フィリピン国際結婚・菜の花の主婦日記goo版

南国フィリピン便りー結婚しフィリピン在23年。22才長女、20才息子、9才末娘のお母さんである私の毎日ー

フランスでは乗馬レッスン出来ず

2014年06月09日 02時10分39秒 | 旅行






結局、ピク・デュ・ミディまで往復4時間以上、車に乗りっぱなしで帰って来ました。

それで時間が余ったので
桃ちゃんが習いたいと言っていた
アルジェレス・ガゾストの観光案内所で教えてもらった乗馬レッスンする所に行ってみました。

これがその事務所ですが
馬小屋にみんな居るので馬小屋に来て下さいと張り紙があって
ドアは閉まってました。


















結構大きな馬小屋です。

何故、訪ねたかと言うと、
借りているアパートに電話がないから。

そういう意味では小さくてもホテルだと電話もあるし
何か予約するにしてもホテルの人にお願いしてスペイン語なりフランス語で話してもらえるので
便利ですよね。

今回、スペインでもフランスでも予約は個人で電話してやって下さいと言われ、
観光案内所では電話してくれませんでした。

暇そうにしている場合が多かったので
予約など手伝ってもらえると助かるのですが
手伝わない決まりなんでしょうね。
間違った予約などして責められたりするトラブルを避ける為かもしれません。
















何故か何頭かの馬はこういう囲いに1頭ずつ居ました。

この乗馬レッスンする場所はウズス村にあるんですが、
ここに来るまでが本当に分かりにくく
最初はあった標識も途中から消え、
勘だけでたどり着きました。

道も、対向車が来たらどちらかがバックしなくてはならない細道でした。


















駐車場には車があるのですが人が見当たらない・・・。














習っているお嬢さん達(男の子は居なかった)は鞍なしの馬に乗っています。
鞍がないから柵や納屋の戸から馬に飛び移っていました。

まさか彼らは運転出来ないでしょうし、
親は何処で待っているのかしら。

このおじさん、少しは英語が出来るんですが
桃ちゃんが習いたいと言うと
携帯で連絡します、多分あさってになります・・・と言ったんですが
ついに電話くれませんでした。

Eメールはやらないとかで
こちらから国際電話で連絡するのも嫌だったのでそのまま。















雨も気にせず裸馬に乗った少女達が馬とやってきたのがここ。
さっきのおじさんは自分の車に乗って馬の後を徐行運転していました。

スペインやフランス、田舎道は一車線だけが多いです。

もっともフランスの方がスペインよりはずっと道路の拡張工事がしてありました。
主人はイトゥレンからフランス国境まで自転車で走ったのですが
国境を越えたとたんに道路が2車線になったと言っていましたから。














新鮮な草があるこの囲いのある林に馬を入れて帰るんですね。

私達がここに着いたのが午後5時頃だったので
ちょうど帰るところだったようです。














1レッスン16ユーロと言うのはそんなに高くないですが
最初、おじさんが先生は英語が話せないから
桃ちゃんが馬に乗りたいなら親が紐を持ってグルグル回るだけにして・・・と言っていて
(つまりレッスンはなし)
それならあまり意味がないし、
連絡をくれなかったのはそういう理由もあったのかもしれません。

