絵日記を、かきたい気持ち

毎日、たくさんの思いが浮かんでは消えます。そんな思い、フランスのこと、ヨーロッパのこと、気ままに綴っています。

●アルザスの夕べ

2006年02月02日 | フランスのこと
私にとっては、現在の7大不思議の一つ、というのが、こちらのブログです。

こちらのブログは、もう長い間、ほったらかしで、時間をゆっくりさいてかけない状態にあるのに、なぜか、まいにち訪問してくださる方がいらっしゃる。(もちろん、足跡からはどなたかは全く分かりません。)

本当に、それは、うれしいことで、ありがたいことで、今日久しぶりにあけてみて、やっぱり感動しました。

というわけで、久しぶりに、こちらの日記も更新します。



さて、きょうの話題は、アルザスの食べ物、べークオフ(ベックオフ)です。

アルザスという地方は、フランスのなかでも、一番ドイツに近い北東に位置しています。

この地方で使われる言葉は、アルザス語。ドイツ語に限りなく近いアルザス語は、現在でも田舎に行けば、ご老人に使われているといいます。

日本でも有名な、「コウノトリが赤ちゃんを連れてくる」というのは、この地方の言い伝えなんですよ。




 

<こんな料理です。>



実は、先日、音楽仲間たちと、アルザス料理を食べに行ったんです。

そのときに皆で食べたのが、この料理、ベックオフ( Baeckeoffe )。

ベックオフ( Baeckeoffe )というのは、このアルザス語で、'four du boulanger'、つまり「パン屋さんのパン焼き釜」というような意味です。

なぜ、そういう名がついたか。

かつて、この料理は、アルザス地方で貧しい人たちに食べられていた料理でした。

その時代、お肉は、まだまだ庶民には貴重な食材で、小さなかけらまで大切に食べられていたのでした。

そうしたいろんな種類(ここでは3種類、豚肉、牛肉、羊の肉です)のお肉を、この地方の特産の白ワインに漬け込んで作られたのが、ベックオフです。

ベックオフは、日曜日の夜に準備され、月曜日に、パン屋さんのパン焼き釜で焼かれるのが常でした。

というのも、忙しい主婦たちにとって月曜日はお洗濯の日。こうして、日曜日の夜に漬け込んだものを、パン屋さんに預けることで、心置きなく、料理のことを考えずに、お洗濯に取り掛かれたのです。






 

<パン屋さんの様子>




さて、いまでは、ベックオフは、アルザス料理を代表する地方料理。

レストランで食べるのも、手間が掛かるので、前もって予約しておかなくてはいけません(もちろん、アルザスでは、そんなことはないか、と思います。)

手間が掛かる、というのは、このお料理は、三種類のお肉、豚肉、羊の肉、そして牛肉。

そして、タマネギに、、にんにく、ブーケ・ガルニを一緒につけて、白ワインの中に漬け込んでおかなくてはいけないのです。

そして、翌日。皮をむいたジャガイモをスライスします。それを、ベックオフ用のなべにしきます。その上に、漬け込んだお肉、さらに、ふたたびジャガイモのスライス、そしてタマネギのスライスを載せます。

最後は、ふたをして、2,3時間、オーブンで焼きます。



おいしいアルザスの白ワインといただけば、とってもおいしいのですが、

この料理は、わたしは大勢で、わいわいと楽しくおしゃべりをしながら食べるのがだいすきです。

そんな庶民の料理!って気がします。



先日は、先ほども書いたように、音楽仲間とこの料理を、一年の終わりのパーティをするために食べにいったのですが、

本当に楽しかったです。

仲間の一人が、アコーディオンを持ってきたので、その曲に合わせて、みんな大騒ぎでうたいだします。

みんな、音楽家だから、歌がうまい!

練習もしていないのに、バスとテノールで、美しいハーモニーを歌ったり、(もちろん、みんな音楽が大好きな上に、ワインが入ってますから!)、

挙句の果てには、レストランのテーブルの間で、踊りだしたり!



