絵日記を、かきたい気持ち

毎日、たくさんの思いが浮かんでは消えます。そんな思い、フランスのこと、ヨーロッパのこと、気ままに綴っています。

●大好きな、ポルトガル

2005年04月24日 | ヨーロッパのこと
最近、ずっとご無沙汰になってしまった、コチラのプログ。新しくちゃんとしたHPを作ろうというのも、表紙だけ作って、あとはちっとも進んでいません。やりたいことはたくさんあるのに、全部はなかなかできません。

実生活でも、いろんな新しいことを始めて、PCにゆっくり向かう時間がないことが、大きな理由なのですが、一度に何もかもすべてはできないので、徐々に、時間のあるときを見つけながら、やめないでいることが、大切、と思っています。





さて、今日は、ロレーヌのことは、お休み。ポルトガルの旅行のことを思い出しています。

でも、今日は、ポルトガルの歴史や文化のことじゃなく、単なる思い出です。こんな、気楽な思い出を書くのもいいかなぁ、と自分で勝手に思っています。


私が、ポルトーでも、リスボンでも、ポルトガルで、一番、通ったのは、美術館でもなく、バーでもなく、(もちろん、美術館やコンサートもたくさん行きました)、FNAC(フナック)なのです!

FNACは、フランスにもある、大型CD+本屋さんなのですが、これをポルトーで見つけたとき、わたしは、狂喜してしまいました。そして、わたしのFNACがよいが始まるのです。毎朝、毎夕、一日に二回は通うので、つれも、うんざり。2日目くらいから、「一人で行って」といわれてしまいました。私は一人で行くほうが、のんびりできていいのですが・・・。FNACは、8時くらいまで、営業しているので、観光が終わったあとでも、ゆっくりいけるのです。


本屋さんに行くのは、大好きなのですが、知らない町の、知らない本屋さんに行くのは、もっと好きです。


これだけ通って、本を何冊も買って、実は、わたし、そのとき、ポルトガル語を勉強したことがなかったのです!旅行に行くために、小さな「会話集」を買って、それを飛行機の中では読みましたが、ポルトガル語の知識はそれだけ。


でも、ポルトガルに行って、ちゃんとした本屋さんを見たとき、俄然、何かが、私の中で、燃え上がりました。この言葉で、本を読みたい!と思ったのです。


わたしの、言語に関する興味は、その国の出版物と出版量と大きく関係しています。たくさん、読みたい本がある言語には、ものすごく惹かれます。いつか、この面白い本を原書で読みたい!とおもうのです。

そして、自分で言うのもなんですが、わたしは、「よい本」を探し出すのに、結構いいカンをもっています。たとえ、知らない言語でも、装丁のしかた、文字の並び具合、いろんな要素から、その本が、「いい本」かどうか、なんとなく、わかるのです。(この場合、「いい本」とは、自分に何かをもたらしてくれる本、という意味)

そして、本屋のよしあしも、本の取り扱われ方、本屋の本の並び方、客層、店員の態度で、なんとなくわかってしまうのです。さすがに、いろんな本屋に通いつめただけ、ある!


そして、私のなかで、ポルトガル語を読めるようになったら、自分にとって、「いい本」が、たくさん読める!、なんとなく思ったのです。もちろん、本の内容は、文化や歴史と大きく関係しています。だから、そのベースには、その国の文化や歴史に、興味があった、というだけのことかもしれませんが・・・・。



そんなわけで、ポルトガルでは、30冊ほどの本を買い込みました。ポルトガル語の動詞の活用の本を買って、その夜から、勝手に読み始めました。ポルトガルには、スペイン語の本も割合、多く、取り揃えているし、観光地では、英語に翻訳された歴史の本もありました。