とにかく行きにくい所だったのである意味、ほっとしました。

そう言えば桃ちゃんがレッスンを受けたいと言っていた時、
ちょうどフランスの学校が1週間、春休みだったんですよね。

大家さんの息子さん達が学校休みでサイクリングしてたりしましたから。

もしかしたらそのせいで大勢の生徒さんがいらして
忙しかったか、もう枠がなかったのかもしれません。

でも、まあ連絡くらいはくれても良かったかなとは思うんですが、
イギリス人の大家さんがおっしゃるには案外、連絡すると言ってしないのは珍しくないとか。

そして乗馬はマニラに戻ってからネットで検索すると自宅の近くにあったので
今はそこで習っています。
その記事はいずれ書きますね。










その後はアルジェレス・ガゾストにある温泉施設に行ってみました。
中で写真が撮れないのでパンフレットの写真を載せておきますね。

体にフィットした水着のみ許可。
そしてタオルなどは持参でした。

そして午後7時で閉まってしまいます。












外から見るとこんなに大きな建物ですが、
マッサージをする場所が別にあったりするので
実際のプールはそんなに大きくありませんでした。

日本の温泉を期待していたのですが
多分、水温は30℃ちょっとくらいで、
出ると震えてしまいます。

出てからオープンな(囲いのない)シャワーがあったのですが
お湯がちょっとしか出ないので体が温まらず
ちょっと長めに浴びていたら出た時に超過料金を取られそうになりました。

機械がピッと入った時間や出た時間を腕輪から読み取るんですが
プールを出た所で読み取ったので
もう1度読み取る場所があると思いませんでした。

3人で一緒に出たのですが
30秒前に出た桃ちゃんは大丈夫だったお陰で
職員の人が払わないでいいですよと言ってくれました。

ここはお金を払うカウンターの職員はフランス語しか出来ず、
プールの監視員の方は若い奇麗な女の子達で英語が話せました。

山の泉の水を温めてプールに入れているのでしょうね。
浮き輪を使って遊んでいる子ども達もいて、
温泉ではなく、プールという感じでした。

サウナっぽいものもあったのですが温度設定が低めです。

ローマ時代からこの辺りは温泉施設が有名だったようで
あちこちで宣伝を見ましたが
他の施設は体験してませんので
熱いお風呂もあるのかもしれませんが、わかりません。

日本のお風呂が大好きな主人も私もかなり物足りなく感じでしまいました。
やっぱり温泉は日本で楽しもうということになりました。







ピク・デュ・ミディ(Pic du Midi de Bigorre)に行けず

2014年06月05日 00時13分05秒 | 旅行




主人がピク・デュ・ミディ(Pic du Midi de Bigorre)に行ってみよう・・・
と言ってくれたのですが、
(自分は毎日自転車で遠乗りして楽しんでいるから)

この日は雨降りの天気予報ではなかったのですが、
途中から雨。

私達がここに滞在している間、
天気予報はなかなかあたらず、
雨だと思ったら晴天だったり、
その逆だったり。


「ピク・デュ・ミディ」は展望台が有名なのですが
霧が出ていると何も見えないのです。

しかも展望台に上がるのに使うロープウェイが結構、値段高くて
3人で100ユーロくらい(家族割引あり)。

ピク・デュ・ミディの説明(日本語のウィキペディア)


本当はアルジェレス・ガゾストから先日書いた山「トゥールマレー」を超えると
ピク・デュ・ミディのロープウェイ乗り場なんですが、
雪で不通なのでぐるっと回らなくてはなりません。

もっとも雪で不通じゃなくても
峠道を行くのは結構大変かも・・・。

私達も結局、行けなかったので
こんなビデオ見て満足することになりました。(2008年2月に撮影)








そしてここはスキーでも有名らしいんですが
こんなビデオも見つけました。
(2013年5月に撮影)







ここがフランスの田舎だからなのか分かりませんが
今回、フランスの観光案内所はちょっと頼りなくて
スペインは安くて観光客が多いからなのか
地図など、英語でもあり、
例えスペイン語だったとしても名所などは詳細が記してあったんですが
フランスではそもそも観光案内所の地図がイマイチで
名所などもあまり記してないので行く時は予め下調べしていくのが無難。


家を出発した私達は地図を片手に先ず、ルルドから 「バニェール=ド=ビゴール」という町に向かいます。


「Bagnères-de-Bigorre」英語のウィキペディア

「バニェール=ド=ビゴール」日本語のウィキペディア









ルルドを通り越して県道を行きます。


















自転車なら林の中を抜ける近道から、バニェール=ド=ビゴールの町に行く方法があって
主人は2年前に自転車でこの町に来たことがあるんです。

(その時はアスピンという別の山に行った。)















