わたしは、甘いものがあまり好きではないのですが、お菓子にまつわるお話、作り方の説明などを聞くのが、大好きです。今日は、ロレーヌの代表的なお菓子のうち、二つ、マドレーヌとベルガモット・キャンディーを紹介しますね。たくさんのお菓子の話のように、この二つのお菓子も、18世紀に、ロレーヌを統治した、スタニスラス公の説明抜きには、語れないのです。
(スタニスラス公のことは、後日あらためてかきたいのですが、ちょっとだけ、その背景に触れておきますね。)
ナンシー観光のスポットでもある、市庁舎の前の瀟洒な広場。この広場は、スタニスラス広場と呼ばれ、ナンシーの市民をはじめ、ロレーヌの人々に馴染み深い場所でもあります。
この広場は、18世紀にロレーヌを統治した、スタニスラス・レクチンスキー(Stanislas Leszczynski、フランス語読みでは、レジンスキーだけれど、日本では、レクチンスキーと通っているので、ここでもそれに習います。)という公爵の名をとって、つけられました。スタニスラス公は、もとポーランド王でしたが、政変のため、フランスに亡命。フランス王から、ロレーヌの統治権を与えられたのです。
スタニスラスは、娘、マリー・レクチンスキーを、ルイ15世に嫁がせました。そして、地盤を固めたところで、またポーランド王の座を狙うなど、波乱と移動に飛んだ人生を送りました。このあたりは、ポーランド継承戦争とかかわって、歴史のおもしろいとことろですが、今日は、お菓子の話に集中するために、またの機会に・・・。
このポーランドの元王様、ロレーヌ公であったストラスニスは、無類の美食家でした。そのため、彼は、政界だけではなく、フランス菓子界にも、大きく名を残すことになったのです。
<在りし日の、スタニスラス公の肖像。いかにも、美食家、という感じが・・・>
まずは、世界で知られている、有名なお菓子、マドレーヌです。このお菓子には、大変有名なエピソードがあります。
1755年、宴会好きだったスタニスラス公、宴会の準備の最中に、料理長とけんかをし、料理長は、出て行ってしまいます。(王様とけんかをする、このあたりが、フランスらしいと、いうか・・・)。スタニスラス公は、「おいしいものを作れ」というし、どうしたものかと皆が悩んでいた時に、女中であった(料理人とも言われる)、コメルシィー出身の少女、マドレーヌが即興で、皿型をつかってお菓子を作ったのです。
このバターをたっぷり使ったお菓子は、とてもおいしく、スタニスラス公はたいへんに喜び、このお菓子に「マドレーヌ・ド・コメルシィー」という名をつけた、というのです。(その他にも、いろんな説があって、なぞは多いのですが、一番代表的なものを紹介しておきます。)
このお菓子は、浮気好きだったルイ15世に嫁いだ、スタニスラス公の娘、マリーに伝えられ、ルイ15世を、マリーのそばに、引き止めるためにも使われ、パリにも、広まっていったといいます。
マドレーヌは、簡単に言えば、卵と砂糖、少量の塩をよく混ぜ合わせた中に小麦粉、たっぷりの溶かしバター、おろしたレモンの皮を加えて、焼くそうなのですが、長い間、その製法は、秘密とされていました。そして、ある時、コメルシィーの菓子職人が、たいへんな高値で、レシピを買い取ったとか、コメルシーの職人がずっと秘密にしていたとか、いろんな説があります。
現在の、一般的なマドレーヌは、帆立貝(Coquille St Jacques)の殻の形をしており、レモンまたはオレンジ風味の、かなりシンプルな焼き菓子なのですが、この地方の、味にうるさい人にいわせると、ロレーヌで作られた、「マドレーヌ・ド・コメルシィ」の印が入った、マドレーヌでなければ、本物のマドレーヌではない」、などといったりします。
<ロレーヌの人も認める、世界で二番目においしい、マドレーヌ。一番は、もちろんママンの作ったマドレーヌ>
そんなマドレーヌを生んだ、小さな町コメルシィは、小さいながら、中世から発達していった古い町です。現在、人口は、一万人足らず。観光スポットも、取り立ててないのですが、町を車で過ぎると、マドレーヌのイメージが思い出されて、バターの香りが漂ってくるような、嬉しい気持ちになります。
そして、もう一つの、ロレーヌの名物は、ベルガモット・ド・ナンシーとよばれる、薄くて黄金色の、四角いガラスのような飴です。
ベルガモットをつくる飴に加える、ベルガモットオレンジは、現在、エッセンシャルオイルとしても、よく使われたり、紅茶のアールグレイの香りづけにも使われたりして、意外に、みなさんも、なじみがあるのではないでしょうか。(ハーブのベルガモットと混同されがちですが、ベルガモットオレンジは、木であり、その実を使うのですね)