もちろん、いつも買う、「星の王子様」のポルトガル語版と、ポルトガルの童話も、忘れることなく・・・・。




去年は、結局旅行の後、仕事で忙しくて、ポルトガル語など、ちっとも勉強する時間がなかったのですが、最近、やっといろんなことが落ち着いて、自分の時間を満喫できるようになりました。プログも、そのひとつ。そして、すっかりさび付いてしまっていた、いくつかの言語。そして、ポルトガル語を、ぼちぼち、独学なんですが、始めることができるようになり、ポルトガル旅行で買った、動詞の活用集を引っ張り出して、毎日、頭を突っ込んでいます。


ポルトガル語は、スペイン語ととても似ているので、文章を読めば、ある程度の情報は入ってくるのですが、逆に言うと、活用がとても似ていて、スペイン語のおさらいも、ときどきしないと、間違って覚えてしまいます。

でも、こんな時間を持てるようになって、自分らしくて、とても楽しいのです。


下手の横好き、というか、好きなだけで、大して力にもなっていないのですが、いろんな人間たちが生きた証を、いくつかの言語で、いろんな角度からみたいなぁ、そして、人間というものと、もっともっと、(おこがましいけれど)理解したいなぁと、そんな野望を持っています。


いろんな言語を使って、あるひとつのことを調べると、いろんな見方が見えてくるのですね。とても、不思議で、たのしい作業です。同時に、自分のこと、周りで起こっている現象、見方が、多角的なってくるような気がします。



いろんなものをくれた、ポルトガル旅行、これから、もっとたくさんの、「いい本」との出会いがあればいいなぁ~と思っています。

















●イタリア 冷たい雨の降るあたたかい町、ボローニャ

2005年03月10日 | ヨーロッパのこと
イタリアに旅行したときの資料、地図や、訪れた美術館のチケット、ハガキ、ガイド、そんなものは、すべてフランスの本土、または、日本に送ったまま、この島にやってきたので、埋もれていた記憶を掘り出しながら、書いています。

おもしろいけれど、資料もなしに、記憶だけで、旅したイタリアを思い出そうとすると、そのときの、強い感情だけがよみがえります。

だから、こうして、気のむくままに、その胸におこった強い感情だけを思い出しながら書くほうが、ほんとうに感動したことだけを、文字にすることができるのかもしれないと、はたと、こうして、PCに向かいながら、思ったりもするのです。




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チンクエ・テッラの次は、そのときの空気の冷たさまで思い出してしまう、ボローニャの町。


ボローニャは、日本にいたときから、ミラノやローマを押さえて、いつか行きたいなぁと思っていた、イタリアの町の一つでした。

ボローニャには、世界最古の大学があるのです。

12世紀初頭は、世の中が変わって、いろいろな地域から、新しい物や知恵が入ってき、それまであった、道徳観や、価値観が、揺れはじめた時代でした。その変化とともに、農産物の集散地として交易が盛んになってきた、ボローニャの町には、あらたな商取引や、それについての、法律の知識が、新たに、必要になってきました。

そのような、法律の知識を知りたい、勉強したいという青年たちが、同じような志を持つ者たちの組合をつくり、法律に詳しい先生を招き、授業の内容も、知りたい者、つまり生徒の方が提示し、先生は必要な報酬を要求して、話し合った結果出来たのが、ヨーロッパで一番古いボローニャ大学(創立1119年)だったのだそうです。

(同じ頃に遅れて出来た、パリ大学の創立は、1150年。こちらは、先生が集まって、作った大学)



わたしがこの街に来たのは、冬でした。フランスから、ミラノ駅に朝早く着き、そこから、車を走らせ、冷たい雨の中のふるボローニャに着きました。だから、わたしのボローニャの思い出は、いつも雨にぬれています。そして、このボローニャが、わたしは、一番好きです。

雨に濡れそぼっていても、ボローニャの町は、赤いレンガで敷き詰められ、全体的に、ほのかな、あかりが漂っているようです。

有名な大学があっても、ボローニャは、小さな町。街の見所は、徒歩で充分。駅前から、目抜き通りのVia del Indipendenza インディペンデンツァ通りにぬけます。そして、この通りを10分ほど歩けば、あっという間に街の中心にある、Piazza Maggiore マッジョーレ広場に到着します。このあたりは、17世紀頃の建物がそのまま残されて、人気の少ない街を歩くと、中世のヨーロッパに、迷い込んだよう。(下に、地図あり)