フランスのこの辺りの田舎町は小さい村が点々としていますが、
もう教会は使われてないとか、
家もよく見ると廃屋とか誰も住んでないとか結構多かったんです。














近くの山に向かっているサイクリングしている人達なんですが、
フランスでは前にも触れましたが1.5mの間隔を開けて追い越さなくてはならない法律があって
主人は反対車線を使って追い越しています。

もし対向車が居たら自転車の後ろを徐行して
対向車が居なくなってから追い越します。













こちらがその標識で、結構あちこちで見かけます。












そして バニェール=ド=ビゴールの町の観光案内所ですが
駐車場がないので路肩駐車。

路肩駐車している人が結構いるので捕まることはないと思うのですが
空きを見つけなくてはなりません。

看板に書かれていますが
ラ・モンジーの観光案内所も兼ねてるんですね。

ラ・モンジーは ピク・デュ・ミディに行くロープウェイの麓にある町で
スキー場もあります。

ラ・モンジー(La Mongieー英語のウィキペディア)

















英語の話せないお姉さんが
上に行っても霧で何も見えないから行かない方がいいわよと
片言の英語とジェスチャーとこのネット画面で説明してくれたんですが、
車で待っていた主人に伝えると
ロープウェイに乗るだけでもいいんじゃないかと
行く事になりました。















ところがバニェール=ド=ビゴールの町からロープウェイ乗り場がある
ラ・モンジーまで走っても走っても到着せず、













羊やヤギを見ながら進むんですが














道を間違えたのかと思うほど。




















左側の家、廃屋です。














  

お店も人も見かけない村でしたが、
県道沿いだからかも。

雨、降って来ました・・・。
















遠くの山は霧。

あまりに狭い道路で主人は道を間違えたんだろうって心配だったんですが
地図に載っている名前の村を通っているし、
地図で見るとそのうちにヘアピンカーブがあるから・・
とそのまま走ると、












ヘアピンカーブ、ありましたが。
でもこんな急勾配だとは予測していず、

そしてどんどんクネクネと峠道を上がって行き
標高が高くなってくると














なんと霧・・・。














雨も手伝って視界が非常に悪い。














屋根があるところは霧がないんですが
ここを抜けたらもう殆ど何も見えなくて
私はかすかに鉄塔みたいな物を見た気がするので
ロープウェイは直ぐそこだったと思うんですが、
こんな霧で上に行っても何も見えないでしょうし
主人も霧の中で運転するのが怖かったので
ちょっと広めの道路でUターンしました。

地元の車は時速60kmくらいでびゅんびゅん通り過ぎて行くんですけど、
通り過ぎて直ぐに車の姿も見えなくなり
Uターンしてて突然車が来るかもしれないので
ひやひやでした。

















