ドームの歴史は、一言でいって、ロレーヌの、19世紀からの、ドーム一家の人々の歴史を語ることなのです。
七色のクリスタルを作り出す、ドーム工房の歴史は、ジャン・ドームから、始まります。( Jean DAUM (1825-1885)。彼は、ナンシーの東北部にある、ビッシュ( Bitche )という小さな町で、公証人をしていましたが、1871年に、ナンシーに居を構え、1878年、ナンシーにガラス工房を作り、工房の経営者になります。
ジャンには、二人の息子がいました。一人は、法律家になるべく、パリ大学法学部で、勉強をし、公証人として働いていた、弟、アントノン(Antonin、1864-1930)。もう一人は、後に、ガラスの職人・技術者として、ナンシー、リュネヴィルで勉強をし、資格をとった、兄、オーギュスト(Auguste、1853-1909)。
弟アントノンは、父ジャンが、ガラス工房を設立した翌年、公証人としての仕事をやめ、工房の経営に、乗りだします。兄オーギュストは、1887年にガラスの勉強を終え、この家族経営のガラス工房に、ガラス作家として、また技術者として、加わるのです。
実は、調べた限りでは、(今のところ)、なぜ、父親のジャンが、50歳にもなって、公証人としての仕事やめ、畑の違うガラス工房の経営などに乗り出したのか、分かりませんでした。
兄オーギュストの情熱が、父にも乗り移ったのか、父ジャンが、以前から、ガラスに惹かれていたのか?
わたしは、後者じゃないのかなぁ、となんとなく、想像しています。父親ジャンの出身地、ビッシュは、ロレーヌの中でも、一番古くから、クリスタルをしてきました。ビッシュは、ガラス生産のための原料の砂、火を作る森の木々、そして水に恵まれ、ガラス、クリスタルを生産するには、とても恵まれた土地でした。
父のジャンも、幼いオーギュストやアントノンも、こうした土地の伝統工芸であるガラスや、クリスタル細工の生産や、製品を、小さな頃から、まぢかでみて慣れ親しんでいたのでしょう。
ガラスに関する勉強を志したオーギュストは、才能豊かなガラスデザイナーでもありました。もともと、この家族には、実務的な面と、芸術を愛する心が、矛盾することなく、一家の血の中に、流れていたのでしょう。そうでなければ、父のジャンが、このように、人生のキャリアの最終章で、鮮やかに転身するなど、考えにくいのです。
ともかく、弟のアントノンが、経営の才に恵まれていた一方で、兄のオーギュストは、製品自体のデザイン、ガラス自体を作り出す想像力に満ちた触れていたようです。
この兄弟の経営するドーム工房は、エミール・ガレが先頭を切って、生み出した、ナンシー派、アールヌーボーという、時代の流れにのっていくのです。(アールヌーボーについては、以前の日記、●アールヌーボーの町、ナンシーで、ほんの少しふれました。)
ドーム工房の、ガラス(クリスタル)作家(兼、共同経営者)として、ジャック・グルベール(Jacques Gruber、パリのメトロの入り口など、有名な作品が多い) を、味方にしたのも、大きな成功の要因でした。
<オーギュストの作品>
しかし、エミール・ガレが、1904年に、亡くなった後、アールーヌーボーの芸術形式は、徐々に陰りを見せ始めます。
そして、アール・ヌーボーの優美な曲線や繊細な装飾性とは対照的に、直線的でダイナミックで、シンプルなデザインによるきわめて現代的な感覚を志向した、アール・デコ、という新しい様式が、1920年を頂点に、一世を風靡していくのです。
そんななか、保守的な、ガレ様式のガラスしか作らなかった、ガレ工房は、どんどん衰退し、ついに年には、1931年に、工房を閉めることになりました。
一方、ドーム兄弟は、1909年に兄のオーギュストが没して、ドーム兄弟時代の幕を降ろすことになるのですが、その次の世代のドームを担ったのは、オーギュストの息子、ジャン(Jean)、そしてその弟のポール(Paul)でした。
二人の兄弟は、叔父アナトナンを助け、ドームのガラスは、新時代へ向けての、さらに、芸術性を高めていったのです。
<今日のドーム、バラの花瓶。これなら、赤いバラを活けてもいいかも?>
ここが、ドームのすばらしいところ、また、強いところ、だと思うのですが、天才肌のガレが、一代で終わってしまったのにくらべ、家族経営のドーム工房は、この新たにやってきた時代を、新たなやわらかい、柔軟性を持って、迎えるのです。
家族経営といっても、家族長が、権威を持って、すべての決定権を握るというより、ドームの場合は、役割が分担され、その経営が、民主的のような印象を受けます。
そのため、新しい時代に向けても、いろいろなアイディアが、客観的に議論され、さらに躍進することになったのではないでしょうか?
