絵日記を、かきたい気持ち

毎日、たくさんの思いが浮かんでは消えます。そんな思い、フランスのこと、ヨーロッパのこと、気ままに綴っています。

●Comme d'habitude/ いつものように・・・・

2005年06月18日 | 思ったこと
フランスでは、なぜか、ふる~い歌が繰り返し歌われます。なかでも、フランスの国民的のヒーローは、クロード・フランソワという名の歌手。

クロード・フランソワは、6,70年代に活躍したのですが、彼の歌は、繰り返し、流され、新たに若い歌手に歌われ、クロード・フランソワの特集が、いまだに組まれます。


そんな古い時代の歌なら、若い人は聴かないか、というと、意外にそうでもなく、若い歌手によって、彼のエスプリは、しっかり受け継がれ、クロード・フランソワの曲を知っている人は、本当に幅広い世代に広がっています。

彼は39歳のとき、悲劇的な遂げます。


(フランス人は、ノスタルジーっぽいものがすきなのか、古いポップ、大好きです)



そして、繰り返し聞いているうちに、わたしも、クロード・フランソワ、なんとなく好きになってしまったんです。

聞いていると、かなり味のある歌詞が多いのです。


中でも、一番すきなのは、「Comme d'habitude/ いつものように・・・・」という歌。この曲は、男女のある平凡な1日を描いた曲。わたしは、この歌を聴くと、パリのどんよりした冬の空の下、あるアパルトマンくらす、「倦怠期」に入ったカップルを、想像します。


「Comme d'habitude/ いつものように・・・・」は、クロード・フランソワが、正真正銘、自分で作詞作曲した曲ですが、その後、ポール・アンカーによって、英訳され、フランク・シナトラ、エルビス・プレスリーが、「My way」という、まったく違った歌詞に仕立て上げ、歌い上げて、大ヒットしました。


日本には、そちら経由で入っているので、「マイ・ウェイ」という曲で、有名になったそうです。(いまでは、「昴」とともに、オ○さん、大人気のカラオケの曲とか・・・)

「マイ・ウェイ」は、「悔いのない人生」を歌い上げるもので、原文とはまったく違い、わたしには、イマイチぴんと来ない。スペイン語版も、英語から翻訳されているので、同じような歌詞です。


(イタリア語で歌われるものは、クロード・フランソワ自らが約に携わったとかで、原文に忠実です)

このうた、なぜか好きです。


フランス語原曲
Comme d’habitude(いつもどおり)

Je me leve et je te bouscule
Tu ne te reveilles pas, Comme d'habitude
Sur toi je remonte le drap
J'ai peur que tu aies froid, Comme d'habitude
Ma main caresse tes cheveux
Presque malgre moi, Comme d'habitude
Mais toi, Tu me tournes le dos
Comme d'habitude
Et puis je m'habille tres vite
Je sors de la chambre, Comme d'habitude
Tout seul je bois mon cafe
Je suis en retard, Comme d'habitude
Sans bruit je quitte la maison
Tout est gris dehors, Comme d'habitude
J'ai froid Je releve mon col
Comme d'habitude



朝、目覚めるて、君を起こそうとする。
でも、いつもどおり君は起きない。
君の上に私ははシーツをかけ直す。
君が風邪をひかないかと心配しながら。いつもどおりに。

私は手で君の髪を撫でる。
無意識のうちに。いつもどおりに。
でも、君は寝返りを打って背中を向けてしまう。

それから、素早く着替えを終える。
私は部屋から出ていく。いつものように。
独りで珈琲を飲む。
また遅刻しそうになる。いつものように。

大きな音を立てないように扉を閉めて、家を出る。
外はいつものようにドンヨリ曇っている。
今日も寒い。コートの襟を立てる。いつものように。


Italian version


Mi alzo
Ti accarezzo un pò
Non ti sveglierò
Sì come sempre

Su te
Io rimboccherò
La coperta blù
Sì come sempre

E poi
Accarezzerò
I capelli tuoi
Sì come sempre

Ma tu
Tu non mi guarderai
Sì come sempre

E poi
Farò piano sai
Me ne andrò di là
Sì come sempre

Di là
Bevo il mio caffè
Ed è tardi già
Sì come sempre

Per via
Non mi volto più
Devo correre
Sì come sempre

Ma tu
Tu non lo capirai
Sì come sempre And now
The end is near
And so I face
The final curtain