山を無事に下りました。
霧はやはり山の上の方に留まってるんですね。


















せっかく来たのに上に上がれなかったので
さっき立ち寄ったバニェール=ド=ビゴール町の観光案内所にもう1度寄って
桃ちゃんにウェブカメラの映像を見せてあげました。

右側に1時間ごとの映像が並んでいますが
今日、霧が晴れていた時間は午前10時20分だけ。

9時でも駄目だったし、11時でも駄目で
春にここに来るのは難しそう。

でも夏だと雪山の景色じゃないので
お天気が良ければ冬でも春でもきっと楽しめると思うんですが。



















バニェール=ド=ビゴール町の路肩駐車はこんな感じです。

この教会はさっきリンクしたウィキペディアによると
中世、1434年にフランスのフォワ伯ガストン4世とナバラ女王レオノールの挙式した場所。

知っていたら行ってみたかったです。


ナバラ(ナヴァラ)と言うのはスペインのイトゥレンがナヴァラにありました。
バスク地方は4つか、5つかの区域に分けられていて
その1つがナヴァラ。

バスク語もネットで調べると方言があって
これも5つくらいあるようです。

でもここに出てくるナバラ王国は歴史の流れの中で登場した王国で
今のスペインのナヴァラ地方のことではありません。

ウィキペディアによると

パンプローナ王国、のちのナバラ王国は、従来よりピレネー山脈西部の南側及びビスケー湾に居住していたバスクとガスコン(ガスコーニュ)などのヴァスコン族(Vascone)の地域の一部分を占めた。この国の起源の詳細は不明だが、ローマ人も西ゴート人もアラブ人も、常に自分たちの言語を守り通したこの西ピレネー地域を、完全に征服できた訳ではなかったと言うことである。6世紀中頃には、西ゴート王国の南西側からの圧力と、アキテーヌのフランク王国の勢力範囲の限界があったことにもよって、バスク族はピレネー山脈北側への大規模な移動を行い、独立を維持した。現在でもスペインのナバラ州北西部は主にバスク族で占められている。


ナバラ王国について詳しく知りたい人はウィキペディアのこちらをご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ナバラ王国(824年 - 1620年)

ピレネー山脈が間にあるので遠いみたいですが、
実はアルジェレス・ガゾストの町とイトゥレン(ナヴァラ)はそんなに遠くありません。

もし高速があったら近道でさ~っと来れる距離です。
ただ、山だらけなので高速作れないんでしょうね。

同じ理由でバスク人が自分の言語を守りながら生き残ったのだと思います。






Col de Tourmalet(トゥールマレー)とル・ヴィスコス

2014年06月01日 02時59分56秒 | パン・菓子類









突然晴れたガヴァルニーを後にし、
主人が行きたいと言った「Col de Tourmalet(トゥールマレー)」に向かいましたが、
2013年にこの辺りで大洪水があったみたいで、
洪水なのか鉄砲水なのか分かりませんが
河川周辺のあちこちが土砂崩れ状態になっていて
工事はしていても追いつかないほど。

河川沿いや土砂崩れなどの被害の広範囲なので
7月のツールドフランスの時期までに何とか終わらせようとして頑張って工事しているのに
なかなか進まない感じでした。












山の上の集落は何度見ても不思議です。
どうして麓に近い村が広がらないで突然、高い所に集落が出来るのでしょうか。














到着してみて分かったのですが
Tourmalet(トゥールマレー)はスキーリゾートでした。

車が何台か停まっているのですが
工事や職員の車のみだったようで
観光で来ていたのは私達だけだったように思います。

















反対側のゲレンデにも動いてないリフト。














実際に見るとも~っと雄大な景色です。
とにかく風が冷たくて、外に立っていると寒いのですが
景色が良いので立っているだけでも満たされます~。










 

寒い、寒いと言いながら山に登って行った主人。











主人の写真を拝借しました。
この時期、標高2000m以上の山はまだ雪が溶けておらず
主人も最後の7kmだかは雪で道路が不通なので折り返して来ました。














もし道路が不通でなければ、
山を越えて反対側にある有名なNASAが設置した天文台に行く事が出来ますが、
でも・・・この細い道路を車で超えるのはちょっと無理があるかもしれません。
















ゲレンデの地図がありました。
スキー出来る場所があちこちにあるんですね。
でもここはホテルなどないので
車で来てスキーを楽しんで、また車で帰るという感じかしら。














桃ちゃんは主人が自転車で山に行ってる間は車の中で寝ていたんですが
(実は私も少しうたた寝)
帰る時に起きて来たので近くのあったシャーベット状の雪でちょっと遊びました。

