絵日記を、かきたい気持ち

毎日、たくさんの思いが浮かんでは消えます。そんな思い、フランスのこと、ヨーロッパのこと、気ままに綴っています。

●ロレーヌの春の楽しみ

2005年04月25日 | 思ったこと
よい天気になったらり、冬に逆戻りしたりしながら、ロレーヌ地方にも、やっと春がやってきました。

今は、花の季節。5月1日には、連れと、いつも山を散策して、すずらんをたくさん取ってきていました。

フランスでは、5月1日のすずらんは、幸福を呼ぶと呼ばれています。そして、この日は、許可なしに、だれでも、山で採ってきたすずらんを、町の路上で売ることができるのです。

ナンシーでは、この季節、すずらんはまだ、はしりで、なかなか見つけるのは、山の場所をよく知っていなくてはいけないのですが、毎年、同じ山の同じ場所あたりに、探しに行ったものです。

たくさんとってきたすずらん、結局、一度も街頭で売る勇気がなくって、決行できなかったけれど(幸せを運ぶのだから、楽しそう。物を、一度も、売ったことがない私には、いい経験だったのかも)、友達や、家族、知り合いや、はては、町行く、見知らぬ人にあげたりして、ものすごく喜ばれたものです。






春には、いろんな楽しみがあるけれど、今、すごく懐かしく思うのは、タンポポのサラダなのです!

このタンポポのサラダは、春先に、まだタンポポが花をつけていないときに、収穫します。といっても、わたしは、連れの田舎の親戚のうちの庭に、いつも、おばあさんと採りに行っていました! なんたって、わたしは、きのこ狩りや、イチゴ狩り、自然の中のなにか食べるものを探して、料理をするのが、大好きなのです。



 
<花が開いたら、もうタンポポのサラダのシーズンは、おしまい。
葉が硬くなって、おいしくないのです。>



タンポポを採りに行くのは、雨の上がった翌日が一番いいのです。根っこから、にんじんを抜くように採るので、地面がやわらかいほうがいいのですね。

こうして、たくさん採ったタンポポは、柔らかい中心の葉の部分を、丁寧に選らなくてはいけません。これが、かなり時間のかかる作業なのですが、おしゃべりをしたり、音楽を聴いたり、ゆったりした時間をすごす口実にもなります。

選ったタンポポの、新芽は、フレンチドレッシングで、胡桃を砕いたものをいれたり、または、ベーコンをいためたものを乗せて、食べるのです。わたしは、ベーコンを乗せたものが、程よく味があって、とても大好きです。


予断ですが、タンポポは、フランス語で、Pissanlit(ピーソンリ)といいます。Pipi(ピピ)とは、フランス語で「おしっこ」という意味。利尿作用があることから、このように呼ばれるようになったということです。






先日、ロレーヌの方から、電話がありました。ロレーヌの桜ももう満開。そろそろタンポポの季節もの終わりです。

これから、ロレーヌは、花が咲き乱れる、よい季節になります。



 
<日本の春一番、と呼ばれる、桜。
日本より、開花の時期が遅い。>








●大好きな、ポルトガル

2005年04月24日 | ヨーロッパのこと
最近、ずっとご無沙汰になってしまった、コチラのプログ。新しくちゃんとしたHPを作ろうというのも、表紙だけ作って、あとはちっとも進んでいません。やりたいことはたくさんあるのに、全部はなかなかできません。

実生活でも、いろんな新しいことを始めて、PCにゆっくり向かう時間がないことが、大きな理由なのですが、一度に何もかもすべてはできないので、徐々に、時間のあるときを見つけながら、やめないでいることが、大切、と思っています。





さて、今日は、ロレーヌのことは、お休み。ポルトガルの旅行のことを思い出しています。

でも、今日は、ポルトガルの歴史や文化のことじゃなく、単なる思い出です。こんな、気楽な思い出を書くのもいいかなぁ、と自分で勝手に思っています。


私が、ポルトーでも、リスボンでも、ポルトガルで、一番、通ったのは、美術館でもなく、バーでもなく、(もちろん、美術館やコンサートもたくさん行きました)、FNAC(フナック)なのです!