もちろん、他のお客さんたちも、楽しそうな皆に、すぐに感化されちゃって、

大騒ぎで、一緒に歌ったり、踊ったり。

知らない人たちなのに、旧友のように肩を組んでうたったり、踊ったりするものだから、音楽って不思議です。



さて、フランスでは、レストランにたまに花売りがやってきます。

かご一杯に、一本ずつ包装したバラの花を売って歩くのです。

この夜の締めくくりに、なぜか今回男性ばかりだった年のおしまいのパーティーで、

皆さんがわたしに、一本ずつバラの花を買ってプレゼントしてくださいました~!

お店を出るときには、なぜかバラのブーケを手にして、ステキな夜をすごしたのでした。



みんな、ありがとう! (彼女たちにも、ちゃんと買ってあげてね!)







●アールヌーボーの街、ナンシー

2005年03月04日 | フランスのこと
アールヌーボーって、ご存知でしょうか?

日本の方には、意外になじみがあって、「あ、この建築様式、絵、見たことある」といわれるのではないでしょうか? 

1800年代の後半から、1910年頃までに、ヨーロッパ各地で展開していった国際的な世紀末運動、美術運動、美術様式のことを、「アール・ヌーボー」といいます。日本の伝統芸術からも、影響を受けているのですよね。

この時代は、ヨーロッパが、18世紀末からの、イギリス産業革命、フランス革命に始まり、1914年の第一次世界大戦までの「近代」という時代の波の中で、大きな変革を、なし遂げつつある時でした。こんな時代背景の中で、「アール・ヌーボー」という、新しい芸術様式が、ヨーロッパ各地でうまれたのでした。有名なアーティストでは、画家のミュシャや、建築家のガウディなど、多数います。


フランス東北部の街、ナンシーは、その「アールヌーボー」のなかの「ナンシー派」として有名な町です。

ナンシー派というのは、この町出身のガラス工芸家、エミール・ガレが、交友のあった人たちと作ったグループから、生まれたそうです。(上の写真は、ガレの作品)


ナンシーには、このアールヌーボーを象徴する、美しい建築が街のそこここに建っていて、天気のいい春の日など、散策するにはとても楽しいところです。

アールヌーボーの建築様式の、美しい建物、また徐々に紹介していきますね。

この街は、ガラスで有名なバカラにも、それほど遠くなく(車で45分くらい(?)の小さな町。ガラスより、行ったレストランがおいしかったことしか、覚えていない・・・)、また、ガラス細工で有名なDAUMの工場もあります。ナンシーは、有名な大学もあり、フランスでも、大きな町ではありませんが、ちょっとブルジョアチックな、白いスタニスラス広場の印象的な街。




わたしは、なにを隠そう、この街に何年か住んでいたのですが、ずぅっとこの街があまり好きになれませんでした。だって、寒いんです~~~。ある人は、「ナンシーって、シベリアの気候とおんなじよね!」って言うくらい、フランスの中でも、一番寒い地方なのです。

毎年、冬になると、全国版のニュースで、ナンシーの援助協会が、ホームレスを受け入れる準備をする風景が流されます。ホームレスの人たちが、寒波で凍死してしまうのですね。だから、冬には、施設は、ホームレスを受け入れる体制を整えることで、おおわらわ、そんなニュースなんです。

その以前に、フランス南西部の大きな町に住んでいた私には、ナンシーは小さかったし、とにかく寒く、冬が長く感じたのです。フランス南西部では、真冬でも空が青いのに、ナンシーは、ずっと暗い灰色の冬が続きます。



しかも、わたしは、お恥ずかしいことに、アールヌーボーの建築には、あまり興味がなく、DAUMも知りませんでした。はじめて見たときも、な~んだか、ぼってりしているなぁと・・・思っただけ。きれい、とか、感動というものは、ありませんでした(きっぱり)。でも、値段を見て、ビックリ。


DAUMって、きっと置く場所を選ぶのでしょうね。わたしの家に置いていても、きっと100円ショップで買ったようなガラス細工にしか見えないけれど、おくべきところにおいたら、きっと映えるのだろうなぁ・・・と、いろいろ考えたものです。