フィリピンには雪がないので
こんなシャーベット雪でも楽しそうでした。















行きも怖々と通った工事現場は
車線は工事の車でいっぱいで、
路肩の崖っぷちをすり抜ける感じ。

対向車線から車が来たら困るので信号機があって
青になったら自分の側の通行・・の筈なのに
両方とも赤のままになっていたので
結構長い間、待ちました。

「これずっと赤だから行った方がいいんじゃないの?」

と思い切って進むと対向車が突然来たのですが
私達がすり抜けるまで待っていてくれました。

タイミング良く車が見える位置で対向車が来たので良かったですが
2つの車がお互い見えないで先に進んでいたら
どちらかがバックしなきゃいけないので大変でした。











雨の中での作業。真面目に皆さん、働いています。
















そしてこの日、先日もブログで紹介した
サン・サヴァン村にある「ル・ヴィスコス」に予約を入れていたのですが
自転車ロッジのご夫婦が桃ちゃんを預かってくれると申し出てくれたので
お寿司のお土産を作りました。














私達が案内された窓際の席からは雄大な山の眺め。



















テーブルには椿が一輪。
テーブル毎に違う花が活けてあって
椿(カメリア)は私達のテーブルだけでした。












おまかせでお願いしました。
先ずは前菜。
















ワインもシェフの方が選んで下さいました。


















これはフォアグラだったかしら・・・。


















9時過ぎると夕暮れになります。


















ロブスター。















鴨肉とパプリカ風味マッシュポテト。















レモン風味のクリーム。














サバラン。立派ですが甘さが少し私には強過ぎました。
量も多かったので主人に手伝ってもらいました。













スペインでもフランスでも
コーヒーと言えばエスプレッソが出て来ますよね。















アーモンド粉を使ったクッキーなど。















最後にシェフの方と写真を撮りました。
私が手に持っているのは実はワインを開けてくれた可愛いおばさまウェイトレスさんに頂いたワインのコルク抜き。

このコルク抜き、小さいけれどものすごい優れもので
感心して見ていたら下さったのです。

シェフが言うには切れるものを友情の証としてもらった時は
1ユーロコインをその相手にあげることで永遠の友情になる迷信があるとか。
早速、1ユーロコインを渡し
その可愛いおばさまとハグし合いました。
















夜10時半過ぎてしまって
いくらなんでも朝が早い自転車ロッジの方に申し訳なく
途中で迎えに行くべきだったね・・・と主人と話していましたが
桃ちゃんを迎えに行った時に
ひたすら謝りました。

桃ちゃんは英語でシービスケットの映画を見せてもらって
帰りの車でもその話しを興奮してしてました。

スペインは夕飯が夜10時というのは普通ですが
フランスでは9時には真っ暗な家が多く
近いけれど文化はやはり全く違うんですね。






ピレネー山脈ガヴァルニー圏谷(Cirque de Gavarnie)

2014年05月30日 03時34分24秒 | 旅行




観光案内所でお勧めと言われたガヴァルニー圏谷(けんこく)。

ガヴァルニー圏谷の案内(フランス観光開発機構のHP)





圏谷(けんこく)の意味が分からずネットで調べると
圏谷、又はカール(ドイツ語: Kar)は、氷河の侵食作用によってできた広い椀状の谷のことだそうです。
もっと詳しく知りたい方はこちらをお読み下さい。

圏谷(けんこく)についてのウィキペディアの説明










主人は2年前にガヴァルニーまで自転車で行ったそうなんですが、
アルジェレス・ガゾストから多分40kmちょっとあるので
以前行った時は着いて直ぐに帰路についたそう。

車でも山の中を1時間ちょっと走ります。


















ここに行く川沿いには水力発電があって、
電気公社の建物も途中にありました。

















実はこの日はくもり、時々 雨。

でもフランス人は雨を気にせずハイキングするんですよね。















家を出てかなり経ってから気づいたのだけど
桃ちゃんはスペインで買ったサンダルを履いて来たのでした。
マジックテープで留めて脱げないようになっていて便利ですが、
雨なので足が濡れてしまいます。











