今日は、美術館にお誘いします。ラ・トゥール(De La Tour) という名の画家を知らなくても、ひとたびその絵を見れば、「あ、この作風の絵、どこかで見たことがある」、そう思われる方も、多いのではないでしょうか。
闇に浮かび上がる情景、その精神性に満ちた、ロウソクに照らされた光と影の表現。一度でも、その作品を見れば、見るものに忘れがたい印象をもたらす画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour 1593~1652)。この画家は、ロレーヌ、ヴィック・スュル・セイユ(Vic-sur-Seille)で生まれました。
わたしは、このことを長い間、知りませんでした。ロレーヌでの、彼の作品との出会いは、まったくの偶然。別の目的で、ナンシーのロレーヌ歴史博物館に行ったとき、一つの部屋に彼の作品が、いくつもかかっておりました。「この絵、見たことがあるなぁ」、そう思って、名前を見て、びっくりしたものです。
彼の作品、「再発見」も、じつに、偶然に満ちています。
17世紀、生前は有名、王のお抱え画家であったものの、彼の作品は、没後、急速に、実に、二世紀半もの間、忘れ去れていました。
20世紀になり、1915年、ドイツの美術史家が、「夜の絵に優れていて、ルイ13世に気に入られた」として、この地方に残された資料に登場する画家、ラ・トゥールと、作者不詳の作品とを結びつけたのが、はじまりでした。 その後、1934年、パリのオランジュリー美術館で、ラ・トゥールの作品が展覧されて以来、次々と彼の作品が明らかになってきたのです。
しかし、彼の作品、生涯の全貌は、まだ、すべて解明されていません。しかも、残存する、彼の手による作品数が、40点もない、という、驚くべき少なさもあいまって(戦乱の中で画家の住んだ町が壊滅したりして、作品が消滅)、ヴェールに包まれた17世紀の神秘の画家として脚光を浴びているのです。このあたり、オランダのフェルメールを思い起こさせますね。
"Saint Jerome lisant"
なぞに満ちた、彼の一生は、どこまで分かっているのでしょうか?
ラ・トゥールは1593年、フランス北東部、当時は、フランスとは別の歴史を歩んでいた、独仏国境の小国ロレーヌ公国の町、ヴィック・スュル・セイユVic-sur-Seilleに、パン屋の息子として生まれました。地元の画家に教育を受けた後、24歳で富裕な一家の娘と結婚、1620年まで、妻の実家の町、リュネヴィル(Luneville)で画家として一人立ちし、最初の弟子を雇い入れています。
1639年にはパリに進出し、ルイ13世から、「王の常勤画家」に任命され、ル=ブルのギャラリーに住み込みになった、との記録もあるそうです。1652年に、二人の娘と画家であった一人息子を残して没しました。当時としては、まさに順風満帆の出世画家だったようです。
以後この画家に対する研究が進められ、現在ではこの画家の美術史における位置は揺るぎ無いものとなっています。
ラ・トゥールの作品を有名にしたものは、その風俗的主題、対象をきわめて、精密に、写実的に、描写する手法、そして、光と闇の劇的な対照です。彼は、パリで、オランダやイタリアの画家と交流を深め(彼が、ローマで学んだという記憶を立証するものは、まだない)、カラヴァッジョ (le Caravage 、1571-1610), の作品から大きな影響を受けています。
その後、ラ・トゥールは、次第に、ロウソクなどの光を、効果的に用い、静謐で精神性の高い宗教画を描いていきます。
ラ・トゥールの作品は、「昼の絵」と「夜の絵」に二分されますが、圧倒的に有名なのは、やはり、このロウソクの光を効果的に使った、「夜の絵」でしょう。
たった一つの光源、ロウソクのの光だけに照らされた人物は、くっきりと輪郭を描いて眼前に現れ、その集中した光の中に深い内省が表現された精神の高貴さは比類ない、強烈な印象を与えるのです。
ラ・トゥールには、いくつかの逸話があります。それは、生前の彼が、たいへんなごうつくで、俗物だったということ。これも、真実の程が、どれだけのものか、更なる研究を待つばかりです。