このベルガモットオレンジ、オレンジとナシを掛け合わせたような、かんきつ類で、イタリアのカラブリア地方や、フランスのコルシカ島で栽培されてるそうです。それまでは、香水として使われることが多かったそうですが、1857年、ドイツからやってきた菓子職人の、リリーチという人が、ベルガモットを食べ物に加えようと思いついたと、伝えられています。
遠い、地中海の沿岸で作られるベルガモットが、なぜロレーヌ、ナンシーの名物になったのか。これが、少しの間、わたしの疑問でした。謎解きは、意外に簡単。なぜかというと、この珍しいベルガモットを、スタニスラス公が大変に好んだから、なのだそうです。
フランスでは、さまざまな特産品に厳格な規格が設けられており、その名前を名乗るには、その規格を厳守する必要があるのですが、今では「ベルガモット・ド・ナンシー」と名のれるのは、ナンシーで3軒だけなのだそうです。
この中の一軒、デザインの有名なブリキの入れ物。デザインは、何十年も、変わらない。「アメリー・プラン」の中にもでてくる。
ベルガモットはともかく、マドレーヌは、日本でもおなじみのお菓子。次にマドレーヌを食べるときは、アールグレイの紅茶とともに、かわいいお女中のマドレーヌと、でっぷり太ったスタニスラスを思い出しながら、いただいてみてくださいね。
(スタニスラス公のことは、後日あらためてかきたいのですが、ちょっとだけ、その背景に触れておきますね。)
ナンシー観光のスポットでもある、市庁舎の前の瀟洒な広場。この広場は、スタニスラス広場と呼ばれ、ナンシーの市民をはじめ、ロレーヌの人々に馴染み深い場所でもあります。
この広場は、18世紀にロレーヌを統治した、スタニスラス・レクチンスキー(Stanislas Leszczynski、フランス語読みでは、レジンスキーだけれど、日本では、レクチンスキーと通っているので、ここでもそれに習います。)という公爵の名をとって、つけられました。スタニスラス公は、もとポーランド王でしたが、政変のため、フランスに亡命。フランス王から、ロレーヌの統治権を与えられたのです。
スタニスラスは、娘、マリー・レクチンスキーを、ルイ15世に嫁がせました。そして、地盤を固めたところで、またポーランド王の座を狙うなど、波乱と移動に飛んだ人生を送りました。このあたりは、ポーランド継承戦争とかかわって、歴史のおもしろいとことろですが、今日は、お菓子の話に集中するために、またの機会に・・・。
このポーランドの元王様、ロレーヌ公であったストラスニスは、無類の美食家でした。そのため、彼は、政界だけではなく、フランス菓子界にも、大きく名を残すことになったのです。
<在りし日の、スタニスラス公の肖像。いかにも、美食家、という感じが・・・>
まずは、世界で知られている、有名なお菓子、マドレーヌです。このお菓子には、大変有名なエピソードがあります。
1755年、宴会好きだったスタニスラス公、宴会の準備の最中に、料理長とけんかをし、料理長は、出て行ってしまいます。(王様とけんかをする、このあたりが、フランスらしいと、いうか・・・)。スタニスラス公は、「おいしいものを作れ」というし、どうしたものかと皆が悩んでいた時に、女中であった(料理人とも言われる)、コメルシィー出身の少女、マドレーヌが即興で、皿型をつかってお菓子を作ったのです。
このバターをたっぷり使ったお菓子は、とてもおいしく、スタニスラス公はたいへんに喜び、このお菓子に「マドレーヌ・ド・コメルシィー」という名をつけた、というのです。(その他にも、いろんな説があって、なぞは多いのですが、一番代表的なものを紹介しておきます。)
このお菓子は、浮気好きだったルイ15世に嫁いだ、スタニスラス公の娘、マリーに伝えられ、ルイ15世を、マリーのそばに、引き止めるためにも使われ、パリにも、広まっていったといいます。
マドレーヌは、簡単に言えば、卵と砂糖、少量の塩をよく混ぜ合わせた中に小麦粉、たっぷりの溶かしバター、おろしたレモンの皮を加えて、焼くそうなのですが、長い間、その製法は、秘密とされていました。そして、ある時、コメルシィーの菓子職人が、たいへんな高値で、レシピを買い取ったとか、コメルシーの職人がずっと秘密にしていたとか、いろんな説があります。
現在の、一般的なマドレーヌは、帆立貝(Coquille St Jacques)の殻の形をしており、レモンまたはオレンジ風味の、かなりシンプルな焼き菓子なのですが、この地方の、味にうるさい人にいわせると、ロレーヌで作られた、「マドレーヌ・ド・コメルシィ」の印が入った、マドレーヌでなければ、本物のマドレーヌではない」、などといったりします。
<ロレーヌの人も認める、世界で二番目においしい、マドレーヌ。一番は、もちろんママンの作ったマドレーヌ>