ドームは、アール・デコの時代の動向を確実にとらえ、人々の趣味の志向に柔軟に順応し、時代の思潮的趨勢や大衆の欲求を先取りするような斬新な作品の独創に情熱を傾けていきます。
そして、斬新な、ガラス作家を次々に工房に向かえ、逆に、アール・デコのガラスの象徴的な存在として、世界に迎えられることになったのです。
ドームの歴史は、現代まで、まだまだ続くのだけれど、それは、また機会があれば・・・。(ガラス工芸には、まったく疎いので、疲れた!)
こうしてドームの歴史を振り返ると、天才的な芸術家たちというより、ドームは、芸術を愛する、堅実な一家の物語、という風に、わたしには思えてなりません。
ドームは、アール・デコの時代が終わっても、再び、戦後、新しい時代の流れを取り入れながら、今日に至っています。
ドームの特色のいくつかをあげると、デザインの単純化、ガラス素材の見直しと素材自体の美的追究、色彩のフォルムの簡素化、鉄枠素材の併用、幾何学的な構成、重量感などだそうなのです。
それでも、美しい色使いや、軽やかなフットワーク、植物、動物をモチーフにした伝統は、今でも、守られているような気がします。
<ナンシー、巣タニスラス広場にある、ドームのお店。
手前の猫は、525ユーロ、向こうのランプは、1200ユーロと、表示があります>
わたしは、最初は、ドームのどこがいいのか、ちっともわかりませんでした。ナンシーに来る前までは、ドームすら知りませんでしたから!
でも、じっと見ていると、不思議に、ドームは、飽きが来ないのです。植物や、動物の表情も豊かで、なんといっても、その色合いがとても豊か、とても深い。確かにバカラのような鋭い美しさでは、ないのですが、なんというか暖かく、人間味にあふれている、生きているクリスタル、そんな印象を受けるのです。
<宝石いれ。日常使いの宝石を、夜寝るとき、はずし、この中において、ドレッサーや、ナイトテーブルに置いておいたり・・・>
優しい色合いの、クリスタルは、いいものですね。
昨日、ナンシーから送った、ドームのちいさな包みが届いたと、母から連絡がありました。
今日は、だから、ロレーヌが、バカラとともに誇るクリスタルのブランド、ドームについて知ってもらうために、ほんの少し、その歴史を書いてみました。
七色のクリスタルを作り出す、ドーム工房の歴史は、ジャン・ドームから、始まります。( Jean DAUM (1825-1885)。彼は、ナンシーの東北部にある、ビッシュ( Bitche )という小さな町で、公証人をしていましたが、1871年に、ナンシーに居を構え、1878年、ナンシーにガラス工房を作り、工房の経営者になります。
ジャンには、二人の息子がいました。一人は、法律家になるべく、パリ大学法学部で、勉強をし、公証人として働いていた、弟、アントノン(Antonin、1864-1930)。もう一人は、後に、ガラスの職人・技術者として、ナンシー、リュネヴィルで勉強をし、資格をとった、兄、オーギュスト(Auguste、1853-1909)。
弟アントノンは、父ジャンが、ガラス工房を設立した翌年、公証人としての仕事をやめ、工房の経営に、乗りだします。兄オーギュストは、1887年にガラスの勉強を終え、この家族経営のガラス工房に、ガラス作家として、また技術者として、加わるのです。
実は、調べた限りでは、(今のところ)、なぜ、父親のジャンが、50歳にもなって、公証人としての仕事やめ、畑の違うガラス工房の経営などに乗り出したのか、分かりませんでした。
兄オーギュストの情熱が、父にも乗り移ったのか、父ジャンが、以前から、ガラスに惹かれていたのか?