行く途中の川向こうにお城みたいな建物が多い村があって
主人が言うにはナポレオンが避暑によく来ていた村だとか。
(本当かどうかわかりませんが)

この村には温泉施設もあって人が結構来ていたんですが
ピレネー山脈周辺って温泉施設が結構あるけれど
アルジェレス・ガゾスト村の温泉施設でこりごりした私達。
温泉じゃなくて冷ための温水プールと呼んで欲しいです。
出たとたんに震える感じ。

ここの温泉施設が熱い温泉かどうかは知りませんが、
多分、違うんじゃないかなと思います。
アルジェレス・ガゾストの温泉施設のサウナも低め設定でしたし、
熱いの苦手なんじゃないかしら。











それでこちらがナポレオン3世が架けた橋らしいです。
橋を渡る手前にチーズを売っている屋台があって
凄く美味しそうだったんですが
主人は買い物好きじゃないので車を停めず素通り。














ガヴァルニー村に着き、観光案内所の前に車を停めて
主人は小雨の中、自転車で山を登って行き、
私と桃ちゃんは観光案内所のお姉さんが勧めてくれた「Cirque de Gavarnie」に向かったんですが・・・

桃ちゃん、歩くのが遅い。



















最初は川沿いを歩くんですが
直ぐに林の中に入ります。














これで見ると「Cirque de Gavarnie」まで1時間と書いてありますが
そもそも駐車場からここまで来るだけでも30分。















砂利道は結構濡れていて、
やっぱり桃ちゃん、サンダルなので靴下が直ぐに濡れちゃってました。

(靴下の替えは持ってたんですが、替えても直ぐに濡れるので車まで我慢。)












ここの観光案内所は地図をくれないんですが
途中にこんな地図看板がありました。

でも見ても一体何処に「Cirque de Gavarnie」があるのか
遊歩道は何処なのか、
今、自分が何処に居るのか全く不明。












どうやらあの滝が目標みたいなんですが、
雨がとにかく激しくなってきて、
傘も時々飛ばされるほど~。












小さめのきすげみたいですよね。















実は観光案内所の人が馬も貸してくれますよって言ってくれたので
桃ちゃんは馬が借りれると思い込んでいて
しかも観光案内所のお姉さんが馬を引く付き添いもお願いしたら大丈夫って言ったけど駄目で、
それなら桃ちゃん一人で馬を操るのは無理だからと借りなかったら
絶対に馬を操れる、スペインで1時間のレッスン受けたから大丈夫と言い張って
もちろんそんなこと、許可出来るわけがないので借りなかったら
桃ちゃんはずっと泣きながら嫌々歩いていたのです。

でも途中からは機嫌直して普通に歩き始めたんですが
何しろ桃ちゃんの靴下がびしょ濡れになり
雨も激しくなって
途中で引き返しました。

フランス人の人達は大人も子どもも、犬も、
ざんざん降りでもたくましくハイキングしてましたけど。












主人もあまりにも雨が激しくて途中で引き返して来たので
主人が自転車で登ろうとした山に車で行ってみることにしました。

主人が上がって行った山の上は実はスキー場で
観光案内所の人は行っても何もないですよと言っていたんですが。













ところが直ぐに道がどんどん狭くなるので
途中でUターン出来ないと困るし
引き返せる場所で引き返しました。



















観光案内所のお姉さんは何もないと言ったけど
途中の景色を見るだけでも素晴らしかったです。














丘の上に白い像。
















そして何故か突然、日が照ってきたので、
さっきまであんなに降ってたのに~とちょっと悔しい気持ち。

主人に

「もう1度引き返して山に自転車で行ったら? 桃ちゃんと私は車で待ってるから。」

と言ったけど、それだったら「Col de Tourmalet(トゥールマレー)」に行きたいと言うので
そちらに向かいました。

カヴァルニーの観光案内所は教えてくれなかったんですが、
ガヴァルニーには博物館もあるらしいし、教会も有名らしくて
主人がもう1度、自転車で上に行くと行ったら町を散策出来たかもしれません。