赤いレンガ、ポルティコ(柱廊)は、この街の景観も独特なものにしています。ポルティコとは、赤レンガのアーケード。古い建物の一階部分が、屋根付きの廊下状になっていて、雨や強い日差しを避け、街の主要部分を行き来できるように、つくられています。

いまでは、カフェのテラス席になっていたり、職人さんが軒下で作業していたり、ボローニャの人たちの、生活の中にく取り入れられています。雨の日の散策にも、とても便利。






ボローニャには、ボローニャの斜塔 (Torri Pendenti)と呼ばれる、古い、町の中で一番、背の高い、二本の塔があります。この二本の塔は、傾きながらも、創建当時の12世紀の面影を残しています。

高い方のTorre degli Asinelli アネッリの塔は97mの高さがあり、498段の階段を登れば、ボローニャの街を、一望することができます。ただし、老朽し、かつ狭い階段を登り下りするのは、かなり勇気と元気が要ります。

でも、頂上に上ったときの、すがすがしさといったら!冬の午後の、湿った冷たい空気が、空を薄いブルーに染め、下からは、ボローニャの町のばら色が立ち上っていました。

観光シーズンではないボローニャの斜塔の上には、人影もまばら。それでも、子供づれの家族が、ちらほらみえました。そのとき街の車の音を、遠くしたに聞きながら、静かに音もなく、下の街から、青と銀のイルカの形をした風船が、薄い水色の空に、ふわりふわりと、あがってきたのです。

どこかの子供が、うっかり、手を離してしまったのでしょう。塔の上のいた少女が、それを見つけて叫びました。

「Guarda, Manma! C'e il delfino nel cielo! (ママ!見て! イルカが空にいる!)」

まだ、イタリア語を習い始めたばかりだった、そのときのわたし。きっと、いつかイタリア語を、わかるようになろう、そんな気持ちで、何度も何度も、「イルカが空にいる」と、口の中で繰り返したのを、昨日のように、そのときの空の色とともに、思い出します。


この旅行をした当時、わたしは好きだった人がいたので、この時のイタリアの旅は、景色よりも、ずっと、そのときの、心の動きのほうが、印象に残っています。そして、一生懸命だった自分をいとおしむ気持ちで一杯になります。

また、フランスに来て、まだ、あまり間もなかったとき、まだ、言葉も分からず、おろおろすることも、たくさんあった、そんなわたし。

いまじゃあ、すっかり、ふてぶてしいブルドッグのように(?)、なってしまったけれど、もっともっとみずみずしい、甘い泡のような夢を見ていた、そのときのわたし。








ボローニャ、わたしには、冷たい雨が降っても、あたたかい思いで一杯になる、懐かしい街。
















●イタリア 小さな地中海の町々 Cinque terra

2005年03月10日 | ヨーロッパのこと
イタリアには、たくさん思い出があって、どれからはじめていいのか、わかりません。

おおきな、ミラノやローマの町の話をしてもいいし、フィレツィエや、べネツィアの美しい町並みを書いてもいいのだろうけれど、本当に、わたしが好きなイタリアは、しずかな郊外の、ちいさな田舎町にあります。

大きなイタリアの町は、まるで集団になったイタリア人のようです。陽気で明るくて、さわがしく、大きな声が飛び交っている。すばらしく手の込んだ、美しい建物が、あちらにも、こちらにも、これみよがしに建っていて、圧倒的です。

イタリア人の美意識は、フランス人のそれよりも、もっと鋭く、繊細に磨かれていて、細部までこだわりがあり、細部まで見ていても、飽きることがありません。

イタリアは、どんなに長くいても、わたしにとっては飽きることがありません。


それでも、いつか、わたしがイタリアに住むのだったら、喧騒の絶えない大きな町ではなく、地中海に面した小さな町、ラ・スぺティア(La Spezia) の郊外でありたいな、と思うのです。