彼の作品は、ナンシーのロレーヌ歴史博物館でも見ることができます。
残念なとこに、私がいったときは、いくつかの絵は「貸し出し中」。彼の弟子達が書いたものと思われる絵が、代わりに掛かっていました。
美術館員に、どこに絵が行ったのか聞いてみると、なんと、貸出先は「日本」とのこと。彼が言うには、日本人は、フランス人にもあまり知られていない、ラ・トゥールをはじめ、多くの画家に興味を持っている、とてもおもしろい国民なのだそうです。
「でも、どうして、遠いところからきて、あんなに急いで、美術館をぐるっと廻って、帰っていくのだろう」
そういって、首を傾げていました。わたしが、日本人だというと、とても嬉しそうに、いろんな説明をしてくれました。
平日で、バカンス時でもない博物館は、とても閑散としており、どなたも、親切に説明をしてくださり、とても快適に鑑賞できたのが、記憶に暖かく残っています。
ラ・トゥールの美術館は、彼が生まれた町にもあります。ロレーヌの、小さな町で生まれたラ・トゥールが、洗礼を受けたサン・マリアン教会。その前に建つ、18世紀の邸宅を一新したのが、それです。この美術館の名を“ラ・トゥール”たらしめているのが、美術館が所蔵する、彼の作品「荒野の洗礼者聖ヨハネ」なのです。
《荒野の洗礼者聖ヨハネ》
県立ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館蔵
この作品もまた、ドラマチックに「再発見」をされたものなのです。1993年、パリのドルウォー競売所のオークションで出品されていた、一つの作者不詳の作品がありました。この作品が、現代の科学的な裏付けを経てラ・トゥールのものと判明したのです。(彼の作品のあい続く発見は、「美術研究史の勝利」ともいわれます。)
この作品は、国とモゼール県(ロレーヌの三権の一つ、ヴィック=シュル=セイユの位置する県)による作品の購入されました。それをきっかけに、この作品のために県立ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館が開設されたのでした。
これから、また、ラ・トゥールは、どんなドラマチックな「再発見」を経て、わたし達を驚かせてくれるのでしょうね?
・・・・・・・・・・・・・・・・・
<補足>カラバッジョ・イタリア、バロックの画家
本名は、ミケランジェロ・メリージ(Michelangelo Merisi)ですが、後年、カラバッジョ村(イタリア北部)に生まれたことから、カラバッジョを通称としました。
光と影を使い、ドラマチックな絵を描きました。イタリア・バロックを代表する、有名な画家です。彼の絵は、ローマのボルケーゼ美術館で、多く見ることができます。
カラバッジョの絵画の特徴は、画面の細部に至るまで、徹底的に追及した、リアリズムです。このリアリズムは、同時代の風俗を取り扱った場面設定とうまく融合して、画面の登場人物たちが、生き生きとした存在感をもっているのです。
彼の、光と影を劇的に使ったユニークな明暗法(キアロスクーロ)は、想像力を通して鑑賞者の内面に訴えかける画期的な手法として、伝統や慣習にとらわれない新しい絵画の創出へとつながったのです。
彼の画法は、ルーベンスやベラスケス、レンブラントら、(そして、ラ・トゥールも忘れてはいけません)、17世紀の画家たちに受け継がれ、バロック絵画として、大きく花開いていくのです。
(カラバッジョの作品は、ネットで検索をかけるとたくさん見ることができます。)
<追記>偶然というか、いま、上野で、ラ・トゥール展がはじまったばかりなのですね!(2005年3月8日(火)~5月29日(日)、国立西洋美術館(東京・上野公園)にて)
ビックリしました。
ロレーヌの彼の絵は、いま、日本に行っているということでしたが、上野の特別展だったとは!わたしも、ラ・トゥールとともに、日本に帰りたい!
興味のある方、ぜひ鑑賞後のご感想をお聞かせくださいね!