スペインもそうですが、英語が苦手な観光案内所の人はあまり詳しく教えてくれないので
事前の下調べが必要ですね。





ルルドとジプシー

2014年05月28日 04時42分55秒 | 旅行



バルセローナでジプシーのスリに遭った話しを前に書きましたが、
何も盗られなくて結果的には良かったとはいえ、
あの2人の女性が私をはさんでエスカレーターで体をぴったり寄せていた時の冷たい顔の表情とか、
その後、地図を広げて道を聞くふりをして地図の下から手を伸ばして私の鞄をさぐろうとした事や、
地下鉄の地下道のアコーディオン奏者の所に逃げて彼女達が諦めたけれど
凄い剣幕で怒鳴っていた様子などが頭に焼き付いて、
トラウマになってしまいました。

バルセローナは欧州では一番、犯罪が多いとかで、
警官もあちこちに居るんですが
地下鉄などは入り口も通路も無人が多かったので
犯罪が起こりやすい場所なんでしょう。

でもあれから色々な人に話しを聞くと
どうも危ないのはスペインだけではなく、
欧州全体が危険な感じ。

スペインの方が頻度は高いようで
スペインではシエスタ(長い昼休み)の習慣があって店もシャッターが閉まっているのですが、
その時間は人通りが少なかったりして
地下鉄に乗ったら通路で4人の男性に囲まれて鞄を盗られたとか・・・。

主人の友達はパリの地下鉄で、
ドアが閉まる直前にズボンのポケットから堂々と財布を抜き取られ
彼は財布には殆どお金を入れていなかったけど
クレジットカードが入っていたので国際電話であちこち止めるのに3万ペソ(7万円くらい)使ったとか、

ある人はドイツのモールで置き引きにあったとか、

やっぱりマニラと同じでお金がある人は車で移動し、
公共の乗り物に乗ったり、
盗られそうなものを持って道を歩いたりはしないのが常識なよう。

全ての犯罪がジプシーと関係あるわけではないと思いますし、
むしろそうじゃない方が多いかもしれませんが
バルセローナでは私達が食べてる食べ物を下さいと言ってきたジプシー女性もいて
貧しいのは確かだと思います。

そして今、欧州は国境があってないようなものなので
全て地続きで貧しい人でも別の土地に移りやすいせいで
一つの国の貧しい人も
別の国に簡単に行けてしまうんですものね。






で、パリと同じくらいホテルがあると言われているフランスのルルドなんですが、
一応、カトリックの巡礼地で
訪れる観光客の数もものすごいせいか、
ジプシーがものすごく多かったのです。

私もジプシーに襲われるまでは

「ジプシーってどんな人達なの?」

と全く未知だったのですが、
他の人達とはちょっと違う雰囲気なので気づくようになりました。


ジプシーを日本語のウィキペディアで検索するとこんな風に書いてあります。
(殆どそのままコピーペーストしました)

ジプシー (gypsy, gipsy) は、一般にはヨーロッパで生活している移動型民族を指す民族名。転じて、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっている。外名であり、当人らの自称ではない。

名称について
ジプシーは「西暦1100年にアトスに現れた」とする記録が最古のものとされる。ドイツでジプシーを確認している最古の記録は1407年のものである。1427年にパリに現れた彼らは、「自分たちは低地エジプトの出身である」と名乗った。ここから「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した「ジプシー」 (Gypsy) の名称が生じたと言われる[1]。
近年の日本においては、「ジプシー」は差別用語、放送禁止用語と見做され、「ロマ」と言い換えられる傾向にある。しかし、「ジプシー」には「ロマ」以外の民族も含まれているので、これは他のジプシー民族を無視することになる。



スペインでは街頭で集団で演奏している人もいたし
手作りで紙袋に入ったお菓子を売ってた人もいて
みんなが悪い人ではないと思うんですが、
ルルドで見かけて物乞いをする子どもなどは寒いのに裸足で
学校にも行ってない様子。