FNACは、フランスにもある、大型CD+本屋さんなのですが、これをポルトーで見つけたとき、わたしは、狂喜してしまいました。そして、わたしのFNACがよいが始まるのです。毎朝、毎夕、一日に二回は通うので、つれも、うんざり。2日目くらいから、「一人で行って」といわれてしまいました。私は一人で行くほうが、のんびりできていいのですが・・・。FNACは、8時くらいまで、営業しているので、観光が終わったあとでも、ゆっくりいけるのです。


本屋さんに行くのは、大好きなのですが、知らない町の、知らない本屋さんに行くのは、もっと好きです。


これだけ通って、本を何冊も買って、実は、わたし、そのとき、ポルトガル語を勉強したことがなかったのです!旅行に行くために、小さな「会話集」を買って、それを飛行機の中では読みましたが、ポルトガル語の知識はそれだけ。


でも、ポルトガルに行って、ちゃんとした本屋さんを見たとき、俄然、何かが、私の中で、燃え上がりました。この言葉で、本を読みたい!と思ったのです。


わたしの、言語に関する興味は、その国の出版物と出版量と大きく関係しています。たくさん、読みたい本がある言語には、ものすごく惹かれます。いつか、この面白い本を原書で読みたい!とおもうのです。

そして、自分で言うのもなんですが、わたしは、「よい本」を探し出すのに、結構いいカンをもっています。たとえ、知らない言語でも、装丁のしかた、文字の並び具合、いろんな要素から、その本が、「いい本」かどうか、なんとなく、わかるのです。(この場合、「いい本」とは、自分に何かをもたらしてくれる本、という意味)

そして、本屋のよしあしも、本の取り扱われ方、本屋の本の並び方、客層、店員の態度で、なんとなくわかってしまうのです。さすがに、いろんな本屋に通いつめただけ、ある!


そして、私のなかで、ポルトガル語を読めるようになったら、自分にとって、「いい本」が、たくさん読める!、なんとなく思ったのです。もちろん、本の内容は、文化や歴史と大きく関係しています。だから、そのベースには、その国の文化や歴史に、興味があった、というだけのことかもしれませんが・・・・。



そんなわけで、ポルトガルでは、30冊ほどの本を買い込みました。ポルトガル語の動詞の活用の本を買って、その夜から、勝手に読み始めました。ポルトガルには、スペイン語の本も割合、多く、取り揃えているし、観光地では、英語に翻訳された歴史の本もありました。


もちろん、いつも買う、「星の王子様」のポルトガル語版と、ポルトガルの童話も、忘れることなく・・・・。




去年は、結局旅行の後、仕事で忙しくて、ポルトガル語など、ちっとも勉強する時間がなかったのですが、最近、やっといろんなことが落ち着いて、自分の時間を満喫できるようになりました。プログも、そのひとつ。そして、すっかりさび付いてしまっていた、いくつかの言語。そして、ポルトガル語を、ぼちぼち、独学なんですが、始めることができるようになり、ポルトガル旅行で買った、動詞の活用集を引っ張り出して、毎日、頭を突っ込んでいます。


ポルトガル語は、スペイン語ととても似ているので、文章を読めば、ある程度の情報は入ってくるのですが、逆に言うと、活用がとても似ていて、スペイン語のおさらいも、ときどきしないと、間違って覚えてしまいます。

でも、こんな時間を持てるようになって、自分らしくて、とても楽しいのです。


下手の横好き、というか、好きなだけで、大して力にもなっていないのですが、いろんな人間たちが生きた証を、いくつかの言語で、いろんな角度からみたいなぁ、そして、人間というものと、もっともっと、(おこがましいけれど)理解したいなぁと、そんな野望を持っています。