わたしは、後者じゃないのかなぁ、となんとなく、想像しています。父親ジャンの出身地、ビッシュは、ロレーヌの中でも、一番古くから、クリスタルをしてきました。ビッシュは、ガラス生産のための原料の砂、火を作る森の木々、そして水に恵まれ、ガラス、クリスタルを生産するには、とても恵まれた土地でした。
父のジャンも、幼いオーギュストやアントノンも、こうした土地の伝統工芸であるガラスや、クリスタル細工の生産や、製品を、小さな頃から、まぢかでみて慣れ親しんでいたのでしょう。
ガラスに関する勉強を志したオーギュストは、才能豊かなガラスデザイナーでもありました。もともと、この家族には、実務的な面と、芸術を愛する心が、矛盾することなく、一家の血の中に、流れていたのでしょう。そうでなければ、父のジャンが、このように、人生のキャリアの最終章で、鮮やかに転身するなど、考えにくいのです。
ともかく、弟のアントノンが、経営の才に恵まれていた一方で、兄のオーギュストは、製品自体のデザイン、ガラス自体を作り出す想像力に満ちた触れていたようです。
この兄弟の経営するドーム工房は、エミール・ガレが先頭を切って、生み出した、ナンシー派、アールヌーボーという、時代の流れにのっていくのです。(アールヌーボーについては、以前の日記、●アールヌーボーの町、ナンシーで、ほんの少しふれました。)
ドーム工房の、ガラス(クリスタル)作家(兼、共同経営者)として、ジャック・グルベール(Jacques Gruber、パリのメトロの入り口など、有名な作品が多い) を、味方にしたのも、大きな成功の要因でした。
<オーギュストの作品>
しかし、エミール・ガレが、1904年に、亡くなった後、アールーヌーボーの芸術形式は、徐々に陰りを見せ始めます。
そして、アール・ヌーボーの優美な曲線や繊細な装飾性とは対照的に、直線的でダイナミックで、シンプルなデザインによるきわめて現代的な感覚を志向した、アール・デコ、という新しい様式が、1920年を頂点に、一世を風靡していくのです。
そんななか、保守的な、ガレ様式のガラスしか作らなかった、ガレ工房は、どんどん衰退し、ついに年には、1931年に、工房を閉めることになりました。
一方、ドーム兄弟は、1909年に兄のオーギュストが没して、ドーム兄弟時代の幕を降ろすことになるのですが、その次の世代のドームを担ったのは、オーギュストの息子、ジャン(Jean)、そしてその弟のポール(Paul)でした。
二人の兄弟は、叔父アナトナンを助け、ドームのガラスは、新時代へ向けての、さらに、芸術性を高めていったのです。
<今日のドーム、バラの花瓶。これなら、赤いバラを活けてもいいかも?>
ここが、ドームのすばらしいところ、また、強いところ、だと思うのですが、天才肌のガレが、一代で終わってしまったのにくらべ、家族経営のドーム工房は、この新たにやってきた時代を、新たなやわらかい、柔軟性を持って、迎えるのです。
家族経営といっても、家族長が、権威を持って、すべての決定権を握るというより、ドームの場合は、役割が分担され、その経営が、民主的のような印象を受けます。
そのため、新しい時代に向けても、いろいろなアイディアが、客観的に議論され、さらに躍進することになったのではないでしょうか?
ドームは、アール・デコの時代の動向を確実にとらえ、人々の趣味の志向に柔軟に順応し、時代の思潮的趨勢や大衆の欲求を先取りするような斬新な作品の独創に情熱を傾けていきます。
そして、斬新な、ガラス作家を次々に工房に向かえ、逆に、アール・デコのガラスの象徴的な存在として、世界に迎えられることになったのです。
ドームの歴史は、現代まで、まだまだ続くのだけれど、それは、また機会があれば・・・。(ガラス工芸には、まったく疎いので、疲れた!)