闇に浮かび上がる情景、その精神性に満ちた、ロウソクに照らされた光と影の表現。一度でも、その作品を見れば、見るものに忘れがたい印象をもたらす画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour 1593~1652)。この画家は、ロレーヌ、ヴィック・スュル・セイユ(Vic-sur-Seille)で生まれました。
わたしは、このことを長い間、知りませんでした。ロレーヌでの、彼の作品との出会いは、まったくの偶然。別の目的で、ナンシーのロレーヌ歴史博物館に行ったとき、一つの部屋に彼の作品が、いくつもかかっておりました。「この絵、見たことがあるなぁ」、そう思って、名前を見て、びっくりしたものです。
彼の作品、「再発見」も、じつに、偶然に満ちています。
17世紀、生前は有名、王のお抱え画家であったものの、彼の作品は、没後、急速に、実に、二世紀半もの間、忘れ去れていました。
20世紀になり、1915年、ドイツの美術史家が、「夜の絵に優れていて、ルイ13世に気に入られた」として、この地方に残された資料に登場する画家、ラ・トゥールと、作者不詳の作品とを結びつけたのが、はじまりでした。 その後、1934年、パリのオランジュリー美術館で、ラ・トゥールの作品が展覧されて以来、次々と彼の作品が明らかになってきたのです。
しかし、彼の作品、生涯の全貌は、まだ、すべて解明されていません。しかも、残存する、彼の手による作品数が、40点もない、という、驚くべき少なさもあいまって(戦乱の中で画家の住んだ町が壊滅したりして、作品が消滅)、ヴェールに包まれた17世紀の神秘の画家として脚光を浴びているのです。このあたり、オランダのフェルメールを思い起こさせますね。
"Saint Jerome lisant"
なぞに満ちた、彼の一生は、どこまで分かっているのでしょうか?
ラ・トゥールは1593年、フランス北東部、当時は、フランスとは別の歴史を歩んでいた、独仏国境の小国ロレーヌ公国の町、ヴィック・スュル・セイユVic-sur-Seilleに、パン屋の息子として生まれました。地元の画家に教育を受けた後、24歳で富裕な一家の娘と結婚、1620年まで、妻の実家の町、リュネヴィル(Luneville)で画家として一人立ちし、最初の弟子を雇い入れています。
1639年にはパリに進出し、ルイ13世から、「王の常勤画家」に任命され、ル=ブルのギャラリーに住み込みになった、との記録もあるそうです。1652年に、二人の娘と画家であった一人息子を残して没しました。当時としては、まさに順風満帆の出世画家だったようです。
以後この画家に対する研究が進められ、現在ではこの画家の美術史における位置は揺るぎ無いものとなっています。
ラ・トゥールの作品を有名にしたものは、その風俗的主題、対象をきわめて、精密に、写実的に、描写する手法、そして、光と闇の劇的な対照です。彼は、パリで、オランダやイタリアの画家と交流を深め(彼が、ローマで学んだという記憶を立証するものは、まだない)、カラヴァッジョ (le Caravage 、1571-1610), の作品から大きな影響を受けています。
その後、ラ・トゥールは、次第に、ロウソクなどの光を、効果的に用い、静謐で精神性の高い宗教画を描いていきます。
ラ・トゥールの作品は、「昼の絵」と「夜の絵」に二分されますが、圧倒的に有名なのは、やはり、このロウソクの光を効果的に使った、「夜の絵」でしょう。
たった一つの光源、ロウソクのの光だけに照らされた人物は、くっきりと輪郭を描いて眼前に現れ、その集中した光の中に深い内省が表現された精神の高貴さは比類ない、強烈な印象を与えるのです。
ラ・トゥールには、いくつかの逸話があります。それは、生前の彼が、たいへんなごうつくで、俗物だったということ。これも、真実の程が、どれだけのものか、更なる研究を待つばかりです。
彼の作品は、ナンシーのロレーヌ歴史博物館でも見ることができます。
残念なとこに、私がいったときは、いくつかの絵は「貸し出し中」。彼の弟子達が書いたものと思われる絵が、代わりに掛かっていました。
美術館員に、どこに絵が行ったのか聞いてみると、なんと、貸出先は「日本」とのこと。彼が言うには、日本人は、フランス人にもあまり知られていない、ラ・トゥールをはじめ、多くの画家に興味を持っている、とてもおもしろい国民なのだそうです。
「でも、どうして、遠いところからきて、あんなに急いで、美術館をぐるっと廻って、帰っていくのだろう」
そういって、首を傾げていました。わたしが、日本人だというと、とても嬉しそうに、いろんな説明をしてくれました。