ラ・スペテリアは、ジェノバとピサの中心に位置した、地中海に面した小さな町です。この町自体は、これといって見所はないようで、わたしもほとんど覚えていません。

わたしの思い出に深く残り、そして、いつか住んでみたいと思うのは、ラ・スペティアの郊外にある、Cinque terra というちいさな五つの田舎の村です。





チンクエ・テッラ、Cinque terra = チンクエはイタリア語で五つ、テッラは古い言い方で町、村という意味。その名のとおり、五つの、地中海に面して連なった、ちいさな村々をひっくるめて、こう呼ぶのです。

その5つの村とは、
Riomaggiore(リオマッジョーレ)からはじまり、
Manarola(マナローラ)、
Corniglia(コルニッリャ)、
Vernazza(ヴェルナッツァ)、
Monterosso(モンテロッソ)


わたしが、何日か、とまったのは、最初の、Riomaggiore(リオマッジョーレ)の民宿で、シーズンオフの冬の休暇中でした。

浜辺は、閑散としており、ここに住んでいる住民だけが、浜のそばを通る道を往来します。

このしずけさこそ、わたしが好きなイタリアです。普段は騒がしい、大声でおしゃべりのするイタリア人が、ふと美しいものを見つけたときに、一瞬、黙り込む、そんな瞬間のしずけさ。もしくは、イタリアの教会の中を通り抜ける風のような、冷たいしずけさ。そんなしずけさがある村なのです。

もちろん、これは、チンクエ・テッラの冬の顔。夏になれば、日光浴をしに、多くの観光客がこの町を、訪れます。


Riomaggiore(リオマッジョーレ)から、隣の村、Manarola(マナローラ)までは、海外沿いに遊歩道があります。右手に地中海、左手に丘に挟まれた、美しい小道です。

わたしがいったときも、この遊歩道を、若いカップルが、ことば数もすくなく、手をつないで、歩いていました。

Riomaggioreから、Manarolaへ行く途中、Via dell' Amore(愛の道)と呼ばれる通りがあります。ここで恋人同士は、キスをするのがならわし、とも聞きました。(イタリア人は、いつもキスをする口実に、事欠きませんね!)


さらに、丘に続く小道を歩けば、次の村、Corniglia(コルニッリャ)にたどり着きます。この町じゃなかったかしら、アメリカ人作家、ヘミングウェイが、訪れたことがあるというのは・・・。

海にせり出すようにして建てられた、美しい建物。その冬の海の反射する光に照らされた、あわいパステルカラーの村の風景は、深く深くこころに刻まれています。

いつか、きっとそこに住みたい。そんな、気持ちがあります。


チンクエ・テッラを貫く小道。

そのとき、わたしは、どんな顔をして、歩いていたのだろう?

見てみたいような、恐いような、そんな気持ち。







●ドイツへの旅、南西の町、カールスルーエ

2005年03月03日 | ヨーロッパのこと
写真は、ドイツ南西部の街、カールスルーエのお城。

カールスルーエは、フランスとの国境に程近い、中規模の町です。(地図を持っている方、ストラスブールの北部、フランクフルトからは北西の町です)

わたしは、このカールスルーエに、何度も通いました。わたしのすんでいたフランスの町から、車で高速道路を通って、一時間半。しようと思えば、日帰りでできる、外国旅行です。

ヨーロッパのおもしろさって、わたしには、ここにあるんです。車を走らせれば、外国にたどり着く。いろんな文化やことばが、あの小さな地域にぎっしり詰まって、場所を変えるたびに、ことばも違う、風景も違う、町並みも違う、果ては、メンタリティーまで変わってくる。



わたしは、この街に、一時間半、車を走らせて、ちょこっと旅行するのが大好きで、週末に、時々でかけたり、友達のうちで夏や冬の数日を過ごしたものでした。

カールスルーエは、観光都市ではないので、あまり知られていないのですが、ドイツ的な町並みの美しい、活気のある町です。この街は、1715年に、カール公爵が、巨大な森を切り開いて造ったのが始まりだそうです。ドイツの「黒い森」の、すぐふもと。フランスから走ってきても、森を潜り抜けて、カールスルーエにたどり着きます。