エミール・ガレ風の、ランプや花瓶、置物、いろいろあるのですが、どうしても、私には、ぼってりした「きのこ」にしか見えません。

まだまだ、芸術を見る目が、磨けていないようです・・・。

DAUMのデザインが本当に好きな方には、DAUMの値段札の、0の数をもう一度確かめてしまう、最高級品ではなく、もうすこし手ごろなお値段の、日常使い品を売る、大きなお店が、街の中心から、すこし離れた所にあります。こちらでは、置物や、アクセサリーのほかに、食器なども数が多く揃っています。半端もの、キズモノ(素人にはわからない欠陥)も、かなりお安く買えます。・・・が、

我が家には、DAUMは、ありませ~ん。




ナンシーには、いろんな思い出があるので、徐々に書いていけたら、と思っています。


ここまで、気長にお付き合いくださった方(が、いらっしゃったら)、本当にありがとうございます。


では、また! 



●ロレーヌの胡桃とりす

2005年03月01日 | フランスのこと
写真は、W家の裏庭にやってきたりす。下から上るのは、バーベキューの煙だったのかな?

昨日も書いたけれど、ヨーロッパのお家は、表からは、ほんとうの庭が見えない。日本の、家の前に庭を作り、裏庭がひっそりしているのとは、違う。ここの家も、玄関の前は、小さな庭しかないのに、実は裏には、ものすごく大きな庭があって、その中に、ものすごく大きな胡桃の木が、二本も生えている。

こうやって、秋になると、庭の大きな胡桃の木に、たくさんなるクルミを食べている。尻尾がふっさりして、可愛いこと!(小さくて見えにくかったら、日記の日付をクリックしてね)

ブライアン・スミスというイギリスの絵本画家がいるけれど、彼の作品の中に「りす」という一冊がある。色の美しい、宝物にしたいような一冊。そんなりすに似ている。

裏庭は、家族の憩いの場所。夏になれば、デッキチェアを持ち出して、日光浴をしたり、裏庭で、お昼の食事をしたり(もちろん、夏は日が長いから、ディナーだって、外で食べると、とても気持ちよい)、庭や、裏庭に面したテラスで過ごす時間は、とても多くなる。

庭が大きければ、それだけ庭の手入れに費やす時間も多い。花の手入れは、日本ほど手間がかからないけれど、胡桃の木は、ものすごい量の落ち葉。剪定も、しばしばしないと、大木が屋根にかぶさるほどになってしまう。

家で取れた胡桃は、気がむくだけ拾われて、地下にしまわれている。去年から、その胡桃が、島にまで届くようになってきた。粒の大きな、きれいな胡桃。アペリティフのお供に出せば、友達はとても喜んでくれる。

りすは、よくお庭にやってくる。でも、りすはとても、用心深くて、絶対に、人のそばにはやってこないし、慣れてくれない。犬や猫なら、簡単に、なれてしまうのに、とても不思議。犬や猫のように、飼い主の気持ちが分かる、りすのペットっているのかしら・・・? とても可愛い表情なのに、よくみても、なにを考えているのか、わからない。そのあたりが、また、表情の分かりやすい犬や猫とは、違うのだなぁ・・・。

いつか、そんなりすがいるお家に住みたいな。

ロレーヌのりすと分け合っている、胡桃の話でした。


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読みかけの本が、たくさんあるのだけれど、その中の一つ、The Da Vinci Code(ダビンチ・コード)、簡単なのに、もう何週間も手をつけてない。このくらいのペーパーバックなら、3日くらいで読んでしまうのに、今回は、もうイヤになってしまった。

それは、数週間前のこと、ある歴史に詳しい人と話してから。いろんな北アフリカやイスラエル、アラブの歴史の話を聞かせてもらっていたのだけれど、その時、「あ、ダビンチ・コードはどう思われます?」って聞いたら、「あ~、アレね、後からのいくらでも言葉遊びでこじつけられるから・・・、良くできた言葉遊びって思っているよ」って、その方はおっしゃった。それを聞いて以来、まったく読む気がしない。

フィクションだとは、わかっていても、最初に手の内を知ってしまうと、おもしろくない。手の内が分からないからこそ、知りたいって欲求をくすぐられて、推理小説なんかは読んでしまうのだなぁと、あらためて感じたしだいです。ダビンチ・コード、なんだか、もう、作られた話って、思ってしまうと、興味が薄れてしまって、読むのが辛くなってしまった。

終わらせないのも気持ち悪くて、ナイトテーブルに、他の本の下に積み重なったまま。どうしよう・・・。(単に、影響されやすいのか・・・!?)