平日で、バカンス時でもない博物館は、とても閑散としており、どなたも、親切に説明をしてくださり、とても快適に鑑賞できたのが、記憶に暖かく残っています。
ラ・トゥールの美術館は、彼が生まれた町にもあります。ロレーヌの、小さな町で生まれたラ・トゥールが、洗礼を受けたサン・マリアン教会。その前に建つ、18世紀の邸宅を一新したのが、それです。この美術館の名を“ラ・トゥール”たらしめているのが、美術館が所蔵する、彼の作品「荒野の洗礼者聖ヨハネ」なのです。
《荒野の洗礼者聖ヨハネ》
県立ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館蔵
この作品もまた、ドラマチックに「再発見」をされたものなのです。1993年、パリのドルウォー競売所のオークションで出品されていた、一つの作者不詳の作品がありました。この作品が、現代の科学的な裏付けを経てラ・トゥールのものと判明したのです。(彼の作品のあい続く発見は、「美術研究史の勝利」ともいわれます。)
この作品は、国とモゼール県(ロレーヌの三権の一つ、ヴィック=シュル=セイユの位置する県)による作品の購入されました。それをきっかけに、この作品のために県立ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館が開設されたのでした。
これから、また、ラ・トゥールは、どんなドラマチックな「再発見」を経て、わたし達を驚かせてくれるのでしょうね?
・・・・・・・・・・・・・・・・・
<補足>カラバッジョ・イタリア、バロックの画家
本名は、ミケランジェロ・メリージ(Michelangelo Merisi)ですが、後年、カラバッジョ村(イタリア北部)に生まれたことから、カラバッジョを通称としました。
光と影を使い、ドラマチックな絵を描きました。イタリア・バロックを代表する、有名な画家です。彼の絵は、ローマのボルケーゼ美術館で、多く見ることができます。
カラバッジョの絵画の特徴は、画面の細部に至るまで、徹底的に追及した、リアリズムです。このリアリズムは、同時代の風俗を取り扱った場面設定とうまく融合して、画面の登場人物たちが、生き生きとした存在感をもっているのです。
彼の、光と影を劇的に使ったユニークな明暗法(キアロスクーロ)は、想像力を通して鑑賞者の内面に訴えかける画期的な手法として、伝統や慣習にとらわれない新しい絵画の創出へとつながったのです。
彼の画法は、ルーベンスやベラスケス、レンブラントら、(そして、ラ・トゥールも忘れてはいけません)、17世紀の画家たちに受け継がれ、バロック絵画として、大きく花開いていくのです。
(カラバッジョの作品は、ネットで検索をかけるとたくさん見ることができます。)
<追記>偶然というか、いま、上野で、ラ・トゥール展がはじまったばかりなのですね!(2005年3月8日(火)~5月29日(日)、国立西洋美術館(東京・上野公園)にて)
ビックリしました。
ロレーヌの彼の絵は、いま、日本に行っているということでしたが、上野の特別展だったとは!わたしも、ラ・トゥールとともに、日本に帰りたい!
興味のある方、ぜひ鑑賞後のご感想をお聞かせくださいね!
ちょうど上野のラ・トゥール展を見に行こうと思っていたので、うれしくなって書き込みしました。
NYでフェルメールの絵を見れた後で、彼の絵を日本で見れるなんてちょっとできすぎと思ってしまいました。
あの光の加減をぜひ本物で見たいと思っています。
ナンシーの博物館でも日本に貸し出されているって、聞いていたけれど、上野の特別展だったとは!
しかもchamomilさんは、NYでフェルメールも、見てこられたんですね。なんだか、すごい偶然ですね。
国立西洋美術館にいかれましたら、ぜひぜひ、鑑賞後の感想をお聞かせくださいね。
わたしは、彼の絵が、とても好きなんです。静寂が流れているような、時間が止まったような絵。chamomilさんは、どんな風にご覧になられるのでしょう・・・。
あの静かで沢山の絵が並んだ壁面から画家達のまなざしと息遣いが感じ取れる美術展の雰囲気をまざまざと思い出しながら、、mimiさんの徹底した学習の跡にも感嘆しつつ、拝見しました。
ラ.トウールの名も絵も、本当、どこかで聞いたような、見たような気がしますが、、バロック派の画家なのですね。沢山のいい絵を見るように、と美術部の教師に数知れぬ名画を見せられました。きっとその中に彼の絵も入っていたのでしょう。
mimiさんはいつ彼の絵をご覧になってご自分の中の引き出しの中に入れられたのでしょうか?