いろんな言語を使って、あるひとつのことを調べると、いろんな見方が見えてくるのですね。とても、不思議で、たのしい作業です。同時に、自分のこと、周りで起こっている現象、見方が、多角的なってくるような気がします。



いろんなものをくれた、ポルトガル旅行、これから、もっとたくさんの、「いい本」との出会いがあればいいなぁ~と思っています。

















●ロレーヌの七色のクリスタル、ドーム

2005年04月01日 | フランス、ロレーヌ地方のこと
ドームの歴史は、一言でいって、ロレーヌの、19世紀からの、ドーム一家の人々の歴史を語ることなのです。


七色のクリスタルを作り出す、ドーム工房の歴史は、ジャン・ドームから、始まります。( Jean DAUM (1825-1885)。彼は、ナンシーの東北部にある、ビッシュ( Bitche )という小さな町で、公証人をしていましたが、1871年に、ナンシーに居を構え、1878年、ナンシーにガラス工房を作り、工房の経営者になります。

ジャンには、二人の息子がいました。一人は、法律家になるべく、パリ大学法学部で、勉強をし、公証人として働いていた、弟、アントノン(Antonin、1864-1930)。もう一人は、後に、ガラスの職人・技術者として、ナンシー、リュネヴィルで勉強をし、資格をとった、兄、オーギュスト(Auguste、1853-1909)。

弟アントノンは、父ジャンが、ガラス工房を設立した翌年、公証人としての仕事をやめ、工房の経営に、乗りだします。兄オーギュストは、1887年にガラスの勉強を終え、この家族経営のガラス工房に、ガラス作家として、また技術者として、加わるのです。


実は、調べた限りでは、(今のところ)、なぜ、父親のジャンが、50歳にもなって、公証人としての仕事やめ、畑の違うガラス工房の経営などに乗り出したのか、分かりませんでした。

兄オーギュストの情熱が、父にも乗り移ったのか、父ジャンが、以前から、ガラスに惹かれていたのか?

わたしは、後者じゃないのかなぁ、となんとなく、想像しています。父親ジャンの出身地、ビッシュは、ロレーヌの中でも、一番古くから、クリスタルをしてきました。ビッシュは、ガラス生産のための原料の砂、火を作る森の木々、そして水に恵まれ、ガラス、クリスタルを生産するには、とても恵まれた土地でした。

父のジャンも、幼いオーギュストやアントノンも、こうした土地の伝統工芸であるガラスや、クリスタル細工の生産や、製品を、小さな頃から、まぢかでみて慣れ親しんでいたのでしょう。



ガラスに関する勉強を志したオーギュストは、才能豊かなガラスデザイナーでもありました。もともと、この家族には、実務的な面と、芸術を愛する心が、矛盾することなく、一家の血の中に、流れていたのでしょう。そうでなければ、父のジャンが、このように、人生のキャリアの最終章で、鮮やかに転身するなど、考えにくいのです。




ともかく、弟のアントノンが、経営の才に恵まれていた一方で、兄のオーギュストは、製品自体のデザイン、ガラス自体を作り出す想像力に満ちた触れていたようです。


この兄弟の経営するドーム工房は、エミール・ガレが先頭を切って、生み出した、ナンシー派、アールヌーボーという、時代の流れにのっていくのです。(アールヌーボーについては、以前の日記、●アールヌーボーの町、ナンシーで、ほんの少しふれました。)


ドーム工房の、ガラス(クリスタル)作家(兼、共同経営者)として、ジャック・グルベール(Jacques Gruber、パリのメトロの入り口など、有名な作品が多い) を、味方にしたのも、大きな成功の要因でした。