English version


My friend
I'll say it clear
I'll state my case
Of which I'm certain

I've lived
A life that's full
I've travelled each
And every highway

And more
Much more than this
I did it my way

Regrets
I've had a few
But then again
Too few to mention

I did
What I had to do
And saw it through
Without exemption

I planned
Each chartered course
Each careful step
Along the byway

And more
Much more than this
I dit it my way




German version


Was ich
im Leben tat
das war bestimmt
nicht immer richtig

Ich nahm
was ich bekam
und nahm manches
nicht so wichtig

Wenn ich
auch ganz gewiss
mich nicht von Schuld
und Schwächen frei seh'

Verzeih'n
Sie wenn ich sag
I Did It My Way

Ich kenn'
das Auf und Ab
den Jubel und
die bittren Tränen

Ich stand
auch oft am Rand
das brauch' ich wohl
nicht zu erwähnen

Es ist
für mich ein Trost
daß ich trotz allem
nicht entzwei geh

Verzeih'n
Sie wenn ich sag
I Did It My Way El fin
Muy cerca esta
Lo afrontaré
Serenamente





Spanish version


Ya ves
Yo he sido asi
Te lo diré
Sinceramente

Vivi
La intensidad
Y no encontré
Jamas fronteras

Jugué
Sin descanzar
Y a mi manera

Jamas
Vivi un amor
Que para mi
Fuera importante

Tomé
solo la flor
Y lo mejor
De cada instante

Viajé
Y disfruté
No se si mas
Que otro cualquiera

Si bien
Todo ello fué
A mi manera


comme d'habitude
my way



比べてみると、とても面白い。でも、やっぱりフランス語の意味が、わたしには、一番好きです。

倦怠期って、わたしの人生には、あまり関係がなさそうですが、それでも、なにか伝わってくるものがあるのでしょうか。






なんとなく、寂しげな、大人の歌、聞いていると、一緒に歌ってしまいます。










●ロレーヌの春の楽しみ

2005年04月25日 | 思ったこと
よい天気になったらり、冬に逆戻りしたりしながら、ロレーヌ地方にも、やっと春がやってきました。

今は、花の季節。5月1日には、連れと、いつも山を散策して、すずらんをたくさん取ってきていました。

フランスでは、5月1日のすずらんは、幸福を呼ぶと呼ばれています。そして、この日は、許可なしに、だれでも、山で採ってきたすずらんを、町の路上で売ることができるのです。

ナンシーでは、この季節、すずらんはまだ、はしりで、なかなか見つけるのは、山の場所をよく知っていなくてはいけないのですが、毎年、同じ山の同じ場所あたりに、探しに行ったものです。

たくさんとってきたすずらん、結局、一度も街頭で売る勇気がなくって、決行できなかったけれど(幸せを運ぶのだから、楽しそう。物を、一度も、売ったことがない私には、いい経験だったのかも)、友達や、家族、知り合いや、はては、町行く、見知らぬ人にあげたりして、ものすごく喜ばれたものです。






春には、いろんな楽しみがあるけれど、今、すごく懐かしく思うのは、タンポポのサラダなのです!

このタンポポのサラダは、春先に、まだタンポポが花をつけていないときに、収穫します。といっても、わたしは、連れの田舎の親戚のうちの庭に、いつも、おばあさんと採りに行っていました! なんたって、わたしは、きのこ狩りや、イチゴ狩り、自然の中のなにか食べるものを探して、料理をするのが、大好きなのです。



 
<花が開いたら、もうタンポポのサラダのシーズンは、おしまい。
葉が硬くなって、おいしくないのです。>



タンポポを採りに行くのは、雨の上がった翌日が一番いいのです。根っこから、にんじんを抜くように採るので、地面がやわらかいほうがいいのですね。

こうして、たくさん採ったタンポポは、柔らかい中心の葉の部分を、丁寧に選らなくてはいけません。これが、かなり時間のかかる作業なのですが、おしゃべりをしたり、音楽を聴いたり、ゆったりした時間をすごす口実にもなります。

選ったタンポポの、新芽は、フレンチドレッシングで、胡桃を砕いたものをいれたり、または、ベーコンをいためたものを乗せて、食べるのです。わたしは、ベーコンを乗せたものが、程よく味があって、とても大好きです。


予断ですが、タンポポは、フランス語で、Pissanlit(ピーソンリ)といいます。Pipi(ピピ)とは、フランス語で「おしっこ」という意味。利尿作用があることから、このように呼ばれるようになったということです。






先日、ロレーヌの方から、電話がありました。ロレーヌの桜ももう満開。そろそろタンポポの季節もの終わりです。

これから、ロレーヌは、花が咲き乱れる、よい季節になります。



 
<日本の春一番、と呼ばれる、桜。
日本より、開花の時期が遅い。>








●どうして、新しいプログ?