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<編集後記?>なんだか、いろいろ悩んでしまったけれど、楽天だって、このプログだって、自由に書けばいいだけなんだなぁって、やっと気づいてしまった。

すごく気負ってしまっていたけれど、これこそ自意識過剰、というヤツなのかもしれないなぁ。気をつけなくては・・・・。特にこちらは、気負いなく、のんびりヨーロッパのことや、旅行のこと、日々思ったこと、書いていこうかな。


●アルザス・ロレーヌの夏の花

2005年02月28日 | フランスのこと
写真は、フランス、アルザス・ロレーヌ地方にある、W家の門に絡みつくスイカズラ。なんど、この花の下をくぐったかしら・・・・。立派なスイカズラの木。夏になると、たっぷりと花をつける。

アルザス・ロレーヌ地方は、短い夏だけ、すてきにきれい。なんといっても、花の量。ストラスブール、メッス、ナンシー、コルマール、白ワイン街道の小さな村々、ミュールーズ、どこの町も、街頭は、色とりどりの花で飾られている。まるで御伽噺の世界のよう。

長い冬の後、パステルカラーに染められた町々、そして、なによりもなだらかな丘の続く田舎の風景、濃い緑に染まったヴォージュ山脈。森は、深くて、そして、とても豊か。きのこや野生の鹿をとることができる秋まで、この地方の夏は、きれいな花々で囲まれて、まるで夢の世界のよう。

W家の庭も、花で一杯になる。夏に、この家の門をくぐるのが好きだった。花が、咲き乱れている、小さな前庭。ヨーロッパの町の家は、裏庭が巨大なのに、前の庭は道路から、5メートルもなかったりすることが多い。正面からでは、家の敷地の大きさは、分からない。


日本の実家でも、母が丹精込めて、スイカズラを育て始めたけれど、こんなに大きくない。以前は、こんな種類の、これ見よがしの花は、好きじゃなかった。南国のどぎつい色の花も、好きだったことはなかったのに、最近、どんな花を見ても、いとおしさを感じてしまう。

一生懸命に、命を振り絞って咲いているから?過ぎ去った、華やかな(私自身が派手だったわけじゃありません)20代を懐かしむから?年を取っていく両親を想うから?

「祇園精舎ノ鐘ノ声、諸行無常ノ響アリ。沙羅双樹ノ

花ノ色、盛者必衰ノ理ヲ顕ス。驕レル人モ不久。春ノ夜ノ夢尚

長シ。猛キ者モ終ニ滅ヌ。偏ヘニ風ノ前ノ塵ト不留。(・・・・)(平家物語)」


花を見ていると、こころが和む。花と人生を重ねた唄も多い。きっと、多くの人が、同じように感じているのだろうな。

川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ(・・・)
(「花」、沖縄の喜納昌吉氏の、作詞・作曲)

  
植物は、自分の命を燃やして、一生懸命に花をつける。色とりどりに着飾って、蜂を呼び、風にゆれ、子孫を残すために、命を絞って花を咲かせている。だからこそ、美しさを感じるのかもしれない。



日本の我が家も、W家も、庭に、花があふれている。いつか、そんな風に花を育てられる人になれるかしら。

電話があるたびに、かえって来いといわれるけれど、あの夏の花を思えば、懐かしくなってしまうアルザス・ロレーヌ地方。(冬は寒い(「シベリアの始まり」と呼ばれていたりする地方だもの)から、すこし辛いけれど、冬はそれで、別の楽しみがあったりする。)



今日は、疲れている。週末から、調子が悪く、今朝は病院に行ってきた。もうすこし、ゆっくりしてもいいと思うのに、油断すると、体のどこかが、ざわざわする感じ。こりゃ、ちょっとヤバイかも?