<オーギュストの作品>





しかし、エミール・ガレが、1904年に、亡くなった後、アールーヌーボーの芸術形式は、徐々に陰りを見せ始めます。

そして、アール・ヌーボーの優美な曲線や繊細な装飾性とは対照的に、直線的でダイナミックで、シンプルなデザインによるきわめて現代的な感覚を志向した、アール・デコ、という新しい様式が、1920年を頂点に、一世を風靡していくのです。

そんななか、保守的な、ガレ様式のガラスしか作らなかった、ガレ工房は、どんどん衰退し、ついに年には、1931年に、工房を閉めることになりました。




一方、ドーム兄弟は、1909年に兄のオーギュストが没して、ドーム兄弟時代の幕を降ろすことになるのですが、その次の世代のドームを担ったのは、オーギュストの息子、ジャン(Jean)、そしてその弟のポール(Paul)でした。

二人の兄弟は、叔父アナトナンを助け、ドームのガラスは、新時代へ向けての、さらに、芸術性を高めていったのです。




<今日のドーム、バラの花瓶。これなら、赤いバラを活けてもいいかも?>




ここが、ドームのすばらしいところ、また、強いところ、だと思うのですが、天才肌のガレが、一代で終わってしまったのにくらべ、家族経営のドーム工房は、この新たにやってきた時代を、新たなやわらかい、柔軟性を持って、迎えるのです。

家族経営といっても、家族長が、権威を持って、すべての決定権を握るというより、ドームの場合は、役割が分担され、その経営が、民主的のような印象を受けます。

そのため、新しい時代に向けても、いろいろなアイディアが、客観的に議論され、さらに躍進することになったのではないでしょうか?


ドームは、アール・デコの時代の動向を確実にとらえ、人々の趣味の志向に柔軟に順応し、時代の思潮的趨勢や大衆の欲求を先取りするような斬新な作品の独創に情熱を傾けていきます。

そして、斬新な、ガラス作家を次々に工房に向かえ、逆に、アール・デコのガラスの象徴的な存在として、世界に迎えられることになったのです。


ドームの歴史は、現代まで、まだまだ続くのだけれど、それは、また機会があれば・・・。(ガラス工芸には、まったく疎いので、疲れた!)


こうしてドームの歴史を振り返ると、天才的な芸術家たちというより、ドームは、芸術を愛する、堅実な一家の物語、という風に、わたしには思えてなりません。

ドームは、アール・デコの時代が終わっても、再び、戦後、新しい時代の流れを取り入れながら、今日に至っています。


ドームの特色のいくつかをあげると、デザインの単純化、ガラス素材の見直しと素材自体の美的追究、色彩のフォルムの簡素化、鉄枠素材の併用、幾何学的な構成、重量感などだそうなのです。

それでも、美しい色使いや、軽やかなフットワーク、植物、動物をモチーフにした伝統は、今でも、守られているような気がします。



<ナンシー、巣タニスラス広場にある、ドームのお店。
手前の猫は、525ユーロ、向こうのランプは、1200ユーロと、表示があります>



わたしは、最初は、ドームのどこがいいのか、ちっともわかりませんでした。ナンシーに来る前までは、ドームすら知りませんでしたから!

でも、じっと見ていると、不思議に、ドームは、飽きが来ないのです。植物や、動物の表情も豊かで、なんといっても、その色合いがとても豊か、とても深い。確かにバカラのような鋭い美しさでは、ないのですが、なんというか暖かく、人間味にあふれている、生きているクリスタル、そんな印象を受けるのです。




<宝石いれ。日常使いの宝石を、夜寝るとき、はずし、この中において、ドレッサーや、ナイトテーブルに置いておいたり・・・>

優しい色合いの、クリスタルは、いいものですね。




昨日、ナンシーから送った、ドームのちいさな包みが届いたと、母から連絡がありました。

今日は、だから、ロレーヌが、バカラとともに誇るクリスタルのブランド、ドームについて知ってもらうために、ほんの少し、その歴史を書いてみました。