったなんてことは
4人になってしばらく知りませんでしたし、
ていうか、知ろうともしなかったです。
でも、過去のLPを買いあさり聴いてました。
で、TBSだったっけ?「NEXTのテーマ」のドラマみたいなのやったでしょ?
あれは、しっかり録画してたんですよ~!
最近、その頃録ったビデオテープが出てきました
画像が悪すぎて観れたものじゃないですが
演技してるオフコースメンバー、うんかわいい
で、4人の再活動が始まって、新しいサウンドに驚きつつも、
ただひたすら4人のオフコースを、いや・・・
小田さんのビジュアルだけを追っかけていたかもしれません
『The Best Year of My Life』か『as close as possible』か
どちらのライブか忘れましたが、
どうしてか一列目のチケットが取れて、
行ってみれば、小田さんの真ん前だったことがありました
ただただ小田さんだけを見つめていたなぁ・・・
気が付けば、オフコース解散を前にあたしの中では
既にオフコースはフェードアウトしていってて・・・
ソロになってからはCDは買っていたし、
クリ約も毎年チェックしていたし、好きは好きだったんですがね
しかし、今年ライブ行っちゃったら“ふぉーりんらぶ”ですよ
落ちました
なので、あたしも過去の小田さんの活動を知りたくて。
ここは宝探しの情報源です
ひと昔くらいなら、当時のセットリストもはっきり思い出せたのでしょうが。でも不思議なことに、その時々のドキドキやワクワクの感情ははっきり覚えてるんですよね~。
ま、私も当時は小田さんのビジュアル重視でしたが。
今はそうですね、人生の師匠って感じです。