カールスルーエは、上の写真の、カールスルーエ城を中心として放射状に主要道が伸びているので『扇の街』とも呼ばれます。第二次世界大戦で町の多くが破壊され再興する際に、以前の町の美しさを復元するというコンセプトの元で、復興されたのだそうです。

このカールスルーエ、よくメディアに登場してくるのは、憲法裁判所と連邦最高裁判所という、2つの連邦最高司法機関があるため・・・(なのだけど、見学はしたことがないのです~)。

そして、すごく大きな地方図書館があって、もうその蔵書といったら!!! 本好きのわたしには、何日いても飽きないくらい、いろんな本がぎっしり。(これに行かれないのは、淋しい~)


この街の楽しさは、町に活気があって、ドイツの活き活きした生活を楽しめるところです。ローテンブルグのような、中性に迷い込んだ雰囲気はないけれど、トラムがたくさん走る街を、夏にアイスクリームを食べながら歩いたり、ショッピングをしたり(フランスにはない、ドイツの素敵なものがたくさんある!)、お城の大きなお庭でのんびり過ごしたり、一日中いても、たっぷり楽しめる街です。



ドイツは、フランスほど料理が語られないところだけれども、わたしはドイツで食べるソーセージや、街角で食べる「ちょっと一口」が大好きです。洗練されているとは、いえないけれど・・・・ネ。


フランスから、ドイツに来て、すごく感じるのは、ココではヒトが、なんだかおっきい。フランスでも、決して、大きくはないわたしですが、ここに来ると、小人のよう。そんな感覚も楽しい、大好きなドイツの小旅行のお話でした!







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<今日のことば>

光の戦士は、信じる。
奇跡を信じるからこそ、彼に、奇跡が起きる。
人生を変えることができる、と信じるからこそ、人生は変わる。
愛にめぐり合うと確信があるからこそ、愛にめぐり合う。
時には、勇気を失い、時には傷つくこともある。
でも、光の戦士は、知っている。
かならず、報いられるということを。
一度の負け戦は、二度の勝利を導く。
これらを、彼は、信じ、胸に刻んでいる。

パウロ・コヘーリョ  「光の戦士のおぼえ書き」より





●ルクセンブルグのぶどう畑と、多言語教育

2005年02月27日 | ヨーロッパのこと
新しいプログを作りたかったのは、下の画像を載せたかったかもしれません。わたしの中で、いろんな風景と、その風景をとりまく思い出がしまいこまれているのだけれども、それを、ちゃんと言葉で、書いてみたかった、そんな思いも、強くあったのかもしれません。

去年の夏、ルクセンブルグのブドウ畑を車で走ったときの、画像です。

その日、ルクセンブルグで、ゆっくりモーゼル川沿いの道を、車を走らせながら遡り、蝶博物館を訪ねるつもりでいました。でも、実際は、朝、モーゼル川を船で観光した後、あまりの暑さに、博物館見学を切り上げて、早々に、帰ったのでした。この日の、ゆったりした一泊旅行は、「ちょっとしたサプライズ・プレゼント」だったので、とても嬉しくて、それでこの画像に思い入れがあるのかもしれません。

ぶどう畑は、とても広くて、どこもかしこもぶどうの木の列が、きれいに並べられていました。このあたりは、白ワインの産地。ここからドイツに向かって、モーゼル川を登っていくと、美しいワイン街道があります。このモーゼル川をさかのぼるドライブ、何度かしましたが、いつ行っても、清潔で、きちんとした、安心できる美しさがあります。これが、ドイツ的な美なのかもしれません。

このあたりの風景が、わたしは大好きです。

南フランスの野性味を帯びた、赤ワインの畑と違い、洗練された貴婦人のような美しさがあります。色合いの淡い、汚れの一つもない清潔な風景。(わたしにとって、西南仏は、「好き」を超えている地域だけれども)



(画像のサイズを変えているうちに、なぜかちょっとポケちゃった・・・。面倒だから、このまま!)