2005年02月25日 | 思ったこと
このHPでは、わたしの住んでいる島の紹介はありません。日々、思っていることを、書いていこうと思います。

わたしのすんでいる島のHPでは、この島の美しさや、生活の様子、そして、周囲の島々を紹介するつもりで始めたけれど、書いていくうちに、どうしても、ほかのことを書きたくなってしまいます。ふと思ったこと、感じたこと、いろんなこと。

でも、そんなことは、あの島の紹介するHPでは書きたくないのです。こちらは、自分の、島とは関係のない、ふと思いついたことを書きたいだけ。

あの島の名前を、いろんなサーチエンジンで検索すると、あまり知られていない島だからがゆえに、すぐ、わたしのHPが、上に紹介されてしまう。

それは、うれしいことでもあるけれど、すこし重荷でもある。

あの島を離れても、わたしの胸に浮かぶことは、空の星のようにあるのです。あの島は、わたしの世界の、ほんの一部分でしかないのです。

誰でもそうだけれど、いろんな姿を持つわたしがいます。どれも本当のわたし。わたしが変わるのでなく、わたしを見つめる角度によって、光によって、いろんな光が出てくる。


だから、この日記。どんな形になるか分からないけれど、ただ、思いつくままに。最初は、いつも見切り発進、どんな形になるか、わからないのは、わたしのやり方。でも、心浮かぶことを、書きたいって、そんな気持ちだけがある。

HPではなく、自分に手書きの日記に書いてもいいのに、どうしてHPを作るの? わからないけれど、とにかく、書きたい。そんな思いだけがある。たぶん、こうして公の場で自分をこころを表現しないと、自分のこころの許容量を遥かに超えた思いで、パンクしそうになっているのを、最近、感じているのです。(そして、日常では、一切使えない、母国語日本語で、自分を表現したい、そんな気持ちもあるのかも・・・)



<写真> 誰もいない草原。わたしのなかにも、誰も入ってこれない世界が広がっている。

やっぱり、画像は大事。わたしにとっては、日記は絵日記の方がずっとよい。イメージがあるって、とても大切。




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さて、本日、やっとEたち3人のお客さんも、かえってくれました。10日間、なんだかとても、長いように感じました。価値観の違いで、なんだか彼女達の行動には、ビックリすることもあったけれど、それでも、お出かけしたり、楽しいこともたくさんありました。

価値観の全く違う人と、10日でも暮らしていると、「それは、違うんじゃない?」っていいたくなるときが、どうしてもでてきます。でも、そうじゃなく、ただ、それをこころをかき乱されないで、日が昇るのと同じような、一つの現象として、静かなこころで見るというのは、難しい。今回、そんなことの練習になりました。


気分を変えて、たまっていた用事をしたかったのだけれど、朝から、ものすごい腹痛。薬を飲んで、腹痛は止まったけれど、体がとてもだるい。

自分では気づかずに、ストレスをためていたのではないか。だから、今日は、ゆっくりすることにします。たぶん、今夜くらいから、動けるのじゃないかな? (こんな気持ちで、あたらしいHPを作成。書くのは、全く苦じゃないから)

島のHPの更新もなし。ゆったりしたい。




  (mimi_ylangy = nana_ylangylang、紛らわしくてごめんなさい。mimiも nanaも、わたしのニックネームです。HP作成の便宜上、この名で登録をしました。mimiでも、nanaでも、どっちでもいいのです。)

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PS.何度、手直ししても、上に上がっていかない。アクセスしてくださった方も、名前が見えない。なんだか、気楽なプログになりそう。


こうして書いていると、気持ちも整理され、また、書きたい気持ちになったり、HP更新のヒントが出てきたり、いろんな良い面もある。