こうしてドームの歴史を振り返ると、天才的な芸術家たちというより、ドームは、芸術を愛する、堅実な一家の物語、という風に、わたしには思えてなりません。
ドームは、アール・デコの時代が終わっても、再び、戦後、新しい時代の流れを取り入れながら、今日に至っています。
ドームの特色のいくつかをあげると、デザインの単純化、ガラス素材の見直しと素材自体の美的追究、色彩のフォルムの簡素化、鉄枠素材の併用、幾何学的な構成、重量感などだそうなのです。
それでも、美しい色使いや、軽やかなフットワーク、植物、動物をモチーフにした伝統は、今でも、守られているような気がします。
<ナンシー、巣タニスラス広場にある、ドームのお店。
手前の猫は、525ユーロ、向こうのランプは、1200ユーロと、表示があります>
わたしは、最初は、ドームのどこがいいのか、ちっともわかりませんでした。ナンシーに来る前までは、ドームすら知りませんでしたから!
でも、じっと見ていると、不思議に、ドームは、飽きが来ないのです。植物や、動物の表情も豊かで、なんといっても、その色合いがとても豊か、とても深い。確かにバカラのような鋭い美しさでは、ないのですが、なんというか暖かく、人間味にあふれている、生きているクリスタル、そんな印象を受けるのです。
<宝石いれ。日常使いの宝石を、夜寝るとき、はずし、この中において、ドレッサーや、ナイトテーブルに置いておいたり・・・>
優しい色合いの、クリスタルは、いいものですね。
昨日、ナンシーから送った、ドームのちいさな包みが届いたと、母から連絡がありました。
今日は、だから、ロレーヌが、バカラとともに誇るクリスタルのブランド、ドームについて知ってもらうために、ほんの少し、その歴史を書いてみました。
今日は私も大好きなエミール・ガレとそのいわば後継者のガラス工芸の歴史のお話でしたね。エミール・ガレがアールヌーヴォー、で、その後に引き継がれたガラス芸術の形式がアール・デコ、である、、これでなんとなくちらついていた気になるパーツがピタ、とパズルのように納まった感じです。
よく調べましたね!大変だったでしょう、、途中、「疲れた、、」など言っていらして(笑)
ドームの作品はまだ目にしたことがありませんが、ここにあるのを見ても大変美しい、深みのある作品ですね。「ネコ」などはxユーロ?さぞ高価なのでしょう。お母様にはどんなドームの作品を送られたのでしょうね。すばらしいプレゼントですね。
実物を見る事がやはり少ないのでこうやって写真をみると本当に美しい作品と思いますね。
私が住んでいる所からだと、ウッドワン美術館にたぶんあるんじゃないかと思います。ゆっくり時間があるときに本物を見てみようと思ってます。さて、何時になる事でしょう。
やはり、本物と言われる物には力(パワー)があるように思いますね。
最近、時間がなくて、あちらもこちらも更新できなかったりしています。コチラは、静かで、好きなときに更新していっています。お付き合いくださって、ありがとうございます。
わたしはガラス関係の歴史、知識は全く知らないので、ちょっと苦労したのです、それで「疲れた~」ってなっちゃいました。ガラスって、不思議ですね。見ていると魅力があります。
ドームは、わたしは最初、あまり興味がなかったのですが、じっと見ていれば、深みと暖かさのあるものが多いなぁと思いました。なかなかいいです。
まりえさんも、きっとお好きになられると思います。
また、こちらも徐々に更新して行きたいのですが、時間と余裕がなくて・・・。
ドームは、バカラより重量感と、温かみがあって、なかなかいいです。バカラは、冷たいような美しさがあるけれど・・・。
本物、手をかけて作られたものは、やはりそれだけの美しさと、気品があるようにおもいます。手作りのものは、それだけ人間の心がこもっているのでしょうね。だから、見る人を感動させるのでしょう。
本物に触れる、というのは、どんな分野でも、大切なことだと、つくづく思います。