そんなマドレーヌを生んだ、小さな町コメルシィは、小さいながら、中世から発達していった古い町です。現在、人口は、一万人足らず。観光スポットも、取り立ててないのですが、町を車で過ぎると、マドレーヌのイメージが思い出されて、バターの香りが漂ってくるような、嬉しい気持ちになります。
そして、もう一つの、ロレーヌの名物は、ベルガモット・ド・ナンシーとよばれる、薄くて黄金色の、四角いガラスのような飴です。
ベルガモットをつくる飴に加える、ベルガモットオレンジは、現在、エッセンシャルオイルとしても、よく使われたり、紅茶のアールグレイの香りづけにも使われたりして、意外に、みなさんも、なじみがあるのではないでしょうか。(ハーブのベルガモットと混同されがちですが、ベルガモットオレンジは、木であり、その実を使うのですね)
このベルガモットオレンジ、オレンジとナシを掛け合わせたような、かんきつ類で、イタリアのカラブリア地方や、フランスのコルシカ島で栽培されてるそうです。それまでは、香水として使われることが多かったそうですが、1857年、ドイツからやってきた菓子職人の、リリーチという人が、ベルガモットを食べ物に加えようと思いついたと、伝えられています。
遠い、地中海の沿岸で作られるベルガモットが、なぜロレーヌ、ナンシーの名物になったのか。これが、少しの間、わたしの疑問でした。謎解きは、意外に簡単。なぜかというと、この珍しいベルガモットを、スタニスラス公が大変に好んだから、なのだそうです。
フランスでは、さまざまな特産品に厳格な規格が設けられており、その名前を名乗るには、その規格を厳守する必要があるのですが、今では「ベルガモット・ド・ナンシー」と名のれるのは、ナンシーで3軒だけなのだそうです。
この中の一軒、デザインの有名なブリキの入れ物。デザインは、何十年も、変わらない。「アメリー・プラン」の中にもでてくる。
ベルガモットはともかく、マドレーヌは、日本でもおなじみのお菓子。次にマドレーヌを食べるときは、アールグレイの紅茶とともに、かわいいお女中のマドレーヌと、でっぷり太ったスタニスラスを思い出しながら、いただいてみてくださいね。
ポーランド王家とロレーヌ地方の歴史が今ひとつわからないのですが・・
ポーランドは後の3国分割で滅亡し、そしてまたナポレオンとの関係でもゆかりの深い国だと思っていましたが、それ以前もポーランドとフランスはこういった統治関係が行われていたのですね。
歴史的に何度も苦渋をなめたポーランドという国にもぜひ一度訪れてみたいと思ってしまう私です。
美味しいもの大好きなのでついつい、コメントしてしまいました。ではでは
本文にも書いていますが、このマドレーヌ、レシピが秘密だったとのこと。簡単な料理なので、すぐわかってもおかしくない気もするのですが、コメルシィのマドレーヌは、確かに微妙に違うような、気もします。ロレーヌの人は、このコメルシィのしか買わない人も、多いのですよ。
マドレーヌは、バターがたっぷりで脂っこいので、コーヒーよりも、多くの水分のあるほうが、合う気がするんですけれど・・・。やっぱりフランス人は、コーヒーを選ぶんでしょうね。
ポーランド王家と、フランスの関係。スタニスラス公の一生と絡めて、またあらためて書くつもりでいるので、楽しみにしていてくださいね。
後年、「あ、これがあの、、」と料理本で見て、ケーキ屋さんで買って口にしたのですが、、mimiさんの記述のような作り方まではしりませんでした。あのマドレーヌ型がなかなか手に入らないのです。
今はあるみたいですけど、子供が小さい時作ろうとして種だけはなんとかマドレーヌなのに、型がないからマフィン型で、、やっぱりあの独特の波型のスプーンみたいな型でないと、、。そうだったんですか、ほお~~そんなエピソードを持つお菓子だったんですね。
とても楽しい、そして美味しいお話でした。
私もmimiさんと同じくあまり甘いものは苦手な方ですが、今度機会あったら、マドレーヌを心して味わいたいもの、、と思ったことでした。
プルースト、わたしは大学生のときに始めて読みました。マドレーヌやミルフィーユのことが、少年時代の思い出とともに、美しく描写されていて、どんなお貸しだろうと思ったものです。
マドレーヌは小さいころからもあったと思いますが、まりえさんのいうように、マフィン方のもので、ホタテの形が、本来のマドレーヌの形とは、知りませんでした。
>謎が好きね、私。
わたしもですよ~。なんだかすぐに疑問やなぞがわいてきて、その紐解きをしたくなるのです。そのときにしったことが、頭の中で一杯になっていて、こうして書いては思い出したりするのも、楽しい作業です。
マドレーヌは、おいしいものは、好きです。ご自分で作られても、楽しいですよね!