思えば、大学生のとき、初めて旅行したヨーロッパも、モーゼル川を起点としたのでした。初めてのヨーロッパの旅、おろおろドキドキ、心細さの連続でした。

フランクフルト空港から、初めて乗ったドイツの電車、マインツに下りながら、見下ろしたモーゼル川の美しさ。そのとき、「ヨーロッパは、なんて美しいのだろう」、一人で車窓から緑の木々が流れるのを見ながら、思ったのでした。今でも、その景色が目にはっきりと浮かびます。その頃は、異国的なものに、あこがれていた時期だったのでしょうね。

その後、いつか、自分が、こんなに長居をすることになるとは、まったく思いもしなかったけれど・・・、そのときに、縁を作ってしまったのかな???


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ルクセンブルグには、すんだことがないのに、何度も何度も、行きました。

この国には、フランスのメッスから北部の町に住む、たくさんのフランス人が、毎朝、電車で、通勤してきます。

ルクセンブルグは、物価が高い(サラリーが高い)ので、こちらの国で働き、住居は、比較的安いフランスに構える、そんな人が、毎朝、7時前後の電車にゆられて出勤するのです。

電車の中の、出勤風景のフランス人、寝ている人は、ほとんどいません。一人で通勤の人は、英語か、フランス語の本を読んでいますが、多くの人は、同僚と連れ立っています。出勤=電車の中は、朝から、男女の、小鳥のさえずりのような、ざわめきで一杯です。さすが、自分の意見は、言わないと気がすまない、フランス人・・・。(本を読みながら、耳に入ってくる会話は、男性も、女性も、お話は、たいてい、職場の誰かの噂話、バカンスの過ごし方、休暇のすごし方・・・。)


ルクセンブルクは、小国だからゆえに、いろんな知恵を持った国です。だからこそ、この国を訪れるのが、好き。

まず驚くのは、多言語教育が徹底していること。ポリグロット(多言語を話す人たち)が、とても多いのです。44万人の国民の大半が、2、3カ国語を話します。

ルクセンブルグの言葉は、ルクセンブルグ語があるのですが、小学生から、フランス語、ドイツ語教育が、徹底していて、ある特定の科目は、外国語で教えるのです。英語は、中学生からならうのですが、フランス語、ドイツ語が使える人たちに、英語など、楽に習得できないわけがありません。

しかも、この国には、大学がありません。だから、大学教育を受けるためには、たいてい、お隣の国、フランス、ドイツに「留学」、することになるのです。

さらに、移民の多いこの国、両親、片親が、南欧、旧ユーゴ出身者が、実に多く、家庭では、また別の言語を話す場合も多いのです。ルク語、仏語、独語、英語+もう一言語、は大学を卒業する頃には、自由に操られる人たちの多さ、まさに、生まれながらのポリグロットたち。




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わたしは、冬のルクセンブルグの町が大好きです。

寒い、すこし小雪がちらつく中、広場の屋台で、Wurstbrot(ソーセージサンドウィッチ、丸いパンの半分を切り、中に20センチはありそうな、あつあつのソーセージをはさむ)を買って、赤いソーセージに、黄色のマスタードをたっぷり塗ってもらい、歩きながら食べる、そのおいしさ!(わたしは、ひそかに、ルクセンブルクのソーセージの方が、ドイツのそれより、おいしいと思っているのです、もちろん、大変な種類のソーセージを、すべて試したわけじゃ、ありません!)





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このプログでの、まだ新しいテーマ、自分のtemperamentが、決まらなくて、ちょっと、悩んでしまう。気楽になんでも書いて、いいのだろうけれど、そのヘンが、性格なのかな・・・?

お昼ごはんは、フレッシュなパルミストのサラダと、インドカレー。

片づけが終わった後、お抹茶をたてたくなった。茶筅もあるけど、ガーン、お抹茶がない・・・。