先日、私の所でとてもいいご意見を書いていらした。
「自分の為に書く、自分が吸収したものを吐き出し、読んでもらえるに耐える文章を磨いていきます」という意味のことを、、そうですね。こうした絵に限らず、生を受けてから、自分が如何に見、感じ、濾過して形あるものに表現していく過程に例えば文章があり、絵画があり、その他etc..があるのですね。
私もいろいろ悩みました。もうやめようか、と本気で思いました。自分の文章に自信が持てなくなったりしました。でも、そうじゃない、最近はそう思うように、、。
私の好きなエミリ・ディキンスンの言葉、「草の仕事はほんの少し」、のように、コツコツ続けていこうかな、とここにきて思いました。
私も別所で映画や本や見たものを吐出すページをつくってます。私はまだ読んでもらえるに絶える文章にはなってませんが、inputしたものはoutputしないと、また新しいものが入れられないんだなあ、と感じております。
ラ・トゥールの絵、最初にどこで見たのか、覚えていないのです。おそらく、高校生の頃、一番上に載せた、「改悛するマグダラのマリア」を、画集で見たのが初めてだったと思いますが、その後、美術館でも、ラ・トゥールの作品らしきもの、または弟子が描いたものを、何度か見かけました。印象的な絵なので、数は少ないのですが、覚えていたのです。
いい物に触れるのは、とても大切ですね。わたしは、25歳の頃まで、小説などは、いわゆる世界の名作、「時の洗礼を受けたもの」しか読むな、といわれて、ずっとクラッシックばかり読んでいました。そうしていいものに触れ続けていると、自然と悪いものをはじくようになっていくのですね。
プログは、たくさんの方に来ていただければ、励みになりますし、嬉しいものだけれど、なによりも自分のために書かなくては、と思っています。じゃないと、続きませんよね!
プログの悩みは、いつもあります。自信喪失になったり、ジレンマも、あります。ただ、アクセスが多いプログ=良質、とはいえないかな、と・・・。自分がかきたいことを書いて、たった一人の人にでも共感してもらえれば、ラッキー。そうじゃなくても、自分のかきたいことを書いたのだから、納得ができる。そんな思いで、続けていきたいです。
いつまで、続けるのかは、決めていませんが、いまは、まだ、インプットしたものを整理するつもりで書いています。
まりえさんの悩まれる気持ち、分かるんです。でも、自分の思っていることを、まっすぐに伝える方法が別に見つかるまで、続けていかれるつもりでいても、良いのではないでしょうか?
ながながと書いてしまいましたが、これも、プログに関して、思うところがある、そんな証拠ですね!
chamomileさんの、ご感想、楽しみにしていますね!
>私も別所で映画や本や見たものを吐出すページをつくってます。
これは、知りませんでした。また、覗かせていただきますね!
「読んでもらえる耐える文章」、というのは、かなり大きな野望なので、そんなときが来るのかどうか、分からないし、自信喪失になることも多いのですが、なるべく、興味のあることを客観的に、かつ、自分なりのエッセンスを加えながら書いていければ、なんて、大それたことを思いながら、書いています。(まりえさんへのレスにも、プログを書くことに関して、思っていることを書きました)
人間の頭って、スポンジのようで、知識を、水のようにどんどん吸収するのだけれど、たまに絞って、アウトプットしてやらないと、パンパンになって、吸収力が悪くなるそうです。しかも、わたしは、古い水が腐ってきたり(新鮮な気持ちでものが見れない))、するんじゃないかとおもったりします。
別所でラ・トゥール展の紹介を少し書いたので、
こちらのページぜひトラックバックさせてください。
よろしくお願いします。
そちらのページにも、遊びに行きますね!