震災から6年。
色々な思いを思い出す。
いや、、、
思い出すことはいつも
このことかもしれない。
当時、市内の実家は、
テレビで見るような被害はなく
沿岸部に比べたら、早々に
ライフラインも復旧していたんだけれど。
それでも
年老いた両親が
少しの食料や水を求めるのに
何時間も並ばなければならなく、
父が
「身体が辛いから、並びたくない、
立ってることのほうが辛い。
ご飯は食べなくても我慢出来る」
と言っていたことを思い出す。
「食べないと死んじゃうから
何がなんでも頑張って並んで!!」
と泣きながら頼んでいたような気がする。
東京と仙台では離れ過ぎて
替わりに並んであげることも出来ず、
ただただ、心配することしか出来ず
辛かったことを思い出す。
近くにいなければ
出来ないことが多過ぎて、
仙台に、居ない自分を責めて
過ごしていた。
けれど、
ほんの少し落ち着いて、
ヤマト急便が稼働してくれて、
食料や水、割れた食器の変わりなどを
送ることが出来て、
ようやく
自分の存在意義を少し感じることが出来た。
離れているからこそ、
足りないものを
埋めれるかもしれない。と。
それは、
気持ちなのか、物なのか、
分からないけれど。
そんな父は亡くなり、
母を支えてくれているのは
弟で。
頼りないと、おもっていた弟は
やっぱり、そんなに頼れない部分もあるけど
思ってたより、頼れる部分もあったりして。
復興を願いながら
東北の食材や、グッズなんかを買って
応援しているつもりになっている
今日でした。
震災のことは
忘れません。
故郷が活性化するよう
離れているからこそ
やれることを
やっていこうと
思います。
色々な思いを思い出す。
いや、、、
思い出すことはいつも
このことかもしれない。
当時、市内の実家は、
テレビで見るような被害はなく
沿岸部に比べたら、早々に
ライフラインも復旧していたんだけれど。
それでも
年老いた両親が
少しの食料や水を求めるのに
何時間も並ばなければならなく、
父が
「身体が辛いから、並びたくない、
立ってることのほうが辛い。
ご飯は食べなくても我慢出来る」
と言っていたことを思い出す。
「食べないと死んじゃうから
何がなんでも頑張って並んで!!」
と泣きながら頼んでいたような気がする。
東京と仙台では離れ過ぎて
替わりに並んであげることも出来ず、
ただただ、心配することしか出来ず
辛かったことを思い出す。
近くにいなければ
出来ないことが多過ぎて、
仙台に、居ない自分を責めて
過ごしていた。
けれど、
ほんの少し落ち着いて、
ヤマト急便が稼働してくれて、
食料や水、割れた食器の変わりなどを
送ることが出来て、
ようやく
自分の存在意義を少し感じることが出来た。
離れているからこそ、
足りないものを
埋めれるかもしれない。と。
それは、
気持ちなのか、物なのか、
分からないけれど。
そんな父は亡くなり、
母を支えてくれているのは
弟で。
頼りないと、おもっていた弟は
やっぱり、そんなに頼れない部分もあるけど
思ってたより、頼れる部分もあったりして。
復興を願いながら
東北の食材や、グッズなんかを買って
応援しているつもりになっている
今日でした。
震災のことは
忘れません。
故郷が活性化するよう
離れているからこそ
やれることを
やっていこうと
思います。