多分、決まった場所に住んでないし
住所不定という感じで学校に行かれない場合が多いのでしょう。

スペインではジプシーでも定住して学校に行くようになった子もいると聞いたのですが
フランスではどうなのかしら。

ルルドのジプシーはスペインで見たジプシーより貧しそうでした。












前の写真の緑色の川で釣りをしているおじさん達が居たんですが
これが不思議な気がしました。

川はずっと続いていて
こんな町中で釣りしなくても
ちょっと離れたら川辺とか、もっと落ち着いて釣り出来そうな場所があるんですよね。















アルジェレス・ガゾストの前回紹介した自転車ロッジのご主人なんかは
ルルドなんてディズニーランド化してるから行きたくない、
と言ってるんですが、
本当にルルドの周りのお土産屋さんの数には驚きます。

でもお店がある周辺にはジプシーはあまり居ないし
お店の前に車を停めて
主人の自転車を入れたままルルドの行ったので心配だったんですが
自転車は無事でした。
(レンタカーの人に絶対に自転車を残して車を離れないでと言われた)

ルルドで車の窓を割られて盗られた人を先に聞いていたら
きっと自転車を車に残して置かなかったでしょうけど。

行ったのが夜だったので
(明るいけど夜なので寒かったです)
お店などはもう閉め始めていました。














集団で巡礼に来ている人は同じTシャツなど分かりやすい服装をしているので
見分けがつきます。

ここはルルドの横の入り口。














ベルナデッタという少女に聖母マリアが現れて
言われるままに泉を掘り、
その泉の水で病気が治る奇跡が起こったことから
ルルドの泉と呼ばれて病の人がこの水に浸かる為に訪れる場所になりました。

でもベルナデッタ自身は修道女になったのですが
結核で30代で亡くなっています。

彼女のご遺体は腐らないでそのまま今でも残っているんですが
彼女が入った修道院はリヨンの近くで
ルルドからは遠過ぎて行かれませんでした。

この他、丘の上にも色々な彫刻があって
これらを回って芸術作品を見たかったんですが
時間がなかったこともあり、
主人は前にもう見たから自分は見たくないとかで
行かれませんでした。













記念コインが1つ2ユーロで売られていたので
お土産にいくつか購入しました。














私が30年前に訪れた時はこのプラスチックの筒はなかったんですが
主人は言うには2年前に彼が来た時もなかったそうで
新しく付けたんですね。

やっぱり泉の水と言っても水なので
誰かが毒とか投げたら大変なことになるからかしら。











この洞窟の中で聖母マリアを見たとかなんですが
中では泉の水に浸かることも出来るようです。
女性と男性に分かれていて全裸で入るそうなんですが
寒いので3時だか4時までみたいです。

私は冷たい水に全身浸かる勇気はないです。












洞窟の上にベルナデッタの希望で建てられた教会。
ある司教が尽力して建てられたようです。
















壁に色々な言語で同じ意味の言葉が書かれていて
日本語もありました。










こちらは英語。

















30年前に訪ねた時、知り合いのお医者さんがこの橋の向こうの病院で患者さんを診てあげていて
(ボランディア)
もっと古めかしい、ちょっと小汚い建物だったんですが
モダンな感じになっていました。

でもルルドってやはり病気の方が訪れる事が多いせいか
もうひっきりなしに救急車が来ていました。













教会正面のモザイク画。時代が分かりますね。
(桃ちゃんがすごく小さく見えます)










とにかくどんどん気温が下がるし、
夜なので教会も閉まっていて入れないので
早々に引き上げましたが
世界中からカトリック信者の方が集まっていて
フランスではもうお年寄り以外で教会に行く人はあまり見られなくなったのですが
ルルドの中は別世界なのが良かったです。

そういう意味ではちょっとディズニーランドかもしれませんね。